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第四章 博士が最後に残すもの

ジョッキはすでに七つ目を数えていた。

卓上に積まれた皿は塔のように重なり、餃子の羽根が薄い紙片のように貼り付いている。油は光を宿し、照明を反射して小さな月のように揺れていた。


博士は静かに飲み続けていた。

アルコールが血に溶け、熱となって全身を満たす。舌にはまだニンニクの強烈な香りが残っている。

その刺激はむしろ快感に変わっていた。


足もとで、解いたままの靴紐が無言で転がっている。


人類史上最高の頭脳。

その呼び名の通り、彼は誰よりも冷徹で、誰よりも理性的であった。未来を誤らぬよう、生活の一挙手一投足を律してきた。

研究に支障をきたすほどの飲酒は一度もない。明日の会議に影響を与えるニンニク料理を平日に口にしたこともない。

常に明日を見据え、明日を優先し、明日のために今日を抑制する――それが博士の生き方だった。


だが、今夜だけは違った。

明日は存在しない。月は地球にキスをして、そしてすべてを呑み込む。

二日酔いに苦しむ明日の朝も、誰かにニンニク臭を咎められる明日も、決して訪れない。


だからこそ今夜は、ビールを飲み尽くす。

ニンニクたっぷりの餃子を食い尽くす。

それが博士の思考の果てに辿り着いた、最後にしてもっとも合理的な答えだった。


世界の命運を握りながら、世界を救う方程式を組み立てることを拒み、ただ餃子とビールに身を沈める。


カウンター越しに、店主の陳がそっと声をかける。

「博士、飲みすぎよ……大丈夫?」


博士は答えなかった。ただ、空のジョッキをもう一度卓上に置いた。

乾いた音が木の天板に響き、その瞬間、世界は静止したかのようだった。


月が地球にキスするその前夜――

人類史上最高の頭脳を持つ博士の口に残っていたのは、星々の真理でも壮大な哲学でもなく、餃子とビールの後味だけだった。


<おわり>

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