【2 二日目】
里丘の意外(?)な一面が顔を覗かせる。やっぱり人って、話してみないとわからねえ(藤森談)
翌日も姿を現した藤森と軽く挨拶を交わして雑誌を開いた。
無意識にくるりとペンを回しカツカツと机をならす。考え事をする時の癖がどうしても出てしまう。
「本当に来たんだ」
雑誌からは顔を上げずに話し掛けた。
「あれ? 嘘だと思った」
里丘の言葉に、信じてなかった? と眉をあげる。そんな藤森に里丘が目だけを上げて意外そうに言った。
「じゃなくて、……社交辞令かな、と」
結局、信じてなかったということだろう。
「ひっでー」
「普通、思わない?」
所詮、口約束なんてそんな程度。第一、約束だなんてだいそれたものでもない。
「まあ、思わないこともないか。今日はナニ?」
上着を脱いで椅子にかけると、ノートではなく雑誌を開いている里丘に尋ねる。
「クロスワード」
「数学はやらないんだ?」
放課後、図書室にやってきてまでしているのだ。余程好きなんだろうと思っていたのだが、そんなものに興味はないとばかりに今日の里丘は雑誌のマスを埋めていく。
それを見て疑問が生じる。
「気が向いたらするけど。今日は気分じゃない」
―――気分?
どうしたら六時間も授業を受けていて、更にその後の貴重な解放された時間を数学なんてくそ面白くもないモノを解く気分になるというのか。
聞きたい気もするが、気分は気分なのだろうと自分を納得させておく。
理解不能=考えても無駄=考えない、という里丘に対する図式が藤森の頭の中では早々と成立していた。
「どんなのやってんの」
「正月になると落ちてる玉は?」
一文を読んでみせるとそれに答えて藤森が首を傾げ少し考える素振りを見せて、浮かんだ言葉を口に出す。
「お年玉」
小学生レベルの、なんだかとんち的要素の多い問題のようだ。
「そういうやつ」
言われて藤森ははたと思いつく。この手のものは小学生の頃にやり尽くしている。
「なぞなぞじゃねーの、それって」
「う〜ん、実は私もいまそう思ってたところ。あっ」
無造作に表紙を眺めて、里丘が声を上げる。
「なに?」
「なぞなぞクロスワードだった」
がっくしと肩が落ちる。
「気付かなかったのか」
「気付いてたら買ってないって」
オーソドックスなものがしたかったのに。ぶつぶつと悪態つきながらもさらさらとマスを埋めていく。
「意外と抜けてるな」
「意外?」
なにがどう意外と感じるのだろう?
「そんなヘマしそうにないじゃん」
ヘマなんて日常生活の中で数えたらキリがないくらいやっている。
「藤森の中で『私の人物像』ってどんな?」
藤森が一体どんな風に自分の事を捉えているのか気になった。
別に他人が自分のことをどんなふうに思い、感じているのかなんてどうでもいいことだけれど、興味はある。
「よくわかんねーけど、特に仲良くしてる友達、っていうか女同士ってけっこうわけわかんねーグループでいるのに、その中にいないわりにクラスで浮いた様子もないなー、とか理数系めちゃくちゃいー点とってんのに絵はめちゃくちゃ下手、とか」
よくも言いにくいことをこうもずけずけとその最中、気になることが入っていた。
「待った」
更に言い募ろうとする藤森を止める。
「絵を見たの?」
雑誌がなぞなぞクロスワードだと気づいたときより遙に暗い顔で尋ねてくる。
「美術室。選択美術だろ、俺もそうだから」
一年次から導入されている選択科目は音楽と美術。人気の高い音楽からどういう基準かは分からないがもれてしまった生徒は強制的に美術へとまわされることになる。ひと月ごとに課題提出のある美術は、苦手な者にとっては苦痛でしかない。提出が遅れればそれだけで成績にも影響してくる。
とはいえ、あんなもの開いて飾っておいた覚えはない。
きっと美術教師が採点の為開いていたのを、ちゃっかり覗いてしまったのだろう。
「…そうか、あれをみたのか。……どうだった」
落ち込んでいるようにも見えるが、感想をききたいらしい。
「どうって、……ふざけた絵を描くヤツだな、どんな男だ? と思って名前見たら、里丘だった。で、あれは一体」
なんだったんだ? と聞くのも憚りたくなるほどに首はがっくしと項垂れ、それにも関わらず目だけはしっかりと藤森のほうを見ているものだから、そら恐ろしささえ感じて口を閉ざしてしまう。
―――地雷。だったか……
つぅーと背中を汗が伝う。
しかし事実は事実、描かれたものは想像力の範疇を超えていた。
