第十章
「エミリー……無事で良かった」
そう声をかけつつ家の中に入るようエミリーに促す。
「私も桃が無事で安心したわ。あっ有理も無事だったのね。にゃっ」
俺の横を高速で通り過ぎた有理がエミリーに抱きつき、エミリーから何ともかわいらしい声が漏れた。
「急に抱きつかないでよ、有理」
「良かったよエミちゃんー。ほんとにエミちゃんだよね?」
「私よ。本物のエミリー」
「コモンブブザプレ?」
「だからエミリーよ! 落ち着きなさい。そして離れなさい」
何を言っているのか全くわからない言葉もエミリーには通じているのか、特に困ることなく返すエミリー。
落ち着いたのかようやく有理がエミリーから離れた。
エミリーも別にいやではないのだろう。少し顔を赤らめている。
「あのーすみません。百合百合する前に夕ご飯はいかがですか?」
リビングから顔だけをのぞかせているメグから声がかかる。
「百合じゃありません!」
「そうだね。もう少し百合百合したいけどお腹が限界なので」
「だな。とりあえず俺とエミリーは着替えだけしておこう。このままじゃ落ち着いて飯も食えない」
俺の服には血がついていたし、エミリーの服も擦り切れていた。エミリーにもメグの服で我慢してもらおう。
「じゃエミリーちょっとついてきて」
「……何で私の百合じゃない発言はみんなスルーなのよ」
なんだか不服そうだったが、やはり着替えたかったのか俺が歩き出すと黙ってついてきた。
「いただきます!」
エミリーと会えたのがよっぽど嬉しかったのか、だいぶ元気を取り戻した有理の一際大きい声で夕食が始まる。
俺も風呂に入ってはいないものの、着替えをしたおかげで気分は少し変わった気がする。
エミリーにも着替えてもらったんだが、メグのジーンズとシャツを着た上に白衣を着ている。彼女が言うには「科学者は白衣を着ていれば無敵なの」という事らしい。似合ってはいるので特に何も言わなかった。
一心不乱に、それでいて醜くない食べ方で食事に集中する有理をちらっとだけ見る。会話する余裕はなさそうなので三人で話を進める。
「何でエミリーはメグを見て動揺しなかったんだ?」
「ああ……まあ平気だと思ってたし」
「何で? 普通に人工知能だけど」
「確かにそうだよね! モモタローはすんごくびびってたよ?」
「びびってねえよ! つうかこういう時だけ会話に参加するのやめろよ!」
あんなに食事に一生懸命だった有理が、俺の都合の悪いときだけ会話に交じってきた。
そんな様子にエミリーは、苦笑いではなく本当におかしそうに笑う。
「でも程度はどうであれ抵抗感はあって当然だろう? 下手したら殺されるわけだしな」
「ああ、まあそうね。あえて言うなら……勘?」
「勘?」
「そう。メグさんはきっと平気だっていう勘」
「……科学者らしくない答えだな」
「あらそう? 勘って人として重要な要素じゃないかしら?」
「別にいいけどさ」
どうも何かごまかされているような気がしたが、何を隠しているのか見当もつかなかったので追求はしないことにする。
「でも、エミちゃんはどうしてここに?」
「……桃と有理が心配だったの。有利なら桃のところにいると思ってここに来た」
エミリーは、頬をほんのり赤くそめる。思わず見とれてしまった。
有理も同じだったようで「食べてしまいたい」とエミリーを見ながらつぶやいている。
「何よ?」
思わず見つめてしまったが、その視線に対し不機嫌そうに目じりを上げるエミリー。
「いや……会えてよかったと思って」
慌てて俺の口から飛び出したのはこんな言葉だった。
「なっ……」
「あー桃さんが浮気しております」
「なぬ? 浮気はダメだよモモタロー! でもバレなきゃ可」
「浮気じゃないし、可もおかしいだろ」
「ん? 浮気ってどういうこと?」
俺と有理の流れを知らないエミリーは怪訝そうな顔をする。メグも知らないはずだったのだが普通に気づいているようだった。
「桃さんは有理さんにハグしてチューしてうふふなわけです」
「はっ? あんたたちこんな時に何やってんのよ!」
怒りで顔を赤くして叫ぶエミリー。
いつもならここはごまかすところなのだが、二人ともこの状況で、それを希望に生きているようなものなのではっきり答える。
「「好きなので」」
「なっ」
何か続けて言おうとしたエミリーだったが、俺たちの顔を見て冗談を言っているのではないことを感じ取る。
「ここにきて何で人の恋愛模様を観察しなきゃいけないのかしら」
