エルフの王族魔道士様
翌日、私は、城内のある部屋に向かっている。今日の朝食の後に、ランカ兄様から教えてもらった場所だ。
「え?博識な人?」
「そうです!長生きしていて、色んなことを知っていそうな方をご存知ありませんか?」
「うーん。それは俺じゃダメ?って言いたくなるけど...…そうだなぁ」
ランカ兄様は顎に手を当て、悩んでいるような仕草を見せる。
「それなら、王族魔導士の部屋に行ってみたらどうかな?」
「王族魔導士?」
私が首を傾げ復唱すれば、ランカ兄様は仕方ないな、とでも言いながら教えてくれる。
「王族魔導士っていうのは、この国で一番の魔導士だよ。しかも、今の王族魔導士はエルフで長い年月生きてるから、きっと色んなことも知っているはずだよ。...…ただ、ちょっと難しい人だから、会いに行くなら気を付けてね」
と言って、私に王族魔導士の部屋を教えてくれた。王族魔導士の名前はセラーネといって、しゃがれた老人男性らしい。エルフといえば美しい姿を想像するが、私の価値観が違うのか、そのエルフが余程長生きなのかは分からない。どうせエルフ、しかも男に会うのなら美男子に会いたかったが、仕方がない。どんな人だろうと、手掛かりは一つでも多く欲しい。それに何より、私の事情を信じて同情してくれる人が欲しい。
そう思い、伝えられた辺りをずっとぐるぐると歩き回るが、一向にそれらしき部屋の扉が見当たらない。
「あれ〜?あの人、場所間違えたかぁ?」
尚もぐるぐると歩き回るが、部屋が見当たることはない。それどころか、先程から同じような場所しか来てない気がする。
「あれ?」
何かおかしい。そんな考えが過り、違う道をわざと進んでいくが、それでも似たような壁が続いていくばかりだ。私の部屋に向かって進んでみても、いつまで経っても自分の部屋に辿り着けない。扉だけではない。階段一つも見つけられない。ただ同じ廊下が続くばかりだ。
「え...?なんで...?」
戸惑い、途方に暮れてその場にへたり込む。そんな私を嘲笑うかのような声が、頭に響いてくる。その声は、音声加工でもしたかのような甲高い声だ。
「哀れなお嬢様、可哀想なお嬢様。わたくしの罠にかかってしまうとは」
「だ、誰!?」
「誰、か。ふむ、いいでしょう。特別に教えて差し上げます」
脳内に響いてくるその言葉を聞いた途端、視界が真っ暗になる。まるで、眼球の電源がシャットダウンされてしまったようだ。けれど、すぐに視界は回復していく。恐る恐る目を開ければ、そこは見知らぬ部屋だった。室内は暗く、床には本が散らかってる。大きな鍋のようなものや、その隣の棚には、見慣れぬ物が並んでいる。棚には杖らしき物も飾っており、なんだか物語に出てくる魔女の住む部屋という感じだ。そこまでぐるりと見て周り、探索しようと歩き出そうとしたが、足は動かない。というか、宙にぷらんと浮いている。一瞬恐怖を感じてしまうが、その恐怖は理由は分かって少しだけ和らいでくる。背後には人の温もりを感じ、誰かに拘束をされているのだ。意味もなく足が地についてないと知り安心するが、それでも不安は拭えない。ふと、自分のお腹の方を見てみれば、誰かに後ろから抱き抱えられているような構図になっていることが分かった。困惑が増すばかりの私を他所に、頭上からは静かな、且つ圧を感じる声が聞こえてきた。
「ご機嫌はいかがです?ラディ姫」
首をなんとか上にあげ、声の発信源に目を向ける。少し高くも、男性と分かるその声を鳴らした口を見れば、男性にしては珍しい、艶やな赤色の紅が引かれていた。その紅がかけられた顔は、少しの生気を宿した真っ白の肌に水色の瞳。その瞳を覆う輪郭には綺麗に長いまつ毛が生えており、目に少しかかるほどの前髪は、白色の髪色の間に少し、落ち着いた青色のメッシュが入っていた。その姿はとても美しく、声を聞かなければ、男か女か分からないほどだ。あまりの美貌に私が見惚れていると、彼は私を下ろすことなく、片手で私の両目を優しく覆った。
「そんなに見つめないでください」
