いい加減に
「え?雪山?」
「そう。雪山」
その日の晩食の際、ランカ兄様から言われた言葉だった。明日は雪山に行く、と。
「な、何故……?」
「魔力鑑定の結果、ラディは氷属性の持ち主だったでしょ?だから、一般精霊を使わせた時も、氷の力を持つ精霊を使わせたわけなんだし」
「まぁ、そうですが……。だから、雪山?」
「うん。だから、雪山。本当は湖に連れてって、湖丸々凍らせて貰おうかと思ってたんだけど、流石に難しいかなぁ、と思ってさ。だから一先ず、氷と近い雪のエネルギーを感じてもらおうかと」
「な、なるほど……?」
言っている意味は理解できたが、行きたいかどうかは別だ。こんな幼い体で雪山だなんて、生き残れる気がしない。
「あ、ちなみに俺は忙しくて行けないから、ネヒアに同行頼んでね」
「え!?わ、私、ですか……?」
隣に立っていたネヒアは、恨めしそうに私のことを見つめてきた。視線から気を逸らす為になんとか食事を口に運んだが、全く喉を通っている気がしない。
「ちょっと待てランカ!ラディはまだ十にもなってない幼子なんだぞ!それなのに、雪山に向かわせるだなんて……。幾ら自然エネルギーを吸収する為とはいえ早すぎる。それにお前!ラディをエッケンブルク山に連れていく気だろう!殺す気か!?」
そう声を荒らげてくれたのは、フィナ姉様だった。しかし、ランカ兄様は我関せずな態度を貫いた。
「そんなわけないじゃん!エッケンブルクには連れていく気だけど、こっそり見張りの精霊も付けるし大丈夫だって。なんなら、姉さんも同行してくれて良いんだよ?ま、副団長サマがそんなお暇だとは思えないけどね」
「貴様……!」
殴り合いに発展しそうな二人を見ることしか出来なかった時、場を制す一人の声が響き渡った。
「二人ともいい加減になさい。ランカ、姉を煽るのも大概になさってください。それでも次期国王ですか。フィナも、毎回ランカに振り回されるのではありませんよ。貴女は何れ、騎士団長になる者であり、ランカの姉なのですから」
お母様が、そう言って二人を窘めた。彼女がこうやって声を上げることは珍しく、私もつい聞き入ってしまった。当の本人達も、目を丸くして、喧嘩どころでは無くなってしまったようだった。
「そ、そうですね。……ごめん、姉さん」
「……いや、私こそ悪かった。ランカはランカなりに、ラディの為に出来ることをやろうとしたのだな。そうだ、ラディ」
「はい!なんでしょうか」
「明日の雪山、私も共に行ってもいいだろうか」
「え!?」
一瞬耳を疑う発言に、手に持っていたフォークを落としそうになる。
「駄目だろうか。君の邪魔はしない」
「い、いえ!そんなことありません!姉様が付いてきてくださるなら、心強いです。ネヒアも、大丈夫だよね?」
「え!?え、えぇ……。フィナ様が、そう仰るなら、私は何も言いません……」
ネヒアは余程行きたくないのか、声も縮こまり、顔も伏せてしまっていた。明日がどれだけ絶望的なのか、ネヒアの瞳には光が宿っていなかった。
「それでは決まりだな。部屋に戻ったら、明日の準備をメイドにも確認してもらいながらしろよ。登山の準備なんて、した事ないだろう」
「はい、分かりました。ネヒアも手伝ってちょうだいね。あ、でもその前に、貴方もちゃんと準備しなさいよ?ネヒアも一緒に行くんだから」
「はい……。仰せのままに……」
「やーだー!!!雪山なんて行きたくないよー!!!」
食事が終わった後、私達は誰も訪ねて来ない王族魔導師の部屋へとやって来ていた。当然、部屋の主は現在も不在だ。現在はネヒアが私室として勝手に使用しており、セラーネ様が住んでいた頃より、何倍も綺麗に整頓されている。そして、そんな片付いたテーブルに突っ伏し、ネヒアはずっと泣き喚いている。雪山にどうしても行きたくないらしい。
「……なんでそんなに行きたくないの。エルフって、寿命も長いし体も頑丈なんじゃないの?」
「何その偏見!確かに、病気にもならないし体は頑丈だけどさぁ、それとこれとは別じゃん!行きたくないものは行きたくないの!寒いの無理なんだってばぁ……」
「そんなに無理なら、断われば良かったのに。護衛なら、衛兵か傭兵にでも付いてきてもらえばいいし」
「ランカ様のご指名を断れるわけないじゃないですか〜……。あの人、王族図書館司書としての肩書きで有名ですけど、一応この国の第一王子ですからね……。あぁ見えて、凄まじい権力の持ち主なんですよ。ランカ様って」
「ふーん」
確かに、ランカ兄様は図書館司書に就かなくたって、十分偉い立場につけているはずだ。フィナ姉様も同様、働かなくたって、裕福な暮らしを送れるはずだ。
「王子なのに、司書やってるんだよね。ランカ兄様って。それって、兄様が自ら言い出した事なの?」
「いや、元は確か、前の司書の推薦だったんじゃなかったかな。ランカ様の実力が買われて、特別に採用試験を受けられることになったんです。本当は学院を卒業しないと受ける資格すら無いんですけどね」
「学院?」
「そ。兄さんから聞いてないですか?」
「特には」
兄様や姉様と一緒に、家族やこの国については大体教えてはくれたが、学院なんて言葉を彼から聞いたことが無い。
「んじゃ、せっかくだし教えますよ。学院ってのは、サピエント学院っていって、頭が良くて魔力も優れている、選ばれた人のみが通える敷居の高い学院です。学費もとんでもなく高いので、一般庶民はまず入学は無理でしょうね。ま、莫大な金を借金すれば通えないことは無いですけど、そこまでして通いたいなんて言う人は、俺は見た事ありませんね」
「へぇ……。学院では、どんなことを学ぶの?」
「主に、魔法のことですかね。座学や実践で、知見を深めていくそうですよ。気になるなら、授業見学とか行ってみたらどうですか?ラディ嬢にとっても、良い刺激になると思いますよ」
「え?うーん。そこまでは……。興味はあるけど、通いたいわけじゃないし、そもそも、通えなさそうだし……」
私の今の実力では、そんな学校には通えないだろう。前世だって、勉強をサボりまくって成績を落としまくったせいで留年になったから、高校を退学してしまったくらいだ。今は、魔法なんて非科学的、非日常的な楽しいことだから続いているだけだ。飽きたらきっと放りだしてしまう。
「頑張って通えるレベルになればいいじゃないですか。今はランカ様が講師なんでしょ?きっとすぐに試験も合格出来ますよ」
「そうかな……」
「そうですよ!だから、そうネガティブにならないでください」
「……うん。入学は一先ず置いとくけど、見学は近いうちに行ってみようかな。でも、その前に明日の雪山の準備ね」
「うっ……。折角忘れてたのにぃ……」
と言って、再び突っ伏してしまうネヒア。どれだけ行きたくないのだ、このエルフは。
「いいから、さっさと部屋に戻って準備してきなよ。私も今から部屋に戻って準備するから」
「はーい……」
先程の明るいポジティブなトーンはどこに行ったのか。一気に声が沈んでしまった。
その後、お互い自室へと戻り、明日の雪山の準備を進めることとなった。
そういえば、登山というからには、何日も雪山に留まることとなるのだろうか。ネヒアと幼い体の私は、生きて帰れるのだろうか。