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7.海鮮丼

 「わー、いい眺め」

 全てから解放された美羽はうーんと背伸びした。海沿いのカフェのテラス席からは濃紺から薄い水色へグラデーションのように色を変える海と青空が広がっている。


 「潮の香りがするね、海って久しぶり」


 「うん。俺もあんまり旅行とかしないから、観光ぽい観光って久々かも」


 目の前には、前に勤めていた会社で同じ部署で働いていた悠真がいる。

 あの喫茶店で一緒にコーヒーを飲んで以来、会うのも話すのも初めてだ。メッセージアプリの同期のグループに美羽も悠真も入っているので、個人的にメッセージでも電話でもできるけど、美羽はあれ以来一度も連絡をとっていない。


 離婚届けが受理されたのを確認した美羽は、メッセージアプリの会社の同期のグループに離婚したことを告げるメッセージを入れて、皆の返信が入る前にグループを退会した。

 グループを退会した後も、個人のIDに離婚の理由を問うものや、会おうと下心のある誘いのメッセージが来た。それらは、全部、既読スルーした。

 同期に離婚を告げた一週間後に、悠真から電話があったのだ。一緒に飲んだコーヒーの恩があったので、美羽はその電話を迷わず取った。


 美羽を気遣いつつ、いきさつが気になってる様子の悠真と会って話すことになった。

 近場だと達也に遭遇する可能性があるという話をすると、車を持っている悠真が気分転換がてら遠出しようと提案してくれたのだ。

 ちょうど離婚した後に苗字が変わったことによる、妻側のめんどくさい処理が一通り終わったところだった美羽は二つ返事で了承した。そういった経緯で1時間ほど車を走らせた観光地に来ている。


 「本当に大丈夫そうだね」

 海の写真をスマホで撮って、はしゃぐ美羽を前に心底ほっとしたような表情で悠真が言った。


 「ふふ、心配かけてごめんね。落ち込みのピークは素敵な喫茶店に連れて行ってもらった日かも? 本当にすっきりしちゃって、籍は汚れたけど、よく眠れるしよく食べられるの」


 「よかった。電話切った後に、顔を見て話がしたいとか言って、迷惑だったかなとか考えちゃって……」


 悠真は美羽と同じで色々と相手に気を使って、ぐるぐる考えてしまうところがある。そんな気遣いがくすぐったくて、ふふふと笑いがこぼれる。

 達也に悠真の十分の一でも妻を気遣う気持ちがあれば、こんな結末を迎えていなかったかもしれない。


 「本当に未練も悲しさも寂しさもなんにもないの。申し訳ないくらい。子供も家もないから気楽なものだったわ。それに誰にも相談したり話したりしなかったから、誰かに聞いてほしい気分でもあったし。連れて来てくれて本当にありがとう!」


 今は会社勤めもしていないし、仕事のほとんどの用件はチャットやメールでやりとりが終了してしまう。なので、なるべく外出しないようにしている美羽は、本当に一人ぼっちだった。

 達也がいないことには清々していたが、さすがに誰ともしゃべらないと人恋しくなる。誰かとたわいもない会話がしたい気分だった。引きこもり生活は性に合ってるけど、寂しさがピークに達していた美羽は久々に気を許せる人と話せることが嬉しかった。


 「なら、よかった」

 ふわりと柔らかくほほ笑む悠真に癒される。


 そこへ、色とりどりの刺身や卵焼きが散りばめられた上に、こぼれそうなほどイクラが盛られた海鮮丼が運ばれてきた。


 「おいしそう!」

 「新鮮なうちに食べよう」

 外食が久々な美羽から感嘆の声が漏れる。

 しばらくは二人とも海鮮の山に夢中になった。美羽もこの豪華な丼ぶりをどう攻略しようか悩みながら、海の幸を腹におさめていく。

 丼ぶりが綺麗になると、海鮮丼と一緒に店員が持ってきてくれたポットから悠真が緑茶をついでくれた。


 「どこから話したらいいかな……。つきあってるときはまだマシだったし、グイグイひっぱっていってくれるとことか友達が多いこととか、色々なお店とか知っている所とかいいなと思ってたんだよね。お金遣いが荒くて、大雑把なところは気になってはいたんだけど。


 でも、結婚してからはいろんなことが嚙み合わなくて。私ももっとちゃんと言って、喧嘩でもなんでもすればよかったんだけど、そうするのを避けているうちに、ずれが大きくなっちゃって」