少し照れたかのような、少し困ったかのような声が聞こえてくる。彼はそれだけ言うと、手を退かし、地面にも下ろしてくれた。改めて彼の全身を見る。白髪の前髪に少しだけ青色が混ざっている。更に、その青色はインナーカラーにも入れらているようだった。髪は膝まで伸びており、羨ましいほどにサラサラのストレートだった。体つきは細く華奢。服装は、控えめなフリルと刺繍が施されたブラウスに、細身の黒のパンツ、足にはくるぶしほどまでのブーツを履いおり、高価ながらも、ラフな印象を受ける。そして何より、先程は彼の美貌で見逃してしまっていたが、耳は尖っており、何センチかある程の長さだった。その耳には、いくつか長めのピアスがつけられていた。どれも宝石があしらわれおり、値が張っていそうだ。私は彼の姿と、この部屋に来るまでに起こったことを思い出し、一つの考えが仮定になる。
「あの、もしかしてここに来る前に聞こえたあの声って、貴方のものですか?」
「えぇ、左様で御座います。困っていそうでしたので、助けて差し上げました。感謝してください」
随分上からの態度だ。一応、私はこの国の姫なんだぞ、多分。
「...…ありがとうございます。お陰であの訳わけわかんない迷路を抜けられました。それより、貴方は誰ですか?」
「あぁ、そういえばさっきもそんなことおっしゃっていましたね。それじゃ、自己紹介と参りましょう。わたくしの名前はセラーネ。王族魔導士です。一応」
王族魔導士のセラーネ。それはランカ兄様が言うには確か、今にもぽっきり逝きそうな老人男性のエルフだったはず。目の前のセラーネと名乗る男の顔を見てみる。確かに、心配になりそうな程の肌の白さを見れば、ぽっきり逝きそうと言うのも一割ほどなら納得する自分もいるが、老人というには、彼は若すぎるのではないだろうか。エルフの男という点しか類似点がないように見える。
「あ、あの、ですが、ランカ兄様から聞いたお話では、セラーネ様はおじいちゃんと聞いておりますが...」
「おじいちゃん...?」
私の言葉に首を傾げた彼だったが、納得したようにぽん、と両手を合わせて叩き、あぁ、と納得したかのような声を上げた。そして、指をしゅっと横に素早く動かせば、近くに置かれていた杖のうちの一本が操られたかのように素早く移動し、彼の手の中に収まる。その杖を軽く握り、上に軽く振れば、彼の外見年齢がみるみるうちに増していった。彼がまた杖を下に軽く振る頃には、今にもぽっきり逝きそうな程の老人の姿となっていた。
「普段はこの姿で人前に出てるんじゃったな。ランカ坊ちゃまの前ではこの姿しか見せていなかったですから、彼の言ったことは本当でございますよ」
「はぁ、なるほど」
私が納得したのを確認した彼は、同じように杖を振り、元の美しい姿へと戻っていく。
「これで、わたくしがセラーネだと信じていただけましたか?」
「...はい。疑うような真似をしてしまって、申し訳ありません」
頭を下げれば、頭上からはぁ、とため息が聞こえてくる。
「頭を下げないでください。わたくしが王に怒られてしまいます」
彼の言葉に顔をあげる。目の前の美貌にはまだ慣れない。だが、いつまでも彼の顔をまじまじと見るわけにもいかない。私はごくりと唾を飲み込み、本題へと入る。しかし、あの、と声を上げた私の口を彼は人差し指で無理矢理塞いできた。軽く押されただけなのに、彼の細くもしっかりと骨の通った指に、思わず心臓がざわめいてくる。
「長くなりそうですから、何か淹れて参ります。あちらの方に座って、少々お待ちください」
そう言って彼が目線を向けた先には、2人用の足が細い丸テーブルと、2人分のおしゃれな椅子が置かれていた。彼はとっくにキッチンらしき場所に移動し、何かを作っていた。仕方なく、私は彼の指示通り、椅子へと座った。すると、薄暗かった室内が、微かながらに明るくなる。
「なんで...。特に何もしてないのに」
「暗くては、貴女が困るかと思いましたので」
後ろから声が聞こえてくる。そこには、セラーネ様の姿と、浮いたティーカップが二つあった。
「えぇ!?」
驚きのあまり、椅子から立ち上がり、そう声にあげて驚いてしまう。セラーネ様はそんな私に嫌そうな顔を見せながらも、ティーカップのうちの一つを、私の前に置いてくれる。もう一つを私の正面に置き、自分もそちらの方へと腰を下ろした。
