ラティとの生活
村の女性の一人であるラティが主人公と過ごす時間は、確かに幸せでした。
堅苦しい性質の一人称なので、堅苦しい文章にしました。でも、読みづらいかしら。
あの日を境に、私と彼女が会う機会は増えていった。
特に会う日というものは決めなかった。時間も場所も決めなかった。
お互いに常に一緒にいたいと思っていた。いや、一緒にいたいと感じていたのは、私だけだったかもしれない。
だが、彼女は嫌な顔一つせず私と会ってくれた事は、紛れもない事実だ。そして、その事実こそが彼女の私に対する好意の証であったと思っている。
私がこの村に留まって六ヶ月。
本当に彼女と私は長い間共にいた。
彼女との時間が始まったのは、『夏祭り』翌日の村の散策からだった。
村の散策。
そう言えば聞こえはよいが、いわゆる『テスト』のはずだった。だが、私は、決してそれがおかしいことだとは思わなかったし、むしろ当然だとさえ思った。
『テスト』というのは、村長その他の人間が村の散策に同行し、その間に交わされた会話の内容や態度から、私という存在がこの村にとって有益か有害かを判断するための時間のことだ。そして、その延長上には、もし私という人間が村にとって有害であれば、何らかの方法で排除する、という意味合いも含まれている。
だが、私の予想は見事に外れた。
正午に待ち合わせ場所に現れたのは、ラティ一人だけだった。しかも、村の案内役はラティだという。
後で分かったことなのだが、ラティ自身が村長の元に、村の散策の同行を直談判したのだという。その結果、ラティと私の二人きりの村の散策の時間が実現したわけだが、実際に村長が快諾したとは考えにくい。真相は、ラティの勢いに押されて村長も了承した、というところだろう。しかし、村長が了承したのがまず驚きだった。
しかしながら、村長が私とラティの二人だけで散策を認めたとはいえ、即座に私が村長の信用を勝ち得た訳ではないだろう事は私にも想像がつく。私を判断する村の代表が、単にラティになった、というだけだ。
実際、村長が、私に対して警戒を解いたわけではないのは、散策中に遠巻きに私を見る村人の視線が物語っていた。
しかし、常識的に考えれば、村長を初めとする村人たちの異常ともいえる警戒も理解できなくもない。
例えば、人道にのっとって負傷をしている人間を助けたとする。しかし、その助けた人間が善人であるとは限らない。むしろ、悪人の方が多いに違いない。もちろん、完全な悪人ではないにしろ、出来心で何かやらかしてしまうような人間は五万といる、という意味での悪人だが。
そして今回。
私は背に、刀剣で切られたような傷を負って、村の入り口で倒れていた。
だが、その傷が、ハイイロオニグマの仕業ではなく、辺境警備隊によって追われた悪党が受けたものだとしたら……? そして、瀕死の重傷で倒れていた人間が、辺境警備隊によって排除されようとしていたような悪党だったとしたら?
