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5.ガトーショコラ

 テーブルにはいつの間にか、デザートのガトーショコラがサーブされていた。

 通帳とお金の流れについてまとめた書類から、反撃の糸口は見つからなかったのであろう。達也は自分の鞄に通帳と書類をしまうと、美羽に向き合った。


 次の瞬間、達也と目が合った。

 彼ときちんと顔を合わせて話すのはいつぶりだろう?

 結婚してから達也は美羽の顔すら、まともに見ていないのではないだろうか?


 そして、美羽の全身を舐めるように見られて、背筋がぞっとする。達也の目は仄暗く、その奥にギラギラと欲が渦巻いている気がした。そんな目で見られるだけで、震えてくる手を握りしめた。


 「別れない……と言ったら?」

 目の前の達也は、今度は怒りをたたえた目で睨みつけてくる。

 いつもなら食事の途中でも不機嫌になって席を立ち、店を出て行っただろう。今回は美羽の本気を感じたのか向き合ってくれるらしい。だが、あまりにも予想通りの回答にため息しか出ない。


 「なんで、離婚に同意してくれないのかわからない。私に魅力がないから合コンに行くのでしょう?」 

 美羽は苺のソースや金粉で綺麗に彩られたガトーショコラにフォークを入れた。

 達也はプライドが高い。いくら美羽が正論をぶつけても、美羽から離婚を切り出したら素直に同意してくれるとは思っていなかった。


 「そんなことはない。遊びと妻は違う。美羽は大事な奥さんだ。離婚は双方の合意がなければできないだろう?」

 瞳に怒りを宿したままで、甘い声を出しても不気味なだけだ。

 美羽は黙って自分のスマホを差し出した。自分に届いた一通のメールを画面に表示して、達也に渡す。


 美羽のスマホを持つ達也の手が細かく震えている。


 そのメールに書かれた文言は、シンプルに一文。

 『達也といつになったら離婚してくれるの?』


 差出人は、達也と美羽の同期の律花だ。そしてご丁寧に、動画が数本添付されている。

 いつも連絡に使うメッセージアプリだと、動画の内容によってはじかれてしまう可能性があったからなのか、わざわざメールで送ってきたのだろう。


 これが、なにも自覚のない時期に突然届いたら、美羽は衝撃でボロボロになっていたかもしれない。正常な判断もできずに、達也を責めてなだめられて、離婚に踏み切れなかったかもしれない。


 でも、指輪の件があって気持ちを整理して、離婚出来ないかと思い悩んでいた美羽にとって、このメールは膠着した状態を突き崩す突破口となり、離婚の切り札となった。


 「こんなメール一つで……。あいつが酔っ払って冗談で入れてきたか、宛先を間違えたんだろう?」

 達也が美羽にスマホを返しながら、弱々しくしく反論する。美羽は手元に戻ったスマホを操作して、動画アプリを開く。音をミュートにして、添付されたファイルを再生し、再びスマホを達也に渡す。


 「その動画、よく撮れていたわよ。ご丁寧に2人の顔も、見たくもないけど下半身も映ってたから。浮気していて、証拠があったら離婚できるでしょう?」

 音がなくても達也と律花が致しているところがばっちりと再生されている。美羽のスマホをテーブルにカタンと落とした達也は両手で顔を覆っている。


 「アイツ……」


 「添付の動画、1つじゃなかったけど、全部見る?」

 達也がテーブルに落とした自分のスマホを回収すると、美羽はコテンと首を傾げて尋ねる。


 「もう、いい」

 達也は絞り出すような声で言った。浮気がバレたことと、浮気相手の裏切りともいえる行為に傷ついた顔をしている。


 本当の被害者は美羽のほうだというのに。美羽の夫はどこまでも自分本位な人間だったようだ。


 結婚指輪を外して合コンに繰り出すのみならず、本当に浮気していた。しかも同期で美羽も顔を知っている律花と。


 律花も人の夫に手を出しておいて、「離婚したら」なんてよく言えたもんだ。

 ただ、動画では律花に「愛してる」だの「あいつが別れてくれない」だの達也が言っていたので、その言葉を鵜呑みにしていたのかもしれない。いつもサバサバしていて、きっぱりと物を言う律花がこんな陰湿なことをしてくるなんて意外だった。彼女も相当追い詰められているのかもしれない。


 送られてきた動画は5本で、背景が違うことから違う日に撮られたもののようだった。

 行為が必ず入っているし、その前後に二人で美羽を揶揄するような会話もあった。飲み会の時に律花は冗談めかしていたけど、「離婚一択」というのは本心なのかもしれない。


 「お前は平気なのかよ? 同期の女に自分の夫を取られて。悔しくないのかよ? それで、あっさり離婚していいのか? 後悔しないのか?」


 「……平気だと思う? 私、達也が浮気しているなんて気づかなかった。なにも知らなかった。他の動画で律花に私と別れたいとか愛してると言っている場面もあったし、二人で私の悪口を言っている場面があった。それを見てショックを受けないと思う? 傷つかないと思う?」


 「……なら」


 「でも、悔しいとは思っていない。あなたに対する気持ちなんて1ミリも残っていないのよ。浮気以前にもう、あなたにうんざりしてたの。このメールが来た時、救世主だと思った。これで離婚ができるって。別に離婚した後に、二人が結婚しても構わない。ただ、もう達也とは他人になりたい」


 「……!」

 食い気味に語る美羽の静かな決意の言葉を聞いて、ようやくどれほど美羽が本気なのか達也には伝わったようだ。


 「価値観が違いすぎると思わない? 私は寒い日におでんが食べたかっただけなの、一緒に」


 「は? なんで、おでんの話がでてくるんだよ」


 「わかんないよね。私が求めてたのは平凡であたたかい家庭だった。でも、達也は違うよね。達也の求めるものはわからない。刺激なのか楽しさなのか。達也が私のことわからないのと同じように私にもわからない」


 「……」


 「休日に行きたい場所も家具の好みも料理の好みも何もかも違う。あなたのためと思って頑張ったけど、どれも響かない。それがどのくらいむなしいことか分かる?」


 「……でも、いきなり離婚なんて。律花とは別れるから、もう一度やり直さないか?」

 達也が美羽の手を握ろうとしてきたので、テーブルに乗せていた自分の手を引く。


 「私と無理にやり直そうとしないで、どうか気の合う人とやり直してほしいの。離婚してくれるなら、浮気には目を瞑って慰謝料は請求しないわ」

 正論もだめ、証拠もだめ。圧倒的に達也が悪いのに、開き直って、離婚に同意しないのは想定内だ。美羽は最終手段として餌をぶらさげた。


 「本当だな?」

 目の前のことしか考えられない短絡的な達也の目が光る。

 達也は美羽を愛していて、美羽に執着して別れないのではない。今まで見下して、生存権を握っていた相手に反抗されて、ただで同意できないだけなのだ。だから、わかりやすく利益を与えなければいけない。


 ―――ドアインザフェイス。

 はじめに大きい要求(離婚)を出して相手に断らせた後に、小さい本命の要求(慰謝料なしでもなんでもいいから即時の離婚)をすると通りやすくなる。


 最近読んだ小説に出ていた心理学的な手法だ。営業のくせに簡単にひっかかっていいのだろうか?


 美羽の希望は一つだ。

 この不良物件と一日でも早く縁を切りたい。慰謝料や相手を社会的に抹殺することなんて二の次だ。


 「わかった。離婚に同意する」

 美羽は欲しかった言葉を受け取って、ナプキンで拭うふりをして口元を隠しながら、口角を上げた。達也の言質をとること。まずは第一段階は突破した。

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