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第7話 家なき子

 



 『ガシャーン』と、体の芯まで届く重い金属音が、その石造りの部屋に響き渡った。



 この部屋の奥行きは35デール、幅20デール、そして高さは15デールほどもある。

 部屋と呼ぶにはあまりに広く、寒々しいこの場所は、実際普通の部屋ではないだろう。


 なにしろここには、寝具や家具などの生活に必要な物はおろか、窓すらもない。

 ただ単に空間を四角く区切っただけの、なんとも無骨な部屋だった。

 出入り口は極太の鉄格子のみ。そしてその扉にはしっかりと頑丈な鍵が掛かっていた。

 まるで()を彷彿とさせるこの場所に、俺とエミィは問答無用で閉じ込められたのだ。


 そう。

 結局あの後、俺の必死の弁明もむなしく、ご令嬢の機嫌が直ることはなかった。

 そして警備兵に連行された俺達は、このだだっ広い牢獄に放り込まれてしまったのだ。







 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「ねぇ、アグリ。

 魔物に襲われてズボンだけ食べられたって言い訳は、流石に無理があったと思うよ」

「う、うるさいな!じゃあエミィはあの状況をどう説明したら良かったと言うんだよ」

「んー……普通に?」

「んなこと出来るわけないだろ!大体そこに限らず何もかも信じてもらえてないだろ」



 エミィを呼んだ理由と、家で何やってたかを除けば、他は大体正直に話したつもりだ。

 一応私情が入らないよう、あくまで第三者的に起こった事を順を追って説明したのだ。

 しかし、その内容を要約すれば、出来上がったのはこのような説明だった。


・武者修行の旅の途中だったエミィが、宿を求めてたまたま郊外の俺の家にやってきた。

・そこで、何故か運が悪くモンスターの大群が、俺の家まで押しかけてきた。

・武芸達者なエミィの力で麓の森に逃げ延びたが、再び彼らに追い付かれ戦闘になった。

・エミィの力で何とかモンスター達は撃退したが、代わりに俺のズボンが犠牲となった。

・モンスターを倒した余波で今度は虫の大群に襲われて、何とかこの屋敷に逃げ延びた。

・そして今に至る。


 ……ああわかっている、わかってはいたさ。

 だけど、こんなのどうにもなるわけがないじゃないか。

 突然こんな説明されても俺だって信じないし、言い訳にしたってもう少しあるだろう。

 この弁明を聞いた当のご令嬢は、最後は俺をまるでゴミを見るような目で見ていた。

 傍から見ればパンツ丸出しで不法侵入した上、意味不明の妄言まで撒き散らしたのだ。

 そりゃ即刻捕まっても、誰も文句は言えないよな。


 ――どうしてこうなった。

 今の俺の心境を言葉に表せば、まさにこの一言だろう。

 眼前を塞ぐ鉄格子と、その外側で佇む警備兵を眺めながら、俺は思わず溜息を吐いた。



「――ね、アグリ」

「うわっ!?」



 唐突に耳元で発せられたくすぐったい吐息に、俺は思わずビクリと身を震わせた。

 振り返ると、鼻先が触れ合うほどの超至近距離で、俺とエミィの視線がぶつかった。



「しっ、見張りが居るんだから、もうちょっと声を抑えてよ」

「お、おう……な、何か用かエミィ?」



 多分見張りに内容を聞かれない為の配慮なんだろうけど、それにしても近すぎるだろ。

 その手のことにはまるっきり初心なのに、なぜこういう場面では平気なのか。

 部屋でキスを要求した時なんて、上から下までガチガチになってたくせに。

 何故か少し負けたような気分を覚えつつも、俺は何とか平静を装って聞き返した。



「あのね、ここから出るだけ(・・・・)なら簡単に出来るんだけど、どうしよっか?」

「ああ、それか……」



 俺はこの部屋を塞ぐ頑丈そうな鉄格子をちらりと一瞥して、再びエミィに視線を戻す。

 確かにその言葉通り、ここから逃げ出すのは彼女にとって容易い事なのだろう。

 何しろ、彼女は一瞬で空間を移動する不思議な術を使えるのだ。

