第5話 一閃
まばゆい閃光が、俺の視界を真っ白に塗り潰してゆく。
走馬灯すらも許されない刹那の瞬間、俺はこの短い人生が終わったのだと確信した。
ああ、こんな所で終わるなら、せめてあの時キスくらい経験しておけばよかった……
人生最後の瞬間、俺の脳裏をよぎったのはそんなくだらないことだった――――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
遠くの空で、何かが炸裂するようなくぐもった音が響き渡った。
むせ返るような草木の香りを孕んだ風が、俺の体をすり抜けて彼方へと消えてゆく。
木々はさざ波のようにざわめき、能天気な小鳥達が木陰でピィピィとさえずっている。
ふと気付けば、俺は自室ではない別のどこかに佇んでいた。
目の前の景色が一変したことに戸惑いを覚えたが、俺はそこであることに思い当った。
そうか、ここが俗に言う死後の世界と呼ばれる場所なのか、と。
へぇ、死後の世界ってのは、思ったよりも緑にあふれてるものなんだな。
この場所の雰囲気は、どことなく山菜やきのこの宝庫である麓の森に似ていた。
麓の森といえば、バイト時代によくおっさんに頼まれて食材を採りに来たものだ。
つい最近の事のはずなのに、それももうずいぶん遠い昔のような気もする。
そういえばおっさんには必ず成功するって約束したのに、結局は裏切ってしまったな。
ごめんよおっさん……
胸を満たすやるせない気持ちに、俺は目を瞑ってその事実を噛み締める。
ああ、この感情が、無念というものなのか。
『パカーン』
と、一人感慨にふけっていると、突然上から降ってきた何かが俺の脳天に直撃した。
やたら小気味の良い音とは裏腹に、鈍い衝撃が脳髄を突き抜けた。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~!!???」
まるで鈍器で殴られたような衝撃に、俺はもんどりうって地面に倒れてしまった。
やばい、死ぬほど痛い。
もう死んでるというのに、それでも尚痛みを感じるとは一体どういうことだろうか。
「あわ……だ、大丈夫?」
割れるような痛みに転げまわってると、頭上から澄んだ女性の声が降ってきた。
湿り気を帯びた森の土にまみれながら、俺は痛みを堪えつつなんとか顔を上げる。
そこにはキラキラと輝く黒髪を風に弄らせた、一人の美しい女神が立っていた。
その女神は、俺の知っているあのあほの子にそっくりだった。
「ごめん、さっきのお返しだったんだけど、ちょっと手加減間違ったみたい」
……ていうか本人じゃねえか。
あの世に来てまで仕返しとか、どれだけ執念深いんだよこいつ。
エミィは痛みでうずくまったままの俺の頭に、ふわりと手を添えた。
すると脳髄をかき回していた鈍い痛みが、まるで嘘のように引いてゆく。
え、何だ今のは?
死後の世界は痛みの感じ方すら変わるとでもいうのか?
まあ、むしろ死んだのにまだ痛みを感じられるって方がもっと意外か。
とりあえず俺は、頭の痛みが完全に引いたことを確かめると、ゆっくり体を起こした。
そして頭が冷静になると、俺はエミィが一緒にいるその意味にも気が付いてしまった。
そうか、結局エミィも助からなかったのか……
彼女も至近距離であの閃光を食らったんだもんな。そりゃどうしようもないか。
俺は彼女を不憫に思い、彼女の頭をそっと撫でる。
彼女は少し驚いた表情を見せたが、次第に目を細めてそれを受け入れていた。
「エミィも、最後の最後まで辛かったな。だけどきっと来世は良いことあるからな」
「え、それは来世までは良いことがないってこと?さらっと酷いこと言わないでよ」
俺のその慰めに、しかし何故かエミィは不満げに唇を尖らせた。
彼女はあの世でも幸せになるつもりなのだろうか?
