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遥か世界のラタトスク 一話中編

 突然だが、『研究』と聞けば、果たしてどんなイメージを抱くだろう。

 例として、白衣を着て防護眼鏡を掛けた研究員が、除菌室で試薬を滴下している光景は、一般的に思い浮かべる光景かと思う。あるいは、ホワイトボードへ一心不乱とばかりに数式を羅列していたり、または、あまりに突飛で奇怪な行動そのものを、それと思い浮かべることもあるかも知れない。

 それらは、確かに研究者の一面である。いや、彼らを総じて変人だと述べるつもりはないのだが、まあ、一部にはそう侮蔑されるべき者がいたりして、しかも、そういう者に限って自分が変人であることを認めて誇ったりしている節もあるので、困ったもので。

 閑話休題。

 要は、ただ研究に没頭するだけが、全てではないのだ。とある変人は、いつだったか、こう口にしたことがある。


『いいかい? 俺が一つの実験に掛ける時間と労力は、つまりはカネだ。研究者(われわれ)はどの職よりもカネに飢えていると言ってもいい。この一挙手一投足、一秒一瞬の価値というのは、君の思う千倍は貴重だと思いたまえ従って! 君はもっと隷属的になるべきだ!』


 と、一部の不適切な物言いはさておき、要するに、こと『研究』において最も重要な要素は、決して情熱や頭脳ではなく、資金繰りなのだ。世の中にあるほとんどのものは、数少ない天才が生み出したものではなく、整った環境と人材によって生まれた。中でも、国が援助している研究資金なんて、市場規模と比較すれば、ほんの僅か数パーセントに過ぎず、『研究都市』と大仰に呼ばれるこの島であっても、大半は企業が注ぎ込んだ金で回っている。

 では、全ての研究でそうした援助が得られているのか、とすると、そうではない。企業は利益を追求し、当然、見込みのない研究に援助は出さない。表題に魅力がない。結果として恩恵を受ける者が少ない。成功の保証がない。泥船に乗るか否か、組織として慎重にならざるを得ないのは当然だろう。

 つまり、『研究』の大部分とは、知的好奇心や大義のみで成るものではない。多くの研究者は支援者の顔色を窺い、情状を訴え、援助を引き出す必要があるのだ。まあ、大抵はそうした業務を専門とした営業職のような職員がいるので、一概に研究者の仕事ではないのかも知れないが、他にも、共同開発や利権、もたらされるであろう利益に、当たり前のように、欲望は渦巻く。この研究都市の内側でも、何百何千という企業の、どれだけの思惑が錯綜しているのか。なんて、少し陰謀論めいてきただろうか。

 ともあれ、そうした懸念は尽きなかった。

 例えば、研究成果を奪取したい者がいるだろう。

 例えば、人智を超えた理論(オーバーセオリー)を神の御業と信奉する者がいるだろう。

 例えば、集った観光客を狙う犯罪組織があるだろう。人間は百人百様、犯罪もまた千差万別なのである。

 だからこそ、この人工島の建設に際し、治安維持は何よりも優先事項にあった。そこにもまた、当然のように思惑は絡んでいたようだが、ともあれ、島の完成と共に、『特殊指定都市に関する法律』なるものが制定され、その一環として、とある組織が誕生する。

 組織図上では、それは警視庁の所属となる。つまり、その職員は警察官だ。だが、一介の警官とは一線を画す存在でもあった。この島で起こり得るのは、()()()()()。必然、その対処を任される彼らが要求される能力は、それを凌ぐものでなければならない。従って、警察官の中でも選りすぐりの精鋭が集められ、彼らは同僚からも称賛の眼差しを向けられた。

 名を、特殊事象調査室。『S.P.I.B.』と記された徽章を掲げる、島の番人である。

 はてさて、華々しく創設された通称『調査室』だが、懸念があった。この島が求める人智を超えた理論(オーバーセオリー)が、文字通り、()()()()()()()()ことだ。つまり、超能力や怪奇現象といった非科学的とされてきた超常の領域すらも、彼らに立ちはだかる、ということ。人智の及ばぬ理路を前に、いくら心は不退転の覚悟でいようとも、届かぬものは届かない。それこそが人智を超えた理論(オーバーセオリー)なのだから。

 よって、彼らは専門家(スペシャリスト)を求めた。理論物理学の最先端、人智を超えた先の理論を理解し、治安維持の一翼を担ってくれる存在を。文武両道の二人羽織。武の道が調査室であれば、文の道を補える者。人智を超えた理論(オーバーセオリー)の専門家として、島の番人の武器となり、盾となって、共に立ち向かう者を。

