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【中編】ただ、一緒におでんが食べたかっただけなのに【現代恋愛】  作者: 紺青


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【夫視点⑥】イージーモードの人生の終焉

☆不妊、流血表現があります。苦手な方はお気をつけください。

 「ごめんなさい。あなたとは結婚できないわ」

 「は? そっちの希望を聞いて検査まで受けたのに?」


 主導権を握ってやろうと意気揚々と受けた見合いでの態度はあまり褒められたものではなかったが、案の定、相手からも話を進めたいと言われた。ただし、結納を交わす前に二つ条件を提示された。


 ブライダルチェックを受けることと婚前契約書へのサイン。健康体な達也は手間ではあるけど、半休まで取って検査を受けに行ったのだ。


 見合い相手の女と会うのは二回目だ。この女がいかにも好きそうなホテルの一階にある広々としたティールームで向き合っている。


 「二人分の結果があなたの自宅にも届いているわよね?」

 神経質そうに眼鏡の位置を直しながら告げられる。


 「……忙しくて、見てない」

 そんなもの見ずとも、達也は大きな病気もしたことないし、至って健康だ。女は呆れたようにため息をつくと、書類を差し出した。


 ―――無精子症の可能性あり

 その文言に、頭が真っ白になる。


 「精密検査をしてみないと詳しいことはわからないけど。子供ができにくいのは確かみたいなの。私、どうしても子供が欲しいから、あなたとは結婚できない。申し訳ないんだけど」


 「一旦、見合いを受けたくせに?」

 達也は自分が子供を作る能力がないということを受け止めきれない。それでも、やりきれない思いを相手にぶつける。こんな事実を明らかにしておいて、見合いを断るだと?


 「あのね、あなたと私はお見合いなのよ。心を通わせ合った恋人同士じゃないのよ。なぜ、見合いの時のあなたの態度が最悪だったのに、話を受けたかわかる?」


 「……わかるわけないだろ」


 「釣書の顔が好みだったからよ。私、この年まで仕事に全振りしちゃって、それ以外はさっぱりなの。でも、子供は欲しい。だから、どれだけ性格が最悪でも、子供さえ出来ればよかったのよ。だって、嫌だったら離婚して子供だけ連れて出て行けばいいじゃない。私、お金だけはあるのよね」

 相手の女が腕を組んで達也を尊大な態度で見ている。


 「お見合いの日といい今日といい、そんな失礼な態度を取る相手に惚れる女がいると思う? いくらこちらがブスで年上だとしても。ふふっ、その顔は図星ってことね。あなたがバツ一なのに、素行調査してないと思う? 過去にした不倫とか浮気とか全部知ってるのよ。そんなクズだけど、可愛い子供が生まれるならいいかなって思っちゃったのよね。あなたを信用していないから、結納するならその前に婚前契約書にサインしてって言ったのよ。最近は大人しくしているみたいだけど、結婚して遊び歩いて、病気とかトラブルを引き寄せたら最悪じゃない」


 怒りと屈辱で震える達也に淡々と女は自分の意図を説明した。自分が優位に立っていると思っていた相手の言葉が達也の胸を抉る。


 「それじゃあ、これで失礼するわね。お会計はこちらで済ませておくわ」

 言いたいことだけ言うと、女は去って行った。


 「クソっ、クソっ!」

 達也はガラス張りのテーブルに拳を振り下ろす。カチャカチャとコーヒーカップが揺れた。周りの客の視線が集まるが自分を抑えきれなかった。


◇◇


 それからの達也は荒れた。

 美羽に離婚を告げられた時より、自分に子供を作る機能がないとわかった今のがショックが大きい。

 それからは手当たり次第に、ナンパして女を抱いた。それは相手を気遣う気の一切ない行為だった。


 自分はまだ勃つし、種も吐き出せる。

 なのに、子供を作ることはできないってどういうことだよ?


