屋上の日課
人間、どんなに才能があってもそれなりの鍛錬をしておかないと使い物にならないと思う。
少なくとも、俺は何もせずにいて後悔するつもりはない。
咄嗟の時に動けないなんて冗談じゃないから。
単調なリズムで繰り返す呼吸と、それに合わせての腕立てをひとまず百回。
そのあとは腹筋背筋、スクワットが基本メニューだね。
日によってそれらを何セットするのか、剣の素振りをするのか体術の鍛錬するかなど様々だ。
太陽が昇っていない時間帯、これらを屋上でこなすのが最近の日課。
旅をしているときは日々動いているだけで鍛錬になっていた部分があるけど、街暮らしとなればどうしても鍛錬不足になるなぁ。
狩人じゃないからって鍛錬をしなくていいってワケじゃない。
こちとら、どっかの誰かのせいであちこちに恨みを買いまくりなんだ。
しかも、俺もブチギレて暴れたこともあるわけで……必ずしも恨みはカインばかりが買っているというわけでもないんだよな。
いつ、命を狙われてもおかしくない。
それに、街を出れば魔物がいるし、出なくても決して安全とは限らない。忘れがちだけど、魔物が街を襲わないという保証は何一つない。
単純に、体を動かすのが好きだという理由も存在するけどね。
「ふぅー……」
基本メニューをやり終えて一息ついたちょうどいい頃合に待ち人は来た。
「おはよう」
うちの貴重な従業員であるバランが屋上に続く扉を開けて挨拶してくる。
今日は現役時代に使用していた剣を持参してきていた。
「おはよー」
対する俺も、今日は近くにショートソードを置いてある。
先日、ひとつの提案をした。
それは単純に、お互い運動不足だから鍛錬がてら手合わせをするというものだ。
「……アップは済ませたようだな。すぐ始めるか?」
どうやらバランはアップがてらここまで来たんだろう。
それにしても……
狩人を引退してまだ日が浅いだけあって、衰えは見えない。バランも鍛錬は続けたんだろう。
軽装であったとしても剣を手にしたバランは迫力が違う。その上、手合わせをするという今この瞬間が楽しいらしい。
やはり狩人だっただけはある。
好戦的な笑みを浮かべてこちらを見ていた。
その顔を見て、同じように口角が上がる自分も大概だなと思いつつも頷いた。
「いいよ、すぐ始めよう。言っておくけど、僕に手加減は不要だからね」
言いながらショートソードを手に取る。
もちろん俺もバランも手にしているのは真剣である。
これも手合わせをしようと言った時に伝えたことだが、俺とバランでは俺の方が強い。
これでも黒い狼の義弟、共に旅をし……事件事故と様々な問題に関わってきた。一般人と言えども、実力は並の狩人に負けるはずもない。むしろ上級狩人にすら勝てる実力者なのですよ、俺は。
「いつでも、いいよ」
構えて、誘う。
バランの表情が本格的に変わった。
獣を狩る鋭い目つき、獰猛な表情、ずしりとした重圧感。
ゆったりと剣を構えた……と思った瞬間に、バランが地を蹴る。
まっすぐ一直線、迷いなく目の前まで来て剣を振り下ろされる。
「…………っ!!」
強い……まともに受ければ腕が軋むか足が軋むか……下手をすれば剣がたった一度で折れるほどの重い一撃だと悟りすぐに躱すために動く。
重量感があるにも関わらず、速さもあった。
ショートソードで軽く弾き剣の軌道を逸らす。
「ちっ」
あ、舌打ちされた。
軌道を修正して、切っ先を下から上げてくる。俺の腰から肩を斬る勢いだな。
させないけど、ね!
再度、ショートソードで受け、そのまま地をける。
前に、じゃない。上に、だ。
「!?」
バランの力強い振りを利用して、弾かれるようにして体が上に飛ぶ。
剣が交わった場所を起点として宙を回った。
その間、丁度片手で逆立ちをしているような状態でバランと目が合う。
……驚いた顔をしていた。
つい、俺も顔がにやける。
こういう時に俺って性格悪いかもなんて反省しちゃうんだけど、どうしようもないよね。
本当ならここで術の一つでも仕掛ければいいんだろうけど、今日の鍛錬は使わないと決めているのでそのままバランの後ろへ着地。といっても、背後を取られそうになった時点ですぐさま俺との距離を開け振り向いて体制を整えていた。残念。
さて。
少し距離を取られたか……どう動こうかな?
