快気祝い ~ラティとの邂逅~
村の居心地の良さを主人公が体感します。村を訪れてから、一瞬たりとも不快に思ったことのないこの村のサービス精神は、老舗の宿屋にも通じるものがあります。
広場の中央に巨大な薪が組まれ、大きな火柱となって周囲を明るく照らす。
人々は、その火柱の周りを二重、三重に取り囲み、ぐるぐると回りながら踊っていた。笛や打楽器の音が、人々の歓声や笑い声に混じって、遥か遠くに聞こえてきた。
私は、会場の端に数箇所設けられた休憩席の一つを陣取り、あま苦い果実酒をちびちび飲みながら、なんとも言えぬ心地よい酔いに身を任せていた。
―このまま眠りにつけたら、どれほど心地いいだろう……。
いつしか私は、グラスに果実酒を注ぐのも忘れ、テーブルの上に突っ伏し、目を閉じて物思いにふけっていた。ひょっとすると他の人間には、私は眠っているように見えたかもしれない。二、三度程、小さな子たちが私を誘いにきたようだったが、うつらうつらしている私を見て、彼らは何も言わずに輪の中に戻っていった。
私のいる休憩席は、縦に割った丸太をつなぎ合わせて作られたテーブルに長いすが四脚。それがそれぞれ五セットで構成されていた。
その各テーブルにはみなが持ち寄って作ったと思われる料理が、先ほどまでずらりと並んでいた。品数は豊富、味も豊潤で、食べている量を忘れさせるほどのおいしさだった。サラダは大きなボウルに盛られ、肉料理は丸焼きから揚げ物、そして、蒸し物、焼き物など、ほとんど全種類の調理法を用いたメニューが用意されていた。
食べ始めた当初は、大皿に盛られた料理の山が、どれだけ食べても低くならず、残すのは気が引けたものだったが、結局全てを平らげることができずにいた。しかし、私がちょっと席を外しているうちに、見事にいくつかの大皿が空になっていた。おそらく村人の総人数から考えるとちょうどよい量だったのだろう。
私は決して祭りは嫌いではなかったが、輪の中に入って大騒ぎするよりは、他人が楽しんでいるのを離れて見るほうが好きだった。超然としている、と言ういわれ方はあまり好きではないが、端の人間から見れば、私の好みはそうであったかもしれない。
日没直後に村の中央広場で始まった私の全快祝いは、始まった当初から全く改まったものではなかった。村人たちは、挨拶もおざなりに、各々が自分の楽しみたいように祭りを楽しみ始めたからだ。
ある者は火柱の回りを踊り、ある者は楽器を奏でた。ある者は歌い、またある者はその歌にあわせて拍子をとっていた。
最初は、私の性格を察し、気を使ってくれたのかとも思ったのだが、どうも、そういうわけではなさそうだ。要は、『私の快気』を口実にして、宴を開きたかっただけなのかもしれない。
だが、私にとっても、それは好都合だった。
私は、集団行動が苦手だ。相手が自分に合わせてくれることも、自分が相手に合わせることも負担に感じてしまう。面倒くさがりなのかとも思うが、要するに、よい事悪い事全てにおいて、あまり他人に干渉されたくないと言う事なのだろう。
そして、私の持つ目に見えない壁の存在を敏感に察知しているのか、彼らは私の中に必要以上には立ち入ってこない。人好きのレスティですら、一方的に喋り、私の身の上などは一度も尋ねなかった。それがまた、私にとって快適であり、この村の居心地を良くしていた事は間違いない。
夏の終わりを告げる爽やかな風と草むらのざわめきが、背後から私を追い越していく。だが、そのざわめきは私にこの上ない幸福感を与えている。果実酒で火照る体に、この風は心地よい。
夏祭り。
そんな言葉がふと頭を過ぎる。
夏祭りは、夏の終わりを告げる祭り。祭りが終わった後には、えもいわれぬ寂しさが残る。だが、そんなことはお構いなしに、秋は虫の声に誘われて確実にやってくる。そして夏祭りが終わると、その寂しさを紛らわせるかのように、みなは冬支度を始める。走り過ぎた夏を追う事をせずに。
―そういえば、この村ではもう収穫は終わっていたな)
私は、レスティの小屋にいたときに聞いた彼女の言葉を思い出していた。
と、いやに耳元でトン、という音がする。
重い瞼を無理にあげてみると、そこにはレスティも真っ青になって逃げ出すほどの美しい栗色の髪をした若い女性が、祭りの群れのほうを見つめている。
彼女は、五つあるテーブルの中から、私から一番遠いところに腰掛けた。私と目が合うと、少々戸惑った様子を見せたが、その戸惑った事を感じさせまいと即座に私に微笑みかけてきた。
私はその笑みに答えた後、たき火の周囲で行われている、夏を送り出す祭りに視線を戻した。
一瞬燃え立つ焚き火の炎にわっと歓声が上がり、その後には陽気な笑い声が聞こえてきた。そしてまた、楽器の笛太鼓の音に合わせて炎の周りをぐるぐる回りはじめた。
私はふと、別の休憩席に腰を降ろした女性の存在が気になり始めた。
―なぜ、彼女はこんな祭りから外れたところにいるのだろうか?