幾何学的ではないが、うにょんとした茶色い物体が中央に描かれていて、空と覚しき上半分青と、きっと芝生かなにかだろうと思える地面らしき緑が下半分をうめていて、いたづら描きにしても保育園児以下の作品といえるあれを、描いた本人以外の誰が説明できるというのか、知っている人がいれば教えてほしいくらいだ。
「ナニにみえた」
それでも、答えが欲しいのか里丘は見た罰だといわんばかりに尋ねてくる。
「なにって、」
長いこと考え込んで頭を捻る藤森は、必死にどこかに潜んでいるかもしれない単語を引っ張り出そうと悪戦苦闘中だ。
やっぱりか、と深ーいため息を漏らした後、里丘が観念したようにぼそっともらす。
「コタロー」
「ひ、人?」
ひくっと顔がひくつくのを止めれないで、それでも正体を確認したいらしい。
一種の恐いもの見たさ的な心理といえないこともないだろう。
「昔、うちで飼ってた犬」
「ぶっ」
盛大に噴き出した後も、美術室でみたアレを思い出し反芻しているのか小刻みに肩が震えている。
「笑いすぎ」
「いや、まずいだろあれは。腹痛ぇ〜」
笑いを堪えたせいで腹筋が痛いのか、お腹を抑え目尻には涙さえ浮かべている。
そんな藤森に不貞腐れた様子でぼやく。
「苦手なんだよ、想像して描くのは。どうしても違う物体になる」
うんざりといった表情を隠そうともしない。
「自覚はあるんだ?」
「あるよ」
失礼なヤツだ、自覚なんて腐るほどある。それでもああなるのは、きっと芸術的センスが欠片もないからに違いない。
「あれで点数もらえんの?」
痛いところを突かれる。
「…描き直すかっていわれたから、描き直した結果がアレなのに。努力は認めてもらえなかったらしい。『2−』だったぞ」
一度目に提出した作品は『ボールと戯れるコタロー(犬)』だった。作品の説明をした時の唖然とした美術教師の顔がよみがえる。
二度目の作品『芝生に寝そべるコタロー(犬)』を見せたときの美術教師の反応はげんなりと『ここまで芸術センスの無い生徒は初めてだ』といわれたことは未だ里丘の耳にこびりついて離れそうもない。
「通知表?」
「うん」
「赤点ぎりぎりじゃねーの」
それどころじゃない、通常5段階評価だが、その中で更に『−』『0』『+』と各段階ごとに細かく3段階評価されている。
提出期限も大幅に遅れて出した里丘の当初の評価は『1+』。プラスは提出したことによる評価。芸術点は加算してもらえなかった。
そして、再度作品を提出したことで1/3のプラス評価をもらい、2−。やはり、芸術点は加算してもらえなかった。
授業態度・創作意欲が更に1/3ずつもらえて、やっと2+。
評価が『2』というのは、ある意味『進級はどうしようかねー』的な先生思考が混ざっている。
進学校では音楽・美術・体育は受験に必要でない限りあまり重要視されていない感があるが、ココではそれは通用しない。
「切れてた」
「マジ?」
「大マジ」
「まずいじゃん」
「そう、大変まずかった」
腕を組み言いながらも、里丘からはさほど深刻さは感じられない。
「で、どうしたんだ?」
藤森のほうが、自分のことでもないのに余程心配そうにしている。
「模写で点を稼いだ」
あっさりと種を明かす。
「模写って元絵があってそれを真似て描くってやつだよな。上手いの?」
「体育館に飾られてるのみたことない?」
「華絢祭か」
春と秋に開催される芸術展だ。
第二体育館に比べて規模の小さい第一体育館に展示される作品は主に美術コース、美術部の物が多く、三分の一くらいは普通科生徒の美術選択者の中から美術教師に選別され選りすぐりの物が集められる祭典だ。
しかし、里丘が描いたらしき絵は抽象画のコーナーにもなかった気がする。なんて、華絢祭を思い出しながら、口には出さないが結構失礼なことを考えている。『抽象画のコーナー』と決めつけているあたり、藤森の里丘の絵に対する評価は酷い。
「うん。春の華絢祭のとき、入り口にでっかい日本画が飾ってあったでしょ」
目玉とも言うべき作品が会場となる第一体育館に展示される。
これは毎年恒例のことで、数年前には現在新進の芸術家・樋渡右京の在校時の作品が展示されたこともある。それ以降、業界関係者もお忍びでやってくるというのだから驚きだ。余談だが、1週間程度は一般に開放されているので特に忍んでやってこなくてもすんなり入れる。