 「うん」


 「あの喫茶店に連れて行ってくれた日は、達也が指輪を外して合コンにいくところを見ただけだったんだけど、我慢するのの限界で。でも、あのコーヒーを飲んだから、自分が我慢してたことやどうしたいかに気づけたの。だから、長谷川君に感謝してる」


 「それなら、よかった」


 「結局、合コンどころか浮気しててさ。浮気相手がご丁寧に証拠を送ってくれたから、きっぱりさっぱり離婚することができたの」


 美羽と達也の離婚の真相がどこまで広がっているかわからないけど、達也も律花も同期に自分達から醜聞をさらすほど馬鹿ではないと思うのでそのあたりは濁す。


 「あの、一つ謝らないといけないことがあって……。斎藤君が浮気していることを知ってたんだ。相手は知らないけど。結婚してから、男だけの同期の飲み会で自慢げに話してて。知っていたのに、黙っていてごめんなさい」

 悠馬が美羽に向かって頭を下げていた。


 「長谷川君が謝ることじゃないよ! 悪いのは浮気した達也だし。それに、長谷川君にそれを言われたところで信じなかったかもしれないし」


 悠真は、美羽のフォローに眉尻を下げて困ったような顔をしている。謝罪をしたくて、こうして会おうと言ってくれたのかもしれない。その心遣いに、胸のあたりがあたたかくなる。


 「じゃあさ、私の奮闘記を聞いてくれる? 離婚までの」

 美羽は達也との夫婦生活に悩んでから、友達や両親に愚痴や、まして離婚しようとしていることは一言も話さなかった。だから、誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。


 悠真は頷いて、緑茶を飲みながら美羽の話を黙って聞いてくれた。


 美羽はぽつぽつとこのニヵ月の武勇伝を語った。誰にも話していない離婚までの奮闘記だ。それをおもしろおかしく語った。


 悠真が連れて行ってくれた喫茶店のコーヒーを飲んで目が覚めたこと。


 それから……

 一旦は再構築しようと勇気を出して、自分の意見を言った。それでも、ダメで事態が膠着状態になった。


 そこへ届いた浮気相手からの牽制のつもりのメール。そこからの1カ月は脇目も振らずに、離婚に向けて邁進した。


 仕事の請負先には受注している分の仕事を全て納品してから、しばらく休むことを伝えた。また、以前から納品数を増やせないか打診されていたので、復帰した時には納品数を増やすことを確約してもらえた。


 離婚や慰謝料についてネット検索して、無料の弁護士相談に行った。

 賃貸マンションの契約書を確認し、預かっている達也の通帳を確認し、現在のお金の流れについてわかりやすくパソコンで書類にまとめた。念のため、達也の通帳などのコピーは取っておいた。


 離婚届を入手して、浮気相手である同期の律花をこっそり呼び出し、保証人の欄を埋めてもらう。なぜか付いてきた友加里と共に、律花と友加里は赤裸々に自分達と達也の浮気について語った。二人の目には美羽への憐れみと優越感が浮かんでいた。その会話はもちろん全て録音した。

 二人には会社にばらされたくなかったら、達也には言うなと口止めしておいた。激高した達也に離婚届けを破られることを想定して、数枚用意した。その全てに記入してもらう。


 自分が次に暮らす街を探して、ウィークリーマンションを調べて契約した。家中の荷物を整理し、自分の荷物をウィークリーマンションに移動させた。共有部分の家電や家具は一切持ち出していない。

 タオルや調理器具などの細かい生活用品もそのまま置いてきた。美羽のコーヒーミルとハンドドリップの一式だけ持ち出したが。


 美羽の部屋のベッドと本棚と折り畳み式のテーブルは処分した。家具や家電は最低限のものはウィークリーマンションの備え付けのもので賄える。家を出る日には美羽の部屋はカーテン以外はなにもなく、ガランとしていた。ベッドを処分した後の、最後の一週間は寝袋で寝ていたが、それすら達也は気づいていないだろう。


 鮮やかにやりきった自分自身を褒めたい気分だ。


 「さすが、藤井さん。昔から段取りはピカイチだったもんね!」

 悠真は楽しそうに美羽の話を聞いて、持ち上げてくれた。


 「ありがとう! 自分でもすごいって思うの」


 「慰謝料請求とか、会社に通告するとかしなくてよかったの?」


 「うん。一番は怖かったんだよね……。達也はプライドが高いから私から離婚切り出されただけでもムカついただろうし、その上、社会的に抹殺して借金まで負わせたら、逆恨みして刺されそうじゃない? 浮気相手もそんな感じの人なんだよね。ああいう人たちに理屈って通じないから」


