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【中編】ただ、一緒におでんが食べたかっただけなのに【現実恋愛】  作者: 紺青


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【夫視点③】チョロい女の反撃

 あーあ、この女と一生、結婚してるのかな?

 結婚してから常にそんなことを思っていた。


 でも、実際に離婚を突きつけられるのは違う。

 ある日突然、フレンチレストランの食事中に離婚を切り出された。相談も予兆も一切なかった。


 養われてる分際でなにを言っているんだ?

 達也の中には怒りが渦巻いた。


 これまで達也に従順だった美羽は淡々と離婚について話す。


 溜まっていた達也への不満の数々。正論で殴られて、反論ができない。それを一蹴しようと、養われている分際で、と言うと反撃された。生活費は美羽の負担分の方が大きかったと告げられ、頭が真っ白になる。


 達也の通帳に美羽の口座からの振り込みが記録されている。美羽は自分の負担分の光熱費や食費、日用品費に加えて、達也が自分のカードでしていた個人の買い物の補填までしていた。お金の流れについて、一目でわかるようにまとめられた書類に目を通して絶句する。


 そして、ふと顔を上げて美羽を見た。

 存在自体が苦々しくて、きちんと顔を見るのはどれくらいぶりだろう?


 肌や髪は若干パサついているし、顔色も悪い。でも、じっと達也を見つめる少し薄い茶色のアーモンド型の瞳は澄んでいる。化粧っけは足りないし、服装はシンプルすぎて洒落てない。

 でも、相変わらず白い肌は滑らかで同年代の女達より若さを保っているように見えた。華奢で小柄な体型に、すっきりとした顔立ちも好ましい。手をかければ、達也が手を付けている女達よりも輝くかもしれない。


 達也が所帯じみていると見下していた美羽だが、手放すとなると惜しい。

 離婚なんて、してやらない。


 とりあえず家に帰ったら思い知らせればいい。達也に逆らえないように。そんな黒い思いが胸に芽生えていた。

 まだ、その時は自分が優位だと思っていた。


 なのに、追い打ちをかけるように美羽は達也の浮気を知っていると言い、証拠をちらつかせてくる。達也が離婚に同意しない事を先読みしていたのか、慰謝料請求しないという甘い罠をぶらさげてきた。

 今日の美羽は達也を打ち負かしたいらしい。いいだろう、一旦折れたふりをしてやろう。家に帰れば、こっちのものだ。


 しかし美羽は追撃の手を緩めなかった。美羽はとことん達也を打ちのめしたいらしい。

 浮気相手の名前が保証人の欄に入った離婚届を差し出される。

 ……かなり達也に怒っているようだ。

 こんなもの、家に帰ったら取り上げて破り捨ててやる。


 しばらくは反省したふりをしていくらでも謝ってやろう。服やアクセサリーを買ってやって、高級なレストランに連れて行けば機嫌が直るだろう。多少、つきあっていた頃みたいに甘い言葉をささやいてもいい。

 それから、徐々にしつけていけばいい。達也に二度とこんな風に逆らわないように。


 達也がサインして捺印した離婚届を何度も確認した美羽は、もう家には帰らないと言う。


 意外にも美羽は誰よりも、達也と言う人間を理解していたらしい。

 家という達也のフィールドに一緒に帰ったら終わり(ゲームオーバー)だと、ちゃんとわかっていたようだ。


 『なんで? 今更じゃないか?』

 『二年耐えたなら、一生我慢しろよ』

 周りに人がいなかったら、きっと美羽の肩を強く揺さぶってそう言っていただろう。美羽との結婚を後悔していたのに、向こうから離婚を切り出されると違うと否定したくなる。


 これで本当に後がないと気付いた達也が、必死で何かを言っても通じない。最後まで美羽の決意は固く、追いすがる達也をバッサリと切り捨てた。

 晴れやかな顔をして微笑んでいる美羽を見て、全てが手遅れなのだと悟った。達也ははじめて美羽に完敗した。


 もう美羽を待ち伏せて離婚届を取り上げようとか、後を付けて新居を特定しようという気力はなくなった。今の美羽なら、達也が反撃したら迷わず、浮気の証拠をばらまいて達也を社会的に抹殺して、慰謝料を請求するだろう。


 胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちで家に帰る。

 一見、なにも変わっていないように見えた。美羽の使っていた部屋の扉を開けると、ガランとしていた。元々、どんな風に部屋を使っていたのか見たことはない。でも、ベッドすらなく、美羽がこの家にいた痕跡は綺麗に消えていた。


◇◇


 あれだけ疎ましく思っていた美羽なのに、いなくなるとしばらく喪失感が消えなかった。それでも、仕事をしていれば気持ちも紛れてくる。


 なぜか結婚指輪は外せないでいた。

 実感がわかなかったのかもしれない。


 もしかしたら、離婚届を出していないかも?

 もしかしたら、美羽が戻ってくるかも?