私は祭りを含めた各種イベントは、参加するよりは端から眺め、その雰囲気を味わうのが好きだ。
だが、彼女はどうだろうか。
至極普通で、意外性など全く感じさせない女性。もし私が話し掛けたなら、知らぬ男に声をかけられた事に戸惑いながらも、誠意を持って対応しようとするだろう。先ほどの彼女のように。
そんな彼女が、なぜ私のように、蚊帳の外の空気を楽しむ趣味を持っているのか分からない。
もし私が若い頃であれば、この女性は私に気があるのかもしれない、と言う淡い誤解を抱いたかもしれない。そして、その誤解の元、私は盲目的に彼女に向かってアプローチをかけたかもしれない。実際、私がナミィと結婚するに至った発端も、基本的には私の誤解の賜物なのだ。
―ナミィか……。
思考が暴走し始めてきた。酒のせいだろうか。
ナミィは、私と結婚した事を後悔しただろうか。
家には殆どいない。帰ってきても、ほとんど自室に篭もり、研究の成果を論文に纏め上げる作業ばかり。彼女とまともに話したのは、一体どれくらい前だろう。私自身が記憶になくとも、彼女自身は覚えているだろう。いや、覚えていてさえくれればまだましなほうだ。ひょっとしたら、忘れ去っているかもしれない。
私が一番恐れるのは、私と夫婦の会話をした事そのものが、彼女にとって何の影響も与えていなかった事。
夫婦は、互いをよく空気に喩える。だが、それの意味するところは、いて当たり前だが、いなくては困る、ということ。そういう言葉を吐く者は、意識、無意識にかかわらず、伴侶を必要なものだと感じている。
匂いのない空気に飽きて、香りを求めて旅行をする者もいる。金を払って花畑にまで出かけていき、味のある空気を堪能するものもいる。
だが、味のある空気は、いずれ飽きる。その時には最高のものだと思っても、無味無臭こそが一番飽きがこないもの。そして、匂いのない空気に飽きたと思っていても、匂いのある空気の中で生活を続けると、無臭が恋しくなるものだ。
だが、もし私が彼女の空気になり得ていなかったのならば、私は一体何なのだろう。それこそ、私は彼女にとって何の価値もない存在ではないか。
そう考えると、妙に寂しくなってきた。私が彼女と共にいた十年間は、一体何だったのだろうか。
子供ができなかったのが原因かもしれない。
私はふとそんな事を考えて、隣の夫婦にも子供がいないにもかかわらず、仲睦まじいのを思い出し、自分の考えを打ち消すため息を吐いた。その瞬間、寂しさが溢れ出し、何か人と話したくてたまらなくなった。だが、私の気持ちは祭りの中心へとは向かわなかった。
祭りの中心の人間たちは、私より輝いて見えた。私よりずっと幸福そうに見えた。彼らと話すと、さらに惨めな気持ちになりそうで、とてもではないが、彼らと話す気にはなれなかった。
何気なく私は立ち上がった。不思議と足元はふらふらしなかった。しかし、頭がボーッとして、何も考えられない。
気がつくと、私は先ほどテーブルについた女性に話し掛けていた。
女性の表情からは、明らかに動揺の色が見て取れる。動揺、というよりは恐怖の表情かもしれない。何とかして、この場から立ち去りたいが、背を向けるのは恐い。そう考えているのは間違いなかった。
だが、それは仕方のないことだ。例え、知り合いであっても酒の入った男性を全く恐れない女性はいないだろう。ましてや、酒に酔っ払った得体の知れない男が突然そばに寄ってきたのだ。恐怖を感じないはずもない。
彼女の目に点る不安の光は、罪悪感となり私の胸に深々と突き刺さる。
「申し訳ありません。どうやら、不快な思いをさせてしまったようで……。酒のせいにするつもりはありませんが、どうにも……」
いつしか私は、自分の感情を言葉にできなくなり、ただただ謝っていた。
私は何と表現力に乏しいのだろう。そういえば、ナミィも私のプロポーズの言葉をなかなか理解してくれなくて困ったのだった。
突然あふれ出る涙を拭う事もせず、私はひたすら謝った。そして、茫然自失の体で彼女のそばから立ち去り、先ほど自分の腰掛けていたテーブルに戻った。
席についても涙はとどまる事を知らなかった。ただただ溢れる。拭おうかとも思ったが、今更どうでもよかった。
今日は寝よう。とりあえず、何もかも忘れて……。