 そうして誕生したのが、特殊事象調査分室。一般には『分室』と呼ばれる、調査室の正式外部機関であり、また、民間組織である。


「やあ、待っていたよ修司君。今回も災難だったね」


 艶のある重厚な黒檀の机に向かったまま、特殊事象調査分室室長、久々原源重(くぐはらげんじゅう)はにこやかに言う。


「六徳君もご苦労さま。わざわざ悪かったね」

「いえいえ、お安い御用ですよお。私、特に何もしてませんしねえ」


 二人とも、年齢は近い筈だが、初老に足を突っ込んでいる六徳さんに対し、久々原さんは三十代にも見える若々しさ。カジュアルな紳士服を着こなし、人の好さそうな笑みを浮かべる知的な優男、といった風貌である。

 彼らは旧知の仲らしく、些細なやり取りからも、互いに気が置けない間柄なのが伝わってくる。こちらとしては、虎の巣穴に放り込まれた気分だが。


「では、京さんの送迎も完了しましたし、私は残した面子を迎えに行きますかねえ」

「うん、あとの二人ももう帰していいから、送ってあげて」


 すると、六徳さんは「了解しました」と大袈裟に腰を折ってから、静かに退室していった。


「室長、私も」

「いや、君はいてくれて構わないよ。というか君達、互いに自己紹介は済ませた?」


 残されたこちらの隣には、例の無愛想な部下の女。二人して彫像のように黙っていれば、彼は察したのか、溜め息を漏らした。


「はぁ。二人ともそういう積極性はないし、そんなことだろうと思ってたけれどね。そんな調子だと、君達将来困るよ?」


 そんなお小言も、二人揃って聞き流す。俺はともかく、彼女も慣れているようだ。彼はやれやれと首を振りながら席を立って、こちらへと歩み寄ってきた。

 ちなみに、久々原さんの想像通り、俺達は一度も会話をしていない。というか、例の倉庫以降、ようやく彼女の声を聞いたくらいだ。車中は終始無言だった。


「はいはい、黙ってないで自己紹介すること。一応、礼節的には僕達側から紹介するべきだね。という訳で、はい」

「……特殊事象調査分室所属、飛鳥馬(あすま)茜音(あかね)です。どうも」


 防煙マスクを外した彼女を端的に表現するなら、美人。腰まである長い黒髪は、絹のようにさらさらと揺らめき、小さい鼻や口、顔つきは作り物のように整然としている。黄金比というのだろう。鋭い目付きが凛々しさを象徴し、しかし、怖さよりも、人を惹き込むような魅力があった。


「彼女は学園の学生でね。けれど、十分な資質を備えている優秀な職員でもある。そこで、君の救助に一役買ってもらったのさ」

「学生なんですか。若いとは思っていましたが」

「優秀であれば身分は問わない。分室はそういう組織だからね」


 それにしても、元刑事に、学生か。千万島建設に携わった権力者を筆頭に、何やらごちゃ混ぜな組織である。


「で、こっちは既に知ってるね。本日誘拐されたてほやほやの京修司君。関係は色々と複雑なんだけれど、一言で言うなら、分室のアドバイザーだ」

「アドバイザー……この方が?」


 彼女は怪訝な瞳を向けてきた。


「まあ君達、年の頃も近いからね。尤もな疑問かも知れないけれど、彼、魔素理論にはとても詳しいんだよ」

「それは、室長よりも、ですか?」

「うん、僕よりも」


 こちらとしても、多少の自負はあるのだが、こうもさっぱりと言われると、却って怪しさが増すのではなかろうか。その辺りを彼は遠慮しない、訳ではなく、わざとあっけらかんとするのだ。


「で、今日は彼から連絡を貰う予定だったんだけれどね。約束の時間を過ぎても連絡がなくて、少し調べてみたら、何やら事件に巻き込まれてそうだと判明した」

「それで、私達に救出を任せた、と?」

「あくまで緊急措置的にね。僕達は警察組織ではないけれど、緊急時に必要な対応をすることは認められてるから」


 そうして彼は、理屈を通す。実際は、俺の足首にある()()の位置情報を調べたのだろうが、それを話せば、なぜそんなものを着けているのか、という話になってしまう。“被検体”と“管理者”の間柄は、分室の職員にも明かされていない。どころか、この島で知っているのは、恐らく、十人もいないほどの極秘事項だ。こちらは口を挟まず黙っておく。


「さて。それで、今回の誘拐には元締めがいる、という話だとか」


 真剣な声色と手振りで促され、俺は部屋の中央にある二人掛けのソファーへと腰掛ける。彼もガラステーブルを挟んだ対面のソファーに座るが、飛鳥馬は一歩引いて立ったままだった。

 まあ、指摘することでもない。続けよう。


「先に確認ですが、身代金のような要求はなかったんですか?」

「なかったよ。調査室経由で警察の緊急回線とか報道機関にも当たってみたけれど、表明も通報も何一つなかった」

「では、元締めの存在は間違いないかと思います」

「つまり、誰かから指示された代理誘拐だった、ということだね?」


 久々原さんも薄々感づいていたようだった。驚きはなく、納得した素振りだ。


強化服(パワードスーツ)にスタンガン、トラックにアジトも、用意をしたのが雇い主だと考えれば納得がいきます」

「倉庫については軽く調べたら、借り手はダミー会社だった。活動実態がない。トラックの方は運送会社に擬態した、多分廃車予定だったものだろう。一介の不良が手にするには、確かに過ぎた品だね」