リーチは向こうの方が長い。
誘うか、飛び込むか……せっかくの鍛錬、やっぱここは飛び込まなきゃだよね!
「はっ!」
低い姿勢から入ってショートソードを振るう。当然受け止められる。が、
「ぐっ!?」
「油断大敵だよ」
足払いを仕掛け、バランが体勢を僅かに崩す。
また蹴りを食らったらたまらないと思ったかどうかまでは分からないけれど、足元も警戒するようになったのは確かだ。
俺はまたもやにやりと笑む。
剣でのちから勝負は拮抗……ではなく、僅かに俺が負けている。
徐々に押し返されてきたな。
ここらが潮時か。
ふっと力を一気にゆるめ、そのままバランへ向かって体当たり。体が当たる前に思い切り肘を突き出し、鳩尾を狙う。
「が……ぁ……」
いきなりの衝撃に肺の空気が押し出されたか。
苦悶の表情を見せる。
だけどまだまだ!
「はっ!」
ハイキックで、バランの側頭部に衝撃を食らわせる。
ぐらり、と揺らぐ体。
それでもしっかりと踏ん張り、倒れない。
ふふん、やるじゃん。
でも。
ゲームオーバーだ。
ショートソードを逆手に持ち、首元を掻っ切れる寸前で止めた。
「…………っくそ。負けだ」
「んふふ。残念だったね」
ショートソードを下ろし、一歩下がる。
するとバランが鳩尾を摩りながらはぁーっと息を吐いた。
「あれ? 痛かった?」
「痛かった」
「あー、ごめん」
鍛えている分、少しはマシだけれど俺には単純な腕力はあまりない。力比べは大抵負けてしまう。
そのため、どうしても手加減が苦手なんだよね。
それに、
「いや、いい。鍛錬だからな……むしろ、この程度で終わらされて情けない限りだが。しかし、言っていただけあって強いな……速いし、器用だ」
「ありがとう。でも、防御力の高い敵は苦手だよ?」
決定打に繋がりにくいという欠点がある。
対人ならともかく、魔物の中には厄介な奴がわんさかと……苦労するんだよなぁ。
もっとも、俺の場合は精霊術という便利なものがあるから本当の意味での苦労は少ないだろうね。
もう何度か手合わせをし、開店時間が迫ってきた頃に片付けることにした。
開店してすぐに客が来ることはほとんどない。
今日も例外なく、のんびりと自分たちの朝食を用意して席に着く。
「カゼロインスと旅をしていたと言っていたが、どの辺りをまわったんだ?」
「うん? そうだなぁ」
パンを齧りながら昔のことを思い出す。
「結構気ままな旅だから、どの辺りと言われると難しいんだけど。行ったことのない場所の方が少ないくらいには、かなりいろんな場所に立ち寄ったよ? この近辺はまわってるかな」
「どうしてこの街に店を構えようと思ったんだ?」
他にも適した場所はあっただろう?
その疑問は言葉としては出てこなくても、目が語っていた。
商業という点において、この街は非常に都合がいい。
狩人も多く、商人の出入りも多い。
だが、その分安全圏が広い。この街に狩人は多いが、上級狩人が少ないのはこの辺りが初心者狩人から中堅狩人向けのフィールドだからということ。
大きく稼ぐなら、また名を上げるなら別の街に行くのが普通だ。
俺はともかく、カインの拠点をこの街にするのは違和感があるのだろう。
けれど。
「単純にね、ここがカインの故郷だからかな。レニーとアルテナとは昔からの知り合いだって言ったでしょ? 二人の父親がね、カインの師匠なんだ」
「……故郷……か。それに、師匠なんていたんだな」
「流石のカインも人の子だからね」
赤ん坊の頃なんて想像できないけど!
