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【中編】ただ、一緒におでんが食べたかっただけなのに【現代恋愛】  作者: 紺青


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【夫視点⑤】イージーモードの人生

 達也が離婚して一年が経った。美羽と離婚して一時はぐちゃぐちゃになっていた生活は立て直せて、平凡でつまならい日常を淡々と過ごしていた。


 ある日出社すると、達也の向かいの席の横井が自席でうなだれている。本人に聞ける雰囲気でもないが、始業の時間になってもその体勢から動かない。どうしたものかと思ったら、武田に腕を引っ張られた。目線で付いて来いと言われる。


 達也は煙草は吸わないが、喫煙室へと入っていく武田に続いて入る。始業の時間になったばかりだからか、他に人はいないようだ。


 「横井さん、自主退職するってさ」

 煙草に火をつけ、ふーっと煙を吐き出して武田が言った。

 「え? なんかあったんですか?」

 横井の只ならぬ様子が気になっていた達也は食い気味に問う。


 「横井さん、独身だって嘘ついて浮気してた相手が取引先の重役の娘だったんだって」

 「えぇ? それは……」

 結婚していた時はモテる横井と優し気な武田と達也も合コンやガールズバーなどに一緒に行っていた。お互いの詳しい素行は知らないが、達也と同様、横井と武田も適当につまみ食いをしているのは気づいていた。


 「横井も結婚してるのを隠してたし、相手も自分の素性を話していなかったらしい。しかも出会いは合コンだったらしいよ。運が悪いねー。アイツも」

 「でも、それだけで、退職って……」

 「俺ら営業だぞ? 信用が命だろーが。まぁ、俺らも気をつけないとな。あぁ、今回は取引先の重役の娘ってだけでなくて、その相手の女が興信所やとって、横井の所業を調べて会社と奥さんに送り付けたっていうのもあるらしいよ。一応、温情かけてクビじゃなくて、自主退職。奥さんは離婚と慰謝料請求してるみたいだぞ」

 武田がだるそうに煙草をふかしている。


 横井の姿は、ありえたかもしれない達也の姿。背中に冷たいものが走って、身震いする。美羽が甘い女で良かった。家族には密告したが、それで達也が救われた部分もある。達也は初めて美羽に感謝した。兄の言うように嫁選びは間違っていなかったのかもしれない。


 「遊びはほどほどにってことだな」

 武田はにやりと笑みを浮かべると、煙草を灰皿に押し付けた。それから、会社から横井の姿が消えた。


 その数日後には、余裕の笑みを浮かべていた武田がぼんやりと表情の抜けた顔で佇んでいた。自販機の前で飲み物を選ぶでもなく、呆然として突っ立っている。その顔色は今にも倒れそうなくらい悪い。達也は自販機の近くのベンチに武田を座らせた。


 「武田さん、なにかあったんですか? 体調悪いんですか?」

 武田は、前方のあらぬ方向を見つめたままで達也の顔を見ることもしない。

 「……嫁が、浮気したんだ」

 「え?」

 達也の脳裏に、武田に普段見せられている奥さんのSNSの写真がよぎる。若々しくて可愛くてお洒落な奥さん。可愛い娘と犬。ファミリー用の大きな車。確か奥さんとペアローンを組んで一軒家も購入しているはずだ。


 「俺が遊んでることとか、浮気してることがバレて……。離婚や慰謝料請求しないから、自分も同じことをするって宣言されたんだ」

 「……」

 それなりに整った容姿をしていて女性の扱いの上手い横井や達也と違って、武田は誠実で真面目なサラリーマンに見える。その内面は横井や達也と変わらない。遊びたいと思っている一部の女性以外の大抵の女性には、誠実で優しそうな武田の方がモテた。

 武田を知る人に彼が遊び人で、女にだらしないと言っても誰も信じないだろう。それに、武田は遊んでいることや浮気していることを細心の注意を払って隠していた。それがなぜ今頃になってバレたのかはわからない。


