アヤクリ 2
ひと月ほど前のこと。
夜半時、部屋に呼ばれたので急いで駆けつけてみれば、クリステル様は灯りの消えた部屋の中央に立ち竦んでいた。沈痛といった面持ちであった。
ああ、そうかと私は納得した。これまでクリステル様の側近達は、私のことを疎ましく思っていたようだから護衛の任を外されるのだろう。恐らくそれを告げられるのだ。
こうした扱いには慣れている。ただ、彼女の元を去らねばならないと考えると胸の奥が痛んだ。
「アヤメさん、ここへ」
「は」
クリステル様の元へ行き、片膝を立てる。この国の騎士達にはこうした作法がある。
「クリステル様、御用の赴きは」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
この沈黙はなんだろう。
クリステル様はじっと俯いて、おへその前で組んだ手をもじもじさせている。
「クリステル様?」
「あの、えっと――」
ぎこちない声。顔が赤く、唇もわなわなと震えている。
クリステル様は生まれつき体が弱い。病気の類であるならすぐに医師を呼ぶべきだが、どこか違う。思い切って事をなさねばならないのに、結局は躊躇って何も言えない、とそんなふうに見えた。
「星が綺麗ですね。部屋が暗いと窓からよく見えます」
クリステル様が話しやすいように、話題を振る。
「はい」
「明日も晴れますね。もうすぐこの国の誕生祭です、当日も晴れれば良いのですが」
「ええ」
「ヴェルガ国のお祭りは観覧車というものがあるんですよね? 私の国のお祭りはそういったものはありません」
「・・・・・・」
「世界が平和になって本当によかった。皆が笑顔でいられるのはクリステル様が――」
「ねえ、アヤメさん」
「はい」
急に真剣な口調になった。名前を呼ばれたので慌てて返事をする。
「私、好きな人がいます」
クリステル様は突然そんなことを言った。
なんだろう、お役御免の話ではないのだろうか。
呆けている私を見て、彼女は少しだけ唇を尖らせていた。会話を続けるべきだと察する。
「好きな人ですか?」
「はい、とても大切な人がいます。今までずっと気づかなかったけれど――違います、気づいていたけど知らないふりをしていました」
「・・・・・」
「友達になれたらって思いました。その人のことが大好きだから、ずっと一緒に入れたらどんなに素敵なことかと。でも友達としてではなく、恋人として傍にいてほしいと思うようになったのです」
静かな部屋にクリステル様の声が響いていた。
彼女は顔中真っ赤にして、不器用に言葉を重ねていく。
好きな人がいる、という彼女の突然の告白。まず初めは驚いた、次に少しだけほっとした。
人を愛し、結ばれ、やがては子供もできる。この方にはそういった幸せを掴んでほしいといつも思っていた。他者を慈しむあまり、自分の幸せをないがしろにしてしまう節があったから。きちんと自分の幸せを考えていたのだとわかると、こそばゆい感情が浮かんできた。
だがその一方で、胸の内でモヤモヤが渦巻く。
このお方にこれほど思われている御仁とはどこの誰だろう。その人はクリステル様を大切にしてくれるだろうか。
我ながら過保護すぎると自分を叱責する。それは私の任務の外にある。
私には関係のないことだと割り切ろうとしたが、どうにも胸がざわつく。
「私ね」
おっといけない。彼女の話に耳を傾けなければ。そうして我に返ったが、クリステル様はそれから黙り込んでしまった。
長い沈黙の時間が過ぎた。
夜風がカタカタと窓ガラスを揺らす音と、庭園から微かに虫の鳴き声が聞こえるだけ。暗い部屋には、私とクリステル様がいるのに呼吸の音が聞こえないほど静かだった。
それでも居心地が良かった。この空間は私の心を得体のしれない温かさで満たしてくれている。
そう――私はいくらでもこうしていられる。クリステル様と共にいられるのならかまわない。
そこで、ふと思った。
クリステル様は愛しい御仁に愛を告げる時もこのように黙ってしまうのではないか。
それでは愛がうまく伝わらない。それは私も望むところではない。
「クリステル様」
「え?」
