遺品整理人
都の北端──。
廃棄場から吹き下ろす風が鼻をつく。
そんな吹き溜まりにその店はあった。
町から外れた人ひとりいないこの場所で雨明は薄暗い店内で作業をしている。
手元には美しい茶器がひとつ。
先日亡くなった商人の遺品だ。
丁寧に布で磨き上げながら独りごちる。
欠けひとつなく艶やかな光沢を放っている。
新品同様といっても通じるだろう。
けれど親族の誰もが受け取りを拒否したため、許可をとってもらってくることにした。
(……立派なものなのに)
巷では死者の物を忌み嫌うらしい。
怨念が宿るとか祟られるとか。
(馬鹿馬鹿しい)
物はただの物だ。
そこに残るのは事実だけである。
雨明は町の遺品整理人をしていた。
だが、世間一般でいう単に部屋を片付けて掃除をするだけの便利屋とは違う。
彼女の本領は、そこに残されたモノの査定と仕分けにある。
「……贋作ですね。価値はありません」
雨明は手にした掛け軸をくるくると巻き、無造作に「廃棄」の箱へ放り込んだ。
雨明は物を見る目がある。
だからこうして鑑定士のようなこともしている。
依頼主である商家の息子が、素っ頓狂な声を上げた。
「なっ、待ってくれ!それは親父が名家の真筆だと自慢していたものだぞ!金貨十枚は下らないはずだ!」
「署名の筆致が滲んでいますし、紙の質も時代が合いません。いいところ銅貨三枚、紙くず同然です」
雨明は顔色一つ変えずに次の壺を手に取った。
人は死ぬ時、なにも持っていけない。
だが、生前に積み上げた物はそのまま現世に残される。
金、宝石、骨董、あるいは愛人への手紙や、隠しておきたい恥部。
それらは時に残された遺族の間で醜い争いの種となる。
だからこそ、雨明のような第三者が必要なのだ。
これは金になるか、ゴミか。これは遺族に見せていいものか、闇に葬るべきものか。
死者に代わってそれらを冷徹に選別し、換金し、あるいは焼却炉へ送る。
それが彼女の生業だった。
「こっちの青磁の壺は本物です。市場に流せば金貨五十枚にはなるでしょう」
「ほ、本当か!?」
「ええ。ただし……」
雨明は壺の底を指先でなぞり、溜息をついた。
「底に二重底の細工がありますね。振るとカサカサ音がする。……おそらく、へそくりかなにかを隠していらっしゃる」
息子が慌てて壺を逆さにすると、中から古びた手形と、芸妓らしき女性の似顔絵がパラパラと落ちてきた。
部屋に気まずい沈黙が流れる。
雨明は手袋をはめ直し、淡々と告げた。
「……こっちは見なかったことにして、燃えるゴミに入れておきましょうか?」
「た、頼む……」
死人に口なしと言うが、彼らが残した“モノ”は案外お喋りだ──。
「ほら、報酬だ」
依頼人から渡された革袋を受け取り、雨明はずしりとしたその重みに口元を綻ばせた。
死者の遺した物を整理し、行き先を決める職業。
誰もが忌み嫌い、やりたがらない仕事である。
だからこそ雨明はこの職を選んだ。
なり手が少なければ、それだけ報酬は高くなる。
実入りはそこそこいい。
それに彼女は死穢など気にしない性分だ。
(我ながら天職だと思う)
依頼人の屋敷を後にした雨明は、懐に入った報酬の重みを確かめながら、夕暮れの街を歩いた。
路地裏の市場は夕飯の支度をする人々で賑わっているが、雨明が通りかかると、そこにふ、と小さな穴が空く。
「……おい、あれ」
「ああ、知ってる。遺品整理人だろ」
「目を合わせるなよ。死人の呪いが移る」
すれ違いざま、ヒソヒソと交わされる声。
母親が慌てて子どもの手を引き、雨明から遠ざけようとする。
露天商の男は、彼女が通り過ぎた後に、厄払いのつもりか塩を撒く真似をした。
そう遺品整理人は嫌われ仕事だ。
(……呪い、ねえ)
雨明は鼻で笑った。
もし死者の怨念なんてものがあるなら、とっくの昔に私は呪い殺されている。
幽霊よりも、遺産を巡って骨肉の争いを繰り広げる生きた人間の方が、よほど醜くて恐ろしいものだ。
街外れにある自宅に着く頃には、日はすっかり落ちていた。
今にも崩れそうな平屋のあばら屋。
近隣の住民が「気味が悪い」と言って離れていったため、周囲に家はない。
ポツンと取り残された孤島のような家だ。
雨明は慣れた手つきでランプに火を灯し、冷え切った台所で一人、買ってきた豚肉を焼き始めた。
寂しいとは、思わない。
両親はとうの昔に死んだ。
十年前に都を襲った流行り病によりあっけなく二人は骨になった。
親戚は感染を恐れて幼い雨明を捨てた。
誰も助けてはくれない。
だから彼女は売った。
父の衣類も、母の鏡も。涙を流す代わりに値をつけた。
それが彼女の最初の「整理」だ。
思い出を銭に換えて生き延びた。
薄情だと人は言うかもしれない。
だがおかげで今の自分がある。
(そのせいで誰もここには近づかないけどな)
するとその時、不意に扉が叩かれた。
(……こんな時間に誰だ?)
客が来る時間ではない。
借金取りか、あるいは役人か。
どちらにせよろくな用件ではないだろう。
(居留守を使おうか)
そう思ったが叩く音は止まない。
諦めて扉へと向かう。
重たい木の扉を少しだけ開けた。
隙間から冷たい風が入り込む。
そこに立っていたのは黒衣の男だった。
氷のように冷ややかな瞳。整った顔立ちだが愛想のかけらもない。
(……うわ、高そうな服)
一目でわかる上等な絹だ。
庶民が一生働いても買えない代物だろう。
男は雨明を見下ろして口を開く。
「雨明という遺品整理人はここに?」
肯定も否定もせずただ見返した。
男は無表情のまま言葉を継ぐ。
「私は蒼玲。書吏をしてるものだ」
(書吏?)
役所で書類作成や記録を行う下働きの役人か……。
とても下働きには見えないが。
雨明は眉をひそめ、男の格好をチラリと見た。
ただの役人が、こんないい布を身に着けるのか。
ウソをついているか、よほど実入りのいい主人の下で甘い汁を吸っているか、どちらかだ。
「依頼をしたい。給金は望むだけ払おう」
男が懐から革袋を取り出し、手のひらで遊ばせる。
ジャラリと重たい音が、静寂な夜に響いた。
それは銅貨や銀貨ではない。間違いなく金貨の擦れ合う音だ。
雨明は口元を緩めた。
怪しい依頼だろうが、金払いがいいなら客は神様だ。
「……分かりました。依頼を受けましょう」
男は満足げに頷き、背後の闇に控えていた馬車を顎でしゃくった。
馬車は、見た目以上に内装が豪華だった。
ふかふかの座席に、揺れを感じさせない精巧なバネ。
雨明は窓の外を流れる景色を眺め、違和感を覚え始めた。
商人の屋敷が多い地区を通り過ぎ、馬車は市街の外へ出る。
ただの役人が手配できるような乗り物ではない。
日が落ちて夜の闇が周囲を包み込んでも、止まる気配はなかった。
彼女は警戒を解かぬまま、車内の片隅で長い夜を明かした。
やがて窓の隙間から、白々とした朝の光が差し込んでくる。
翌朝たどり着いたのは見上げるほど巨大な朱塗りの門前だった。
皇帝の住まう後宮の入り口である。




