アヤクリ 4
まだ付き合う前のお話
クリステルの視点でのお話となります
初めてアヤメさんと会った日のことは忘れない。私の護衛を務めるって挨拶してくれた時、胸がどきどきした。すごく綺麗な人だなと思ってしまったから、なんだかワクワクしてしまった。
冷たい表情で、寡黙で。いつも周囲に目を光らせているのは少し怖くもあったけど、アヤメさんのことを知りたいと思った。
病気で伏せがちだった私の気分転換にと、お父様が市内散策の馬車を用意してくれたことがある。人目を引かないように、定員二人の庶民的なものだった。中は狭くて、隣り合わせに座った私とアヤメさんの太ももが密着してしまうほどだった。
嫌じゃないかな、とさりげなく横目で見ると、彼女は背筋を真っ直ぐに伸ばしていた。嬉しくも楽しくもなさそう。私はちょっと楽しみにしていたのに。
ここは勇気を出してみようかな。
「よかったら少しお話ししませんか?」
「いいえ」
「だめなのですか?」
「はい」
「どうして?」
凛としていた表情が少しだけ翳る、怒らせてしまったのかと思って緊張する。
重い沈黙の後、彼女はゆっくりと言った。
「私はクリステル様の身辺警護のみ命じられています。必要以上の会話はするなと、全て『はい』か『いいえ』で答えるように言われていますので」
「――そうですか」
仕事だからそういうものだってわかってるけど、残念でならなかった。
なんとなく気まずくなって、窓から外を見ることしかできない。そうしているうちに、馬車は城へ戻ってきてしまった。
「クリステル様、お手を」
「ありがとう」
アヤメさんの手を取って降りる。彼女の指は冷たい。心もそうなのかな。
「私は馬の手綱を戻してまいります。庭でお待ちいただけますか」
「はい」
アヤメさんとはもっと普通にお話したいな。年も同じだし、いいお友達になれるかもしれないのに。
とぼとぼと庭まで行くと、庭師が長い棒を持って木の枝をつついているのが見えた。
「どうしたのですか?」
尋ねると、城内へ忍び込んだ野良猫が木の上へ逃げ込んだのだという。
こめかみの髪をかき分けて、そっと上を見てみる。白い子猫が爪を立てて枝にしがみついていた。かわいそうに震えてしまっている。
「あの、あまり乱暴しないであげてくれませんか」
そう言ったけど、庭師は何度も侵入するこの猫にしびれを切らしているらしく、梯子を持ってきて捕まえてやると息巻いた。
庭師が去った後、私はどうしたものかと頭を抱えた。子猫は目を大きくして私を見降ろしている。きっと怖い思いをしたのだろう。助けてあげたいな。
木に登ろうとしたけど、すぐに無理だとわかる。幹が太すぎるし、足を引っかける枝も数メートル上だ。運動神経の悪い私にはとても難しい。
辺りを見回して誰もいないことを確認する。両手を広げて猫を呼んでみた。
「猫さんいらっしゃい、大丈夫ですよ」
子猫はシー、と牙を見せるだけだった。
早くしないと庭師が戻ってきてしまう。
「ほらおいで、にゃーにゃー。乱暴しませんよー、にゃーにゃー」
すると――
「何をしているのですか?」
私はその声に飛び上がった。
身を縮ませて振り返ると、そこには不思議そうにしているアヤメさん。
カアーっと一気に体温が上がるのを感じる。
「あの、猫が降りられないみたいで」
「猫? ああ、なるほど」
アヤメさんは上を見上げて、合点がいったというふうに頷いた。
どうしよう、絶対変な子だって思われた。恥ずかしい、穴があったら入りたい。
「クリステル様、少しこの場を離れてもよろしいですか」
「え? どこか行きたいところでも?」
「猫です。可愛そうなので降ろしてあげようかと」
「・・・・・・はい、お願いできますか」
「御意」
アヤメさんはたった三歩で猫のいる枝まで昇ってしまった。
彼女に抱きかかえられて降りてきた子猫は、怯えていた姿から一変。手足をジタバタさせて暴れ回っていた。
「おい、こら、おちつけ」
暴れている猫よりも、動揺しているアヤメさんに目がいってしまう。こんな顔もするんだ。
「今降ろしてやるから――ふごっ!?」
ベチ! と。
猫は渾身のパンチをアヤメさんのおでこに見舞った。
するりと腕から降りた猫はそのまま一目散に走り出してしまった。
「大丈夫ですか?」
「はい――ふっふふ」
「あ」
アヤメさんが笑った。
「仕様のない奴だな」
夕日がアヤメさんの綺麗な顔を白く浮き立たせていた。
美人だと思っていたけど。こうして素顔を見れるとますます気持ちが強くなる。
風になびく黒髪は艶やかで、黒い瞳は覗き込んだ人すべてを吸い込むようで、もともと顔立ちだって群を抜いてるんだ。
――桜花国ではモテてるんだろうな。恋人とかいるのかな。
モヤっとしたものが心の隙間を通り抜けていった。
それからすぐにアヤメさんの微笑みは消えてしまったけれど。いい人なんだということはわかった。
この日私はもっと彼女のことが知りたいと思ったのだ。