 「ああ……。確かに否定できない」


 「私自身の蓄えも仕事もあるから、お金と引き換えにすんなり離婚できるのを選んだかんじかな。本当なら慰謝料請求は当然の権利だろうけど……。それに、分割にしても踏み倒されていたと思うから」


 「なるほどね。ごめんね、それに関しては俺も詳しくないからアドバイスもできないけど」


 「いいのいいの。私が復讐を企まなくても、生き方を改めなかったらきっと勝手に落ちるところまで落ちていくと思う」


 「そうかな? 離婚したら浮気相手と結婚して、斎藤君の方は今までみたいに好き勝手に暮らしそうだけど」


 「そんなに上手くいかない気がするなぁ……」

 美羽は達也と律花の顔を思い出して、二人が結婚するところを思い浮かべてみる。あの二人は似た者同士だ。美羽を仮想敵とみなして背徳的な恋に盛り上がるうちはいいけど、結婚だとか日常になると喧嘩ばかりしていそうな気がする。それに達也は同期の友加里とも関係を持っていた。すんなりとは上手くいかないだろう。


 「だって、達也は離婚後は使えるお金が逆に減るし、家事は一切できないし。それに離婚の時も謝罪の言葉がなかった。自分のなにが悪いのか一つもわかってないし、浮気の反省もしていない。人と幸せな関係なんて築けないよ」


 「え? 離婚したら使えるお金は増えるんじゃないの?」


 「妻を養っている夫の場合はそうでしょうね。でも、達也は違う。本人は生活全般を自分の給料で賄ってると勘違いしてたけど、今払ってるのは家賃だけ。しかも、結婚して三年間は会社から家賃補助が出るから、数万円だけね。それ以外の光熱費とか食費とかは私が出していたの。だから、これからは自分が好きに使っていた分を光熱費や食費にまわさないといけない。貯蓄もたぶんしてないだろうし」


 「だから、結婚しても独身時代と変わらず金回りよかったんだ……。副業とか株とかで儲けてるのかと思った」


 あまり親しくない同期の悠真にまで、その不自然なお金の使い方がバレているのに、本人はなぜ疑問に思わなかったんだろう?


 「しかも、今のマンション、家賃が高くて。離婚したら、家賃補助が出なくなるから……」


 「家賃だけでも負担がだいぶ変わるね……。その上、いろいろな支払いがかぶさってくる、と」


 「あと、専業主婦だろうって家事は全部丸投げだったから、ゴミ出しすらできずに困ると思うわ。今頃、ゴミにまみれてるかも?」


 「藤井さん、働いていたよね? 会社辞めた後、在宅でプログラマーしてるんじゃなかったっけ?」


 本当になぜ同期の悠真の方が正確に美羽のことを把握しているのか不思議だ。


 「うん。何度も説明したんだけど、理解してくれなくて」


 「仕事してるのに家事協力してくれないってきついなぁ」

 当たり前のように美羽の意見に同意してくれる人がいて、うれしくなる。


 「だから、離婚もなんの予告もなくスパッとしたの。別れるのにずるずるしてたら私の経済力とか家事能力を当てにして別れないって、ごねそうだなって思って」


 無料の弁護士相談でも相手有責の証拠があっても、調停や裁判になると泥沼になるケースが多いと聞いた。別れたくないという相手と別れるのには、時間も労力もかかる。


 「本当に上手くいって、よかった」


 「本当にふっきれてるんだね」


 「うん、彼に対してじわじわと不信感が募ってたみたいで、全然気持ちが残ってないの。達也には理解してもらえなかったけど、一緒にあったかいおでんを食べて、おいしいねって言える関係性が理想なんだー。こんなどこにでもある理想なのになんで敵わなかったんだろう……」


 「おでんか……」


 どこかぼんやりした悠真に、我に返る。


 「ごめんね、自分語りを長々と」


 「大丈夫、大丈夫。気になってたから、いきさつを聞けてすっきりしたよ。話しにくいことを話してくれてありがとう」


 人と話すのが久々すぎて、ついつい語ってしまった美羽の長話を聞いてくれた上になぜかお礼を言われた。なにを言っても反論される達也との関係に慣れていた美羽には、きちんと話を聞いてくれて、共感してくれる悠真はすごく新鮮だった。

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