「紅茶はお嫌いでしたでしょうか?」
なぜそんな風にそれだけ聞くのか分からなかったが、カップの中身がその疑問を解決してくれた。紅茶を淹れてくれたようだ。
「いえ、好きですよ。わざわざありがとうございます」
座り直した私がそう礼を言えば、彼は居心地が悪そうに、目をきょろきょろとゆっくり泳がせた。もしかして照れているのだろうか。そう思った矢先、彼に思い切り睨まれた。怯んだ私を放っておいて、彼は口を開いた。
「それで、話とはなんでしょうか?」
「あぁ、そうでした。...…といっても、話しても信じてもらえるかわかりませんが」
「内容にもよりますが、ある程度のことは信じましょう。...だって、貴女は既にラディではないのですから。それ以上のことが起こるのなら、見てみたいものです」
彼の言葉に、カップを落としそうになる。どうしよう、バレたと頭が真っ白になるが、冷静になれば、これは寧ろ運がいいと思える。だって、転生のことを話しても、あっさりと信じてくれるかもしれない。そう思った時には、真実を全て話していた。昨日、朝起きたらこの女の子の姿となっていたことも。その前は、現代で碌でもない人間だったことも。そして、自害を、してしまって、そのせいで転生したことも。上手く話せていたかは分からない。途中、泣いてしまった気もする。いや、確実に泣いた。私の目は、ガス漏れを起こしているから。私を見て、私の話を聞いて、彼は私をどう思うだろう。めんどくさがるだろうか。嫌いになるだろうか。怖い。誰かに嫌われるのも、見放されるのも。そう思うと、止めなくちゃいけないのに、止まる事なく水が流れ続けている。ただ俯き、嗚咽をこぼすばかりの私の頭に、手が乗せられた。その手はゆっくりと、私の頭を撫でた。
「..….今まで、よく頑張りましたね。これからは、わたくしが貴女がこの世界で生きていく為の手伝いを致します。だから、もう、泣かないで」
セラーネ様の優しい声が、鼓膜に響いてくる。気づけば、私は人の温もりを求め、彼に抱きついていた。彼は泣き続ける私に、声をかける事なく胸を貸してくれた。
そうして泣き続けること数十分。ようやく落ち着いてきた。そんな私を見て、セラーネ様は離れて自分の席へと座る。目頭をぐしぐしと拭い、 正面の彼と向き合う。
「とにかく、事情は把握致しました。しかしそれなら、貴女はこの世界について何も知らないのでは?」
「そう!そうなんですよ!このラディという子も、家族についても。精霊とか、騎士とかも、よく分かんないし…」
「ふむ。ではまず、この世界についてお教えしましょう」
パチンと指を鳴らすとどこからか、大きな紙が1枚、テーブルの上にやってきた。先程も思ったが、凄いマジック、いや魔法?だ。紙を見てみれば、それは世界地図のようなものだった。地球とは違い、海より陸の方が多い印象だ。大体、海が4、陸が6といったところだろうか。セラーネ様は、地図の真ん中辺りに可愛らしい猫の駒を置いた。
「貴女の世界ではどうか分かりませんが、この世界には魔法が存在します。これは、自然から力を借り、我々はその力を体内の魔力で魔法として形成し、放出しております。ですが、その考え方は古典的だ、と最近は言われております。自然の力を貰うには、実際に自然に触れに行かなければなりません。その行動が非効率的というのが、今の世間の考え方です。ですので、最近は人工的な自然エネルギーの生成をし、その自然エネルギーを使用して魔法を放出しています。そのやり方を新型魔法、そして私のやり方を旧型魔法と言います。それから、自然には属性があります。炎、水、氷、風、大地、大樹です。基本的に、それらのうち自分の体と適合する属性を使用します。ここまでで何か不明点は?」
紅茶を優雅に啜る彼にそう言われ、ハッとする。正直半分くらい聞き流していた。だが、言いたいことはなんとなく理解出来た。
「はい。大丈夫です」
「そうですか。では次は、国について説明して参りましょう。先程置いた駒を見てください」
そう言われ、地図の方に視線を落とす。
「そこはベラリヤ。わたくし達の国です。主に農業が盛んでしょうか。そして、隣国のガナミ。友好国で、工業が盛んです。…国についてはわたくしもそこまで詳しくありませんので、姉上のフィナ様にでも聞いてください。彼女の方が地形は詳しいと思いますから」
