癒しの村人たち
主人公が、やっと小屋の外に出られるようになりました。村人たちは歓迎してくれています。当時の主人公にはわからないのですが、普通、よそ者はけむたがれるはずなのですが……。
レスティの言っていた『あと数日』は、過ぎてみると、意外にも『あっという間』だった。だが、その時の事を思い返してみると、やはり外に出られる事を心待ちにしていたようだ。
一瞬の一日千秋。
人間の感覚とはなんともいい加減なものだ。
-ここは一体どこなのか。
それは、この部屋で意識を取り戻してから、常に考えていたことだった。
私はこの村に来て以来、この小屋のこの部屋以外の場所を知らなかった。厳密にはこの小屋が『小屋』であることすら直接見知っているわけではなかった。
レスティの話の中で、この場所を指していると思われる表現の随所に『小屋』という言葉が出てきた。だからこそ、私は自分がいる場所がどこかに存在する小屋の一室である事を間接的に知っているだけだ。実際には、この村の入り口付近にいたこともあるようだが、意識がないのだからあまり意味がない。
私自身、レヴァン山の麓でハイイロオニグマの襲撃を受け、そこから走って逃げたのだから、この小屋のある村は、少なくともレヴァン山からそれほど離れているとも思えない。
この部屋の南側に窓があった。陽光が常に飛び込んでくるその窓から見える景色は、とても単調だった。
未知の生物がのっそりと姿を現してきてもおかしくないような、うっそうと茂る森。下草は殆ど生えていなかったが、その分、大蛇のようにうねった大木の根が入り組んでおり、人間はおろか、動物たちもそこを移動するのは酷く困難に思えた。その森を引き裂くように延々と真っ直ぐ伸びる細い砂利道。そして、『不思議の森』と居住地を分ける境界にしてはあまりに頼りない、木の板を繋ぎ合わせただけの柵。
その景色から、この村がどのような場所にあり、どの程度の規模なのかを推し量る材料は殆どなかった。しいて言うなら、レヴァン山は窓のない方角にある事がわかるくらいだ。
とにかく私は、その長く短く厳しく、そして楽しい時間をその部屋で過ごしたのだった。
ついにその時がやってきた。
まず驚いたのが、いざ立ち上がろうとした時に、支えなしにはなかなか立つ事ができなかった事だ。
筋力が落ちてしまったわけでもないだろう。ましてや、私自身、足の使い方を忘れたつもりもない。どちらかといえば、足そのものが歩き方を忘れてしまったような感じだ。
以前骨折したとき、これほど歩きにくかっただろうか、と過去の記憶に思いを馳せたが、決してそんな事はなかった。むしろ、片足が骨折していたほうが楽だったかもしれない。
確かに、折れた片足の代わりに松葉杖を使って歩くことはむずかしい。だが、今回の方が地に足がついている心地がせず、ふわふわしてなぜかひどく不安に思える。『雲の上を歩く』といえば聞こえはいいが、少なくとも当人にとってはそんな気持ちのよいものではない。
立ち上がってはよろけ、ベッドの淵を叩くように掴む。それが何度か続いた。
レスティは、そんな私の様子をみていたたまれなくなったのか、スッと私の側に寄り、肩を貸してくれた。なぜか、同じ火山観測隊員に肩を貸してもらったときより安定感があり、ずっとこうしていると楽だろうな、と思えたのだから不思議だ。
だが、それをレスティに伝えると、彼女は苦笑混じりに、勘弁してくれ、と言われてしまった。どうやら、彼女にとっては、私ですら重いらしい。
彼女は、何かにつけて保護者のように私を守り助け、全てを微笑んで受け入れてくれた。それが、ハイイロオニグマに襲われた私の、いまだ拭いえぬ潜在的な恐怖心をいかに癒してくれた事か。おそらく、彼女がそばにいなければ、私は小屋の外に出る事すら不安だったに違いない。
小屋の外に出た瞬間、奴らが真っ赤な口をあけて待ち構えている。何度もそんな状況を想像し、夢にも見た。それ程に、奴らの存在は私の心の奥底に恐怖として刻み込まれ、常に私を脅し続けていた。
小屋は、彼女の言う通りに『小屋』だった。
本当に小さな木造の小屋。私が寝ていた部屋以外には、玄関が一体になったリビング一間しかない。しかも、そのリビングもお世辞にも広いとはいえないシロモノだ。
彼女の夫が亡くなったのを契機にこの小屋に移り住み、一人暮らしをはじめたことは、予め彼女から聞いてはいた。だが、私にしてみれば、一人暮らしですらこの小屋は狭すぎた。
レスティに支えられつつ、頼りない足取りで小屋の外に出ると、小屋の玄関のところであっという間に人の輪に取り囲まれた。
四十数人。これが村の全員なのだろう。
口々に、私の快方を喜んでくれた。
私を運んできてくれた樵は肩を叩いて喜び、女の抱く幼子は、私の背の傷を見て痛そうだと泣いた。少年たちは、伝説のハイイロオニグマについて質問攻めにし、年頃の娘たちは私の家族構成について質問攻めにした。心配性な老人たちは、すぐ間近に聳えるレヴァン山の活動について尋ねた。
彼らは、村を挙げて私の快気祝い会を催してくれるらしい。
驚いて、思わず彼女のほうを見ると、彼女は楽しそうに微笑んでいる。どうやら彼女も、この事は知っていたらしい。
まるで自分たちのことのように私の快気を喜んでくれる村人に、私の心が暖かくなっていくのが自分でもわかった。
まだ昼過ぎだったが、一度解散することになった。
私は、そのまま会に移行してもいいのに、と思ったものだった。当初の歩行困難をはじめとするいくつかのハイイロオニグマのトラウマと思われる体の不具合は、目に見えるように回復し、村人に囲まれている時点でほぼ全快しているようにも感じられたからだ。
しかし、今思い返してみると、その時の私ときたら、病み上がりで頭もぼさぼさ、全身汗まみれで酷い体臭だった。そんな私への配慮だったのかもしれない。
「村を見て回るのは明日にして、今日は皆で君の回復を祝おうじゃないか」
五十代半ばの村長の言葉に皆肯き、村人たちは徐々に仕事に戻っていったが、私から離れていく人間はみな、私に声を掛けてくれた。
それも私にとって初めての経験で、ひどくうれしかったものだ。
私の当時の人間関係は、勤務先である研究所で閉じていた。そこは、上下関係に厳しいところで、先輩に意見する事は愚か、後輩と仲良くなる事すらも許されないところだった。しかも、国のお抱えの機関で、完璧な上意下達が成立している。
上司が法となるこの組織の自浄作用はないに等しく、周囲の環境に疎い私でさえ、決して研究所の組織のあり方は正しいものではないと思われた。また、強力な縦割り社会であるがゆえに、汚職も多かったが、その際、汚職の片棒を担がされ、発覚するとすべての責任を負わされる事も多かった。しかも、汚職がエリート同士の勢力争いに用いられるのは日常茶飯事だった。
研究所にいる人間にとって、職場の人間は全て敵のようなものだったのだ。
それだけに、彼らの反応がひどく新鮮に思えたのも無理もない。
私は、レスティと共に小屋に戻り、夜のパーティーに備えて、また体を休めておく事にした。




