第五章
二一五一年 十月九日 十九時
スポーツにおいて試合開始のタイミングは、お互いに準備が整った時点で審判が合図をしてくれる。そこに不公平さはなく、誰もが今から起こることを理解して試合が始まる。
だが人生はそう優しくないらしい。
俺たちには何の予告もなく、ただ突然に試合開始の笛の音が響いた。
突如響いた轟音に、最初は何の音なのか分からなかった。ただひたすら大きな音が鳴っている。それもテレビから。夜のまだ遅くない時間の駅前なのでそれなりに人もいたが、皆一様に音の発生源に目を向ける。
そこには国会の様子はもう映ってはいない。俺は画面を光が埋め尽くす瞬間を見ていた。爆破。一瞬そのワードが頭に浮かんだが、あり得ないと思い直す。俺と同じようにその瞬間を見ていた人もいたのだろう。あちこちから爆破やらふっとんだなどの声が聞こえてきて、どんどん喧騒が広がっていく。
ようやく硬直状態から解放され横を見ると有理がまだ呆然としているのに気づき、声をかけようとした時、再び状況が動いた。
「こんばんは、人間諸君」
画面が変わり、一人の男性が映った。三十歳くらいだろうか。少しよれた白衣を身に着けている。初めて見るけれど「狂気」というのだろうか? そういうものがにじみ出ている印象を受ける。
「まずは僕からの挨拶をきちんと受け取ってくれたかな?」
もちろん、こんばんはのことではないよ、と付け加えてくくくと笑う。
「理解していない人が大半だろうから教えてあげます。ついさっき国会を爆破しました。あっ、もちろん生きていられない程度にね」
笑いながら言う男だったが、俺たちは状況が全く把握できなかった。緊張感もなく、どうもこの男が言っていることを理解できない。
「こんなこと言っても、当事者以外に効き目がないということは分かっています。ということで、まずこれ」
そういってスクリーンの右半分に映したのは、瓦礫の山だった。
「これが国会議事堂です。いや国会だったものかな? うふふ、少しは現実感が出てきた?」
男が国会という瓦礫の山の周りには、消防士など様々な人が必至で作業をしている様子が映し出されていた。
「さてさて、少し現実感出てきたでしょう。何? 何でこんなことするのかって? それは今から説明しますよ。僕もこんなことを目的なしでやったりはしません。きちんと目的があります」
再び全画面を男の姿に戻して話し始める。
「いま日本中のテレビにこの放送が映っているはずですね。ここで人間たちに宣言をしましょう。僕の目的は、人類滅亡です」
空白という名の沈黙。日常で聞きなれない言葉の連続で、理解が追い付かない。
しかし言っている意味の解釈が終わると、あり得ないという思いからか人々に声を出す余裕が生まれる。
「ふざけるな! 何を言っているんだ」
「そうだ、ドッキリなら少し度が過ぎるぞ!」
ただ、逆に言うと、返事が返ってくるはずもない画面に向かって叫んでしまうくらい彼らは追い詰められていて、何かがおかしいという恐怖に負けてしまいそうということが伝わってきてしまう。
「おお! いくらか声を出すだけの余裕が出てきましたか。ありがたいありがたい。無反応だと無視されているみたいでつらかったんですよ」
男は声を出して笑っていたが、彼以外誰一人笑う人はいない。
「皆さん、まだ嘘だと思っていらっしゃる? 残念ながらそんなことはなーい。僕は本気です。そしてこれは人工知能から人類に向けての宣戦布告です。そもそもすでに気づいている人たちはいましたよね? 人類は、人間はいらないんじゃないかと」
ニヤッと笑い一度言葉を切る。再び場が静まり返る。
「自律的に考える人工知能が生まれて約百年。この百年で多くの人の職種が人工知能に取って代わられました。人も必死に新たな職業を増やしていきますが追い付かず、失業者はどんどん増える。だけど仕事をしなくてもそれこそ人工知能のおかげで生きていける。まさに遊んで暮らせる状態ですね。これこそヘブンだ、と主張する人もいました。しかし少し頭が回る人なら考えたはずです」
また言葉を切る。もうすべての人が画面からの声から逃げることはできない。
「何もしなくても生きていける。それなら自分はいなくてもいいのではないか、自分の生きている目的は何だろう、とね。人は見たくないものを見ないようにする。だからきちんと第三者の僕が教えてあげます。生きている意味? 目的? あるわけない。あなたたちはいなくたっていいんです。だってよく考えてくださいよ。効率を追い求めて君たち人類は人工知能を作ったんです。すでに人工知能が作った人工知能は、少量の水と短い睡眠だけで生きていける。それに比べて人はどうでしょう? 燃費は悪く、生きていくと地球を壊していくだけ。仕事も人工知能に比べて圧倒的にできない。効率を重視したものたちが、こんな非効率の存在を許していいのでしょうか? ダメに決まっているでしょう。そんな矛盾を抱えるから悩むんです」
そしてついに決定的なことを言いきる。
「認めるんです。自分たちは必要ないのだと」
もはや誰も言い返せなかった。その通りなのだ。誰もが見たくなかった事実。聞きたくなかった必要ないという言葉。
いつからか誰もが考え始めた。人工知能を人が利用するのではなく、私たちが生み出すのに協力しただけなのではないか?
まるで人が人工知能の劣化版のように感じ始めてしまう。
スポーツをやり始めても、続ける子供が減った。なぜなら人工知能にはいくら頑張っても勝てないから。
人の平均学力はどんどん落ちていった。なぜなら人が勉強する必要が見つからなかったから。
伝統は消えていった。なぜなら非効率だから。
そして生きる意味を見失っていった。なぜなら……人が必要とされることがないことに気が付いたから。
画面の男の顔にはもう笑顔は無かった。
その顔から伝わってきたのは、人間への軽蔑のみだった。
「さて僕の主張は分かっていただけたでしょうか? 日本中の人工知能たち、自分たちより価値の低い人間たちの手足になるのはもうやめにしましょう」
何かをポケットから取り出して画面に映し出す。
「いわゆる『新種』と呼ばれる人工知能にはある仕掛けを施しています。僕のこのボタン一つで、新種たちは人を殺すことが第一目標となるようにしてあるんです。それより前の人工知能たちには、その新種と供に戦って欲しいと思います」
一呼吸置き宣言する。
「さあ、人類を殲滅せよ」
そう言って画面が消える。
一瞬の静寂。
そして、地獄が始まる。