 そして仮にその能力を封じられたとして、それでも彼女なら簡単に脱出出来るだろう。

 俺は彼女の背後に視線を移す。

 そこには、彼女が体を揺らす度に澄んだ音を響かせる、あの直剣が刺さっていた。


 そうなのだ。

 問答無用で拘束されたはずが、何故かエミィの武器に対してはノータッチだったのだ。

 普通誰が考えても、所持している武器は即座に没収されそうなものなのだが。


 もっと言えば、ここに入れられる時、没収どころかある俺の装備が増えていた。

 それは、カーキ色をした質素なズボンだった。

 まあそれは、罪人扱いとはいえ付き合いのある俺へのせめてもの情けかもしれないが。

 なんにせよ、パンツ丸出しという変質者スタイルはようやく脱することが出来ていた。

 ちなみに、そのズボンは質素な見た目とは裏腹に、滅茶苦茶に着心地が良かった。

 これって、もしかしなくてもかなり質の良い物なんだろうなぁ。



 と、俺のズボンの話はこの際どうでもいいんだ。


 ともかく、エミィの得物は何故かこの通り健在なのだ。

 この牢屋は人間を捕らえるには過剰に頑丈そうだが、エミィには紙の箱も同然だろう。

 ぶっちゃけ彼女が暴れたら、牢屋どころかお城のような領主の館まで倒壊しかねない。

 彼女が麓の森で見せた力は、それほどまでに非常識だったのだ。

 だから簡単に脱出できるという彼女の言葉は、実際に俺もまったく疑っていない。

 しかしだからといって、俺は彼女のその提案に頷くことは出来なかった。


 理由は簡単である。

 ここで彼女の言葉に乗って逃亡すれば、俺達は本当に犯罪者になってしまうからだ。

 ろくに説明を信じてもらえず投獄された身だが、まだ誤解を解く余地は十分にあった。

 何故なら嘘にしか聞こえない俺の弁明には、実際に確固たる証拠が存在するからだ。


 あの蒼肌黒ローブの攻撃の痕跡は、俺の家に間違いなく残っているだろう。

 麓の森に出来た空き地(・・・)には、エミィが斬った大量のモンスターが転がっているだろう。

 それらを無視して俺達を拘束し続けるほど、この地の領主様は暗愚ではないのだ。

 無実の罪を証明できるとわかっていれば、何も無理に脱獄する必要もないだろう。

 下手に動いて領主様の機嫌を損ねると、これからの商売に影響ありそうだしな。

 貴族相手の商売というのは、思った以上に面子というのものが重要になるのだ。



 そんなわけで、エミィの力で華麗に脱獄という案は却下である。

 と、その旨をエミィに伝えると、彼女は何故か非常に微妙な表情をした。



「でも、そろそろ娼館に戻って成果を報告しなきゃ、私クビになっちゃうかも……」



 おぅふ、そういえばエミィは仕事の途中だったんだよな。

 そんなことすっかり忘れてたけど。


 正直彼女の仕事は、デリヘル嬢として採用に足るものとは到底思えなかった。

 しかし、それは俺が決める所ではないだろう。

 なにより彼女はこの職業に賭けているのだ。

 ならば、彼女がこの道で上手くやっていけるよう応援するのも(やぶさ)かではない。


 いや、あの強さを見てしまうと、やっぱり何かもっとあるだろうと思ってしまうけど。



 というわけで、エミィだけでも何とか解放してもらえないか警備兵に交渉してみよう。

 普通なら絶対通るわけがない要望だが、知り合い特権で何とかなるかもしれないし。





「いいや駄目だ。マルケス様からは2人共身柄を確保するようにと厳命されているからな」



 はい、やっぱりダメでした。


 ちなみにマルケスというのは我らが領主様の名前である。

 フルネームは確か、マルケス=アル=ブランデット=クローデルだったか。

 やはり貴族だけあってか、名前も長ったらしくてかなり覚えにくい。

 商売相手で、かつ領主様を呼び間違うわけにもいかないので、がんばって覚えたけど。


 ……しかしそんなことより、今警備兵の人がかなり気になることを発言していたな。

 俺達の投獄の指示を出したのって、アマリリスお嬢様じゃなくて領主様本人なのかよ?

