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2.緑茶

 コーヒーを一杯だけ飲んだ後、悠真と別れまっすぐに家に帰った。カチャンと鍵を回して、暗い室内を窺うと達也は案の定、帰っていない。そのことにほっとして、手早くシャワーをあびる。今日は達也と顔を合わせたくない気分だった。


 あの時代を遡ったかのような空間は、まるで魔法のように美羽を現実から逃がしてくれた。でも、家に帰れば現実に押しつぶされそうになる。


 だけど、もう自分の気持ちをごまかすことはできない。


 寝室は別にしてよかった。それだけはこのマンションを選んだ達也に感謝してもいいかもしれない。


 住む場所を選ぶ時にも、二人は価値観の違いから揉めた。美羽は住居費はできるだけ抑えたかった。

 通勤の利便性や治安や便利さは必要だが、オシャレであることや部屋数は求めていない。でも、結局は達也の希望を通して、3LDKのコンクリートが打ちっぱなしのデザイナーズマンションに住んでいる。

 二部屋はそれぞれの私室兼寝室で、一番狭い一室はほとんど達也のクローゼット代わりになっている。


 美羽は寝ようと思ってもなかなか眠れず、浅い睡眠を繰り返して朝を迎えた。

 あのコーヒーを飲んで、美羽は変わった。それは美羽の内面だけの話だけど。でも、その繊細な心の変化をまだ達也に悟られたくなかった。


 緊張する美羽をよそに、いつも寝起きが悪くて不機嫌な達也は、ある意味いつも通りだった。

 鏡の前で前髪をセットして、スーツやワイシャツ、ネクタイの組み合わせを延々と考え続けている。左手の手元に目をやると、薬指にはいつものように指輪をつけていた。


 ほっとするような、もやっとするような気持ちでそれを眺める。

 朝まで帰ってこなかったり、指輪をなくしたり、そういった決定的な事をすることがなかったから二年間、なんとなく夫婦生活が続いたのかもしれない。


 美羽は手早く家事をすませる。朝はコーヒーすら飲まない達也は朝食も食べない。彼は衣食住より、自分の身なりが最重要事項だ。

 いつの頃からか、美羽も朝食をとらなくなった。朝食を用意しなくてもいいのだけは、いい夫といえるかもしれない。


 達也が出かけるのを見送ると、ゴミ出しをして緑茶を淹れた。インスタントコーヒーが嫌いなわけではないが、家ではコーヒーミル用の豆を消費して以来、美羽はコーヒーを飲まなかった。代わりに安い緑茶を飲んでいる。


 いつもならお茶すら飲まず家事をざっとして、仕事にとりかかる。

 幸い前倒しで作業しているおかげで納期はまだ先だ。今日は今後についてじっくり考えようと緑茶を一口すする。


 三ヵ月。

 美羽はそう決めた。できることをして、再構築するなり離婚するなりして結論を出そう。そうしないと、流されてずるずると不満だけ抱えたままこの状態を続けてしまいそうだからだ。

 そんな埋没するような日常は送りたくなかった。


 あの空間をちゃんとした自分で味わいたい。こんな我慢を重ねた擦り切れたような自分ではなくて。その思いが美羽に決意させた。


 まずは、我慢していることをちゃんと達也に口に出して伝えよう。押しが強くて、弁の立つ達也にいつも美羽は丸め込まれてきた。

 また、自分の思うようにいかないとすぐに不機嫌になるため、美羽はいつの頃からか自分の気持ちや意見を言えなくなっていた。


 夫婦として再構築するつもりなら、一度ぶつかってみよう。今の達也に不満はあるけれど、元からこんな冷めた関係だったわけではない。もしかしたら、彼の目が覚めて関係性を修繕できるかもと思う気持ちがまだ捨てられなかった。


 達也との出会いは、新卒で入社した会社だった。達也とは同期で、ニ週間の新人研修が終わる頃に、突然告白された。


 同期は10人ほどで、配属される予定の部署は違うものの仲良くしていた。だが、特に達也と仲が良かったわけではない。達也は長身で垢ぬけていて、グイグイとみんなを引っ張っていくリーダータイプだった。