そのあとに村に起きる悲劇がどのようなものかは想像に難くない。
私は何度も身をもって経験してきたが、『村』と言う組織は、概して閉鎖的であると言われている。しかし、『村』が『村』として存続していくためには、閉鎖的であるべきであり、閉鎖的でなければならない。なぜなら、閉鎖的でなければ、『村』の安全を維持できないからだ。
仮に、彼らの村がどこかの国の一部だとしても、自分達で守る以外、誰も自分たちの『村』を守ってくれない。実際に彼らを危険から守るものは、彼ら自身の防御の意識だけだ。そして、誰も守ってくれない現実は、自分とその仲間を守れるだけの力や知恵を身につけさせる。それは村に伝わる独特の武術、儀式や術法、寓話など、様々な形態をとるが。
だが、外部の存在に対しては何らかの対抗手段をもっている村人たちでも、心の中に入ってきたものを払いのける力は、村人たちは持ちあわせていない。
あくまでも一例だが、敵が、村を取り囲んでの兵糧攻めという手段に訴えてきた場合ならば、対抗手段もある。だが、善人の仮面を被ったよそ者が生活の一部に入り込み、村人が安心しきったところで村人を人質にとったとする。もし物理的、そして精神的に村の中に入られてしまったら、彼らには何もできなくなってしまう。
だからこそ、よそ者は最初から排除しておく。そういう風に心理が働く。ちょうど、恋愛をして傷つきたくないから、最初から恋愛をしない、という思春期の少女にも似た真理だ。
もちろん、逆にそういう態度が旅人の怒りに触れ、滅ぼされた村もある。だが、そうやって滅ぼされる村より、旅人を受け入れたがゆえに滅ぼされた村のほうが遥かに多いといわれている。
普通の人間の出来心を悪とするなら、世の中には、善人などいないのだ。
そしてその事実は、実は、我々の仕事を成功させるために立ちはだかる問題と密接に関係してくる。
私は、火山観測の研究者と言う職業上、辺境の地を訪れる事が多い。
その際、その地方に住んでいる現地の人の村に休ませてもらうのだが、彼らと友好関係を本当に築くことができるのは、研究も最終段階に突入したあたりがやっとだ。
それくらい長く接していないと彼らの信頼は得られないのだ。
今は時代が変わった。少なくとも、旅人は危険な存在であるという常識は、既に払拭されつつある。物的には豊かになり、そこまで生活に困った者の数が減少したからだ。現在では大抵の村は、門戸を開いてくれる。もちろん、宿泊させてもらうとしたら、宿屋を経営する家がない限りは、宿は馬小屋などの、村人から隔離された場所となり、さらに、周囲には屈強な男達が控える事になるが。
情報の溢れる都会ならば半世紀前と言うのははるか昔だが、情報から隔離された小さな村では、情報はそのまま伝説と化していく。
我々の住んでいた都会と言うものは、無条件に安全が与えられているものだが、実は、『安全』は、維持する者がいて初めて保証されるのだ。
聞いてみると、この村には、国から派遣された駐在員がいないのだという。それでは、そういう警戒心を持っても無理もない。
だが、彼女は私に対して信頼の情を示してくれた。そして、私と共に村を回ってくれたのだ。今回の村長の反応で、この村のあり方をなんとなく察しつつあった私にとって見れば、その彼女の行為は、ひどく危険な行為であったが、同時に非常にうれしいものでもあった。
しかし、よく村長が了承したものだと思う。彼女は、村長に何を言ったのだろうか。村長は必死に彼女のことを止めたに違いない。その様は容易に想像できた。
だが、そんな経緯より、私は彼女と共に村を回れる方がうれしかった。
村の案内の後も、私たちは会いつづけた。そして、さまざまな事を話し合った。
この村の歴史。世の中の関心事。村人の事。火山観測と言う仕事。彼女の生い立ち。そして、私の生い立ち……。
時間が経つのはあっという間だった。お互いが話し疲れる頃には、既に日も暮れかけていて、レスティの待つ小屋へと急ぐ毎日が続く。
私は彼女に恋をしていた。まるで青春時代のように。ただ一筋の愛を注ぎ、それに答えてもらったあの時のように。
だが、今と昔とでは環境が違う。そして、その事実こそが私を苦しめる。
私は既婚者なのだ。そして、かつて愛を注ぎつづけた相手、ナミィの体内には別の命も宿っている。
私は、私の愛を注ぐべきもう一つの相手に、何と言葉をかけていいかわからない。その言葉を持っていない。
おまえは、仕事のストレス発散の結果、生を授かったのだ、とは、口が裂けてもいえない。無論、言うつもりなどないが、その事実が私を悩ませ、苦しめた。そして、その自嘲は、私を歪んだ正義感に駆り立てた。
私は一時期の感情で、おまえをこの世に呼んでしまった。だからおまえが直面する不幸は、全て私が背負わなければならない。私は、幸せになる資格などないのだ……と。




