アリレリア 3 ~中間~
アリス視点でやってきましたが、少しだけアヤメやピアの視点も含まれます!
アウレリアと話した夜からふた月ほど経った。もうふた月もの間、アウレリアとまともに話をしていない。
それにしても迂闊だったわ。まさかここまでヘソを曲げるなんて。ちょっとストレートにものを言いすぎたかしら。このままでは役職を解かれて、ただのメルリス騎士団に格下げになってしまうんじゃないかしら?
出世のこともあるが、アウレリアのことが気がかりだった。
あの夜。正しいことを言ったつもりだが、まさかあんなに傷ついた顔をするなんて。
悶々とした気分。些細なことで気持ちがささくれだって落ち着かない。
彼女が城の庭園をどこぞの国の王子と歩いているのを見たのは、そんな時だった。
アウレリアとお揃いの金色の髪、すらっとした慎重に整った顔立ち、まさに王子さまって感じ。
楽しそうに話題を振る王子の隣、俯いて歩いているアウレリアの顔は少しも楽しそうじゃなかった。ずっと見てきたから、あの子が今どんな気持ちでいるのかわかる。
王子がアウレリアの手に口づけた。彼女が小さく震えたのを、私は見逃さなかった。
小さなころ、あの子はこの庭園で私の頬にキスをしてくれた。
やる相手を間違えるな、と警告したら間違ってはいないと言って微笑んだ。
あの時の眩しい笑顔が、今は微塵もない。
――あの子
やめとけばよかった。“力”を使って、アウレリアの心を読んでしまった。
『好きな人と結ばれないのなら、もうどうでもいい。誰でもいい』
そう聞こえた。
・・・・・・・・・・
ヴェルガ城、皇居内庭園にて
昼食を終えたクリステル様と私は城内にある庭園を散策していた。
もうすぐベリーの実がなる季節だという話を終えたところで、ふとクリステル様が思い出したように言った。
「ねえアヤメさん知ってる?」
「はい?」
「このお城、幽霊が出るんですって」
「幽霊ですか? そのような気配を感じたことはありませんが」
「アウレリアにぞっこんだった国の王子さまがいたでしょ?」
「はい。確かひと月ほどヴェルガで過ごすはずが、先週になって急に帰国された方ですよね?」
「そうそう。その王子の部屋に毎晩幽霊が出たんですって。部屋を変えても毎晩毎晩、ぼんやりした人影が何人も王子のベッドを囲んでいたそうよ。それで恐くなってしまったみたいで」
「そんなことがあったのですか?」
「うん、恐いでしょ? 王子には気の毒だと思うけど、アウレリアがね。あの子なんだか辛そうだったから、これでよかったのかも」
クリステル様は悪戯っぽく微笑んでいる。
「私の部屋には幽霊が入ってきても平気よね」
視界から彼女の金色の髪が消えた。腰に回された手の感触と、胸元から伝わる彼女の吐息を感じる。
「アヤメさんが守ってくれるもんね」
こめかみにかかった髪を指先でかき上げて耳の間に挟み、すこしだけ輪郭が傾いたらキスが欲しいの合図だ。
「クリステル様、ここではその。誰かに見られては」
「ふふ、誰もいないよ」
あたふたする私を見てクリステル様が微笑む。念のため“解放”し、頭に生えた猫の耳で周囲を探るが、本当に誰も居ないようだった。
「あっ」
キョロキョロと周囲を見回していたら、いつのまに迫っていたクリステル様が頬に口づけをくれた。私の体をきゅうっと抱きしめてきて、その力がいつもより少しだけ強いことに気づく。
「アヤメさん」
「クリステルさ」
ちゅぅ、と唇を吸い上げられて、口を封じられてしまった。
「好き、アヤメさん大好き」
あ、まずい。可愛い。
無限の信頼と愛のこもった瞳。私の頬を包む、柔らかなてのひら。ドクン、と鼓動が早くなる。
「私もクリステル様が大好きですよ。もう、あなたがいないと私はだめになってしまいました。だから私はあなたをお守りします。誰にも触れさせません」
彼女の香りは、私の固い部分を柔らかくしてくれる。白昼堂々こんな恥ずかしい台詞を言ってしまうのは、張り詰めていた気が蕩けてしまったからだろう。
「クリステル様」
彼女の腰を抱いて引き寄せた。あまり強く抱きしめると、柔らかな体は折れてしまいそうになるし、腰まで伸びる金色の髪も痛めてしまう。だから可能な限り、そっと抱きしめることにしている。
耳に挟んでいた金色の髪が舞い落ちた。手の甲でそれをすくい上げ、彼女がしてくれたように唇を重ねる。互いに小さな舌先をおずおずと唇の間から覗かせ、それでそっと触れ合い、絡め合った。とても柔らかい。彼女の息遣いに交じって、時折淫らな水の音が響く。
「ん・・・・・・は・・・ぁ」
眉をひそめて苦し気な声を上げたクリステル様を見て、息が止まりそうになった。
しまった。あまりに柔らかくて、抱き心地が良すぎたからつい力が入って。
「申し訳ありません、大丈夫でしたか?」
「平気です、気持ちよくて――もっとして」
「クリステル様」
「はい?」