先程に比べて、出てくる情報が極端に減った。本当に詳しくないのだろう。
「あの、朝の報告で、兄様や姉様が、精霊や騎士団など口にしておられましたが、あれはなんなのでしょうか?」
「あぁ、それについては、ランカ坊っちゃまとフィナ様と共に説明した方が理解しやすいでしょう」
空中で何か、指で図形を描くようなことをする。すぐに完成したのか、彼が手を下ろすと、地図はまたたく間に変化し、兄様と姉様、2人の写真になっていた。
「まずは精霊と、図書館についてです」
彼がそういうと、また紙が変化し、ランカ兄様の顔と、よく分からない文字がずらずらと並んでいく。
「まず、ランカ・ピアグレータ。彼は図書館長司書といって、平たく言ってしまえば、図書館で1番偉い人です」
そう言われても、あまりすごーいとは賞賛できない。だが、私の世界の図書館とは規模が違うのだろう。
「そう言われても、どれくらいすごいかいまいち分からないんですけど...」
「そうですね...。城内の図書館で働く為には倍率何千とある試験と、それ相応の資格が必要なのですが、ランカ坊っちゃまは、その試験に10歳で一発合格し、15歳で最高責任者の図書館司書まで登り詰めました。史上最年少です。大人ですら難しいものを、あの方は軽々とやってのけたのです」
その話を聞いて、ただ愕然とすることしかできない。あの人ってそんな凄い人だったんだ。
「そして、精霊についてです。精霊とは、自然に宿る魂と主に言われています。要するに、新型魔法に必要不可欠のものです。精霊の力を借りるには、通常では契約を結ばなくてはいけないのですが、精霊は臆病な性格の者が多く、簡単に契約を結ぶことができません。それに、野生の精霊と契約をしては、自分の身が持ちません」
「野生の精霊?どういうことですか?」
「そのままの意味です。野生の精霊は、自然が深いところにしかいません。自然の力をいっぱいに受けてるものですから、あまりにも強い力に、常人ではその力を受け止められず、飲み込まれてしまうのです。ですから、そういった被害者を減らすために、図書館側は、一般精霊という、誰にでも使える精霊の貸し出しを始めました。それから、新型魔法は更に発展を遂げています。どれも、これも、ランカ坊っちゃまの賜物ですね。...…図書館と精霊についてはこのくらいでしょうか。他に聞きたいことは?」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか。では、騎士団の説明に参りましょう」
彼が再び、空中で何か図形を描けば、今度はフィナ姉様の顔と、これまたよく分からない文字がずらずらと並んでいく。
「騎士団。それは、この国の守りの要であり、英雄です。騎士団長はミラータ・ダーシルテルタ。元は庶民です。ですが、彼の今までの努力により、騎士団長の地位にまで上り詰めました。フィナ様は副団長です。ですが、騎士団の中には、彼女こそ団長に相応しいと考えてる派閥もあるだとかいう噂を聞いたことがあります。まぁ、わたくしは騎士団と関わりはございませんし、あくまで噂ですがね。騎士団に入るには、半年に一回開催されている、過酷な試験を受けなければいけません。その試験で命を落とす者も毎年います」
命を落とす者もいる。なんて恐ろしい言葉だろう。けれど、彼は平気な顔をして、淡々と語ってしまった。
「...…わたくしの口からは以上となります。他に何か聞きたいことは?」
「あ、一つ質問。前のラディちゃんって、どんな感じだったんですか?メイドさんが怯えてたりしてて、なんか変なんですけど、私の対応って間違ってるんでしょうか?」
私がそう聞けば、セラーネ様は少し悩んだ様子を見せ、口を開いた。
「悪い話しか入ってこない傲慢な我儘娘。メイドには無理難題を強い、家族の前では利口にして過ごす。彼女のせいでこの城の使用人を辞めさせられた者が何人もおります。貴女のメイドが怯えたのは、いつ自分もやめされるかと不安に思ったからでしょう」
え?そんなヤバい子だったの?こんな可愛い顔してるのに?