 「だけど、本当に浮気するなんて思わないだろ? 娘のこともあるし、家のローンもあるから今は別れないけど、好きにさせてもらうって……」

 心のどこかで夫である自分はいいけど、妻はだめだって思っている気持ちは痛いほどわかる。結婚しているからにはお互いに貞淑を守らなければならないはずなのに。


 「わざわざ、証拠まで見せてきて。そうしないと私の気持ち、わからないでしょ?なんて言うんだ……」

 絞り出すように言った後、ふらりと立ち上がった。

 「俺、嫁の浮気知って勃たなくなった。もう、気晴らしに浮気もできやしない。斎藤、お前、他人事だと思ってんなよ。次はお前だよ」

 結局何も言葉を返すことのできない達也に、生気のない目で言われて、背筋がぞっとする。俺はもう制裁を受けてますよ、とは言えずに武田の後ろ姿を見送った。それでも、達也は自分の不遇も横井や武田と比べたら随分マシなように思えた。


 そしてそれから一週間後に、三日間の出張から戻ると、同期の律花が自席で荷物を箱に詰めている。

 「なにしてるんだ……?」

 「今日付けで辞めるから」

 「どうして、急に?」

 「会社に枕営業がバレて、謹慎処分と総務への移動を打診されたから辞めるの」

 律花の口から出た言葉に驚いて周りを見渡すと、皆知っていることなのか驚いている人はいない。遠巻きにひそひそと話している様子は目に入る。


 「あのクソ親父今まで散々いい思いさせてやってたっていうのに、急に裏切って、会社に言うんだから」

 「……その無理やりとかだったんじゃないのか?」

 「本当に達也って頭がお花畑よね。嫌々じゃないわよ。仕事取るためならなんでもするから、私」

 「お前はそんな奴じゃないだろう?」

 「ほんと、なんにも見えてないわね。男じゃなかったら相手にしてくれない会社って未だにあるのよ」

 「……」

 声を潜める達也と対照的に、律花はいつものトーンではっきりと話す。


 「言っておくけど、あなたが好きで寝たわけじゃない。仕事ができて陰で支えてますってかんじの美羽が気に食わなかったからよ。あの子を痛めつけるために寝てたのよ。あなたもいつか地獄に落ちればいいのに。じゃあね」


 律花は最後に爆弾を落とすと、荷物の入った段ボールを手に会社を去って行った。しばらく、達也は周りから白い目で見られたけど、既に離婚しているので問題はなかった。


 達也と律花が寝ていたことなど吹っ飛ぶような事件が数日後に起こった。

 営業部の部長の奥さんが会社に乗り込んできたのだ。そして、営業部で不倫相手の調査書のコピーをバラまいた。その相手は、友加里だった。


 「あなたが、田崎友加里ね。慰謝料請求しますから、覚えておきなさい」

 青ざめて震える部長と友加里に戦線布告すると部長の奥さんは帰って行った。


 その日の夕方、トイレから出ると物陰から人が突進してくる。

 「達也くぅん、助けてぇ」

 達也のスーツの裾をつまんで、見上げてくるのは友加里だった。泣き続けていたのか、目元が赤くはれている。もう、涙目で見上げられても可愛いと思えない。


 「ごめん、俺にできることはないよ」

 達也は友加里の手からスーツを引きはがそうとするけど、友加里のゴテゴテしたネイルが食い込んでいて中々離せない。


 「ひどい! 達也君だって、私と寝た仲でしょう?」

 「元々体だけの関係だろ。離婚して、もういいって言って切り捨てたのはそっちじゃないか!」

 「だって、だって、誰も助けてくれないの。あの奥さん、全部調べて、他の人にも言っちゃって、皆から慰謝料請求されるって。そんなの私に払えるわけないじゃない! ねぇ助けてよ! 同期でしょ!」