春には油絵などよりも水彩画や水墨画のさらっとしたものが多いのが特徴だ。入り口には看板とも呼べる二メートル近い絵が飾られるのも恒例で、当然美術関係者の目標の一つでもある。
今年は趣向をこらして掛け軸風にしてあったのだが、それが一層日本画を引き立て、相乗効果になっているようだった。
現在も美術棟横の展示室に飾られている。
「鏑木清方のやつだろ」
絵に詳しくないものでも、作品の横には作品名と作者名がしっかりと書かれている。
制作者名はなかったが、一度でもその芸術展に足を運んでいれば嫌でも目に付く代物だ。
「そうそう」
頷く里丘にそれが何の関係があるんだといわんばかりに藤森が聞く。
「あれが何、コピーじゃねえの?」
藤森の言葉に、にんまりと笑い里丘が言う。
「そんなに上手かった」
しっかりと頬色もつややかさを取り戻した里丘に、常人では予想できない大ドンデン返しが待ちうけていたことを知り、ムンクの叫び実写版と化してしまった藤森が悲鳴をあげる。
「ショッーク!」
「なにがよ?」
「あのぶっちゃいくな犬を描いたヤツとあの絵を描いた人物が同一なんて、詐欺じゃねーか」
本当に失礼なやつである。
「…そこまでいう?」
「言わせてくれ」
きっぱりはっきり言われて、里丘がため息つく。
「いいけどね」
そんな対応に藤森が不思議そうに言った。
「里丘ってあんま怒んないよな」
言われて思い出した。
『アンタ鈍いんじゃないの!』
彼女は手にしていた音楽機器を床に叩きつけ、肩を怒らせて部屋を出て行ってしまった。・・・まあ、それはまた別の話。
「結構内心ではふつふつと煮えくり返ってることはあるんだけどさ。沸点が異様に高いんじゃないかっていわれたことがあったな」
何かを思い出している時の癖なのか、斜め上に視線を上げ呟く里丘に、藤森がうむうむとしたり顔で頷く。
「分かる気がする」
妙なとこで納得されてしまった。
ああ、でも、と切り返す。
「なにげないことで怒ったりするよ」
「それって、…矛盾してないか?」
「人間なんて矛盾だらけだよ」
「好き嫌いもなさそうだし」
「あるよ。クラスの子の話題に入ってかないのは興味がないから、藤森と話すのは面白いからだよ」
「普通の話しだと思うけど」
「こういうのがいい。芸能人の話しなんかして何が楽しいんだか」
「好きな男の話とかは」
「女の子が話してるのを聞くのは、楽しいかな」
「里丘は話さない?」
「特別好きな人もいないしね」
「紀田は?」
尋ねる藤森に訝しげに眉をひそめる。
「? ああ、彼はスタイルが好きなだけ」
昨日、話題になった人物だということに思い当たり答えを引き出す。
「好みじゃない?」
「どうだろうね、そこまで知らないからわからない」
―――じゃあ誰が好きなんだ?
「里丘って、好きなヤツいないの」
「いるよ」
躊躇せず返ってくる答えに疑問は積み重なる。
「誰」
「特定できないから、言えない」
―――複数いるのか?
「多情なんだ」
「そういうんじゃなくて、…嫌いな人がそう多くはないから」
「それは好きなヤツいないってことじゃないのか」
視線だけを斜めに上げて、しばし考える。ついっと視線を戻し軽く頷いた。
「そうともいえるかな。藤森は?」
不意に振られて、戸惑う。
「俺?」
「いないの好きな子」
「いる」
「誰?」
矢次早に質問され、何も考えず答えていた。
「飯田」
言って、『しまった』と思ったがからかわれる心配はなさそうだ。
「可愛い?」
里丘の関心は別の所にあった。
「知らない? 体育祭の時、ミスに選ばれた子。可愛いよ」
記憶を辿っているのか一瞬目が彷徨ったがポンと手を鳴らす。
「あの子は可愛いね」
五月半ばに開催された体育祭は、他校とは違った趣向を凝らしているものだった。
体育祭とは名ばかりの、お祭りなのだ。
文化祭と名の付くものがない分、体育祭は派手にやろうといつからか生徒たちの手で改良に改良を加え、今では模擬店や舞台などと言ったものから、果ては謎解き、お化け屋敷、美女美男コンテスト、各種競技全てが大掛かりで三日にまたがってみんなで遊び尽くそうと言う主旨の元に行われている。
その美女美男コンテストでミスに選ばれていた少女たちの顔が鮮明に里丘の脳に映し出される。
突然思いついたように口を開く。
「あれっ、付き合ってる?」
どこをどう推理したらそういう結論に行き着くんだ。
「まさかっ、彼女いたら図書室に一人でなんてこねーよ」
「正論」
「そうそう」
「告らないの」
話の展開が早い。
―――もしかして、俺って邪魔?