そのポジティブさはちょっと見習いたいな。
「しかし、俺もエミィもついてないよな。いきなりあんなのが襲ってくるなんてさ。
魔族との戦争は終わっても、まだまだああいう事って起こるもんなんだな」
俺はそう言って、しみじみと己に起こった不運を振り返った。
この世界では、つい最近まで魔族の国と人間の間で戦争が起こっていた。
その戦争中、魔王率いる魔族達により滅ぼされた町や小国はいくつもあった。
魔王軍の勢いは苛烈を極め、大国すらも危ないと思われた頃、突如勇者が現れたのだ。
彼らはその武力、知力、殲滅力を遺憾なく発揮し、両者の形勢をあっさりと覆した。
そして近頃、ついに勇者一行は最終決戦の地で魔王を討ち取ることに成功したそうだ。
その際に、魔族の国の上層部の大半が討ち取られ、残りもすべて失踪したらしい。
散り散りになった魔族が力を蓄えるには、かなりの時間が必要だろうと言われていた。
だが、俺の家にやってきたあの魔族は、確か四天王と名乗っていたか。
どうやら魔族の幹部達は、このまま大人しくしているつもりはないようだ。
この調子だと、これからも俺の家で起こったような事が繰り返されるのだろう。
魔族の大幹部が個人の家でテロ行為とは、妙にスケールが小さい気もするが。
まあ、おおかた復讐に駆られて奇行に走ったという所だろう。
そんなのに巻き込まれた方としては、正直たまったものじゃないけどな。
「あ、あのね、アグリ」
「ん、なんだ?」
己の不運に溜息をついていると、エミィがなにやらばつが悪そうに声をかけてきた。
「ごめん巻き込んじゃって!さっきの奴等って、多分私を狙ってきたんだと思う」
「はぁ?どういうこったそりゃ」
「私、あいつらに狙われるだけの事をやってきたから……」
そう言って、エミィは申し訳なさそうに俯いた。
エミィがあんなモンスターに狙われていただと?
いや待てよ。確かにエミィは何者かに追われてるとか言ってたよな。
その時彼女は誰に追われてると言ってたっけ?えーっと……
そうだ、確か国のお偉いさんだったはずだ。
――はぁ!?あいつらが国のお偉いさんだってのか?
いやいや、流石にそれはあり得ないだろう。
じゃあ他の可能性としては、国の上層部が魔族に繋がってるって所か。
……お偉いさんが魔族に繋がってるって、実はこの国結構まずいんじゃないのか?
「なるほどな。お前も大変な奴等に目を付けられてたんだな」
「え、怒らないの?私のせいでアグリを巻き込んじゃったのに」
俺の反応を見て、エミィは心底意外そうな表情をしていた。
だが見くびらないで欲しい。
追われて就職もままならないエミィと、魔族と繋がりをもつ国のお偉いさん。
この両者でどっちが悪いかと言われれば、そんなものは比べるべくもないだろう。
これで彼女に対して恨みを抱くのは、どう考えてもお門違いというものだ。
むしろかえって彼女に同情を禁じえないほどである。
結果として俺は巻き込まれて死んでしまったが、それはただ運が悪かっただけだろう。
巻き込まれた俺も被害者だが、彼女だって被害者であることには変わりがない。
「ああなったのは運命みたいなものだろ。別にそんなことじゃ怒ったりはしないさ」
半信半疑な様子でこちらを覗うエミィの頭を、ぽんぽんと撫でてやる。
俺に言葉にしばらくあっけに取られていたエミィは、突然くすくすと笑い始めた。
「なんだよ、今なんかおかしな事言ったか?」
「そうじゃないけど、ただアグリってかなり変わってるなって思って」
それは心外だな。
そしてその言葉は、そっくりそのままエミィに返してやろう。
「ほほう、じゃあエミィは俺に恨み言を言って欲しかったのか?」
「ううん、そんなわけないよ。すごく嬉しい」
「そ、そうか」
そう言って綺麗に微笑むエミィの表情は、女性経験に乏しい俺には刺激が強すぎた。
俺は頬に血液が集中するのを感じながら、慌てて視線を背ける。
エミィって、普通にさえしていれば本当に美少女なんだけどな……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それにしても、俺たちってこのまま放置なのな。お迎えみたいなのは来ないのか?」
死んであの世に来たというのに、先程からお迎えが来る気配がまったくない。
ちなみに、あの世では死ぬ寸前の姿になるらしく、俺達は部屋での格好のままだ。
エミィは相変わらず直剣をチャキチャキさせてるし、俺はズボンが行方不明である。
一体どんな辱めだと思うが、この場合こんな格好で死んだ俺が悪いということだろう。
強いて言うなら、あのタイミングで現れた蒼肌黒ローブが一番悪い。
おのれ、あんな奴もっと恥ずかしい格好で死ねばいいんだ。亀甲しばりとかでな。
ともあれ、あの時はパンツ越しで済ませておいて心底よかったと思う。
「お迎えって、実はアグリって貴族だったりするの?あんまりそうは見えないけど」
俺のその言葉に、エミィは少し首を傾げて反応した。
うん、何だ?