私は再びテーブルから離れ、レスティの家に戻ろうとする。ほかに行き場所がないから。
そばで、私の名前を呼ぶ声がした。
最初は幻聴かと思った。
もう一度耳を澄ますと、やはり私の事を呼んでいた。声の方を振り返ると、先ほど私を見て動揺していた女性が、彼女のグラスをもって私の席に就こうとする所だった。
「あら……、ティラーヴァンさん、お休みになるんですか?」
彼女は、ここを引き上げようとする私の様子に、明らかに動揺した様子で尋ねてきた。まるで、「私がせっかく来たのに、どうして行ってしまうの?」とでも言うように。
彼女のその反応を、私は理解できなかった。
私は先ほど彼女に絡んでしまった。その意識はないにしても、結果的に見て、彼女を脅えさせた事実は、私の行動を正当化させはしまい。にもかかわらず、なぜ彼女は私の所にきたのか……。そして、先ほどまで私に対して怯えを隠すことをしなかった彼女が、先ほどのことなどなかったかのように平然と振舞う事ができるのか……。
私は多少の違和感を覚えざるを得なかった。
「いえ、まだ休むつもりはありません」
私は嘘をついた。と同時に、私は涙を拭いていなかった事に気づき、急いで袖で拭った。
「では、私もお酒の席にご一緒させて頂いてよろしいかしら?」
誰かと話したい。
そんな今の私にとって、彼女の申し出は非常にありがたい物だった。
もう酒は限界に近かったが、私はその申し出を受け、自分が先ほど座っていたテーブルに戻り、彼女からの果実酒を受けた。
理由は、一重に彼女が私の名前を覚えていてくれたこと。只それだけだ。
もはや、私の中で彼女に対する違和感はとうに消えていた。
私も彼女のグラスに注いだ所で、彼女が口火を切った。
「私は……」
だが、私はすべてを言わせなかった。
彼女は私の名前を覚えていてくれた。それが私をどれほど喜ばせたか……。
名乗ろうとする相手の言葉を遮ってまで、相手の名を知っている事を主張する事が失礼な事だとは百も承知している。だが、私はあえてそうした。そうすることで、何とかして彼女に私がうれしかったことを伝えたかったのだ。
「名前は存じております。ラティツィータさんでしたね」
彼女は驚いた表情を隠さなかった。自分の名前を知っていた事が不思議で仕方ないらしい。
「どうして私の名前を?」
「今日の昼ごろに、村のたくさんの方が私を見舞いにきてくださいましたよね。その時、ほとんどの方の名前を覚えたんです」
これは嘘ではない。私は、なぜか記憶力が非常にいい。ひょっとしたら、研究者と言う職業柄かもしれない。
彼女にその話をすると、彼女は少々驚いたようだった。私が研究者に見えないと言うのだ。研究者と言うのは、もっと胡散臭い人間かと思っていたと言う。
私は、彼女のその誤解に苦笑するしかなかった。
研究者とは、何かに熱中すると周りがまるで見えなくなってしまう種の人間だ。逆に、そうでなければ研究者は勤まらない。そして、そういった人間が胡散臭いといわれればまさにその通りだ。私自身、私をはじめとする研究者という存在そのものが、かなり胡散臭いと思う。
私は、なぜここを訪れたのかを話した。
四百年ぶりに活動を再開したレヴァン山の調査の為にこの山脈に踏み込んだこと。そして、火山調査の拠点とする為の宿営地にて、ハイイロオニグマの群れに襲われた事。
酔いのせいもあったろうが、ハイイロオニグマに襲われたシーンが、脳裏にまざまざとよみがえってきたのは記憶にある。だが、まさか会話までが嗚咽によって途切れ途切れになっているとは思っていなかった。彼女に、それ以上話さなくていい、と言われたときにはびっくりした。
彼女は、私が彼女に今までの経緯を説明する際に、私がかつて感じた恐怖も共によみがえらせてしまうことが耐え切れなかったらしい。
私は彼女の厚意を無駄にしないために、暴走し始めていた口を無理につぐみ、少々時間を取った。
「あの、ティラーヴァンさんは、どちらにお住まいですか?」
彼女は当り障りのない話題を出してきた。
「私は、ランパという小さい町に住んでいました。ですが、今回火山活動の研究主任という役職になったと言う事もあって、現在は、ディルコンデラの下町の一角に部屋を借りて、そこから王宮の研究室に通っています」
ディルコンデラとは、首都の名であり国の名前でもある。だが、今は愛国心など微塵もなく、ただ、私をナミィから引き離した元凶であるとしか考えていない。