 話しながら、彼はタブレット端末を操作する。


「彼らの素性は顔認証ですぐに割り出せたよ。あ、これ分室的には越権行為だから、調査室には内緒でね」


 恐らく、調査室にいる彼の知り合いに照合を頼んだのだ。悪びれもせず、ここまで堂々とされると、苦言を呈する気にもならない。それが狙いなのだろうが。

 俺は呆れつつ、タブレット端末を受け取る。


「そもそも、分室は救助隊ではないでしょう。どういう理屈をつけて来たんですか?」

「言ったでしょ、緊急措置。誘拐事件を察知して、可及的速やかに救出の必要があると判断。元刑事の六徳君もいるし、彼の適切な指揮の元、迅速に被害者を救出した、という筋書き」

「それで通るんですか?」

「いいかい修司君。出来る出来ないじゃない。やるにはどうするかだよ」


 それを、分室職員である飛鳥馬の前で言っていいものか。いや、聞けばまた別の理屈が返ってきそうなので、それは胸に秘めておこう。


「三人とも、本土の人間ですか」


 渡されたタブレット端末には、それぞれのIDが表示されていた。千万島へ入る際に作成を義務付けられているもので、静脈認証の決済にも用いられているものだ。

 金髪の男、多雅野(たがの)爽太(そうた)

 ピアスの男、辻田(つじた)凌平(りょうへい)

 黒尽くめの男、鎖渡(ひさし)

 三人に共通しているのは、本土の――つまり、千万島に在住していない――人間だということ。とはいえ、住所はバラバラ。詐称した可能性もあるが、少なくとも、彼らの雰囲気からしても、旧知の仲でないことは間違いない。集められたのだ。


「元締めの存在が事実なら、彼らはその為に連れられた人間だろう。俗に言う、闇バイトだね」

千万(この)島でも遂に闇バイトですか」

「仕方ないさ。人間社会から犯罪はなくせない。必要なのは付き合い方だよ」


 軽い態度も目立つ彼だが、その立場として、譲れないものは決して譲らない。島の存続の為ならば、犯罪ですら許容する。分室の長たる由縁は、そういう気質にあるのだろう。


「で、気になるのが、誘拐犯達は君の何を狙っていたのか、だけれど」


 おいおい、その話を部外者――“被検体”と“管理者”以外の者――がいる場でするのか。冷や汗が伝った。こちらの後ろに立つ彼女に監視されている気分になりながら、努めて平静を保ち、なんとか上手い言い回しを考える。


「恐らくは……魔素理論研究所から出てくる姿を目撃されていたのだと思います」

「ふむ、とすると狙いは研究機密か。ふふ、それで手荒な誘拐とは、スマートさの欠片もない」


 こちらは肝が冷えた。“被検体”のことを持ち出したら、どうするつもりだったのか。

 それとも、そう考えさせることまで織り込み済みで、ここで機転を利かせられるか、試したのかも知れない。この人なら、それもあり得るから余計に質が悪い。


「ちなみに、彼は研究員とも付き合いがあってね。ほら、さっき詳しいと言った関係で」

「私のことはお気になさらず、続けてください」


 飛鳥馬はきっぱりと断りを入れる。六徳さんへの態度もそうだが、こっちもこっちで相手に遠慮をしないなあ。


「それと一つ、噂話があります」

「噂話?」

「『千万島の神隠し』」


 その返答に、流石の彼も初めて怪訝な顔つきとなった。


「どうやらここ最近、続けて失踪があったとかで、まだ一部でしか知られていないようですが」

「それは……ああ、なるほど。それが魔素理論研究所の職員か」


 頷く。研究所の職員は、みだりに自身の職を公言しないし、姫路さんも彼らの生業を口にしてはいなかったが、立地や状況から考えて、可能性は十分だ。

 つまり、『神隠し』の正体は、研究機密を狙った連続誘拐事件。魔素理論研究所を出てきた場面を連中に見られた俺は、所員と誤解されて拐われたのだろう。


「となると、調査室も間違いなく把握してる筈だ。まだ証拠が揃ってなくて動けないから、()()()使()()()のかな? そういえば、勝手に動いた割りには特に何も言われなかったし」

「分室が職員を動かすことをわざと黙認したんですか?」

「彼らは警察官だから、令状がなければ踏み込んだ捜査は出来ないとしても、僕達が犯人を確保したことを理由にすれば、被疑者の現行犯逮捕という正当な理由で動ける。分室は調査室ほど規則が厳しくないから、踏み台として使われたんだろうね」


