地球人、異世界へ
信は己の読死本を開き、ルールが記載されたページのある箇所を指差しながら言った。
「見つけたんだよ。誰も犠牲にせず、全員が生き延びる方法を」
信が指したページを如月は覗き込んで見る。だが、如月から見たらそれはただの真っ白なページでしかなかった。
【5】読死本の持ち主(以後マスターと呼ぶ)が存在している間、他者が読んでも真っ白な本にしか見えない。
如月はルールの一つを思い出し、自分の本を開く。
「ルールの何番目?」
「えーと……、7番目だな」
【7】24:00~1:00の1時間は読死本はただの本と化す。その為能力は使えなくなる。
「……これが誰も犠牲にせず生き延びる方法と何の関係があるのよ」
このルールからは、能力者としてのデメリットしか如月には感じ取る事が出来なかった。しかし、信は余裕の笑みを浮かべて言い放つ。
「ただの本になるって事は、破棄出来るって事だ」
信の会心のドヤ顔が炸裂する。が、如月は無表情で答えた。
「……いや、ルールの最後の項目に破棄は出来ないってあるわよ」
如月がツッコミを入れるが、それでもまだ信は余裕の表情で言葉を並べる。
「【読死本】の破棄は不可能と書いてある。つまり24時から1時の間の1時間は【ただの本】になる訳だから破棄は可能なんだっ!」
本を右手の甲で叩き熱弁する信。だが、如月の顔は晴れない。如月は信の自信満々の態度をぶち壊す一言を告げる。
「ルールの一番最初、読みなさいよ」
「ん? ……あ」
【1】本を読んでから一年以内に残りの読死本四冊を手に入れましょう。それが唯一死から逃れる方法です。
「唯一死から逃れる方法と書いてあるでしょ。破棄してもきっと呪いは解けないわ」
それに如月はただの本になる一時間の間に色々と試している。ほんの少しページを破ってみたり、文字を多少書き込んでみたり等。だが、全て無能時間帯を過ぎると元通りに復元された。きっと燃やして灰にしたとしても元に復元されるだろうと考えていた。
「……いやぁ、参ったな。ははは……はは」
「はぁ……」
深く溜息を吐く如月。ほんの少しでも期待してしまった事を後悔する。
「ところで、あんたはあとタイムリミットはどれくらいなの? 私はまだ11ヶ月と10日あるけれど」
読死本の最後のページには、所有者の命が尽きるまでのタイムリミットが秒数までリアルタイムで表示されている。本に印字されている文字が刻一刻と変化していく様子は奇妙であり、読死本の不可思議さを象徴していた。
「俺は10ヶ月と3日だな」
お互いにまだ余裕がある事にほんの少し安堵する。時間は多ければ多い程良い。
冷たい風が二人の頬を撫でる。雲よりも高い上空で、月の光に当てられながら会話をする二人の様は、異様でもあり神秘的でもあった。
「そろそろ降ろしてくれない? 此処は寒いわ」
「あぁ、悪い」
信が本を開き呪文を唱えると、二人はゆっくりと地上へと降り立った。辺りに人の気配はない。静寂が街を包んでいる。
「そういえば、私の名前名乗ってなかったわね。私は如月 ユキ。本の件は礼を言うわ。取り返してくれてありがとう」
「あぁ、そんな事は気にすんなよユキ」
爽やかに答える信だったが、如月は信の言葉にひっかかる。
「……いきなり呼び捨てってどういう神経してんのよ、あんた」
「え、駄目か? でも俺、ちゃん付けしたりするの苦手なんだよなぁ」
「さん付けしないさいよっ!」
すかさずつっこむ如月だったが、信はあっけらかんとした顔で
「お前どうみても俺より年下だろ? さん付けなんてお断りだ」
はっきりと言い切る。信は19歳、それに対して如月は16歳。年下の如月に「さん」付けする事は、信のプライドが許さなかった。
「あのねぇ、私は――」
「それより、俺と一緒に行動しようぜ。仲間は多い方が色々と有利だしさ」
如月の言葉を遮り、信は言う。信は、まだ全員が生き残る方法を諦めてはいない。必ず何か方法がある筈。その為には、まず全ての読死本とその所持者を集める事が最優先だと考えていた。また、如月もやっと出会えた同じ読死本を持つ能力者と今ここで対立するよりも、協力する方が効率的だと考える。
「わかったわ。一時的に仲間になってあげる。けれど、忘れないで。読死本のルールでは、私達は必ずいつか本の奪い合い……殺し合いをしなければならない時が来るって事をね」