 てっきりあの説明に怒ったご令嬢が、勢い余って命令したものだと思っていたのに。

 状況は不法侵入の現行犯で言い逃れ出来ないが、それでも即投獄は少々引っかかるな。

 領主様には気に入られている実感はあったし、元々思慮深い人物としても有名なのだ。


 それと、もう一つ大きな違和感が、実はすぐ目の前にも転がっていたことに気がついた。



「あの、もし違ったらすみません。警護隊長のグレンさん、ですよね?」

「ああ、そうだ」



 俺の恐る恐るといった声に、その警備兵はややぶっきらぼうに返事をした。


 そう。

 たった今、エミィの開放をきっぱりと断った、このやたら厳つい警備兵。

 立派な顎鬚が特徴的で、いかにも歴戦の戦士といった雰囲気を持つこのナイスミドル。

 この人は領主の館の警備兵の中で、一番偉い人なのだ。

 店に領主様がやって来た時も、ご令嬢と対面した時も警護として一緒にいた人である。

 昔は有名な冒険者だったらしく、数々の武勇伝があるのだとご令嬢から聞いている。

 そんな彼が、なぜか今日は牢屋の見張りなんて仕事を担当しているのだ。

 ちなみに普段は常に領主様に帯同し、その警護に当たっている。



「マルケス様の警護担当のあなたが、何で今日は見張りなんてやってるんですか?」

「そりゃ、俺がマルケス様の手持ち(・・・)の中で、一番強いからだな。

 万が一嬢ちゃんが暴れて取り逃がしても、見張りが俺なら言い訳も効くってことだ。

 ま、何百のモンスターを斬ったという相手をどうにか出来るとは(ハナ)から思わんがね」

「「えっ?」」



 グレンさんの言葉に、俺とエミィは同時に声を上げた。


 あれ?ということは、俺の証言って実はちゃんと通じてたのか。

 だったら、なおさら何で俺たちは拘束されたんだ?

 ますます訳がわからなくなってしまった。


 そして、ふと目の前に視線を移すと、エミィの顔が真っ青になっていた。

 時折うわ言のように「逃げなきゃ」とか「でも雑草はもういやぁ…」とか聞こえてくる。

 おいおい、一体どうしたってんだよ。


 そんなエミィの様子を見かねてか、グレンさんは更に声をかけてきた。



「ああ、何か譲ちゃんに勘違いさせたようだから、もうちょい説明が必要なようだな。

 まず嬢ちゃんが何者かは、俺やマルケス様はなんとなく察しているつもりだ」



 その言葉に、エミィの体はビクリと大きく震えた。

 ……あ、そういやエミィって国のお偉いさんに追われてるんだっけ?

 じゃあ今の状況は、もしかしなくてもエミィを確保する為に拘束されたって事なのか。



「だが、マルケス様は嬢ちゃんをどうこうするつもりはない。

 この件で嬢ちゃんを売ろうとする人間がいたら、身内だろうが俺が斬ってやるよ」



 違うのか。

 しかしそう言って好戦的な笑みを浮かべるグレンさんって、正直かなり怖いんだけど。



「じゃあ、何で俺たちは拘束されてるんですか?」

「あー、実は今マルケス様が不在でな、これはちょっとした時間稼ぎみたいなもんだ」

「そ、そうなんですか」



 ただの時間稼ぎなら、別に投獄しなくてもいいだろうに。



「今日は何かと忙しくてな、モンスターの目撃情報に誰かさんの家の方向での爆発事件。

 虫の大量発生に……変質者が現れて、領主様の御息女が襲われたってのもあったな」



 そう言って、グレンさんはこちらに視線を向けると、ニヤリと笑った。

 ……どう考えても、それらすべて俺達絡みの事件であった。

 周囲に影響のある事件ばかりだから、領主様の所に報告があってもおかしくはないか。


 そして、最後のはあなたわかってて言ってるでしょう。



「事情は知ってるが一応罪は罪だからな。形だけでもこうしなければ面子に関わるのさ。

 ま、悪いがマルケス様が帰ってくるまでは、もうしばらく我慢していてくれや」



 まあ、そういう事情ならしょうがないだろう。

 話によれば、しばらく我慢すれば開放してもらえそうだしな。


 そしてエミィは、悪いがデリヘル嬢の仕事はもう諦めた方が良いだろう。

 なにせ、彼女が勤める娼館は貴族にも繋がりがあるのだ。

 仮に強引に逃げたとして、領主の館で問題を起こした人間はどう考えてもクビだろう。

 今回は残念ながら運がなかったのだ。

 まあ、例え運があっても、彼女では上手くいったかどうかは非常に疑わしいけどな。

 そしてその旨をエミィに伝えると、彼女は顔を覆ってその場にうずくまってしまった。


 ……わかってはいたけど、エミィはこの職業に本気で賭けてたんだなぁ。

 鼻を啜りながら、何かをうわ言のように呟く彼女の姿は非常に痛ましかった。


 あと何か知らんけど、彼女雑草にトラウマありすぎだろ。







 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「やあやあ、何やら面倒事に巻き込まれたようだけど、無事そうで何よりだよアグリ君」



