【10 そして…】
とうとう弾けてしまった朋日。そして…。
散々だった。
兎にも角にも後は散々。
騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた者たちが見たのは、ずぶ濡れになった少女たちとそれに向かって英語でわめき散らす朋日の姿。教室が近かったこともあって英語教師の笹田もその中にはいた。
一人、朋日の言葉を正確に捉えていたミス笹田は顔面蒼白になり、なんと言っているのかと聞いてくる教師陣に「とても、とても、私の口からは………」と言うが早いか泡を吹いて倒れてしまった。
結果は、問題を起こしたとされる朋日に停学三日の処分が言い渡された。
学校全体が落ち着きをなくしていた。
授業を受ける当事者達の面々も、疲れの色を浮かべていた。
停学初日。
藤森は固い顔で一軒の家の前に立っていた。
学校では3限目の授業が終わろうとしている時間である。
純和風の二階建て、結構年季の入った家だった。
玄関先に表札がでている。
そこに『里丘』の文字をみつけ、目的の家であることを確認して、藤森は固い顔のままインタホンを押した。
「はーい、いま開けまーす」
謹慎中だというのにどこか弾んだ声の朋日がぱたぱたと走ってくる音が聞こえた。声の主が玄関に顔を出す。相手を確認して、開いたドアはみるまに閉じていく。
「はい、さよーな、ら!」
無情にもドアは藤森の鼻先で閉められた。ご丁寧にもガチャリと音を立て、鍵まで閉めた。
「おいっ! 開けろよ、里丘!」
「用があるんならそこで済むでしょ」
ドアの向こうから返事がかえされる。
「話がある!」
「私はなーい」
「頼む」
「あんたね〜、ガッコ休みじゃないでしょ? 授業抜けて来たの」
「……」
沈黙が肯定を意味していた。
しぶしぶと朋日が鍵を開け顔を出す。藤森は項垂れたまま上目遣いに朋日を仰ぎ見た。
そのいつになくしおらしい様子が哀れに見えたのか、ひとつため息つくとドアを開放する。
「…ま、いっか。あがって」
「いいのか」
「話があるんでしょ」
言ったときにはもう朋日は家の奥へと戻っていく。慌しく藤森も靴を脱いで上がりこんだ。
居間に通された藤森は、朋日が煎れたお茶を前に頭を下げていた。
「悪かった。俺が短慮だったんだ。まさか、こんなことになるなんて考えてなくて」
「気付くのが遅いよ」
真剣に謝罪の言葉を述べる藤森に、首筋をぽりぽりと掻きながら朋日が言う。その態度はまったく藤森を責めてはいなかった。
藤森は、きっかけはどうあれ朋日の停学が自分の責任だと、どうしても謝りに行かねばと決意を固めてきた。当然、怒られることを覚悟の上でこうして朋日の家までやってきたのだ。
しかし、追い返されそうにはなったが、目の前にいる朋日は怒ってもいなければ藤森を責める言葉も口にはしなかった。
「…でも、時期的には良かったんだと思う」
「?」
何気なく口にされた言葉に藤森が首を傾げる。
「こっちのこと」
疑問を投げかける藤森の視線に、私自身の問題だからと朋日はあっさり流す。
あんなことがあったというのに、どうやら里丘は怒っているわけでも落ち込んでいるわけでもないらしい。ことに気付かされる。
「あんまり考えなくていーよ。別に停学なんて、どうってことない。兄貴もよくくらってたし。ここって、そーゆーとこでしょ? 今更、期待してない。あんたもさ、ホントさっさと忘れっちまえよこんなこと」
飄々(ひょうひょう)と屈託なく笑う朋日は、藤森の目にはなにか吹っ切れた様にも映った。
「里丘カッコイー。」
感嘆の声が洩れる。
藤森に笑顔が戻った。
「いよっ! 男前!」
「誰が男だ!」
ぽかりと拳骨をくらった藤森が痛ぇーと大げさに喚いている。
本気で誉めたつもりだったのに。とすねた口調の藤森に、朋日は笑顔で額にイカリマークを浮かべた。
―――男前という言葉が女性にとって誉め言葉になるかぁ!