 呆れながらも手伝ってくれた兄のことも、息子の情けなさに涙した母のことも頭から抜け落ちていた。

 不祥事がばれて退職した先輩や同期のことも、不倫のせいで人生の取り返しがつかなくなった先輩のことも一切忘れていた。


 自分の所業は忘れ、自分の身に振りかかった悲劇に酔っていた。

 なんで俺なんだ……。


 別に子供が欲しいとも可愛いとも思っていなかった。

 つきあっているときは美羽にリップサービスで「子供は三人欲しい」なんて言ったこともある。でも、自分のお金も時間も費やす子供という存在を特に欲しいとは思っていなかった。

 ただ、欲しくないと思うのと、自分に作る機能がないと知るのは違う。雄として失格だと烙印を押された気分だ。


 それからの達也の生活は乱れた。

 酒に溺れ、女を食い散らかす。

 身なりだけは気を使っていたのに、それすら保てなくなってきていた。


 「斎藤さん、顔色悪いけど大丈夫ですぅ?」

 会社でも、昔の素行を知っている社員は荒れている達也を遠巻きに見ている。

 そんな中、最近入った営業事務の牧野(まきの) (うらら)はなにかと達也を気にかけてくれた。


 さすがに会社の人間に手を付けるほど、達也の判断力が落ちているわけではなかった。最近はハラスメントだのなんだのうるさい。それに、男に媚びるような服装や態度の麗は友加里を思い出させた。この手の女はやばい。


 冷たくあしらう達也にもめげずに、淡々と仕事をして達也のサポートをして、コーヒーやチョコなどをそっと差し入れしてくれる。すさんでいる達也にはそんな小さな心遣いが染みた。


 だから、ちょっと気が緩んでしまったのかもしれない。

 麗に営業の飲み会で、ぽつぽつと自分の離婚の話や見合いを断られた話をしてしまった。達也はこの話を友達にも一切話していなかった。こんな話をしたら、自分が悪いと責められるとわかっていたからだ。


 「えー、奥さんひどくないですかぁ。二年も一緒に暮らしたのに冷たいですね」

 「私だったら、斎藤さんなら全然結婚しちゃうなぁ」

 「そんな冷たい女のことなんて忘れましょう!」

 二十代前半の可愛い女の子に全面的に擁護されるのは気持ちよかった。達也への想いを隠さない駆け引きのない言葉もわかりやすくていい。離婚してからずっと、カラカラに枯れていた気持ちが満たされていくのを感じた。


 「私だったらぁ、斎藤さんがいれば子供なんていなくてもいいですよ?」

 テーブルの下の達也の手に、麗の手が重ねられた瞬間、頭の奥でなにかがはじけた。


 運命だ。彼女が運命に違いない。

 美羽と結婚して、しっくりこなかったのも仕方がない。美羽は達也の運命ではなかったのだから。これまでの失敗も辛い気持ちも彼女と出会うための布石だったのだ。


 その夜、麗と体を重ねて、交際を始めた。


 たかだか十歳くらいの差だろうと侮っていたけど、仕事から離れると年齢差を感じる。麗はSNSに写真を投稿するのにハマっていた。手には常にスマホがある。


 達也が選ぶ店はダメ出しされて、いつも流行の行列のできる店に並ばされる。麗が納得いく写真が撮れるまでは料理を食べることはできない。特に料理の端に、達也の腕時計が入るように手を映すのがお気に入りだった。独身の頃に買ったブランドもので、離婚後のゴタゴタでも唯一手放さなかったものだ。


 麗はバーやレストランより、スイーツを食べられるカフェに行きたがった。酒は飲みたがらず、腹の膨れない甘ったるいものばかり食べたがる。それでも、麗が喜ぶならと達也はどこでもつきあった。


 今までこんなに女に尽くしたことはない。でも、「達也、だーいすき」と素直に好意を現してくる麗の我儘は全部聞いてあげたかった。


 いつの間にか麗は達也のワンルームに転がり込んでいた。もちろん家事などしない。達也は最低限の家事はできるようになっていたが、二人で暮らすと汚れるのも早い。

 「少しは手伝ってくれないか?」と言うと「えー、だってつきあう時、家事はしなくていいっていったじゃん。それにネイルがはがれちゃうし……せっかく達也のために可愛くしたのに」と言われるとなにも言えなくなった。

 二人とも料理はしないし、食費が二人分になったのも地味に痛い。


 麗の要求は段々大きくなっていき、アクセサリー、ブランドバッグと高額になっていった。離婚後に大人しく生活をしていた達也は、多少の貯蓄があったがその数字は段々と減っていく。それでも断って、麗に振られることが怖い。


 麗が要求するのは物だけではなかった。

 高級車をレンタカーで借りてドライブしたいとか、トイプードルを連れてドッグランに行きたいとか。そういったリクエストを叶えるために達也は奔走していた。


 今や金も時間も麗のために捧げている。

 心のどこかにこのままでいけないという焼けつくような焦燥感があった。でも、達也にはどうすることもできない。


 この日も麗の我儘を叶えるために、レンタカーを走らせていた。


 「可愛いトイプードルを連れてドッグランに行きたい! 二匹くらいいるといいなー」

 最近はまっているインフルエンサーがどうやらトイプードルを三匹飼っているようで、その様子をSNSで見る度に達也に訴えかけてくる。ドッグカフェではだめなのかというと、だめだという。


