一体何者?
「……蒼玲様」
雨明は向かいに座る男を睨んだ。
「あんたの主人ってのは、ずいぶん偉い人みたいじゃないか」
この先にあるのは、一般人が立ち入りを禁じられた場所だ。
男は答えず、ただ静かに前を向いた。
都の中央に鎮座する、皇帝の居城。
その中でも、選ばれた女たちだけが住まう豪華な鳥籠。
――後宮。
雨明は呆気にとられ、口を開けたまま固まった。
(なぜこんなところに……)
男が涼しい顔で馬車を降り、雨明を見下ろす。
「ここで死した妃たちが残した物のその整理を頼みたい」
衛兵たちが無言で敬礼し、重厚な扉が音を立てて開く。
騙された、と気づいた時にはもう遅い。
心の中で舌打ちをする。
(もともと断れない仕事というわけか)
後宮からの命令であれば断ることは出来ない。
断ればどんな罰を受けるか分からないからだ。
「はぁ……」
彼女は愛用の手袋を懐に入れた。
「……報酬は弾んでいただけますね?」
「それはお前の実力次第だな」
(エラそうなやつ……まぁエラいやつなんだろうけど)
雨明は中へと入っていった。
降り立つとそこは別世界だ。
朱塗りの柱に緑色の瓦屋根。
甘い香の匂いが漂っている。
ここが後宮──。
入るのは初めてだ。
三千人の美女が住まう鳥籠。
(……キレイすぎて落ち着かない)
雨明は居心地の悪さを感じる。
華やかであればあるほど影は濃い。
(嫌な臭いだ)
「ついてこい」
蒼玲が先導する。
「……詳細を伺っても?」
蒼玲は視線だけで答える。
「亡くなったのは側室の紅蘭様。……死因は自害だが、彼女の部屋には呪いが残されているといううわさがある」
「呪い、ですか」
雨明は鼻を鳴らした。
「幽霊でも出るんですか?」
「いいや、鏡だ」
蒼玲は短く告げた。
「彼女は生前、絶世の美女と謳われていた。だが晩年は私の顔が腐っていくと絶望し、帯で首を吊って命を絶ったという」
彼は眉間に深い皺を刻み、忌々しげに続ける。
「彼女の死後、遺品の銅鏡を覗き込んだ下女が、悲鳴を上げて気絶した。鏡の中に、顔の崩れた怪物が映ったとな。……紅蘭様の呪いだと言われてそれ以来、あの部屋には誰も近づかん」
(顔が崩れる鏡、ねぇ……ただの不良品なんじゃないのか……)
「……では、その鏡を含めた遺品の整理と、金目の物の選定。それが依頼内容ですね?」
「ああ。特にその鏡は、陛下からの賜り物だ。処分というわけにはいかん。……原因を特定し、適切に処理せよ」
この場所では主上からの賜り物に関しては、目録通りに国へ返納する義務がある。
呪われているからと言って勝手に焼却することは許されていない。
「でもなぜわざわざ私に依頼が回ってきたのですか?遺品整理だけなら下女にやらせることもできますよね?」
わざわざ外部の人間を雇うには理由があるはずだ。
「もともと遺品整理を女官にやらせることはない。それはここの決まりだ。下女は混乱に乗じて金目の物を懐に入れる可能性があるからだ」
「……なるほど」
帝から寵愛を受ける妃の部屋だ。
転がっている簪一つ盗めば、平民が一生遊んで暮らせる。
欲に目が眩むなという方が無理な話だ。
「では宦官にやらせるとか……」
「ダメだ。後宮にいるものにやらせると、不都合な物を隠滅したり、陥れようと偽の証拠を仕込む可能性もある」
政治的な思惑が絡むとろくなことにならない。
きっとこの場所では色んなものが渦巻いているのだろう。
「これまでは専属の老爺を雇っていたが、 先日、天寿を全うして逝った」
「それで私にお鉢が回ってきたと」
「遺品整理人はなかなかいないので、探すのに苦労した」
(まぁ……そりゃそうだ。誰もこの仕事を引き受けたい人はいないのだから。後宮となると、さらに死穢とか気にしそうだしな)
雨明は改めて隣にいる男に視線をうつした。
名は蒼玲。
一見するとただの宦官だが、身につけている黒鉄の鎧はこの薄暗い店の中でも鈍い光沢を放っている。
それも特注品だ。
(こいつは一体何者なんだ)
すると蒼玲は懐から革袋を取り出した。
ジャラリ、と重たい音が響く。
中身を確かめるまでもない。金貨の擦れる甘美な音だ。
「給金はこれでどうだ」
雨明は革袋の紐を緩め、中身を一瞥すると、口元だけで笑った。
十分すぎる額だ。
これなら店を立て直してもお釣りがくる。
「……ええ、交渉成立です。ではその魔境がある場所へ行きましょう」