「ったく、すぐ調子に乗る」
思わず脱力し、呆れたように肩をすくめた。
「正直なとこ、悪いことしたなぁって思ってんだよ」
口を開く朋日を藤森が見つめる。
ばつが悪そうに目を逸らすと、言葉を続けようとした朋日の声を遮るように享日の声が玄関から聞こえた。
「たっだいまー。帰ったぞー」
「あちゃー、帰ってきたか。藤森、見つかると帰れなくなるぞ」
「親父?」
「兄貴」
「…いや、この際だからきちんと謝っとく」
現われた享日は上下を黒のレザーで包み、薄く色の入ったグラサンをかけ、指きりタイプのこれまた黒の皮手袋をはめていた。いかにもパチンコしてきましたといわんばかりの茶色い紙袋を抱えてさえいなければ、相当いい男の部類に入るはずなのに。
紙袋をおろし、レザージャケットの前を開く。暖かくした部屋の中では暑いのだろう。白のプリントTシャツにお気に入りのチョーカーが見える。髪は全体的に金髪だが部分的に黒いメッシュが入っていた。パッと見、バンドでもやっているのかと思わせる風体だ。
そこで、居間にいる妹と見知らぬ男に気付き首を傾げた。
「朋日、そいつ誰?」
親指で藤森をさして訊いてくる。
「ガッコの友達。藤森」
「おー」
満面の笑みでずかずかと藤森に近寄ると、ガッシと手を取り上下に振り回す。
「妹が世話になってるな。よしっ、飯でも食いに行くか」
時計の針はまだ十一時を半分過ぎたあたりだというのに、脈絡のない台詞を吐く享日に目を白黒させつつ、藤森はおずおずと頭を下げた。
「すみませんでした」
「なにが」
享日がきょとんと問い返してくる。
「里丘の停学。俺のせいなんです」
享日が朋日に疑問の目を向ける。
昨夜、遅く帰った享日に、居間でくつろいでいた朋日は『明日から休みになった』と言っただけだった。
やけにさっぱりした口調だったので、朝の心配が杞憂に終わったことに胸を撫で下ろしていたのだが、どうやらさっぱりしたのには理由があったらしい。
朋日はゆっくり首を振る。
「違うよ。藤森のせいじゃない」
「でも、」
「違う」
藤森がきっぱり言い切る朋日に戸惑っていると、朋日が言い難そうに言葉を続けた。
「さっきの話の続き。…ちょっと別のことで苛々してて、彼女達の行動が引き金にはなったのは事実だけどさ。…八割くらい、私自身の問題なんだよね」
「…八…割?」
昨日アレだけ暴れておいて八割は自分自身の問題が原因だと言い切る朋日に呆気にとられて藤森が問うのに。
「そう」
朋日は短く肯定を示す。
「つまり、」
ゴクリと喉が鳴る。
もしかして、まさか、と思いつつも藤森の頭には妙な仮説が閃いた。
里丘が言いたいのは、八割の何らかの問題を抱えていた彼女に小泉達の口撃ともいえる負荷が二割掛かり、さらに昨日のことが引き金となり大爆発に及んだ、と。
恐ろしい。
自分で考えておいて恐ろしい想像に脂汗が浮き上がる。
彼女達が可哀相過ぎる。
それじゃ、とんだ○○○○○じゃないか。
敢えて伏字にしてはみたものの。
「八つ当たりってことだな」
話の流れで薄々察した享日が横からまとめるのに朋日が頷く。藤森の顎がガクーンと落ちた。
当ったり〜 パッパラパ〜
頭の上で天使が高らかにラッパを吹き鳴らしている。
「まあ、仕方ねえよな。気に病むな少年」
高らかに笑う享日の声が遠くに聞こえた。