第3話 娘と模擬デート
遥が「本格的な教育」を始めると宣言してから、数週間が過ぎた。
悠斗の生活は、遥の指摘で少しずつ整えられていた。
ネクタイは曲がらなくなり、資料のフォントは大きくなり、会社の評価も微妙に上がっていた。
でも、遥は「まだまだ足りない」と言い張った。
ある土曜の朝。遥が突然、悠斗のベッドサイドに立っていた。
「悠斗、起きて! 今日はデートの日!」
「……は?」悠斗は目をこすりながら体を起こした。
遥はすでに着替えを済ませ、白いブラウスにデニムのスカート姿で
まるで本物のデート相手のように見えた。
「ママとのデートを成功させるための、実践トレーニングだよ。
私がママ役になって、悠斗とデートするの。
逐一ダメ出しするから、ちゃんと聞くように」
悠斗はため息をつきながら、Tシャツに着替えた。
「……本気かよ。俺、こんなの恥ずかしいんだけど」
「恥ずかしいのは、ママにフラれるときだよ。さあ、行くよ!」
遥に手を引かれ、悠斗はアパートを出た。
最初の目的地は、近所の小さなカフェ。
遥のマニュアル通り、「第一印象ポイント:笑顔と優しい一言」からスタート。
カフェのテラス席に座ると、遥がメニューを差し出した。
「悠斗、何にする?」悠斗はメニューを眺めながら、遥の教えを思い出した。
「……今日も可愛いね、遥」遥の目が一瞬輝いたが、すぐに真顔になった。
「ダメ! いきなり褒めすぎ! まだ挨拶もしてないのに『可愛い』は重いよ。
もっと自然に、『おはよう、今日も元気そうだね』とかから入って!」
悠斗は苦笑した。「……おはよう、今日も元気そうだね」
遥は今度は頷いた。
「それ! いい感じ。次は注文のとき、店員さんに『ありがとう』ってちゃんと伝えてね。
細かい気遣いが大事」
注文を終えて、コーヒーが来ると、遥は少しリラックスした笑顔になった。
「悠斗、結構上手くなってきたかも」
「そりゃ、毎日ダメ出しされてんだからな」
二人はコーヒーを飲みながら、他愛もない話をした。
遥は凛の「予想プロフィール」を繰り返し教え、悠斗はそれをメモのように頭に叩き込んだ。
カフェを出て、次は近くの公園へ。
秋の陽気が気持ちよく、落ち葉が舞う道を並んで歩く。
遥が突然、立ち止まった。「ここで、ちょっとテスト。ママが『寒いかも』って言ったら、どうする?」
悠斗は即答した。「上着貸すよ」
遥は首を振った。「ダメ! 即貸すのは優しすぎて、逆にプレッシャーになるかも。
まずは『寒い? 俺の上着、着る?』って聞いて、相手の反応を見てから貸すの。
気遣いは『押しつけ』じゃなくて『選択肢を与える』のが大事」
悠斗はため息をついた。「……細かいな、お前」
「無神経だから、未来で離婚しちゃったんだよ」
遥の言葉に、悠斗は少し黙った。
公園のベンチに座って、遥はアイスを買ってきて二人で分け合った。
悠斗が一口食べると、遥が笑った。
「悠斗、口の周りにクリームついてるよ」悠斗は慌てて拭こうとしたが
遥が先に手を伸ばして拭いてくれた。
「ほら、こうやって」その瞬間、二人の距離が急に近くなった。
悠斗は遥の瞳を間近で見て、胸がざわついた。「……遥」
遥は少し照れたように目を逸らした。
「これは……練習だからね。ママ相手にやるんだから」
でも、その声は少し震えていた。公園を出て、映画館へ。
遥が選んだのは、ラブコメディの軽い作品。
暗闇の中で、遥が小声でダメ出しを続けた。
「悠斗、手を握りたいと思ったら、いきなりじゃなくて『寒くない?』って聞いてから」
「ポップコーンを分けるときは、『一口食べる?』って聞いてあげて」
映画が終わって外に出ると、夕暮れが近づいていた。
遥は少し疲れたように、でも満足げに言った。
「今日は80点かな。まだまだだけど、ママ相手でも通用しそう」
悠斗は遥の横顔を見ながら、ふと呟いた。
「……お前とデートしてると、なんか楽しいな」
遥は足を止めて、悠斗を見上げた。「ほんと?」
「ああ。ダメ出しうるさいけど……お前と一緒にいると、落ち着く」
遥の頰が、少し赤くなった。「……それは、ママに言ってね」
二人は並んでアパートへの道を歩いた。
夕陽が長く影を伸ばす中、悠斗は心の中で思った。
(遥……お前がいなくなる日が来るなんて、想像したくねぇな)
でも、それはまだ先の話。今は、来年の春に備えて、遥の「教育」を受け続けるしかない。