「まぁ、そうなんだが……」
バランも想像できないのか、微妙な顔つきになる。
「ん? じゃ、この街にカゼロインスの親もいるのか?」
「残念、死んじゃったんだよね」
バランが余計なこと聞いたか、と眉根を寄せたけど俺は首を振る。
けど。
話してもあまり面白い内容じゃないから、これ以上は余計なことを言わないでおいた。
カインの親が死んだというのは半分本当で、半分嘘。
カインが親と認めているレニーたちの両親は他界している。
けど、カインの生みの親はもしかしたらまだ生きてるかもしれない。この街にいる可能性だってある。
俺もカインも知りたいとも思わないけど。
カインは気がつけば、一人だったらしい。
事故なのか捨てられたのか、何もわからない。覚えていないし、知ろうともしないから。
一人だった子供に世話を焼いたのがレニーたちの父親だ。
気づけば自分の傍にいた人。
気づけばいろいろ教えられていた。
いつの間にか、あの家に帰るのが当たり前になっていた。
俺はそうとしか聞いていない。
「バランはどうしてこの街に?」
「俺も単純に一番近いギルドがこの街だったからだ。小さな街の出でな……あぁ、ドットも同じ街の出だ。そのツテでイグニ達とチームを組むことになった」
おぉ。
新発見。ドットと同郷なのか。
カランカラン
「ん? いらっしゃいませー」
おっと。
つい、ゆっくりしすぎたか?
お客様のご来店の合図に、慌ててパンを飲み込み立ち上がる。
「お好きな席へどうぞ」
営業スマイルでご案内。
入ってきたのは商人さん、かな?
朝はやっぱり狩人より商人さんが多いなー
バランもすぐに食べきって片付けに入る。
じゃ、こっちの片付けは任せて俺はご注文をお伺いに行きますかねぇ。
「ご注文はお決まりですか?」
「アイスコーヒー」
おや?
朝はしっかり食べたほうがいいですよ、なんて心の中で思いつつそれはお客さんの勝手なのですぐにお持ちしますとすぐに引き下がる。
それにしても愛想なしで、出で立ちも暗い雰囲気だな。
行商人という感じはあまりしない。
営業中と営業外で違うのは当然でもあるけど、ここまで雰囲気が悪いのは気になる。
これは裏の仕事に携わる人だな。まぁ、こんなに分かり易いんだから二流だけど。
コーヒーを持って行った時に少しばかり観察。
ぱっと見武器らしきものは持っていないように見えるけど、確実に暗器は持ってる。
やだねぇ。
厄介事はゴメンですよ?
俺やカインに関わる人ではありませんように、と。
一応こっそりバランにも注意してみてもらうように言っておく。
取越し苦労であればいいんだけど……こういう嫌な予感ってのは馬鹿に出来ないからね。
カランカラン
「いらっしゃいませ」
次に入ってきたのは狩人さんか。
こんな朝早くに珍しいなぁ…………あれ?
この子……この前ギルドで見た子だ。
「お好きな席へどうぞ」
水色の髪に、緑色の瞳。色白。歳は俺とそう変わらない女の子。
声を掛けるものの、その子は先に来ていた怪しさ満載の商人風男の方へ足を向ける。
男も顔を上げていた。
「……」
無言のまま男の前に腰掛ける。
知り合いか。
この前、ここに人探しに来た髭のおっちゃんが言っていた子の可能性は高いかな。
特徴は一致している。
「ご注文は?」
「……アイスティーをお願いします」
硬い声。
緊張している?
「かしこまりました」
穏やかな関係ではなさそうだな。
名は確か……ティティと言っていたか。
狩人の出で立ちだけど、どうも素人くさい。年齢的に新人なだけかな?
ふむ。
ちょっとした出歯亀根性が湧いてきたなぁ……いやいや。厄介事に自ら飛び込む愚は犯すまい。
でも、他にお客もいないし……しばらくは観察に務めるかな。
レインはあんな風に思ってるけど、喫茶店やってくんだったらあんな鍛錬は不要ですよ。それくらいには、安全な街です。