「とんでもない娘ですよ、ラディという少女は。ですから、貴女が転生してきて良かったとさえ言えます。あの少女のように振る舞う必要はありません。貴女は、貴女のまま、ラディとして過ごせばいいのです。彼女に対して謝罪の念を抱く必要もございません。罰が当たったのです」
彼の表情は相変わらず動くことはないが、発せられる声色は、どこか嬉しそうに聞こえた。彼は途端、あぁ、と声をあげ、何かを思い出したかのように話し始めた。
「そういえば、髪色と血縁について話していませんでしたね。髪色は、その者がどんな者で、身分であるかを知る一つの手掛かりです。赤やオレンジは、かつての情熱的な戦士の者の血が流れています。そして青や水色は、聡明な賢者。緑は自然を愛した聖女。エルフや、ドワーフに多いです。紫は不明ですが、占い師に多く、未来や心を見通せる者が多いです。黄色、金髪は高貴な身分である者の証拠です。貴女の髪色が綺麗なブロンドのように」
そこまで話すと、セラーネ様は一つ深呼吸をして再び話し始めた。
「...…そして白は、大罪人の末裔です。だから、白髪の方には近付いてはいけません。わたくしが言っても、説得力はありませんが。そして黒は、黒龍の血が流れた者たちです。黒龍とは、かつて古に封じられた恐ろしい竜です。ですが、黒は白と違って忌み嫌われてはいません。有名なリガルーファル家が代々黒髪ですからね」
そこまで言われて、あることを思い出す。そういえば、母様も黒髪だったはずだ、私含めた皆は綺麗な金髪だというのに。だが、母上というのなら嫁いできたのだろう。そう考えるなら、自然なことかもしれない。
「これで本当にこの世界についての基本的な話は終わりです。他に何か聞きたいことは?」
「大丈夫です。お時間いただき、ありがとうございました」
「そうですか、では...」
彼が手を出せば、その手には縄が握られていた。
ん?縄?
「ここまでのことを話したのです。対価を頂きましょうか」
え?もしかしてこの人
「遠慮する必要はありません。さぁ、縛ってください」
ヤバい人だー!!
「え?無理無理無理、無理です!なんでそんなことしなくちゃいけないんですか!!」
「いいから。貴女のことは誰にも話しません。約束します。だから、お願い..….」
無理!そんな熱っぽい目で見られても無理!てか今の私6歳なんでしょ!?そんなロリにこんなお願いするの頭おかしいでしょ!!てかこんな美貌を傷つけるなんて無理!
