まだ登り始めたばかり
「着いたー!!」
大きな声を出し、思い切りうんと伸びをする。町から国境沿いの雪山までの移動には、かなりの時間を要した。しかし、若さというのは素晴らしく、ずっと座りっぱなしだったにも関わらず全然体が疲れていない。前世の軟弱な私だったら、今頃腰を痛めてたかもしれない。
「さっむ!なんですかこの馬鹿みたいな寒さ!」
「だから馬車出る前に着込めと言っただろう」
「着込んでます!なんなら多分フィナ様よりも着込んでますよ。……ってか、なんかラディ様急に元気じゃないですか?登山嫌だって言ってたじゃないですかぁ……」
後ろでそんなことを話す二人を置き去りに、興奮のあまり走り出す。行く前は少し憂鬱だったが、いざ巨大な雪山を前にすると、これからこの雪山を登るんだ、なんて高揚感の方が高まっていって、憂鬱なんて思うことも忘れていた。そんな高揚感は、重いリュックサックだってなんの負担にもならなかった。
「ほらほら二人とも!なにちんたら歩いてるの!早くしないと置いてくよー!」
「えぇ?待ってくださいよ〜……」
「待てラディ!走ると危ないぞ!凍ってるかもしれないからゆっくり歩け!その前にしっかりスケジュールの確認をだな……!っておい待て!」
心配性なフィナ姉様の話を半分くらい聞き流しながら、雪山へと入っていく。そんな私を追うような形でネヒアとフィナ姉様も雪山へと入っていった。
雪山は、雪が吹き荒れており、視界も悪い。しかし、猛吹雪という程ではなく、フィナ姉様曰く、今は比較的落ち着いているらしい。
「うぅ……。寒い寒い寒い……。顔が凍える……」
「ネヒア炎属性なんだから、自分の体あっためればいいじゃない」
「兄さんならまだしも、俺はそんな器用なこと出来ませんよ〜……。それに、俺が今魔力発動させたら、体どころか辺り一帯全部燃やしちゃうと思うんで」
「え」
驚きのあまり喉を絞ったような可愛くない声が自分の口から出てくる。さらっとんでもないことを口にされた気がする。
「俺手加減苦手なんですよね〜……。相手に対しても、自分に対しても」
「……それっていい事なの?」
「悪いことですよ!無茶したら変にリミッター外れるし、峰打ちなんて出来ないから勢い余って殺すことあるし」
「へ、へぇ……?」
当たり前のように常識外れなことを言うネヒアに少し
恐怖心が芽生える。ネヒアは、人を殺すことに躊躇いが無いのだろうか。
「あ、ラディ様を殺そうとか考えてませんよ!?すみませんこんな話しちゃって。怖がらせちゃいましたよね。あ!フィナ様も、どうか安心してくださいね。決して逆らおうとか、そんなの一切考えてないので!」
「分かっている。そう警戒しなくても、私はネヒアを牢屋に入れたりしない」
「ありがとうございます!フィナ様が優しい人で良かったです。そうじゃなかったら、今頃俺死んでたかもしれませんね〜。……ほんと、不便な髪色だな」
ネヒアはそう呟きながら、自身の真っ白な髪に触った。雪というには眩しすぎるそれは、丹念に織られた真っ白な絹というのが相応しい気がする。それくらい、ネヒアの髪は凄く綺麗だ。しかし、この国では忌み嫌われる色だ。だから、ユエナちゃんもあんなに暗い顔をするんだ。髪色とか、末裔とか、そんなのどうだっていいのに。
「……私は好きだけどな。ネヒアや、セラーネ様。そしてユエナちゃんの白髪。三人とも、同じ白髪なのに、それぞれ色が違うの。例えばネヒアは、きらきらしてて、絹の糸みたい。ちょっと外ハネしてるし」
「そうですか?」
「でも、セラーネ様の髪色は、ネヒアに比べて少し落ち着いてて、さらさらで、布地って感じ。それもめっちゃ綺麗な反物。青のインナーカラー入ってるから、私は余計にそう感じる」