エミィの中では、あの世すら貴族は特別扱いなのだろうか。
「普通お迎えとか、身分関係なく来るものじゃないのか?」
少なくとも俺はお袋にそう聞いた。
ちなみにうちの実家はバリバリの庶民派である。
「あのね、お迎えなんて普通の人には来ないものなんだよ。
アグリってば、実は結構世間ずれしてるんだね」
エミィはくすくすと笑いながら、俺の肩をぽんぽんと叩いた。
……あれ?今の俺って、あほの子にあほの子扱いされてないか?
誠に遺憾である。
「それに指定なしで『跳んだ』から、きっとそのお迎えさんも見つけられないと思う」
???
エミィが何を言ってるのか、いまいち理解できないな。
とりあえず言えるのは、このまま待っていても事は進展しそうにないということだ。
かといって、これからどこに行けばいいのか皆目見当がつかない。
「なぁ、エミィはこの後どこに行けばいいのか知ってるか?」
正解が出てくるとは思ってないが、万が一にもヒントとなる知識があるかもしれない。
「ん、アグリのお家じゃないの?」
当たり前だよねと言わんばかりに首を傾げるエミィに、俺は頭を抱えた。
だから帰れてたら帰ってるっつーの。
「いや、帰れるものなら帰りたいが、一体どうやって帰るってんだよ」
「え?歩いて帰ればいいんじゃない。
といっても、私もここがどこかはわからないけど」
でもアグリならわかるよね。と良い笑顔で返してくる。
ん?まさかこいつ、この場所があの世だと気づいてないのか?
……なるほど、馬鹿は死んでも何とやらとは、自分が死んだ事に気付かないからか。
「あのな、エミィ。
俺達は今遠い所にきていてだな、帰りたくてもそう簡単には帰れないんだ」
輪廻転生とか出来れば戻れるかもしれないけどな。
しかし、そんな言い方でエミィに伝わるわけもなく、彼女は更に首をかしげた。
「んー、きっとそんなに遠くじゃないと思うよ。
多分アグリの家から2,3メルデールくらいじゃないかな」
えらい近いな、散歩の距離かよ。
知らないうちに随分と身近になったものだな、死後の世界も。
「まぁ、このままじっとしてても進展はなさそうだしな。とりあえず歩いてみるか」
ぐるりと周囲を見回しても、今のところ鬱蒼と生い茂る木々しか見えない。
しかし、この景色が地の果てまで続いているわけではないだろう。
この場合天の果てなのか?まあどっちでもいいか。
出発を促そうとエミィに向き直ると、彼女は何故か明後日の方角を見上げていた。
「……エミィ?」
声をかけても、彼女の視線がこちらに戻ってくる様子はない。
虚空を見上げるその表情は、先ほどまでとはうって変わり、非常に険しいものだった。
「おいエミィ、そろそろ出発しようと思うんだが、どうかしたのか?」
「……ごめんアグリ、あいつらに見つかったみたい」
何が?と言いかけたところで、いきなり突風を纏った黒い礫が周囲に降り注いだ。
「な、なんだなんだ!?」
滝のような轟音と土埃が周囲を埋め尽くし、大地は波打つように揺さぶられる。
突如襲った天変地異に立っているのも困難となり、俺はたまらず尻餅をついた。
「げほっ、げほっ……一体なんだってんだ――――」
立ち込めていた土埃が晴れてくると、その向こうから天変地異の原因が正体を現した。
その正体を理解した俺は、事態のありえなさに、その絶望的な状況に言葉を失った。
そう。
俺達を取り囲むように降ってきたのは、俺達を殺したあのモンスター達だった。
「クフッ、クハーッハハハハ!あの一瞬で我が最大の攻撃を回避するとは大したものよ。
だが『転移』した程度で、このカークラーク様から逃げおおせるとは思わないことだ」
変わらず意味不明な言語を発する蒼肌黒ローブは、高らかに笑い声を上げた。
その背後では、見たこともない凶悪なモンスター達がジリジリとその輪を狭めていた。
1体でも討伐に騎士団が必要そうなモンスターが、おそらく数百体は居るだろう。
その様は、ただただ絶望という言葉以外では言い表せなかった。
……というか、本気で何なんだよこの状況は。
俺達ってこいつらに問答無用で殺されて、死後の世界に来たんじゃなかったのか?