「縄で縛れる自信がありませんか?なら、鞭打ちでも...…」
「だー!そういう問題じゃありませんってば!そもそも、こんなちっちゃい女の子が、大人の男の人に鞭打つって、絵面的にアウトでしょ!?」
私がそう声を荒らげると、彼は納得したのか、不服そうに鞭はしまってくれた。
「では、代わりのお願いごとを致します。着いてきてください」
少し不安ではあったが、彼に着いていく。部屋の奥にある扉に彼が手をかざせば、ガタガタと音を立て扉が開いていった。
「さぁ、行きますよ」
後ろの私にそう声をかけ、すたすたと行ってしまう。慌てて、彼の背中を追っていき、私も中へと入っていく。暫く歩くと、禍々しい紫色の明かりが見えてくる。そこには、磔にされた1人の男性が眠っていた。下を向いていて、顔はよく分からないが髪色は白で、肩まで綺麗に切り揃えられている。
「こ、この人は……」
「わたくしの双子の弟であり、貴女の奴隷です」
「は!?」
奴隷とはどういうことなのだろうか。ラディは、そんな恐ろしいことまでしてたのか。
「貴女にそこで驚く精神があって良かった。……色々あって、弟のネヒアは昏睡状態です。なので、主である貴女が起こしてください」
「え?でも、私は魔法なんて使えないですし……」
「大丈夫。魔力はわたくしが貸して差し上げます。貴女は、彼を解放したいと、そう願ってくださるだけで良いのです」
セラーネ様が私の肩に優しく手を置いてくる。体に流れてくる何かを感じながら、彼を解放したいと、強く願う。ごめんなさい、過去の私のせいでこんな目に遭わせてしまって。もう大丈夫、だから、安心して。もう、貴方を縛るものは、何も無い。ひたすら、彼を解放したいという思いを念じる。すると、みるみるうちに、彼を縛る鎖は無くなっていき、やがて完全に、彼を縛っていたものは全て消えていた。それを見た私は、安心からなのか、力を使ったからなのか、その場にへたり混んでしまう。
「大丈夫ですか?」
頭上からセラーネ様の声が聞こえてくる。
「えぇ、一応は」
そう言ってふらつきながらも、なんとか立ち上がる。私が立ち上がったのとほぼ同時に、呻き声が聞こえてくる。それは、地面に横になっていた彼、ネヒアのものだった。
「う、うぅ……あれ、俺、ってうわぁ!?」
起き上がったネヒアは私の顔をみるやいなや、そんな大声を上げた。無理もない。彼にとっての私は、彼を縛っていた鎖そのものなのだから。
「驚かせてごめんなさい、ネヒアさん。私はもう、貴方の知るラディではありません。もう、貴方を傷つけるようなことは一切しないと誓います。ですから、どうか怯えないで」
といっても、無理な話だろう。そう思っていたが、彼はすんなりと話を受け入れる姿勢を見せてくれた。その様子に、私は首を傾げてしまうが、ネヒアが言うには、セラーネが黙って隣にいるから信じる、ということらしい。
テーブルの方に戻ってきた私たちは、ネヒアにも事情を話すこととした。
「えぇ!?それは大変だろうね……」
「そうなの。何も分からないし、戸惑いの連続よ」
「大変なのはこれまでの話じゃなくて、これからですよ」
これから?どういうことだろうか。明らかに分かっていない私を見たネヒアは、説明をしてくれる。
「ラディ様、君が元は傲慢な人間だったっていうのは、知ってます?」
「えぇ、さっき、セラーネ様から聞いた」
「それじゃ話は早い。単刀直入言いましようか。……ラディ様、あなたはあるゆるところから命を狙われている」
その言葉に、息が詰まりそうになる。恐らく、色々な所に喧嘩を売ってきたのだろう。それは正に自業自得だ。だが、何故その業を私が背負わなければいけないのだろうか。自分の報いは自分で受けて欲しい。だが、いくらそう願っても、起きてしまったことは仕方がない。だから。
「……それじゃ、私に魔法を教えてください」
「魔法?」
ネヒアの隣に立っていたセラーネ様がそう呟いた。