「……」
ふと湧き上がった疑惑に藤森が黙り込むと全く予想だにしていなかったことを里丘が言い出した。
「もったいないよ、藤森良い線いってるから、付き合ってる子いないならOKじゃない?」
邪魔だとかそういうことでは無いようだ。単に素朴な疑問だったらしい。
「簡単にいくかぁ?」
「さあ、どうだろう」
けしかけておいてこの言い種。
「…無責任」
「他人事だもーん」
関係ない。
男友達でも親身になってくれそうな話題。
女友達に相談したら、相談相手が彼女になるというのも珍しくないケース。
それなのに、里丘のこの『本気で無関心』だというのが伝わってくるのは、きっと。
「里丘の性格が見えてきた」
「そう?」
「面倒くさがり」
「人様の恋愛事に口出す程経験無いからねー。わけわかんないのに巻き込まれるのも面倒だし」
ズバリと言い当てられても平然としている。
やっぱり…。
「おいおい」
「こんなこと言ってるとやばいかな」
世間一般では、と前置きしてくる。
「正体ばらすぞ」
「構わないけど、藤森はそういうことしないでしょ」
「信用してる?」
「その位、話してればわかるよ」
「へー、意外と他人のことみてるんだ」
「マンウォッチングは好きだから」
「なにそれ?」
里丘から飛び出した耳慣れない単語に聞き返す。
「観察すんの。対象は誰でもいいんだよね、興味をひかれた人を日常的に観察するだけ」
「ストーカーみたいだな」
楽しそうに後を付け回してる里丘の姿が藤森の脳裏に浮かぶ。
容易に想像できてしまうのが恐い気もする。
「近いものはあるかも。でも、対象に対して観察以上の気持ちを持たないから、結構冷静に観察できて楽しいよ」
否定せずにそれを一度全部飲み込んでから噛み砕いて詳しく説明するのは癖なんだろうか。
ストーカーという偏執的な響きが和らぐようだ。
「いまも誰か観察してんの?」
「常に二、三人いるかな」
他人に興味がなさそうで、妙なところで探求心を発揮するやつだ。
「クラスの子二人と、あの子」
指さした先に一年と思える女子が目に留まる。
「女の子ばかり?」
「可愛い子好きだからね」
そりゃ、女の子は可愛いが……。
「……レズ」
里丘に関しては考えるだけ無駄だと思っているのか、好奇心からくるものなのか疑問は口を突いて出てきてしまった。
瞬間キョトンと目を丸くしたものの、里丘の頬にすぐ笑みが戻ってくる。
「藤森って発想が愉快だね。残念ながらそうじゃなくて、噂のある子と、ここに来る子はチェックしてるってだけ。それに女の子のほうがいろんな意味で観察しがいがあるでしょ」
意味なんてあるのか?
本当は本当に女が好きなんじゃないのか?
藤森は自分の考えていることがわからなくなっているようだ。パニックしているのが目に見えてわかる。単純。
「窓際のあの男の子、かなり読むよ、よく見かける。好んで読むのはミステリー。背中を向けて入り口付近にいる子は大抵、雑誌をみてる。外にあるテーブルではいつも女の子が二人で勉強してるし、今日もそろそろ来る頃。ほら」
唐突に話し出した里丘につられるように、目を走らせる。
図書室の入り口のドアはガラス張りになっているところがないのでその外にいる限り存在はわからない。
ガラリとドアが開き二人の女生徒がはいってくる。
「来た」
驚く藤森に里丘は「でしょ」と笑って流す。
「図書室好きな人って好きなんだよね。なんか勝手に『同志』って思える」
「俺も?」
「藤森は何度かみかけたけど基本的にこういう落ち着いた場所って似合わないよ。初めに、この場所に来たときも全然本を読むタイプにはみえなかった(実際読んでいなかった)し。同志というより、『来訪者』って感じかな。飽きたら、いなくなりそう」
「俺がいなくなったら、里丘はどうする?」
深い意味はない。
ただ聞いてみたくなった。
こういう考えをしている人物には未だお目にかかったことがない。
「もう飽きた?」
「いや、例えば」
「変わらないよ、藤森が来ても来なくても私は変わらない」
「そっか」
里丘は変わらない。何故だろう、信用とか信頼とは関係なく、里丘の言葉は信じれると思うのは。