 そんな期待がどこかにあったのかもしれない。


 さすがに会社の総務には離婚したことを伝えて、必要な手続きをした。でも、営業部や同期に言うタイミングがつかめない。結婚は報告しやすいけど、離婚はなかなか切り出しにくい。


 そうしてモダモダしているうちに、美羽がメッセージアプリの会社の同期のグループに離婚したことを告げるメッセージを入れた。離婚理由について書いていないのが救いか。同期からなし崩しに営業部まで、二人の離婚は伝わった。


 離婚を切り出してからの美羽はどんどん前に進んでいく。つきあっている時から、主導権を握るのは達也で、グイグイ引っ張ているのはこちらだったのに。


 美羽がいなくなって、少しずつ日常が崩壊していった。美羽の態度にはムカついていたけど、困ることはないと思っていた。今までだって、食事はほとんど家で食べていない。


 「もう着る服がない」

 リビングのソファやダイニングの椅子に積まれているスーツやワイシャツの山を前にしてうなだれる。衣裳部屋に綺麗に整頓してあった服を順に着ていって、季節違いのものまで動員したけどもう限界だ。


 数週間経って、達也は自分に家事能力がないことに気づいた。就職するまでは実家暮らしで、就職後は独身寮で暮らしていたので、一人でまともに暮らしたことがないのだ。


 スーツは洗濯機で洗っていなかった気がするけど、いつも皺一つなくピシッとしていた。なのに、帰ってきた後リビングに脱ぎ散らかした背広やスラックスは変な所に皺がついているし、心なしかヨレている。


 美羽はどうしていたんだろうか?

 ワイシャツは洗濯すべきだろうけど、洗濯機の使い方すらわからない。


 迷いに迷って、友加里に電話する。

 「あのさ……」

 「達也君、ごめぇん。私、離婚した達也君には興味ないんだー。もう、個人的に連絡してこないでね♡」

 友加里は用件を切り出す前に、食い気味に関係の終了を告げた。


 しばらく、電話帳をスクロールして悩む。ダメ元で律花に家に来てくれるように頼むと、二つ返事で来てくれた。


 「なにこれ……。美羽って家事ができなかったの?」

 ゴミ袋が積まれ、衣類が散乱するリビングを見て、律花が引いている。


 「んん……ああ」

 「で、用件ってなに?」

 「洗濯機の使い方を教えてほしい」

 渋々切り出す達也に、律花は洗剤を棚から探し出すと、洗濯機の使い方を教えてくれた。


 「あなたってなんでもできそうな顔して、洗濯もできないのね」

 「その……スーツってどうしたらいいんだ?」

 「スーツはすぐにハンガーにかけないと、皺になるに決まってるじゃない。もし元の状態にしたいなら、クリーニングに出すしかないわね。ワイシャツも洗濯したらアイロンをかけないといけないけど、どうするの? どうせ、アイロンもかけられないんでしょ」

 「アイロン……」


 そういえば、美羽にも言われたなとぼんやり思い出す。

 掃除機をかけるのは苦にならないから、ロボット掃除機はいらない。

 皿洗いも好きだから、食洗器はいらない。

 でも、アイロンがけは好きじゃないから、できればワイシャツはアイロンがけのいらない形状記憶のシャツにしてほしい。


 でも、達也の好きなブランドのワイシャツはアイロンがけの必要なものだった。形状記憶のシャツは、個性のない色や形のものがほとんどだった。だから、美羽の意見は却下したのだ。

 美羽がアイロン掛けをしたり、靴を磨いていたのを思い出して、チッと舌打ちする。


 「無理に洗濯しようとせずに、ワイシャツも全部クリーニングに出せば? 美羽を養ってた分、ゆとりがあるでしょ? 次からはせめてスーツはハンガーにかけるようにして」

 律花は呆れたように言う。それに、「ああ」と力なく返事する。


 「それよりこのゴミの山をなんとかしたら? かなり臭うわよ」

 「ゴミの捨て方がわからない……」

 「ゴミ捨てすらしたことないの?」

 律花の目が驚きで見開かれる。


 「私、あなたの家政婦になる気はないから」

 律花はそう言い捨てると、うなだれる達也を置いて、マンションを出て行った。


 達也はノロノロととりあえず手元にあった、スーツとワイシャツをいくつか大きい紙袋に入れてクリーニング店に向かった。


 クリーニング代が思いのほか高いのに驚くが、背に腹は代えられない。いつものようにカードで支払いをしようとすると、エラー音が鳴った。

 「お客様、誠に申し訳ありませんが、こちらのカードは使用できないようです。別のカードか現金でお支払いいただかないといけないのですが……」

 なにかの間違いじゃないかと訴える達也につきあって、二回ほどカードを通すけど、エラーになる。手持ちの現金もないので、重たい洗濯物を抱えて再びマンションに帰ってきた。