 なんとも強引だ。どこかの国の軍事介入の口実に似たような話を聞いたことがある気がするが、規模がどう変わろうと、社会の本質は変わらないらしい。


「まあ、君の救出という最優先事項は果たしたことだし、元締めについては、僕の方で気を付けておこう。調査室へのいい手土産にもなりそうだしね」


 貸しを作れることで上機嫌そうな久々原さんに、タブレット端末を返した。闇バイトらしく、目を引く情報は載っていなかった。


「あの、室長」


 飛鳥馬がおずおずと発言する。呼ばれた彼は「何だい?」と気さくに応じた。


「余計だとは思いますが、ほとんどが憶測なのでは」

「憶測か。そうだね、今の話には根拠がほとんどない」

「でしたら……」

「それでも大丈夫さ。僕は彼を信頼している」


 久々原さんは晴れやかに応じる。


「君にとって、彼は尋常でなく胡乱なことこの上ないだろう」


 言い方あるだろうもっと。


「僕も彼にはちょっとどうかと思うところもある」


 いいから直接言えよ。まあ、別にいいのだが。


「それでも、彼は信頼に足るよ。まあ、信用がないのが却って信頼に足る、という感じかな」

「はあ……?」

「ふふ、きっと近い内に分かるさ。僕としては、君も彼もどちらも大事だし、どちらを損ねることもするつもりはないよ。勿論、島の安全を脅かすこともね。これは僕達に必要なことだと考えてくれて構わないから」


 そんなことを言われれば、一職員としては納得せざるを得ないようで、それ以上、飛鳥馬が口を挟むことはなかった。


「……ん、『近い内に分かる』って言いましたか?」

「うん、だって……あれ? そうか、修司君には言ってなかったんだっけ」

「あー……いえ、聞かなくていいので、俺はそろそろ」

「そうかそうか、いやあすっかり忘れてた。ごめんごめん」


 果たして、その失念は故意か否か。どちらにせよ、こちらに構わず話し続けるものだから、暗に『逃げるな』と言われているのは明白であった。


「じゃあ改めて、京修司君」


 気圧されて、俺はしぶしぶと、持ち上げていた腰を下ろして居住まいを正す。


「今回、君は誘拐された。君の責任ではないにしても、アドバイザーでもある人物の略取は、室長(ぼく)としては見過ごせない問題だ」


 それもまた、建前だろう。厳密には、“管理者”として、だと思う。


「君を頼りにしている立場としては、あまり縛り付けたくはないんだけれど、それでも、最低限のことはしないといけないし、それに、これは君を思ってのことだ」


 それは本心だと感じた。“管理者”と“被検体”という関係を用意しておいて、しかし、何かと親切に、対等に接してくれる彼には、俺には返しきれない恩がある。


「よって、京修司君。君はこれから、()()で保護させてもらうことにした」

「……は?」


 そんな恩人の言葉に、大層失礼な返事をしてしまったことも、仕方のないことなのだと、そう釈明したい。

 なぜなら、()()は。


「それはつまり、この、()()()()で……?」

「うん、そういうこと」


 ここは警察署ではなく、特殊事象調査分室の一室でもなければ、学校法人千万学園、その理事長室である。千万島に新設された学園で、魔素理論をカリキュラムに取り組んだ世界初、且つ、試験的な学園で、つまり、学園。

 要は、学園だ。


「君には、しばらくこの学園で過ごしてもらうから」


 人の好さそうな笑みを浮かべる久々原さん、改め、学校法人千万学園の久々原()()()

 その笑みの裏側は、やはり、食えない人であるらしい。






 学校法人千万学園。

 創立五年を待たずして、名だたる名門に名を連ねることに成功した、今や国内外に広く知れ渡った教育機関である。その最大にして唯一無二の特徴は、『学生を魔素理論研究に役立てている』ことにある。とはいえ、人道的に。言うなれば、これからの社会のモデルケースとして、あらゆる力と上手に付き合っていく為の制度を考案し、それを実現した学園なのである。

 学園生は、この海上都市で勉学に励むことになる。無論、全寮制。面積に限りのある人工島にもかかわらず、広大な敷地を有しており、彼らはその学舎で何不自由なく、優れた設備で高い水準の教育を受けられる。この国の未来を背負うことを見込まれた彼らの数年は、きっと、華々しいものとなるであろう。

 そう、まさか、自分がそんな千万学園と、引いては、教育機関と再び関わりを持つなんて、思ってもいなかったのだ。これは誰の策謀か。まあ、心当たりは一人しかいないが。

 普段から、無責任な言葉は口にしないよう注意している。例えば、『絶対に』。神ですらサイコロを振ることがあるのに、軽々しく『絶対に』なんて言ってはならない。だが、こればかりは本当に『絶対に』ないだろうと、寧ろ、そう考えることすらも全くないくらい、片隅にも思ってもいなかった。

 学園にしても、組織にしても、千万島そのものにしても、人間社会というものは、絵の具のパレットようなものだと思う。十人十色という言葉があるが、十人も集まれば、色なんて真っ黒だ。そうして生まれた色はきっと、集団意識とでも呼ばれるものなのだろう。

 取り分けて、学園という環境は、その傾向がより強いように感じる。感化され易い思春期の頃が集うから、だろうか。良識も価値観も、あらゆる面で未成熟な彼らは、既成概念や強い意見にあっさりと染め上げられ、真っ黒に塗り潰されてから社会に送り出される、と考えれば、なんとも滑稽ではないか。

 まあ、要するに、そんなことを恥ずかしげもなく考える奴が、教育機関に馴染める筈もなく、きゃっきゃうふふとした学園に混ざる自分を妄想しては、進む足は重くなる。水に泥を混ぜるようなもの。ある意味で純粋な彼らの学び舎が、『京修司』という不純物で汚されたとして、その責任は、俺が負うことになるのだろうか?