彼女は苦笑する。私と話をする以上、火山調査隊の話は切っても切れない関係にある事に気づいたのだ。そして、彼女が気を遣った事すら、あまり意味のない事である事にも気づいたようだった。
「聞いてもらった方がいいかもしれませんね……」
私は、あえて先ほど彼女が止めた話をする事を選んだ。もちろん、その前に彼女が聞く気があればの話だが、と前置きして。
彼女は拒絶しなかった。
私は一対一で会うのは始めてであるはずの彼女に、今までの事をすべて話した。
幼少の頃の苦い経験。
勘違いと錯覚に彩られた恋愛経験。
結婚してからの妻とのいさかい。
火山の研究に捧げたいままでの生涯。
虐殺の化身となり私の仲間を嬲り殺しにし、私にも瀕死の重傷を負わせたハイイロオニグマの恐怖。
その他、今までの感じたことや思ったことについて、洗いざらいぶちまけた。
なぜ私がそのような衝動的な行為に出たかは分からない。酒の勢いもあっただろう。実際、私はその時かなり酔っ払っていて、彼女と話しているときも、彼女の顔は一切見る事なく、目を閉じたまま話していた。
そんな私の醜態を、彼女は笑うことなく、ただ無言で頷き、聞いていてくれた。
死に背をえぐられたその瞬間のフラッシュバックが強烈で、その状況を語る言葉は、いつしか意味をなさないうめきへと形を変えていた。
何度か彼女がすすり泣く声を耳にしたが、私は彼女を気遣っている余裕などなかった。まるで目の前で繰り返されるかのようにまざまざとよみがえる恐怖は、私を圧倒し、そして、小さいながらも、当時上げた悲鳴を上げさせすらした。
夏も終わりとはいえ、まだ気候的には夏と変わらないにもかかわらず、私は恐怖におののき、震えた。全身に鳥肌が立ち、間断的に突き上げる寒気は、私に吐き気すら催させた。
この時の私は、レスティと話したときとは比べ物にならぬほどに、私の口はよく動いたと思う。過去を振り返っても例を見ないほどに言葉を吐き出したのではないか。そしてこれほど人に自分の事を率先して話したのはこれが初めてだったろう。
この時、彼女がどうしてここまで私の話を聞いてくれたかは分からなかった。
だが、薄らと分かった事もある。
それは、彼女も同様な経験をした事があるのだろうと言う事だ。
それが、ハイイロオニグマに襲われた事だとはいわない。しかし、彼女も、永遠に残るであろう心の傷を持つ人間であったからこそ、私の感じた恐怖や寂寥感、そして、誰かに自分を必要としてほしいという人間の根本的な欲求を解したのだろう。
既に、私の耳には笛や太鼓の音、そして人のざわめきは届かなくなっていた。
私は、自分のすべてを彼女に話しきった。その満足感はあった。溜りに溜まったものを吐き出して、気分がすっと軽くなった。
今までは、自分の考えている、思っている事を、何とかして押え込んでいた。そういう風に育てられてきたし、そういう社会に生きてきた。そうするしか、私が生きていた世界では生きていけなかった。
それは、一般に自由だと思われている研究者達にもいえる事だ。
自らの欲求に忠実に動く事ができる研究者は、権威と呼ばれる存在くらいだ。そして、それは、我々研究者にとって神と同義語でもある。
そんな閉鎖的な社会に生きて、処世術と言うものを学んできた私であったが、その溜りに溜まる欲求を吐き出す方法は学ばなかった。
世の中には、そういった欲望の処理の仕方を知っている人間もいる。彼らは、芸術家であり、音楽家だ。彼らは、我々研究者と同様にしがらみこそあるが、基本的には、彼らの商売道具は自分の感性である。自分の感性どおりに振る舞えなければ、自らをアピールしていく意味がない。
だが、それは私たちには許されない事だ。我々がもし吐き出せるとしたら、我々が権威と言う不動の地位を確保するしかない。
私は、テーブルに突っ伏して鳴咽する彼女にそっと触れた。
「ありがとう……」
自分の言葉と共に、周囲の音が再び力を取り戻した。
遠くで聞こえる太鼓や笛の音、そして、人々が踊り楽しむ笑い声。今まで息を潜めていた祭り独特の陽気な雰囲気が、やっと自分の活躍の場を取り戻したとでもいうように、徐々に私たちの耳に届き始めた。
だが、私の記憶にあるのは、そこまでだった。