 家に帰ってきて、怒りで洗濯物をぶちまける。


 ワイシャツやスーツがしわくちゃなのも、ゴミが溜まるのも、カードが使えないのも美羽のせいだ。美羽が突然、家を出て全てを投げ出したせいだ。


 達也はスマホを掴んで、美羽の番号を呼び出した。


 「……一体、なんの御用でしょうか? 離婚は成立しましたよ」

 電話が繋がることにほっとしたのも、束の間、美羽の声は相変わらず冷たい。


 「クレジットが使えないんだよ! お前がなんかしたんだろ!」


 「私になにができるって言うんですか。大方、クレジットカードの引き落とし金額が足りなくて、カードを止められたっていうところでしょう」


 「引き落とし……?」


 「今までは私がチェックして、あなたの口座の残高が足りない時は補填していましたからね。先月使い過ぎたんじゃないですか?」


 「それならそうと、離婚する時に説明してくれればいいだろ!」


 「離婚する時に説明しましたよ。浮気して離婚した夫の尻ぬぐいを私はどこまでしなければいけないのですか?」


 「………」

 電話をする前には、爆発寸前だった怒りはその矛先を失って急速に冷える。


 「……その、ゴミ捨ての仕方がわからないのだが……」

 電話の向こうで美羽のため息が聞こえる。


 「マンションや光熱費の契約に関する書類、離婚の時にお渡ししたお金に関してまとめてある書類、家電の取説やマンションや自治体の規約……ゴミ捨てに関しても書いてあります。それらの書類はリビングの棚の引き出しに入っています。今後は自分でその書類を見て、がんばってください。何回も言いますが、私とあなたは他人です。二度と連絡しないでください。あなたが今、困っているのは自業自得です」

 美羽は言いたいことを言い切ると、電話を切った。


 「クソがっ!!!」

 儘ならない現実と、見下していた元妻に見捨てられた怒りでスマホを床に叩きつける。肩で息をする。その結果はスマホの画面にヒビが入っただけだった。


 仕方なくリビングの戸棚を見ると、綺麗に書類が整理されている。イライラして、引き出しを引き抜いて、書類を床に全部ぶちまけた。その書類の山から、自治体の広報誌らしきものを見つけた。ゴミの仕分けの仕方やゴミを出す曜日が書いてある。


 まずはゴミの仕分けをしなくちゃいけないのか……。

 がんばって動き回ったのに、なんの成果も出なくて疲れて、寝室に向かってベッドに転がった。


 明日、そう明日、ゴミの分別をしよう。

 美羽にできていたことが俺にできないわけがない。


 それにしてもクレジットカードが使えないのは痛い。

 銀行の口座の残高はいくらぐらいだろう?


 それからも冴えない日々が続いた。


 カードの支払いの通知が郵送されてきて、律花に拝み倒してお金を借りて支払った。クリーニングに食費、その他にも細々とした出費がありバカにならない。


 なんとかスーツやワイシャツはクリーニングに出しているおかげで清潔感を保てているが、身なりがそこはかとなくくたびれてきた。


 いつもの整髪剤が切れていたり、靴がボロボロになってきても、買い足してくれる人も磨いてくれる人もいない。風呂掃除のやり方もわからないし、次第に汚れてきたので湯を張ることはなくなり、シャワーで済ませる。ベッドのマットレスが匂ってくるが、洗濯の仕方がわからない。


 次第に薄汚れて居心地が悪くなっていく家に、疲れが取れなくなってきた。


 明日やろう、明日やろうと手つかずのゴミの山は積もっていっている。仕方ないので、美羽が使っていた空いている部屋にゴミを移動させた。


 日常の細かなことでつまずいて、リビングに散らかした書類の山を探すけど、探す気にも読む気にもならない。人に聞いた方が、絶対早いだろう!と頭に来て、何度か美羽に電話をかけたけど繋がることはなかった。


 離婚して一ヵ月経った頃には、「この電話は使われておりません」とアナウンスされる。あわてて、メッセージアプリを立ち上げると美羽のIDは"使われていないユーザー"と表示されていた。


 同期の長谷川悠真が退職することになり、送別会をするという。別に悠真のことはどうでもいいが、美羽と仲の良かったアイツなら連絡先を知っているかもしれない。離婚して初めて、同期の飲み会に顔を出した。


 美羽は誰にも離婚の理由や達也の浮気の話をしていなかったようだ。同期から離婚理由をしつこく聞かれた。適当にごまかしながら、誰か美羽の行方を知っているか探りを入れる。


 どこに住んでいるかも、なんの仕事をしているかも誰も知らないようだった。おそらく美羽が連絡先を変えたことすら、気づいている奴はいないだろう。密かに達也は肩を落とした。


 二次会のカラオケで、悠真から律花と友加里の浮気を糾弾される。今更、そんな過去の話を持ち出されても痛くも痒くもない。


 でも、正義感を振りかざして、美羽の代わりに俺らを責める長谷川すら美羽の新しい連絡先は知らないようだった。


 悠真に責められている時は俺の味方をしてくれた律花と友加里も

 「あー、おもしろかった。律花、既婚者だった時は達也と寝たけど、今は興味ないから、筋違いな嫉妬しないでね。それじゃ」

 「お金、ちゃんと返してよ」

と冷たく言うと帰って行った。


 一人ぼっちになったカラオケボックスで達也は頭を抱えた。


 チョロいと思って見下していた元妻は、まるで端から存在していなかったかのようにあっさりと姿を消して、連絡を取ることすらできなくなってしまった。

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