たった一年間の命の猶予と自分の命の為に他人の命を奪わなければならないこの非情なゲームに、甘ったれた思考など持つ訳にはいかなかった。人を殺す覚悟がなければならない。自分を殺す覚悟がなければならない。他人を信じてはならない。
「いや、だから全員助けるから心配すんなって」
「あんたの案はさっき駄目になったばかりでしょうがっ!」
現実を見ず、理想ばかりを語る信に苛立ちを覚える。けれど、そのおかげで如月の本は返ってきた。この先利用していくならこのままの方が都合が良いかもしれない。そう考えた如月はこれ以上信を責める事はしないと決めた。
「あ、そういえば一つあんたに聞きたい事があったのよ」
「なんだ?」
如月は本を開きルールの3番目、黒く塗りつぶされ読めなくなっている部分を見ながら訊いた。
「私の本、3番目のルールの所が塗りつぶされているのよ。だから、教えてもらえない? 3番目がどんなルールなのか」
読死本を持つ者にとって、ルールは最も重要な事。空白のルールのせいで、知らずにルールを破り死に至るなんて事がないとも限らず、如月は死に怯える毎日を送っていた。けれど、その毎日も同じ読死本を持つ協力者が出来たとなれば話は別。しかし――。
「なんだ、ユキのもか。俺のもだ」
「……そう」
信の返答に如月は思案する。もしも全ての読死本に同じルールの塗りつぶしがあった場合、読死本の製作者が意図的に空白にしたか、全ての読死本を集める事に成功した人物がなんらかの理由で削除したか。前者の場合、この読死本集めの難易度を上げる目的の可能性が高い。では、後者の場合はどうか。
「……それはないか、そもそも――」
読死本は、外部からの全ての要因を受け付けない。火で炙ろうが、水に濡らそうが、なんの変化も見せない。読死本のページに何かを書き込もうとしても、外部要因を受け付けない読死本にはシミ一つ付ける事は不可能だった。その為、製作者以外の塗りぶつしは不可能と如月は考える。
「おーい、何一人でぶつぶつ言ってんだよ。取り敢えずこの場から離れるぞー。さっきの二人組にまた見つかったらやっかいだからな」
「あ、待ちなさいよ」
二人が現在位置する場所は、国家軍本拠地からそう遠くない街「プリマ」。如月の提案により、プリマより西にある世界の情報の発信源「インフォマ」へと向かう事にした。
【SATOU AKANE】
「あ〜あ、地球滅びねーかな……」
平日の真昼間から学校にも行かずに、小石を川に投げ入れながら佐藤 朱音は呟いた。退屈な日常、退屈な時間、退屈な世界。朱音はこんな世界など滅びてしまえばいいのにと常々思っていた。
「あーつまんね」
もう一度小石を川に投げ入れる。川には大きな波紋が広がっていく。この世界が退屈なのは、朱音が全てなんでも出来る天才であったから。
偏差値80を越え、全国模試で一位を獲得。運動神経もスバ抜けており、何をやらせても全てトップクラスの成績を収めていた。だからこそ、朱音にとっては周囲の人間が低レベルに見え、なんの張り合いもなく退屈だった。
「おい、君」
不意に朱音は背後から声を掛けられる。朱音が振り向くとそこには、警察官が立っていた。
「君、こんな時間に学校にも行かず何をしているんだい?」
「やっべ」と朱音は警察官から逃げる為に地を蹴り走り出す。
「あっ! 待ちなさい!」
警察官は自転車に乗って追いかけてくる。だが、差は縮まるどころかどんどん広がっていく。朱音は自分の通う高校の女子陸上部で実力を買われ、1年生にして短距離走のエースになったとして有名だった。その逃げ足の速さに自転車といえども追いつく事は敵わない。
「はぁ……はぁ……。ったく、めんどくせぇな」
警察官を撒いた事を確認すると朱音は近くの公園のベンチに腰を下ろした。
「……あー、空飛びてぇなぁ」
空を見上げれば、雲ひとつない青々とした空がどこまでも広がっている。この空を自由に飛びまわれたら、どんなに清々しいだろうかと考える。
――異世界の住人よ。告げる
「あ?」
突然の声。朱音は辺りを確認してみるが、人影は見当たらない。
「なんだ、気のせいか――!?」
ぐにゃりと朱音の視界が曲がりくねる。
「なん……だ……?」
視界がだんだんと白けていく。そして――。
――汝の運命は我が元に、我が命運は汝の手に。黒の書に従い、応えよ
朱音の意識は途絶えた。