 仕方ないのでつてをあたり、遠縁の従弟がトイプードルを飼っているというので頼み込んで、二時間だけ一緒にドッグランへと行ったのだ。従弟の家は都心から車で二時間かかる場所にあった。レンタカーを借りてドライブ気分で出かけた。

 行きは機嫌のよかった麗だが、従弟と犬を乗せてドッグランに着いて早々、犬におしっこをひっかけられて機嫌が悪くなった。「もう帰る」と言って、近くの駅まで送らされ、新幹線に乗って一人で帰ってしまった。従弟には平謝りしたが、「もう二度と会わない」と絶縁を告げられた。


 帰りの道中、一人レンタカーを走らせた達也は疲れ切っていた。最近の麗はちょっとしたことで機嫌を損ねる。若いからか性格なのかはわからない。達也にはどうすることもできなかった。


 「疲れたな……」

 達也はショッピングモールの看板が目に入って、休憩することにした。


 休日のショッピングモールは混みあっていて、家族連れで賑わっている。駐車場を停めるのにも時間がかかって、自分の選択を達也は悔やんだ。


 それでも、ここまで時間がかかったのだから元は取りたいと、館内を歩く。フードコートでもカフェでもいいから、とにかく座って休憩したかった。


 なぜ、これだけの人がいるのに目に入ったのかはわからない。別人のように変わったのに、一瞬で分かった。


 「美羽……」

 別れた元妻がフードコートの片隅で立っていた。


 染めていない黒髪は肩のあたりで切り添えられている。達也と同じ年齢のはずなのに、髪や肌には艶があった。相変わらず透明感のある肌に、整った顔立ち。

 なにより達也の記憶にある美羽は顔色も悪く表情も乏しかった。そのせいで地味な印象になっていた。なのに、うっすらと化粧をして、頬の血色のいい美羽は美しかった。


 一言で言うと美羽は潤っていた。

 昔は枯れていると思ったのに、あれから五年が経ったのに瑞々しく変化していた。

 服装もモノクロのシンプルなものだが、耳元にはピアスが光っている。


 そして柔らかに膨らんだお腹を目にして、達也はショックを受けた。お腹を撫でながら、スマホを片手にどこか人待ちしている風だ。左手の薬指には結婚指輪がはめられている。


 今なら、声をかけられるかも。

 達也は引き寄せられるように美羽のほうへフラフラと近づいていく。

 あの柔らかな笑顔で包み込んでほしい……。


 「ママッ!」

 美羽に小さな男の子が抱き着き、満面の笑顔になる。その男の子を追いかけるようにして男が美羽に近づき、完全に美羽は達也の視界から隠された。


 目の前の光景に呼吸が苦しくなった達也は、そこから離れた。


 (どこで間違えたんだ……)

 フードコートの片隅でとりあえず注文したうどんを前にして、両手で頭を抱える。頭から先ほど見た光景が離れない。お腹の大きな美羽によりそう夫。美羽と手をつなぐ男の子。


 無精子症だと知らなかったら、「俺の子だろう!」と復縁を迫っていたかもしれない。


 それに、夫がいるとわかっても、子供がいるとわかっても、今の美羽は美しかった。

 (かつては自分のものだったのに……)


 今の美羽と比べたら麗が偽物のまがい物に見える。

 (そうだ……。俺は騙されたんだ……)


 美羽の笑顔が頭から離れない。今更、別れた妻にときめいても仕方がないとわかっている。

 (でも、もう一目だけでも見たい)


 美羽本人や悠真、母や兄に連絡するな、話しかけるなと言われたことを今更ながら思い出して、チッと舌打ちする。

 (見るだけなら、見るだけならいいだろう……)