「言いたいことはきちんと口に出さなければ伝わりませんよ」
「でも怖いのです、これがきっかけでもしも関係が崩れてしまったら」
「それは当然の恐れであると思います、しかしそれでは何も変わらず、始まりもしない。どうか勇気を出して」
「・・・・・・そうですよね、アヤメさんの言う通りです」
「そうです、いつもご立派に演説をされているではありませんか。あの時のように堂々と思いを告げれば、きっと良い風が吹きます」
「では勇気を出してみます」
「その意気です。好きな人のことで相談があるのですよね?」
「はい」
「聞きます。まず深呼吸を、意外と落ち着くものです」
「すぅーーっはぁぁぁ」
「どうですか?」
「落ち着きました」
照れて笑みをこぼしている。私を前にこの様子では、本番は大丈夫だろうか。
「アヤメさん」
「はい」
「アヤメさん、あなたのことが好きです。初めて会った時から、ずっとずっと好きでした」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
クリステル様はこれまで以上に顔を真っ赤にして目をつぶり、ネグリジェの裾をぎゅっと握って立っていた。
「あのっ」
声をかけると、クリステル様はびくりと小さく震えた。
「私もクリステル様が好きですよ」
「ち、違います。そうではなくて――愛の方です」
「あい?」
なんだそれは? 何が起こっているのだ?
呆然と首を傾げた私を見て、彼女は目じりに涙を溜め始めた。
あ、まずい泣かれてしまう。
私は頭を急回転させる。
好き? 愛? 私のことを?
大切な人、好きな人・・・・・・私か!?
これは意表を突かれた、図らずとも告白の後押しをしてしまっていた。
「は、ははは」
間が持たずとりあえず笑みを浮かべてみる。
クリステル様はキョトンとした後、やがて頬を膨らませて怒ったような視線を向けてきた。
間違えたらしい、断じてふざけたわけではないのだ。くそ、正解が見えない。
まず落ち着こう。愛を告げられたのだから、これはいわゆる告白だ。
告白?
意識すると鼓動が早まっていくのを感じる。手に汗が滲み始めた。
こういう時はどうするのが正解なのだ。モテるという経験に乏しいから、告白などされたことがない。いや例えモテモテであっても現状を理解するのは困難だ。一国の皇女から告白されるなどそうそうあってたまるものか。幼少の頃に遊んだ小川や、軍で受けた厳しい訓練の光景が浮かんできた。ええい走馬燈め、こんな時に流れるな!
「やっぱり、変ですよね――気持ち悪いですよね。でも私は本気でアヤメさんのこと」
体の震えを誤魔化すためか、彼女は両手で自分の体を抱きしめた。
何千人もの前で演説をする時は、震えなど微塵も見せず気高く振舞っているのに。今はこんなにも懸命に気持ちを伝えてくれている。
「私のこと嫌いになりましたか?」
潤んだ瞳で、どこか諦めたように言う。
「ごめんなさい私、自分の気持ちを話すことばかり考えて・・・・・・もう夜も遅いです、部屋に戻って下さい」
「・・・・・・いいえ」
私も素直な気持ちを伝えなければならないと思った。
「あなたの傍にいたい」
クリステル様の顔がぱあっと晴れ渡った。喜びに輝いた表情をする一方で、気恥ずかしさからか視線を横に流したりしている。
「ほ、本当ですか?」
「はい」
「偽りなく?」
前のめりになって話しかけてくる。彼女の可愛い顔と香りが迫り、ドキドキしてしまう。
「本当です、クリステル様に偽りは申しません。私もあなたのことが大好きです」
言ってみてわかる。愛を伝えることは恥ずかしすぎる。
彼女は私の胸元へ抱き着いてきた。柔らかく温かい。この小さな体で勇気を振り絞ったのだろう。
彼女の髪に頬を擦りつけると、甘い果実のような香りがした。驚いて硬くなっていた体も、ゆっくりとほぐれていく。
「アヤメさんあったかいんだね」
「これまで氷のような印象でしたか?」
「ううん、あったかい人だって思ってた」
どうすべきだ、どうしたらいい、正解はどこだ、と混乱していた頭もすっきりした。
クリステル様が可愛いので、私は考えることを止めた。