 まあ、千万学園なら、なにせ我が“管理者”が理事長を務めているのだから、思っているような場所ではないのかも知れない。学園なんて、同調圧力と年功序列を内含した人間社会の縮図だと考えていたが、それくらいは彼も百も承知。わざわざこの学園で保護する理由がある筈なのだ。

 多分。きっと。

 ともあれ、なるようになれ。ならずとも構うべからず。“被検体”に拒否権はない。目の前の状況を受け入れるが定め。それが、俺に課せられた試練である。


「どうなってる、この学園は……」


 もし、目の前に。


「何で小学生を働かせてる!?」


 労働基準法違反があったとしても。

 さて、詳細を述べていくと、見てわかる通り、女児である。身長はこちらの頭一つも二つも小さく、くりっとした目、ぷっくらして赤み掛かった頬、丸みのある輪郭の幼顔は、誰が見ても年端もいかない雰囲気。しかも、ランドセルを背負わせれば、広告塔になれるくらいの愛くるしい外見だ。

 そんな幼女が、学園敷地内に併設された、小洒落たマンションのような寮の管理人だ、と紹介されたものだから、思わず、隣にいる飛鳥馬に向かって先の通りの言葉を投げ掛けていた。

 なお、事前に「冗談だろう?」と確認はした。しかし、彼女は「いえ」と一言だけを至極真面目な顔をして返すものだから、有無を言わさぬ雰囲気に、疑う余地がなかったのだ。


「一回までです」

「一回? それよりも、この小学生のことを」

「あ」

「『あ』?」


 飛鳥馬は一向にこちらを見ようとせず、ただたった一文字の音節を、随分とわざとらしく、はっきりと発音するので、何事かと訝しむ傍ら、俺は視界の端に動体を捉えて無意識のうちに振り向くと、目の前には靴底があった。


「へ」


 何を考える間もなく、メキィ! と、顔を思いっ切り踏みつけられたのだと気付いたのは、廊下を派手にすっ飛んで、二、三回ほど転がってから。一日に二度も飛び蹴りをされる確率は、雷に打たれる確率よりも珍しいのではなかろうか。


「ふん……よく覚えとけ。千万学園寮統括管理人、樹卯(きう)京奈(けいな)は、歳は二十四、嫌いな奴は初対面で子供扱いしてくる奴だ。まあこっちの()()もあるから、一回目までは許してやるがな。よろしくなァ、京?」


 幼女の声帯から何やらドスの利いた声で、取扱説明書みたいな自己紹介を、床に寝そべったまま聞かされた。


「い、言うのが、サラ金並みに遅い……」

「注意する前に言っちゃうのが悪い」

「飛び蹴りされるなんて普通思わないでしょう、『小学生』と言っただけで」

「あ゛ァん?」

「いや! 今のは文法上の言い回しです」

「ん、そうか。ならよし」


 いいのか。判定は甘い。


「彼女はここの管理人を務めています」

「……それは、さっき聞いたんだ、飛鳥馬」


 彼女は壊れたプレイヤーみたいにこの調子。小学生みたいな管理人は天使のような顔をしつつも、よく見れば、タンクトップとショートパンツにスリッパを履いた腑抜けたコーディネート。俺は変人の巣窟にでも放り込まれたのかも知れない。

 まあ、愚痴を言っても仕方がないので、起き上がって上着をぱんぱんと叩く。


「そういうことなら、失礼しました。以後、気を付けます」

「ん、おう……ん、それだけ?」

「どういう意味で?」

「いや、あたしが言うのもあれだけど、歳聞き返されなかった経験なかったから」

「若く見える分にはいいのでは」

「そうだけど……お前、変わってるなあ」


 なぜか、こちらが変人扱いであった。


「怒らないんですね」

「……ああ、やっぱりわざと黙ってたのか」


 道理で、ここまで無言で連れてこられた訳だ。こちらがどういう対応をするのか、彼女は窺っていたのだろう。


「まあ、蹴られて減るものもなかったし、別にいい」

「……マゾですか?」

「あのな。俺としても、急に学園で匿うなんて言われて戸惑ってるくらいなんだ。別に、多少ぞんざいに扱われることに異議はないってだけだよ」


 怒るよりは、納得。誘拐されたばかりだとしても、無職、かつ、学生でもない男を、突然、自分達の学舎に引き入れるとなれば、多少の悶着は覚悟していた。


『修司君』


 それは、理事長室をあとにする際のこと。


『君のことは、「事件に巻き込まれた他校の学生」という体裁だ。僕と君は旧知の仲で、厚意から一時的に匿うことにした。そういうシナリオで行動するように』


 ということで、話は通っているらしい。詐欺とは、全く無警戒の相手より、ある程度の警戒がある相手の方が騙され易い傾向にある。俺は詐欺師のつもりはないが、“被検体”のあれこれを隠さなければならない現状で、飛鳥馬の警戒心は、却って好都合。その過程で飛び蹴りされるとしても、必要経費というものである。