 「無理だよ。俺だって余分な金なんてないし、ごめん、本当に無理なんだ」

 友加里が大声で叫ぶので、達也は気が気じゃない。せっかく離婚から立ち直ってきているのに、友加里の関係者だと思われたら勤め続けるのが難しくなる。


 「静かにしてくれよ。俺はもう関係ないだろ。今の状況だって、自業自得だろ?」

 静かにしてほしい一心で達也が言った言葉に友加里の顔から表情がなくなる。するっとスーツから友加里の手が離れた。

 「ひとでなし……。お前にも罰が当たればいいのに……」


 友加里は呼びに来た人事部長と人事の社員が回収していった。でも、達也は友加里がいなくなっても、背中の泡立つ感覚が消えずに、そのまま立ち尽くしていた。


 一緒に遊び歩いていた先輩達や自分の浮気相手の同期に一斉に罰が下されたことに、達也はしばらく怯えた。次は自分になにか起こるのではないかと。


 でも、そんな日は来なかった。達也は間一髪で助かったのだ。

 美羽がチョロいおかげで、皆が地獄に落とされる中、達也だけは首の皮一枚で助かったのだ。自分のしたことが返ってきている奴らを見ても、反省することはなかった。あいつらは運が悪かっただけだ。

 俺は強運の女神に愛されているに違いない、と達也は思った。


 友加里の不倫騒動によって、営業部どころか会社まで刷新された。

 友加里の浮気相手は営業部長にとどまらずに、常務取締役が何人もいたのだ。

 業績が右肩下がりなのもあり、老齢になっても社長の椅子にしがみついていた二代目は辞任させられ、三代目に代替わりした。


 新たに社長となった彼は自身でベンチャー企業も立ち上げており、経営に長けていた。社長と共に居座っていた経営陣も一新し、IT化を進め、社内に渦巻く男尊女卑やハラスメントの撤廃に意欲的だった。

 特に不祥事の続く営業部は目を付けられていて、過剰接待やそれに伴う高額な経費処理、部内の風紀の乱れなどメスを入れられた。


 そうして、社内の風通しは良くなったが、達也は居心地が悪かった。でも、会社をクビになるわけにはいかないので大人しくしている。

 それから二年は大人しく仕事をして過ごしたし、年末年始は九州へ帰省した。落ち着いた達也に母や兄は嬉しそうにしていた。


 そして、達也は30歳の誕生日を迎えた。営業部の上司から見合いを勧められた。


 強制ではないけど、よかったらと渡された釣書を開いてみる。年齢は達也の3歳上の33歳。立派な学歴が並び、現在は外資系大手の営業をしている。


 そこまで読んで、釣書を閉じた。ため息をつく。

 化粧をして着物を着て、プロのカメラマンに撮ってもらっても、顔立ちは地味で平凡。誰もが知っている大手の会社でバリバリ働いている。達也より年上。


 ハッキリ言って、美羽の劣化版じゃないか、と達也は思った。二十代後半は結婚ラッシュで同期や友達の結婚式にたくさん出た。でも、美羽ほどのスペックの嫁はいなかった。


 今頃になって達也は惜しいものを手放したのかもしれないと思った。


 それでも、相手が稼いでいるなら、夢だったオシャレな暮らしができるかもしれない。

 若い頃は傍若無人で勢いのある達也は、得意先に可愛がられていたけど、時代の流れもあって、丁寧にヒアリングしてフォローするタイプの後輩が今はトップを走っている。営業成績は落ちる一方だし、後輩や人をまとめるのが苦手な達也は出世の芽はなかった。


 それに、年上で地味な女と結婚してやったら、主導権が取れるかもしれない。


 そろそろ、親孝行もしたいしな……。

 母さんは結婚しなくていいって言ってるけど、内心は達也の孫だって抱きたいだろう。兄は若い頃に結婚した妻と仲睦まじくて、三人いる姪や甥も可愛い。ここらで手を打って結婚するのもいいかもしれないな。

 

 達也はそんな思いで上司にお見合いを受けることを伝えた。


 俺の人生はやっぱりイージーモードだ。上手くいくようにできている。

 離婚で一度崩れた人生を、やり直すことができると達也はこの時思っていた。

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