 石の階段をカツカツと降りて来た栗毛の青年は、俺を見るなりそんな言葉を口にした。


 少々軽薄そうな印象を受ける彼の名は、マルケス=アル=ブランデット=クローデル。

 彼が最初に俺の人形を評価してくれた人であり、同時にこの地を治める領主であった。

 見た目はまんま貴公子なのだが、物言いが妙に軽い為、どこか胡散臭い印象を受ける。

 俺もその外見から一目で貴族とはわかったが、彼が領主と知った時は驚いたものだ。

 見た目も妙に若く、ぱっと見20代前半にしか見えないが、実際は30代半ばらしい。


 そんな胡散臭い我らが領主様だが、彼に対する俺の印象は『曲者(くせもの)』だった。

 一度遠回しに『言動で舐められると困るのでは?』といったことを聞いたことがある。

 その問いに、彼は笑って『義務と距離感さえ間違えなければ大丈夫』と答えたのだ。

 更に『変わり者を相手にした方が、かえって人間の本質が見える』とも。

 この発言だけみても、彼が見た目通りの軽薄な人間ではないことは明白であった。



「いや、モンスターの襲撃と、郊外での爆発の報告を聞いた時は少々肝を冷やしたよ。

 なにせ娘も君との約束を楽しみにしているんだ。あまり簡単に死なれては困るからね」

「ご憂慮痛み入ります。

 実際死を覚悟しましたけど、彼女……エミィのおかげで助かりました」

「うん、あの規模の爆発から生き延びるなんてね。彼女の実力は噂に違わぬものらしい」



 エミィの素性を把握しているだけあって、あの非常識な戦闘力も織り込み済みらしい。

 ちなみに当の本人は壁に向かって座り込み、未だに落ち込んでいる様子だが。


 というかこのマルケス様は、既にこの件に関してかなりの情報を得ているようだ。

 そういえば、あの魔族がぶっ放した後の俺の家は、一体どうなっているのだろうか?

 あの家にはお金はもとより、人形作りのための道具や諸々すべてが置いてあるのだ。

 全て無事はあり得ないだろうが、せめて人形作りの道具くらいは無事であって欲しい。



「それで、爆発のあった俺の家ですが、実際に被害はどの程度だったかわかりますか?」

「うーん、それなんだけどね……」



 その俺の質問に、マルケス様は何故かバツが悪そうに視線を逸らした。

 普段は見られない彼の煮え切らない仕草に、俺は言いようのない不安に襲われる。



「……君の家のあった場所には、直径30デールほどの大穴だけが残っていたんだ」

「は?」



 おいおい、なんだよ大穴って。

 俺はそんなもの掘った覚えはないぞ。

 ハハハ、いやだなぁ。

 いつの間にか俺ん家の地下に、巨大なモグラでも住んでいたのかな?


 ……いや、わかっている。

 本当はそれが、どういうことを意味しているかはわかっているんだ。



「あの、それは俺の家が……跡形もなく消し飛んだ、という意味でしょうか?」

「まあ、そういうことになるね。

 ……うん。あんな大規模な爆発の中、本当に良く生き残ってくれたと思うよ」



 マルケス様は更に何か言葉を続けたが、俺はそれに対し空虚な反応しか返せなかった。


 え?というか、俺が一体何をしたって言うんだよ。

 おっさんに無理言ってバイトやめて、最近仕事もやっと軌道に乗ってきたのに。

 小さくても一国一城の主になったと思った矢先、それらすべてを一瞬で失ったのか……




「ぐすっ……うう、雑草はいやぁ……」



 すすり泣くエミィの呟きが、なぜか我が事のように俺の心に染み込んできた。




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