「あー、それはなんか分かります」
ネヒアの同意に、小さく笑って「でしょ?」と返す。そして、一番大好きな人の髪を思い出す。
「……そして、ネヒアちゃんの髪はふわふわで、真っ白で可愛くて、雪みたいな色!三人とも、私の大好きな白色だよ」
その中での一番は決まっている、とは口にはしなかった。だって、三人の白色が好きというのは本当だったから。
「雑談は構わないが、目的の進捗はどうだ?何か感じるか?」
「え?うーん……。全然!」
少し立ち止まって目を閉じてみたが、それらしいものは何も感じなかった。感じるのは、普段体感することの無い異様な寒さだけだ。
「まぁ、まだ登り始めたばかりですからね〜……。まだまだこれから、というわけですかね」
「頂上に登るまでには、吸収出来るといいんだがな」
「そういえば、すごい今更ですけど、この山ってどんだけ危ない山なんですか?」
準備やスケジュールの確認で忙しくしてしまっていたため、聞けていなかった肝心のことを問いかける。フィナ姉様は、私の疑問を解消してくれた。
「エッケンブルク山は、標高2700メートル。年中雪が降り積もってる雪山だ。この辺りはまだ整備されてるから余裕を持って歩けるが、1100メートルを超えた辺りから、道が急に険しくなる。常に雪が降ってて視界が悪いせいで、方向感覚を失いやすい。だから絶対に一人にならないでくれ。あと、雪崩も起きるらしいから気を付けてくれ」
「わ、分かりました……。早く吸収出来るように頑張ります。それにしても、なんでランカ兄様は、エッケンブルクを修行場所に選んだのでしょうか」
「あぁ、それは多分、エッケンブルクに精霊が沢山いるのを知っているからじゃないでしょうか。それに、エッケンブルクって、色々と怪談じみた伝承とか言い伝えが多いんですよ。特に女の話」
ネヒアは私を怖がらせようと、手を顔の横に持ってきて、よくあるうらめしや、のポーズをしてくる。色々と悪い考えが頭を過ぎったせいで、大したこともないのにぶるりと体を震わせてしまう。そんなやり取りを見てか、フィナ姉さまが一つ咳払いをした。
「怪談はともかく、エッケンブルクがこの標高にも関わらず、雪が降り続けている原因は分かっていないんだ。ベラリヤやガナミが雪国というわけでもないしな」
「へぇ……。確かに不思議ですね。なんでなんだろう」
「案外、本当にお化けの仕業だったりして〜」
「まさか〜」
怖いのを誤魔化す為に笑った瞬間、一際強い風が急に吹き荒れた。ゴーグルを装着して、吹き飛ばされないように姿勢を低くして、トレッキングポールにしがみつく。
「……ィ、ラデ……!!」
「ラ、ィ……ょう!!ラデ……じ……!!!」
遠くから、二人の声が聞こえる。吹雪の轟音が凄くて、何言ってるか聞き取れないけど、きっと私のことを呼んでいる。私のことを探してくれている。
「行かなく、ちゃ……!」
なんとか立ち上がり、二人の元へ行こうと足を踏み出した瞬間、足元で、何かが、パキ……と砕けるような音がした。嫌な予感に悪寒を覚えながらも、恐る恐る自分の足元へと目を向ける。そこは、一面凍りついていた。先程までは、確かに、整備されていた雪山の道を歩いていたというのに。
「なん、で……」
恐怖によろめけば、足元はまた、パキ、と嫌な音を立てた。そして、それは連鎖するように重なっていく。──パキ、パキ、パキパキパキ
そこまで聞こえた時には、既に手遅れだった。私の足元は崩れ落ち、そこに立っていた私は、人生初の浮遊感を覚えながら、奈落へと落とされていってしまった。
「きゃああああ!!!!」