第5話 嫉妬の渦と、消えゆく影
凛との関係が始まってから、数ヶ月が過ぎた。
悠斗は遥の教えを忠実に守り、凛とのデートを重ねていた。
週末のカフェ、夜の散歩、手を繋ぐタイミングまで
——すべて遥の「マニュアル」に沿って進めた結果、凛はどんどん心を開いていった。
「悠斗さん、今日も一緒にいてくれてありがとう」
凛の笑顔を見るたび、悠斗は胸が温かくなるのを感じた。
同時に、遥がくれた未来を守っているという確信もあった。
家に帰ると、遥はいつも通り夕飯の準備をしていた。
でも、最近は悠斗が凛の話をすると、遥の反応が少しずつ変わっていた。
最初は「おかえり、悠斗。ママとはどうだった?」と明るく聞いてくれた。
でも、今は「へえ……」と短く返事をするだけ。
悠斗がスマホで凛からのLINEを見せると、横目でチラチラ見てくる。
悠斗が「今度、凛を家に呼ぼうかな」と呟いた夜、遥は突然キッチンに逃げ込んだ。
ある晩。悠斗が凛と電話で長く話していると、遥が部屋に入ってきた。
無言でドアを閉め、ソファに座って膝を抱えた。
悠斗は電話を切って、遥に声をかけた。「……どうした?」遥は顔を上げず、静かに言った。
「悠斗、ママのこと……好き?」悠斗は少し考えて、頷いた。
「うん。いい子だよ。居心地いいし、笑顔が可愛いし……一緒にいると、落ち着く」
遥の肩が、小さく震えた。「……そっか」
それから数日、遥の態度は明らかに変わった。
悠斗が凛の話を振ると、わざとらしくテレビの音量を上げたり、別の部屋に逃げたりする。
夜、悠斗が凛に「今度うちでご飯でもどう?」とLINEを送っているのを見ると
遥は無言でキッチンに立った。そして、決定的な夜。
悠斗が凛とのデートから帰宅した日。
玄関で靴を脱いでいると、遥がリビングの中央に立っていた。
「悠斗」
声が、少し低く震えていた。
悠斗は鞄を置いて、遥を見た。
「……どうした?」
遥は指先でスカートの裾を軽く握りしめ、目を少し伏せながら言った。
「ママじゃなくて……私じゃダメかな。
私の方が、ずっと前から悠斗のこと知ってるし……
毎日一緒にいるのに、最近はママのことばかりで……ちょっと、寂しい」
悠斗は言葉に詰まった。
遥の瞳は、もう涙でいっぱいだった。
「私、未来を変えに来たはずなのに……悠斗が他の女の人に笑いかけてるの、見てると、胸が苦しくて。こんな気持ち、知らなかった」
彼女は一歩近づき、悠斗のシャツの裾をぎゅっと握った。
「私、悠斗の娘なのに……でも、娘じゃいたくないのかもしれない。もっと、近くにいたい」
悠斗も遥の体をそっと抱き寄せた
その瞬間だった。遥の指先が、透け始めた。まるで光の粒子のように、ゆっくりと体が薄れていく。「え……?」悠斗が手を伸ばすが、遥の腕はもう半分以上が消えていた。
「やっぱり……こうなるんだ」遥は寂しそうに、でもどこか納得したように微笑んだ。
「タイムパラドックス……私が悠斗を独占しようとしたら、私が生まれる未来がなくなっちゃうんだね」「遥、待て——!」
「ごめんね、悠斗。結局、私が一番わがままだった」遥の声が、遠くなる。
「でも……一緒にいられて、少しだけ幸せだったよ」最後に、彼女は小さく手を振った。
そして、完全に消えた。
部屋には、静寂だけが残った。
悠斗は床にへたり込み、遥がいつも座っていたソファのクッションを抱きしめた。
まだ、彼女の匂いがほのかに残っている気がした。
「……遥」呟いた声は、誰にも届かない。
翌朝、悠斗はいつものように会社へ向かった。
凛が「おはよう、悠斗さん」と笑顔で挨拶してくる。
悠斗は、ぎこちなく微笑み返した。
でも、心のどこかで、何かが欠けたままだった。
家に帰ると、遥のキャリーバッグはなくなっていた。
寝袋も、タオルも、使っていたノートも。
すべてが、最初からなかったように消えていた。
テーブルの上に、一枚のメモだけが残されていた。
『悠斗へ
ごめんね。
でも、ママと幸せになって。
それが、私の願いだから。
遥』
悠斗はメモを握り潰し、額をテーブルに押しつけた。
涙が、ぽたぽたと落ちた。
「……遥。俺、どうしたらいいんだよ」答えは、返ってこなかった。
遥が消えたあの日から、悠斗の人生は確かに変わった。
ただ、それが「良い方向」だったのか、それとも——それは、まだ誰にもわからない。