 「美羽の事を調べて、ここまで来たのか?」

 いつの間にか達也の対面の席には、美羽の夫が座っていた。


 「長谷川?」

 先ほどは美羽の顔ばかり見ていたし、夫の顔まで見ていなかった。

 長谷川も最後に会った時から印象が変わっている。達也が気づかなかったのも無理はない。上背は達也と同じ位だったが、いつも背を丸めひょろっと細く頼りない印象だった。


 それなのに、今目の前にいる男は一目でわかるくらい鍛えられた体をしていた。細身ではあるけど、必要な筋肉はついている。達也は無意識にたるんだ腹をひっこめた。


 「あの時言っただろ。クズな奴ってのはさ、追い込まれると優しくしてくれた人とか美しい過去に縋るもんなんだよ。なにしに来たんだ」


 「いや、わざとじゃない。調べてない。たまたまだ。本当にたまたまだ」


 「でも、美羽に見惚れてた。クズな奴の本性って変わらないよな。お前には、若くて可愛い恋人がいるんだろ? それで満足しておきなよ」


 「……なんで知って?」


 「今回、美羽の前に現れたことお前の実家に報告するから。二度と来るな。俺が殴りたくなる前にとっとと帰れ」

 それだけ言うと悠真は、憎悪に満ちた目で達也を睨みつけてきた。その迫力は過去の悠真になかったものだ。たぶん、今の悠真には敵わない。本能的な恐怖を抱いて、達也は大人しく岐路に就いた。


 (どこで間違えたんだ……)

 ぼんやりと後悔に包まれながら、運転し、レンタカーを返して家に帰る。そういえば、麗に連絡を入れていないし、連絡も来てない。そんなことすら家に着くまで気づいさえいなかった。


 美羽を見たら、麗の魅力が薄れてしまった。それでも、今の達也には麗しかいない。


 マンションの玄関を開けると、玄関には見慣れた麗のヒールと男物のサンダル。そっと足音を潜めて歩いて、部屋のドアの隙間から室内を除く。ベッドでは、知らない男の上に裸でまたがる麗がいた。


 「そろそろ帰ってくんじゃねぇの?」

 「別にいいよ、見られても」

 「アイシテルんじゃねーの?」

 「あんなんただの金づる~。いい男ぶっちゃってるし、昔はモテたのかもしれないけど、あんなおじさんに本気になるわけないじゃん!」

 「ひでー女だな」

 「いい時計してるしさ、金持ってるかもって思ったのに、全然稼いでないし、がっかり。夜も強引なだけで気持ち良くない」

 「だから、俺とこーゆーことしてんだ!」

 部屋には二人の楽し気な声と喘ぎ声が響いていた。


 (どこで間違えたんだ……)

 達也はその場をそっと後にすると、玄関から外に出る。


 なににショックを受けているんだろう?

 麗が浮気をしていたこと?

 麗の本音がひどいこと?

 自分の女を見る目がないこと?


 エレベーターに乗り一階のボタンを押すと、なぜか涙がこぼれてきた。今日見た元妻のあたたかな光景がうらやましい。自分には一生手に入らない幸せ。


 (どこで間違えたんだ……)

 エレベーターが一階に着くと、エントランスから出てふらふらと歩き出す。


 (どこへ行けばいいんだ……)

 次の瞬間、なにかとぶつかった。

 腹が引き裂かれ、そこから焼け付くような痛みが走る。自分の腹を見ると、包丁が刺さっていて、そこから血が流れ出ている。


 「あ゙あ゙……」

 (なにが起こったんだ? 誰だ?)

 周りの通行人から悲鳴が上がる。


 「あなただけ幸せになるなんてゆるせない、あなただけ幸せになるなんてゆるせない……」

 そこには達也の腹に包丁をめりこませて、その柄を握りしめている女がいた。


 (友加里……?)

 そこには変わり果てた姿の友加里がいた。

 付けまつげも、カラコンもメイクもしていない友加里の顔は驚くほど老けて見えた。その表情は虚ろで、目の焦点も合っていない。

 包丁の柄から血まみれの手を離すと、ぶつぶつと呪詛のように同じ言葉を繰り返している。


 (俺はなにを間違えたんだろうか?)

 次の瞬間、達也の頭は真っ白になり、その場に崩れ落ちた。


 その問いに答えてくれる人は誰もいない。

夫視点まで、お読みいただきありがとうございました!





優しい読者様は達也がどうなったか気になるかもしれないので……


【蛇足の設定】

達也:通行人が通報してくれたことと急所をそれていて、一命はとりとめた。

ただし、全国区で「痴情のもつれで刺された」とニュースに流れ、会社を自主退職。

麗は達也が入院している間に金目の物を持って、姿を消していた。

達也は九州の実家に戻り、介護施設で介護補助のパートとして働く。

気力がごっそりなくなり、淡々と生きていく。生涯独り身。


友加里:心神喪失で執行猶予つきで精神病院に入院。

ショックで事件のことは覚えていない。病院で一生を終える。

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