「んじゃ、茜音もお疲れ。もう遅いし、こいつはあたしが引き受けるぞ」

「……では」


 短く一言だけ告げて、飛鳥馬は階段を上っていった。誤解が解けていればいいのだが。


「いつもあんな調子なんですか?」

「ん、茜音か? 何だよ、お前も男子かー?」


 こっちにも何やら誤解があるらしい。小さな肘でぐりぐりと弄られる。


「そんなつもりではなかったんですが」

「照れんなって。女子でもあいつには憧れてるぜ? きりっとした目に小っちゃい鼻、白い肌に鮮やかなピンクの唇。おまけに運動神経抜群ときたもんだ。体育の授業なんか、束ねた長い髪を揺らしてコートを駆ける姿に倒れた奴がいるとか。あいつは学園の誇りだな」


 幼女が知った顔でうんうんと頷いていた。年齢を聞かされていなければ、お前が世間の何を知っているのだと混乱していたところだろう。

 しかし、美人で長身、スレンダーな体型、綺麗な髪に透き通った声、凛とした姿勢に物怖じしない態度。人気があるのも分からなくもない。気絶云々は俄かには信じ難いが。


「つっても、残念だが、その長所を帳消しにして余りあるくらい無愛想だ。あいつは誰に対してもあの調子だし、他人になびいてる姿なんて想像もつかない。生粋の高飛車だぞ」

「急にズタボロに言う」

「だってあの性格だしなあ。つんつんしてる、とか思わなかったか?」


 つんつんどころか、刺々しいとか、いっそ毒々しいくらいが適切だとは思う。


「綺麗な薔薇には棘がある、みたいな感じですか」

「まあな。あたしはあんまりその表現、好きじゃないけど」

「何か引っ掛かるところが?」

「んー……ほら、棘って必要だから生やすものだろ? それをそいつの欠点みたいに言うの、一方的で、好きじゃない」


 言われてみれば、その通り。要するに、相手の事情も考えろ、といったところか。飛鳥馬の機械的というか、冷淡な態度も、薔薇しか知らない事情に起因するのかも知れない。


「ですが、棘を生やす道を選んだ自覚は持つべきでしょう」

「自覚?」

「棘が自衛の為だったとして、それが誰かを傷付けるものだという自覚です。欠点は承知しておかないと、本当の意味でフェアとは言えませんよ」


 独り言のようにぺらぺらと語ると、樹卯さんはぽかんと聞いていたが、すぐに豪快に笑いだした。


「あっはっはっは! そうだな、そういう見方もある。あんまり一方的に悪く言うなっていうのも、それもそれで既に一方的か」

「それとしても、俺はそもそも薔薇自体、あまり綺麗とは思いませんよ。何と言うか、ごてごてしくて」

「あー、なるほどな。確かにあいつはもっと和っぽい……紫陽花とか似合いそうだ」

「色合いとか、咲き方ですか?」

「いや毒があるから。あと花言葉」


 毒がもうあちこちに。花言葉は知らないから、あとで調べてみるか。


「樹卯さん、もしかしてガーデニングされてますか?」

「お、よく分かったな?」

「花に詳しいようですし、表の花壇、とても綺麗だったので、誰か手入れしているのは何となく」


 花を育てるのは、植えて水をやればいいというものではない。育ち過ぎたり枯れた部分は間引き、散った花びらが残れば葉を腐らせることもある。非常に几帳面な管理と根気を対価に咲かせた花は、それは美しいものである。


「へえ、男でそこに気付くのは珍しいな。お前も何か育てたりするのか?」

「いえ、以前手伝っていたくらいです。それでも、土いじりの大変さは身に沁みました」

「……そっか」


 すると、樹卯さんは満足そうに、にっと笑い、何やらご機嫌にこちらの腰をバシバシと叩いてくる。よく分からないが、これは、気に入られたと考えていいのだろうか。


「お前、いい奴だな」

「樹卯さんは見た目に反して親父臭いですね」

「一言余計だアホンダラ!」


 ドスッ、と軽くローキックを叩き込まれた。


「まあ、どのくらいの付き合いになるかは知らんけどさ。(うち)のにも悪い奴はいないよ。積極的に関われとは言わんが、機会があったら仲良くしてやってくれな。お前、結構大人びてるし、いい刺激になりそうだ」