だが、俺のそんな疑問をよそに、蒼肌黒ローブの勝ち誇ったような言葉は更に続く。
「我らを姑息な謀略で陥れた貴様は、決して安易な死で許されるなどと思うなよ。
この世に生まれてきたことすら後悔するよう、じっくりと嬲り尽くしてくわるわ!」
そう言って、蒼肌黒ローブは大きく裂けた口を吊り上げ、残忍な笑みを浮かべた。
どうやらこの魔族はエミィに相当な恨みがあって、俺達を拷問するつもりらしい。
もしかしたらこの不可解な状況も、既にこいつの拷問の一環なのかもしれない。
何せ相手は人間とはまったく別の、不思議な力を持つ魔の一族なのだ。
例えば殺した者の魂を、更に何度も殺し続ける的な能力が存在してもおかしくはない。
なにそれ魔族超ヤバい……
今更エミィに恨み言を言うつもりはない。
しかしこれから起こるだろう最悪な未来を想像すると、目の前が暗くなる思いだった。
『チャキン』
――と、ふいに小さな鞘鳴りの音が、頭上から聞こえてきた。
ああ、そういえばこの凶悪なモンスター達の敵意を直接浴びているのはエミィなのだ。
男の俺でもこの状況にはビビってるんだから、彼女はもっと怯えているかもしれない。
そう考えた俺は、ちらりと彼女の表情を覗った。
だが、その時彼女が浮かべていた表情は、怯えや恐怖といった類のものではなかった。
そしてそれは、今まで見てきたよく変わる表情の、そのどれにも当てはまらなかった。
あえて当てはめるとすれば、彼女が剣を抜こうとした時の表情に近いのかもしれない。
あの時の表情から更に感情を抜き、無機質にしたらようやく今の表情になるだろう。
そう。
今の彼女は、氷のように冷たく、そしてどこまでも無機質な表情をしていた。
「……バカな奴ら。
せっかく空から急襲出来たんだから、そのまま乱戦に持ち込めばよかったのに。
わざわざ降りてきて能書きまで垂れるなんて、そんなに私が弱く見えたのかな?」
少しトーンは低いが、先ほどまでと変わらぬ彼女の声。
だが、その言葉から受ける印象は、先ほどまでとはまったくの別物だった。
部屋で会話していた時のような温かみは一切なく、表情と同じ冷たい声色だった。
「……エミィ、だよな?」
そのあまりの豹変振りに、もしかして別人と入れ替わったのかという疑念が浮かぶ。
「ん……本当にごめんねアグリ、巻き込んじゃって。でももう終わったから」
俺の言葉に反応したエミィに、ようやく感情の灯がともった。
しかし、その表情はどことなく悲しげな印象だった。
というか、終わったって一体何が終わったというのだろうか?
さっきから超展開過ぎて、状況や会話が何一つ消化出来ていない。
唯一把握しているのは、たった今俺達がモンスターに囲まれて絶体絶命で――
――って、そうだよ。俺たちは今絶体絶命だったんじゃないか!
エミィの予想外の表情に気取られて、すっかり頭から抜け落ちていた。
そして思い出したと同時に、周囲から一斉に動き出す気配がした。
ついにモンスターが俺達に襲い掛かる為に動き出したのかと、俺は慌てて振り返った。
「――――えっ?」
振り返った先には、先ほどまでとは少し違う世界が広がっていた。
それは、すべてのものがある高さから真横にズレた、どこか奇妙な世界だった。
「えっ?」
備考:1デール=0.9m、1メルデール=900m