「その。ここでもっと事に及べば私は止まれません。だから」
腕に触れる艶やかな髪、甘い吐息、桃色に上気した鎖骨、それらすべてが完全一体となって、私を淫らな気持ちへ誘惑する。首から上がジンジンと熱を帯び始めてしまった。これ以上、彼女の柔肌に触れたら、きっともう止まれない。
「ここで断られたら。私、泣きますよ?」
「え!?」
「うふふ」
「からかわないで下さい、あなたを泣かせてしまうかと」
「嘘じゃないよ。きちんと抱いてくれないと泣いてしまいますよ?」
私の髪を撫でながら、クリステル様は頬笑む。
「アヤメさんの困った顔。かわいい」
最近はこんなふうに甘えることがある。
可愛いのだが、心臓にわるいので困ってしまう。
「いいよ、私は大丈夫だから。アヤメさんの気の済むようにして」
・・・・・・・・・・
ヴェルガ城、城下町、第五環境地区にある病院にて。
午後の回診のため、カルテを手に廊下を歩くピアの横をソニアがぴったりと張り付いて歩いている。
「でねでね、幽霊だけじゃなくてね、机とか椅子とか、そのほか色んな置物が宙に浮いたんだって話だよ。王子は顔を真っ青にして、幽霊城から逃げ出しましたとさ。こわいよねー、こわくない?」
「ソニアさん」
「ん、なにピアちゃん」
ぴたりと足を止め、じっとりとした目でソニアを見上げるが、赤毛の騎士は少しも動じず、にこにこと微笑んでいる。
「ソニアさんはメルリス騎士団としての仕事があるはずです。何しにここへ?」
「もちろん仕事中だよ。それで、私の巡回コースにこの病院は建っているのさ」
「屁理屈です!」
「まあまあ、ピアちゃん今はお昼休みなんだしいいじゃない」
「私はそうですけど、ソニアさんのお昼休憩はまだ先のはずです。さあ、もうすぐ私もお仕事なのでソニアさんも行ってください。幽霊だなんだと、そんな子供だまし私は興味ありません」
「ピアちゃん幽霊信じないの?」
「あんなものプラズマの類です。寝ぼけた人が見間違えたんです」
「恐いんなら恐いって言ってもいいのに」
「こっ、恐くありません」
「ピアちゃんは私が守るからさ」
きゅっと背後から抱きしめられた。「恐いならこうしてくっついちゃおう」といって、優しく体を撫でてくれる。
「ソニアさん」
涙声にも似たピアの声が漏れる。
こういうのは本当に困る、とピアは思う。奴隷として生活していた時は自分を気遣ってくれる人はいなかったし、守ってくれる人もいなかった。だからソニアが側にいて、言葉をくれることがとても嬉しい。許されるならずっと甘えていたい。けど、今は早く医者になるべく謹んで仕事に打ち込む時である。我慢しなければならないのに、大好きな人からの誘惑が止まらない。
「帰って下さいったら。ソニアさんに優しくされると私――仕事にならないんです。あとでいくらでもお話できるじゃないですか」
ポヒーポヒー、と顔を赤くして白状するピアの頭をソニアは撫でた。
「ふふ、うんそうだね。お仕事終わったら、続きは部屋でゆっくり話そうね」
ちゅっと頭にキスをされた。
「じゃあ最後にハグハグ」
ピアは黙ってソニアに抱き着いた。この手に包まれていると、胸の内を心地よい風が吹いたような気分になる。大きな存在に見守られているようで、どんなことでもできそうな気になってくる。
「よし、ピアちゃん充電完了したから戻ろうかな」
「あの、ソニアさん」
「ん?」
「・・・・・・好きですよ」
「知ってる。私もピアちゃん好き。だから、両想い!」
ソニアの微笑みはとても眩しい。この神話の女神のように美しい騎士に私は助けてもらった。それが誇らしくて、毎日を生きる力になっている。
「じゃね、また後で」
そう言ってソニアは病院の出口へ向かって歩き出した。
ソニアはいつも心地よく鼻をくすぐるシャンプーの香りがする。彼女が来れば、消毒液の匂いが蔓延する院内が少しだけ色を変える。同じシャンプーを使っているけど、やはりソニアの香りは特別だった。その特別が、少しずつ遠ざかっていく。
寂しい、とそう思う。
この国で医師を目指したい。そう告げた時、ソニアがあまりにも嬉しそうに笑ってくれたから、それが本当に嬉しかったから、ピアは毎日懸命に仕事に打ち込む。
ピアちゃんピアちゃん、と名前を呼ばれるのが好きだ。私の顔を見ると、嬉しそうにこちらへ駆け寄ってくる姿が好きだ。
私も何かしてあげたくなる。お給料でお菓子を買って帰ったり、お休みを合わせて買い物に行ったり。些細なことでも飛び上がって喜んでくれるから、こちらも嬉しくなる。
シャシール人の私を、優しく包み込んでくれた人。
すぐに抱き着いてきたり、体をくすぐられるのはちょっと迷惑だけど、そういうのも全部含めて大好き。ソニアさんのためなら可能な限りできることをしてあげたい。
「ソニアさん。また後で、です」
後でまた会おう、という魔法の言葉。さよなら、ではないこの言葉が好きだ。