 まるで、母親か里親のような温かい声色で、少女は微笑むのであった。


「ああ、茜音や他の女子には手ぇ出すなよ」

「出しませんよ。保護されている立場は弁えています。そうでなくとも出しませんが」

「一応な、一応。管理人的に、あたしも注意しないとダメだからさ。それに、学生の頃からそいつの子孫を絶やすなんてことは、なるべくやりたくない」

「なるほど……ん? 違反すると去勢される……」

「はっはっは。じゃあ部屋見に行くぞ、ついてこいっ!」


 そんなこんなで、頭二つは低いであろう寮母の後ろを歩いていく。この人、他人を見上げるばかりの環境で働いているなあ。


「第一寮は一階と二階が男子フロアで、三階と四階が女子フロア。お前の部屋は二階の端っこ。男は三階より上は立ち入り禁止な」

「そういえば、第二寮もあるんですか?」

「すぐ隣にな。なんなら第三、第四ってのも敷地の反対側にある。あっちの方が部屋数は多いんだが、時間も時間だし、こっちの方が都合が良くてな」


 樹卯さんは親指を横にビシッと指差す。廊下はマンションというよりホテルのようで、高そうな絨毯が敷かれてズラッと個室が並んでいた。


「で、あたしは第一寮兼統括管理人。つまり一番偉い。ほら畏れ敬え」

「敬うのはいいとして、畏れはどうなんですか、管理人として」

「いいんだよ。どうもなー、他の連中はあたしを子供扱いするっつうか、何度言っても見た目いじってくるし、あんまり年上に見られてねえっつうかなー」


 頭の後ろで手を組みながらぶつくさと。口振りからして、深刻な悩みではなさそうだが、見た目は幼女、中身はおっさん、実年齢は二十四の彼女からすれば、管理人業務は大変だろう。高所の掃除とか、電球交換とか。

 久々原さんが、何を思って彼女を雇ったのかは分からないが、もし、彼女も彼から無茶難題を言い渡されているのだと思うと、少し親近感が湧いてくるものだ。


「樹卯さんは、今のままで十分に可愛らしいですが、もう少し大人びて見えるといいですね」

「よしきた喧嘩売ったなお前ェ!」

「違いますって今も素敵な樹卯さんのそんな一面も見てみたいというだけで!」

「……お前、口の回転すげえな。ジェットエンジンかよ」


 毒気を抜かれたのか、なんとか宥められた。これが姫路さん(二十七歳独身女性)ならば、『褒められたぁ。わーいわーい』とか言い出すくらいにはちょろいのに。

 ……そうだ。そういえば、彼女は無事だろうか。あの誘拐犯がこちらを研究所から尾行していたのであれば、sanatio(サナティオ)に入る場面も見られていた筈だ。とすれば、関係者と疑われ、危害が及んでいる可能性もある。

 まあ、何かあれば久々原さんが教えてくれる、なんて無責任な期待で放り出したりするつもりはないが、現状、どうしようもない。時間的にも既に閉店しているだろうし、明日にでも連絡を取ろう。今はとりあえず、休息が任務である。


「ほら、着いたぞ。ここがお前の部屋。これが鍵。自分で開けてみ」


 不意に鍵束が飛んできた。綺麗な放物線を描くそれを受け取り、その一本を鍵穴に差し込んでみる。静脈認証が主流の島だが、学園寮の一室は普通の錠前らしい。さて。


「……へえ、これは凄い」

「結構いい部屋だろ。角部屋だしな。朝方は校舎のいい景色が見えるぞ」


 こちらの感嘆とする様子を見てか、樹卯さんが背後から自慢げに声を掛けてきた。


「八畳一間で家具家電諸々完備。うちの学園は急に転入生が来ることも珍しくないから、バッグ一つでしばらく過ごせるようにって理事長の方針だな。ぶっちゃけ、そこらのビジネスホテルよりよっぽど豪華だ。あたしが住みたいくらいだもん」


 その通り、室内には一通りの必需品が揃っていた。埃が積もっている様子もなく、着替えと食料品さえあれば、本当にそのまま住めるレベルに整えられた、ホテルのような一室。


「世話になる身で失礼ですが、広い敷地に綺麗な寮といい、景気がいいですね?」

「余所の学園と比べるとな。そこんとこは運営方針というか、んー……」


 すると、樹卯さんは小さい顎に短い指を添え始める。


「まあ、隠すことでもないし、ざっと説明しとくか。京は魔素理論のこと、どのくらい知ってる?」

「……そうですね、一般常識くらいは」


 これは嘘ではないが、事実でもない。先の理事長室では久々原さんに認められた分野だが、一応、一般の学生を装っておきたいので、ひけらかさないようにしておくべきだろう。


「それなら、ちょっと詳しめに説明しておくか。ここにいる以上、お前にも気を付けてもらわないとならないことだし」


 そう前置きして、腕を組んでどっしりと構える幼女だった。


「最初に誤解しないでほしいのは、魔素理論っていうのは、ちゃんとした理屈があって、ラインとしては科学の延長線上にあるってことだ。ゲームとか空想小説とか、そういうのに出てくる魔法とごっちゃにする奴がいるけど、まずそれは間違い。保存則とか原理とかがちゃんとある上で、科学の範囲内で不思議な力が使えるってことだな」