頭に手を当てて嘆息している様子も、エミリーには様になっていた。
「科学者としてエミちゃんは私たちを観測して、考察して発表してね」
「はいはい。死ぬまで観察してあげるわよ」
呆れたようにしながらも、どことなく楽しそうなエミリー。正直自分の恋愛がネタになって恥ずかしくて仕方がなかったが、少しでもみんなが明るく過ごせるなら良しとしよう。
その後は静かに食事を進めて、全員が満足したころに今後のことについて相談し始めた。
しかし相談と言っても、そもそもどうしていいか分からない。
テレビやネットが発達した時代において、周りの状況が分からなかったりするのがこんなにも心細いものだと初めて分かった。
ちなみにハジメの安否は、さっきエミリーに伝言をもらって確認済みだ。強いのは知っているが無理しないでほしい。
話し合いの結果、この警戒した状況下で、人工知能が人間の家を一軒一軒襲うのは考えにくいということで、ひとまず代わる代わる休むことにした。
エミリー、俺の順番で風呂に入る。そこから女性を大切にする社会に則って、最初は俺が見張りを担当した。
見通しを良くしようという意図のもとでカーテンを開けっぱなしにしている。そのため人間にとっては絶望的ともいえる状況の中でも、星は変わらずに綺麗に光っているんだなと、少し詩的なことを考えていた。
なんとなく寂しさを感じて部屋の中に目を戻すと、疲れ切っていてあっという間に熟睡していた有理が目に入る。
残念ながら反対側を向いていて寝顔は見えなかった。
そのまま目を横に移すと、有理と同じく寝ているはずのエミリーとなぜか目が合う。
「……何で寝てないんだよ」
有理を見つめていたところも見られていたと思うと気恥ずかしくなり、つい責めるような口調になってしまう。
「私がいつ寝ようとあなたには関係ないでしょ」
しかし同じように、エミリーから責めるように言い返されるとは思っていなかった。
寝ようとしているところを邪魔するわけにはいかないと黙っていると、エミリーの方から会話を続けてきた。
「明日も同じように生きていられると思う?」
「……寝なくていいのかよ」
「眠れないの。少しくらい話に付き合ってくれてもいいじゃない」
「俺は別にいいけどさ」
目を見て話し続けるのはハードルが高かったため、目線をもう一度外に向ける。
「まあ変に無理をしなければ、明日すぐに死ぬなんてことは避けられるんじゃないか?」
そう答えたものの、何かに確証が持てるわけではなく、無責任極まりない答えではあった。
だがエミリーも特別俺の答えに何か期待していたわけでもないだろう。単に会話をしていたかっただけなんだと思う。
「あのさ……」
「何?」
話題が見つからないのか、それとも何か言いにくいことを話し出すタイミングを計っているのか、急に黙ってしまった。
「どうした?」
「……ちょっと馬鹿なこと聞いても良い?」
「どうぞ」
「……もし有理じゃなくて、私が今日の夜にあなたと一緒にいて、泣き崩れていたら……桃は同じように私を抱きしめてくれた?」
それを聞いたとき、何を言っているのだろうと本当にそう思った。
エミリーに視線が戻る。外の光に薄く照らされた彼女の真剣な顔はいつもより数段美しくて、思わず息をのむ。
だが彼女がこのタイミングで、そんなにまじめな顔になる理由も分からなかった。
「……悪い、何を意図して聞かれているのか分からない」
「だからさ……やっぱりいい。何でもない」
「説明はないのか?」
「うるさい。眠いからもう寝る。お休み!」
「えっ? 待てよ……本当に寝たのか?」
耳を澄ましてみるとエミリーの方からかすかに寝息が聞こえてくる。
もしかしたらエミリーは少し寝ぼけていたのかもしれない。そう考える方が俺にとっては楽だった。
同時にエミリーは俺たちと比べると大人びていて、つい同学年だという事を忘れてしまいそうになるが、彼女もれっきとした十代の傷つきやすい女の子なのだということを考える。表向きは普通にしていても、本当は内側から悲鳴を上げているに決まっている。
今日だって、一人でここまで来たんだ。あんなに傷だらけになってまで。
そこで、ふと思い至る。
圧倒的な戦闘力を持ったハジメに助けられたのはわかった。だが、どうやってそのあと一人でここまできたんだろうか。明日聞いてみよう。
そして、エミリーにもっと気を配らなければと、そう思いつつ夜が更けていくのを待った。