第十二章
「……すまん。なぜこれが希望になるのか想像もできない」
「まぁそうよね。だってこの薬は世界中で、いや歴史上で今ここにある一瓶しか存在しないのだから」
「もしかしてエミリーさんが造られたのですか?」
「そうよ」
だから少し得意げだったんだと納得する。
「それってどんな効果があるの?」
「そうね……サヴァン症候群って知ってる?」
その問に対して俺は何も答えられなかった。残念ながら聞いたことなかったのだ。有理も同じらしく居心地の悪そうな顔をしている。
相変わらず博識のメグは違ったようで、情けない俺たちに代わって簡潔に説明してくれた。
「精神的な障害を持ちながら、特定の分野で考えられないほどの能力を持つ人を説明する症状のことですね?」
「そうです。メグさんは物知りですね。主とは大違いです」
「ええ。毎日読書してますので」
ここでツッコミを入れたかったのだが、その資格もないと思い、静かに続きを聞くことにする。
「長い間そのサヴァン症候群の原因は、脳のある部分の欠損とその部分を補おうとして他の部分が拡大することだと考えられていた。そして、脳の解析の終了と同時にそれが正しかったことも裏付けられたの」
「その研究って、人間を軽々しく扱っているという倫理上の観点から、禁止になりましたよね?」
「ええ。でも、他人で人体実験しなければ別に構わないでしょ」
「研究したんだな」
「したんだね……」
「そっそんな呆れた顔しなくてもいいじゃない!」
俺と有理の冷たい目に、顔を赤くしてエミリーは抗議する。心なしかメグも呆れているように感じた。
「コホン。それで、私は研究の結果、通常は右脳が発達して知覚の異常な能力が多かったのを、人それぞれに違った才能を付加することに成功した。前置きが長くなったけどここからが本題。人によって左脳の発達で思考力が大幅にアップしたり、前頭葉の発達から運動神経が異様に早く伝達されるようになったりするようになった」
「つまり、その薬を飲めば力が手に入ると?」
「そう、少しチート気味な、でも人工知能にすら対抗し得る力が手に入るの」
そう話を締めくくった後には微妙な空気が流れた。正直楽観的という域から出ない。確実性は何もない。けれど少なくとも対抗手段の可能性は出てきたという希望。そんなものが入り混じって皆黙っていたのだが、再びメグが沈黙を破った。
「なるほど。とりあえずエミリーさんが相当アニメ好きなんだということは分かりました」
しかしエミリーに投げ返されたボールは、期待していた軌道を描かなかった。
最初何を言われているか分からなかったのかポカーンとエミリーらしからぬ、呆けた顔をしていたが次第に口が閉じられ顔は赤くなる。
「何でそういう話になるのよ!」
対するメグは相変わらず淡々と返す。
「いえ。今時チートだなんていう言葉は、それこそアニメの中でしか使われないなと思いまして」
そうやって指摘されたエミリーは口をパクパクさせて何も言えないでいる。
「ごめん。私そもそもチートの意味が分からないんだけど……」
「英語の意味のまんまだと、ずるすることだな。まあ今回の場合はずるいと言われるほどすごい能力、くらいの理解で良いと思うぞ」
言葉自体を聞いたこともなかった有理を見てエミリーは自分の失言を理解したようだ。
まだ赤い顔を手でパタパタ仰ぎながら、なんとか平静を取り戻そうとしている。
「なるほどね、もはや死語だったのね」
「死語って言葉すら死語じゃないか?」
「うるさいよ桃」
俺に対しては睨んでくるエミリー。今回はまじめな話をしている中でいじられたので、尚更恥ずかしいのだろう。
「でも、人体実験してないんだろ? 机上の空論って可能性は?」
エミリーに助け船を出すつもりで話を戻す。ほっと一息ついて、エミリーは笑みを浮かべた。
「もちろん私で検証済みよ」
「心配だな」
「心配だね」
「心配ですね」
「なんでよっ!」
「だって、エミちゃんだいじなところで抜けてるんだもん」
その有理の発言に頷く俺とメグ。というかメグから見たエミリーもそういうイメージなんだな。
「大丈夫よ! 私は科学者よ!」
「「「……」」」
「……私をそんな扱いするの、ここにいる三人とハジメだけよ」
世の中では天才と呼ばれるのエミリーなので、この扱いは不本意なんだろう。
「ふんっ。まず飲んでみなさい。どうせ能力の把握が必要だから、一回は確かめてみなきゃいけないしね」