「そうです。魔法が使えれば、ある程度の護身術にもなりますよね?その命を狙ってくる人達を返り討ちに出来るくらいの力が欲しいです!」
私がそういうと、セラーネ様は不思議そうな顔をした。私を疑うというより、単純に分からない、とでも言いたげだ。
「何故、貴女がそこまでするのですか?貴女は巻き込まれた側で被害者です。単純に返り討ちにするなら、専門の護衛でも雇えばいい。そこまでする義務は無いはずでは?」
「そうですけど、なんか、このままっていうのも、癪だから」
「癪、ですか。まぁいいでしょう」
「いいの!?」
驚きの声を上げたのは私ではない。ネヒアだ。
「えぇ、彼女がそう望むなら」
「ありがとうございます!セラーネ様!」
「いえ。ただ、わたくしから貴女に会いにいくことは御座いませんので、次からは自力でトラップを脱出してくださいね」
その言葉に、一瞬脳がフリーズする。だが、す動き出せばすぐに理解した。私はここに来る前、あの変な迷路に迷い込んだのだった。
「え?でも、あれ、脱出できるんですか?」
「やろうと思えば誰だって抜け出せますよ。あのトラップは法則性がありますから」
私を嘲笑うかのようにそう言った。なんだ、その顔は。私が出来ないとでも言いたいのか。
「いいですよ。まずはそのトラップを脱出して、自力でここに来てみせますから!」
とは、言ったものの、正直自信は無い。だが、そんなの未来の私がどうにかしてくれる。それよりもいい考えを思いついた私は、ネヒアに向き直り、彼にお願いがある、と言って話を切り出した。
「ねぇ、ネヒア。私の、執事になってくれませんか」
「執事?なんでまた」
ネヒアはきょとんと首を傾げた。
「使用人たちの信頼が欲しいんです。でも、馬鹿正直に話すわけにはいかないから、私の事情を知ってる人に傍に居てもらいたいんです」
「ん?傍にいるだけで良いんですか?」
「うん。使用人たちに、私達が話してるのを見せて、もう横暴な態度は取らないって分かってもらいたいだけだから」
「ふーん。そんくらいなら喜んで。それに元々、俺はあなたの教育係でしたからね。断る義理はありません」
その発言に、え、と驚きの声を漏らす。彼が教育係?なら何故奴隷なんかになってしまったのだろうか。
「執事の件に関しては、俺がなんとかします。奴隷契約解約のことも、王に話を通しておくので、ラディ様は気長に待っていてください」
「う、うん。ありがとう」
そこまで話して、私は2人の顔を見ながらあることを思う。双子だからなのだろうが、やはりよく似ている。髪の長さと紅だけが、2人を見分ける手段だった。
「…にしても、2人はよく似てるね」
「似てるって、顔が?」
「そう。髪の長さと口紅を入れ変えれば、誰も分かんないんじゃないかな」
疑問をぶつけてきたネヒアにそう返せば、セラーネ様が何か考えるかのように、唇を指先で軽く触る。
「ふむ。何かあったら使えるかもしれません。覚えておきましょう」
「えぇ?兄ちゃん本気?」
嫌そうな顔を見せるネヒアを分かりやすく無視すれば、セラーネ様は、1つのドアの方へと歩いていく。
「さ、もう本日の用は無いでしょう。お帰りください」
随分と冷たい物言いだと思った。だが、その言葉を補足するかのように、ネヒアが口を開いた。
「つまり、今日はもう家族が心配する頃だろうから帰りな。そして、困ったことがあったらまたおいで、って言ってるんですよ」
ネヒアの言葉を聞いて、目の前の仏頂面を貫く美形の方を見る。これが本当にそう思ってるのだろうか。だが、確かに聞きたいことはもう無いし、やるべきことも終わった。それに色々気持ちが楽になった。セラーネ様のいる玄関の方に行けば、彼はゆっくりと扉を開いてくれる。
「なにかあったらまたおいで」
後ろから聞こえた優しい声が、私の背中を押す。顔は見えなかったが、声色の通り、微笑んでいてくれただろう。いや、そうであったらいいな、という願望だが、それで十分だ。
私はその部屋を後にし、収穫に胸を踊らせ、るんるんで庭園へと向かった。