 同じく物をハッキリ言うタイプの律花とよく話しているのを見かけた。まったく性質の違う美羽はどこか別の世界の人だと思っていた。

 まだ入社したばかりで、達也のことをよく知らない美羽は達也の告白を何度も断ったが、結局、達也に押し切られるようにして交際を始めた。


 達也が自信に溢れて尊大な態度なのは、外見がいいからかもしれない。顔立ちもはっきりしていて、整っている。学生時代バスケをしていて、今でもジムに通い鍛えている達也は、長身で引き締まった体をしていた。

 そのおかげで、新人の頃からスーツが浮くこともなく、着こなしていた。そんな達也は営業らしくお洒落なネクタイやブランドものの時計が嫌味なく似合っていた。

 つきあいが深まる頃には、自信に溢れて男らしい達也に、美羽も頬を染めて見惚れていた。


 つきあっている三年間は大事にされていたと思う。

 美羽の好きなものや行きたい場所をリサーチして、どこでも連れて行ってくれたし、いつも会計は彼がしていた。美羽はその分、将来のために貯蓄した。


 会社の独身寮で暮らしていた達也はしょっちゅう、美羽の家に入り浸っていた。

 でも、その頃は美羽のシンプルな家や美羽のつくる素朴な料理を「落ち着く」と言ってくれていた。

 「営業だし外でかっこつけてると、美羽の家にいると落ち着く」と美羽に甘えるように抱き着いてくるので、本当に愛されてると思っていた。


 そんな彼を支えたい、安らげる家庭を作りたいと思って結婚したのに。

 結婚してからすぐに関係は冷えてしまった。なにがいけなかったのかは美羽にはわからない。


 なにか気に障ることをしてしまったのか? 言ってしまったのか?

 残念ながら、美羽にはなぜ達也の態度が結婚してからこんなに冷たくなったのか心当たりはなかった。


 つきあっている時は達也の有無を言わさず引っ張って行ってくれる所が頼もしかった。美羽の希望を推測して、先回りしてくれた。求めなくても、欲しい言葉をくれた。


 達也に甘えすぎていたのかもしれない。

 人間はちゃんと言葉にして伝えないとわからないのだから。だから、美羽も言葉を飲み込まずに自分の意見を伝えようと決意する。まずは、そこからだ。


 緑茶を飲みながら、自分の考えを整理した。

 こんなにゆっくりするのはいつぶりだろう?


 働いているときは時間の切れ目があった。

 美羽が所属していたシステム部は残業も多いし、休日出勤もあった。それでも、休みはあった。独身で一人暮らしとはいえ、家事も手を抜くことが許された。


 在宅で働く美羽を、達也は専業主婦とみなしている。だから家事の手を抜くことは許されない。ずっと家にいるけど、仕事や家事に美羽は一日中奔走していた。


 ベランダで洗濯物がはためく様子を眺める。


 洗濯機のことだってそうだ。達也はオシャレな新居に似合う最新の家電やデザイナーズの家具を購入したいと主張した。


 気持ちはわかるけど、独身時代も羽振りよくお金を使う達也にはほとんど貯金はなかった。つきあっている三年間、デートはほとんど達也の奢りだった。だから、達也の貯蓄がないのは美羽の責任でもある。


 そう思って、結婚式と新婚旅行代は美羽の貯蓄から出した。幸いなことに結婚式代はご祝儀でほとんど賄えたのだけど。でも、新婚旅行代は後で払うと言いながら「同じ財布だからいいだろ」と有耶無耶のまま終わった。


 お金を出さないのに、高額な買い物はこれ以上はできない。達也をなんとかなだめすかして、家具や家電は美羽が独身時代に使っていたものをそのまま使っている。


 おしゃれなマンションにチグハグなシンプルで安っぽい家電や家具。それがまるで自分達の関係性のように見えて、美羽はうっすらと笑った。


 いけない。

 気を抜くとすぐに、達也への不満が溢れてしまう。

 再構築……できるのだろうか?


 かといって、世の中の夫婦が持つであろう小さな不平や不満くらいで、一足飛びに離婚という結論を出すことはできない。浮気とかDVとか決定的ななにかを達也はしていないのだから。

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