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百合っと皇女の猫  作者: WAKA
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ソニピア 4

 ピアがモーテンセン邸に戻ると、そこにはヨセフの父であるヴィゴがいた。

 ヴィゴは住まいと事務所を兼ねた街の高級ホテルにいることが多く、めったにこの豪邸に来ることはなかった。それなのでピアが顔を見たのはこれが初めてであった。

 ヴィゴはコニャックを片手にヨセフと会話を楽しんでいたが、ピアの姿を見て少しだけ眉をひそめた。


「ただいま戻りました」


「遅いぞ」


 ヨセフは顔を強張らせて迫る。


「何時間経ったと思ってるんだ」


「ご、ごめんなさい。雨が降っていたから」


「言い訳するな」


 ヨセフはピアが手にしていたバスケットを蹴り飛ばした。

 中に入っていたクッキーがバラバラと床に散乱する。


「もうクッキーを食べたい気分じゃねえんだよ、のろま。とっととここを片付けろ」


 ソニアに買ってもらったクッキーが無残に散ったのを見て、ピアは泣きそうになった。けど、泣けばまた痛いことをされるに違いない。ぐっとこらえて、砕けた欠片を一つ一つ拾い始めた。


「まったく使えないやつだ」


 ため息をコニャックで飲み込んだヨセフに、父であるヴィゴがそっと問いかける。


「なあヨセフ、あのメイドはシャシール人だろ?」


「そうだよ。ああ、目障りなら奥へ引っ込ませるよ」


「そうではない、そうではないんだ――聞くが。ちゃんと正規のルートで雇っているんだろうな。まさかとは思うが、攫って来たわけではあるまい?」


「賭けで勝ち取ったんだ、ちゃんと証書もあるよ」


「その証書を持ってこい」


「なんで今、せっかく――」


「いいから持ってくるんだ」


 ヴィゴの声はドスの効いたものに変わった。ヨセフはわけがわからなかった。しかし、久しぶりにあった父の機嫌を損ねたくはなかったので、すぐにピアを手に入れた時の証書を持ってきた。


「ほら、これ」


 ヴィゴはその証書を手に取って、やがて憤怒の形相に変わった。

 証書をくしゃくしゃに丸めて捨て、ヨセフを殴りつけた。


「このバカもの!」


「っな、なにすんだ」


「人の売り買いは正規のルートで仲介人を通さねば認められていない――お前が持っていたのはヴェルガで禁じられている奴隷の証書だ」


「俺が攫ったわけじゃない! 相手が――」


「売った方にも買った方にも厳罰が処される。知らなかったでは済まされんぞ」


「何を急にビビってんだよ、親父は暗黒街の帝王だろう?」


 ヴィゴはカッと目を開いてヨセフの胸倉を掴み上げた。


「そうとも、警官も議員も私を守るために嘘をつく。あいつらは怖くない」


「じゃあなんだ」


「賄賂が通じない奴もいるんだ――ああくそ。いいかよく聞け。私がどうして金になる人身売買の取引をしないと思う? 法律ができたからじゃない、それよりももっと恐ろしいものを見たからだ。

 二年前、私は商売の邪魔ばかりするメルリスを罠にかけて殺そうとした。

取り入るふりをして、そいつに人身売買の取引場所を教えてやった。教えた場所にはファミリーが可能な限り揃えた殺し屋たちが息を殺して待ち構えていた。

 あろうことか、そのメルリスはそこに一人でやって来たんだ。拍子抜けだった。てっきり大挙して押し寄せてくると思っていたからな」


 そこまで言ってヨセフを放すと、数歩よろめいたように歩いた。そうして机に置いていたグラスを掴み寄せ、中のコニャックを飲み干した。口元からこぼれたのを荒々しくスーツの裾で拭く。


「そいつは剣を一つ手にしていただけだった。銃もない、鎧を着こんでいたわけでもない。剣以外に特別なものは何もなかったのに、まるで光が荒れ狂うようだった。奴は大立ち回りを見せ、それなのに誰一人殺めることなく・・・・・・

百人近い手練れの殺し屋たちがわずかな時間でやられた。

 そして全てが終わった後、腰を抜かしていた私の元へやって来て言った、『子供をさらって売るような仕事をしたら許さない』とな。奴の目を見てわかったんだ、初めから騙されていることに気づきながらも一人でやってきたんだ。それから人の売り買いにだけは手を出さないと誓った」


 全て話終えると、ヴィゴはもう一度ヨセフに詰め寄った。


「あのメイドを街へ使いに出したんだったな」


「あ、ああ」


 父の気迫に目を泳がせたヨセフがそう答ええると、今度はピアに視線を向けた。


「シャシール人は目立つ。メイドの格好をさせて歩かせれば、国の機関が身辺調査をすることもあるんだ。禁止されているルートで雇った人間だと知れたら――」


 パン、と。遠くから銃声が聞こえた。

 音は庭門の方から聞こえたような気がする。


 それを皮切りにパンパンパン、と立て続けに銃声が響いた後、鉄が何かを吹き飛ばす音と、次いで男たちの悲鳴が聞こえた。

 ヴィゴとヨセフは固まって動けなくなっていた。黄昏時の光が天窓から差し込み、キッチンからは煮込んだシチューの香りが漂い、ドアの向こうからは銃声と悲鳴が相次いでいた。


 リリリリリリリン! と電話が鳴り、その大きすぎる音にハッとなったヴィゴは慌てて受話器を取った。


『赤い髪のメルリスです! もう庭園まで来ました! ヴィゴ様と話をしたいと言っていますがどうしたら!』


「殺せ」


『はい!?』


「早く殺せ! 絶対に屋敷に入れるな!」


 ヴィゴは受話器を乱暴に叩き付ける。


「双子はどこだ! 今すぐここへ呼べ!」


 ヴィゴが言うと、影がうねるようにして二人の少女が突然現れた。

 ウェーブのかかったくせのある長い亜麻色の髪を二つに結び、前髪は真っすぐに切り揃えられている。まるで月の光を束ねたような髪は異色を放っていたが、その下の青と緑のオッドアイは更に美しく、妖艶に煌いていた。肌はどの陶器よりも白く、血が通っていないように思えるほどである。


「まあまあ見てジェニー。わるーいおじ様が小鹿みたいに震えているわ」


「まあまあジェミー、本当に。どんな恐い目に遭ったのかしら」


 双子は口に手を当ててくすくすと微笑む。


「赤髪の女騎士――メルリスがここに来る! とっとと行って殺してきてくれ!」


 双子は目を丸くした。


「聞いたジェニー、女の子を殺せるわよ」


「聞いたわジェミー、可愛い子だといいわね」


 そう言った双子が意気揚々と出て行ったその直後。

 バアン、と扉が吹き飛ばされて木片が室内に飛び散った。


 ついでに出て行ったばかりの双子も一緒に吹き飛ばされており、今は目を回して仰向けに倒れている。


「「っひ、ひえ」」


 モーテンセン親子は揃って腰を抜かした。

 床の木片を避けつつ、屋敷に入って来たのはソニアである。

 ピアは呆然とその光景を見ていた。黄昏時の黄金の光を背に負うソニアは勇ましく、より力強く見えた。


「お、ピアちゃん数十分ぶりだねー。ちょっと待っててねー」


 その姿とは違い、声色も眼差しも柔らかかった。

ピアはそれを見て心を落ち着けるが、光に反する行いをしてきたモーテンセン親子には違った。何か強大な、決して敵わないものに全てを見透かされているような感覚。悪魔にでも睨まれる方がまだマシだと思えた。


「ヴィゴ、久しぶりだね。昼間あの子に会ってね、何か引っかかったから色々と調べさせてもらったよ」


 親子はいすくめられて動けない。


「街で人身売買は禁じられてる。表でも裏社会でもそれは同じ、のはずなんだけど一部の人たちはお小遣い稼ぎのような気軽さでやってたんだねえ。気づけなかったよ・・・・・・でも心当たりを探ったら一発ビンゴ、人攫いをしていた人たちにはもう挨拶してきたんだよ。そしたらこんなもの持っててね」


 ソニアが懐から取り出したのは、ヨセフがピアを手に入れた際の証書の写しであった。


「ここのサイン。ヴィゴの息子のだよね? 私約束したよねー、子供を攫うようなことはしないでねって。どうゆことか説明してもらおうかなぁ」


 ヴィゴは真っ青な顔をしていた。



・・・・・・・・・・


ヴェルガ国騎士団メルリス

ソニア・エルフォード 殿


誓約書


私は、以下の事項を厳守することを、ここにお誓い致します。






1.ピア・フローリオを早期に解放すること

2.損害賠償をピア・フローリオ並びその家族に支払うこと

3.


「ちょっと」

「はい」


 誓約書を書くヴィゴをソニアがつつく。


「1番と2番はもっと具体的に。いつまでに解放するの?」

「は、はい。早ければ三日後には」

「三日? 今日中がいい!」

「し、しかし手続きに時間が――」

「きょ・う・じゅ・う!」

「で、ではソニア様が引き取って下さるということで。手続きはわたくし共で進めますので」

「うむ、それと損害賠償っていくら払うの」

「300万ガルドで」

「安い! 一年間もただ働きさせておいて! おまけに誘拐したんだよ! これは犯罪だよ!」

「でしたら法にのっとってわたくし共に裁きを」

「駄目だよ、裁判官を暴力で脅して自分たちに都合のいいようにするつもりでしょ。私が仕切るからね・・・・・・そうだなあ、誘拐の罪と」


 椅子に座って貧乏ゆすりをしていたヨセフが静脈を浮き立たせて立ち上がった。


「さっきからなんだよ! 誘拐したのは俺じゃねえ! それにこいつがこれまで生きてこられたのは俺が面倒を見てやったからで」


 そこでヴィゴの鉄拳が飛んだ。

 ヨセフは顔面を殴られ“気をつけ”の姿勢のまま、床でのびてしまった。


「ソニア様に無礼な口は許さんぞ! 申し訳ありません、身内の恥でございまして」

「うむ、じゃあ続きね――ここで働いた給料分、損害賠償もろもろで1000万ガルドね」

「ひえっ!? そんなに搾り取られては!」

「妥当な金額でしょ、かなり劣悪な環境だったみたいだし。あの子に痛いことや恐いことをしたよね?」


 ソニアは怒気を露わにしていた。背後から立ち上る覇気が、空間を歪ませている。

 この超常現象を目の当たりにしてから、ヴィゴは一切の無駄口を叩かずに誓約書を書き続けた。



 こうしてピアが唖然としているうちに、彼女は奴隷から解放されたのである。


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