「まあ、理論ですからね。それくらいは」


 なお、“魔素”理論とは呼ばれているが、理論そのものは魔素について述べられたものではなく、一連の体系に登場する『悪()()粒子』が中でも特徴的であることから、その名が付けられている。これは歴とした理論物理学の話であり、相対性理論や量子論の発展、または、超弦理論の並列理論とも呼ばれ、魔法という曖昧な概念とは、まるで異なるものである。


「ただ、魔素理論は最近提唱されたばかりだ。つっても十年前だが、その十年じゃあ、それが正しいかどうか証明するには全然足りない。学術の世界ではよくあることらしいんだけどさ」


 そう、よくある話。

 例えば、相対性理論がその一つだ。百年が経った現在でも、その全てが正しいと証明されてはおらず、言わば、答え合わせの段階にある。簡単に述べると、『理論上はそうなってる筈だが、実際に確認する術がない』状態。そういう界隈なのだ。


「だから、要は、正しいかどうかの確認と、そういうのは無視して、とにかく利用する目的の研究。大きく分ければこの二つが、所謂、魔素理論研究ってやつになる。実際のところは、研究規模で言えば、魔素理論研究は研究都市全体の数パーセントくらいらしいけど」

「テスターやモニタリング環境が整っているので、一般企業の商品開発にも便利だとか聞いたことはありますね」

「それも含めて『研究都市』の名は伊達じゃないってことだな。この島では企業と民間人の距離が近い。研究分野全体を活発にするっていう政策の通りにな。それでも、魔素理論研究が()()()なのは間違いない」


 幼い見た目に反して、彼女はすらすらと述べていく。


「そんで、肝心の魔素理論研究ってのが、鬼難しい。計算とひらめきだけで考えられた理論で、机上の空論って言うと意味が変わってくるが、真偽を確かめるにしても、本来は、超大掛かりの装置を使って超小さい反応を捉えてっていうのを何百回と繰り返す、とんでもなく大変な作業になる。粒子加速器とか聞いたことあるだろ? しかもあれも交代制っつーか、使いたい時に使える訳でもない。で、この学園の出番だ」

「この学園と提携すれば、もっと容易に、様々なデータを入手出来る?」

「お、飲み込み早えな。正解」


 あくまでも、理論上に過ぎない魔素理論。それを中心に据えて人工島を建設したのも、そんな時勢になったのも、()()という存在が大きかったのだ。


「要するに、うちの学生の、特に一部はな、文字通り『学園の資本』だ。そいつらが魔素理論研究に協力してくれるから、学園は企業や研究所から援助を募れる。スポンサーみたいなもんだな。で、その援助で設備や待遇を良くすれば、学生の数やモチベーションも向上して、より研究の助けになっていく」

「いいスパイラルですね」

「それだけが学園の在り方じゃないにしても、社会の枠組みにかっちり組み込まれてるのは、この学園の大きな特徴の一つだ。卒業後の進路も具体的になるし、実際、授業料なんか安いどころか、免除の枠もかなり広い。それ目当てで志願する奴も結構いるから、おかげで賢い奴がまあ揃う。創設五年で名門と呼ばれるようになった由縁だ」


 続けて、「一部にはバカもいるが」と、言葉とは裏腹に彼女は微笑む。


「つまり、この学園にとっちゃあ、魔素理論の()は話題性以上に、実質的な価値を認めてる。逆に言えば、それを乱されれば、学園運営に関わる一大事ってことだ。面白半分で冷やかしたりするなよー?」

「しませんよ。そんなに信用ありませんか?」

「さっきも言ったろ、一応だよ一応。警備は鬼厳しいし、魔素理論研究なんか国が進めてるもんだ。うちは学校法人だが、運営は国立の魔素理論研究所との提携で成り立ってるんだから、その辺ちょっとややこしい。搔き乱したら最悪国に消されかねないぞ。いやマジな話」


 目が笑っていなかった。虎の巣に放り込まれたと思えば、出ようとするとハンターに囲まれてる、みたいな四面楚歌。保護というか軟禁だな。


「あとはまあ、ここはさ、そういう奴らの避難所でもあってさ」

「避難所、ですか」

「お前みたいなのもそうだし、他の学園じゃ馴染めなかった奴、行く宛てのなかった奴、色々いる。『力』って言うと一方的に聞こえるけど、あれはあいつらの『想いの結晶』みたいなもんで、でも、それがあるだけで普通の学園生活を送れなかった奴らの、ここは最後の砦でもある。理事長はそういう連中を真っ先に受け入れてるからな。『資本』っつったが、それはあいつらに、ちゃんとした社会的価値があるっていう後押しなんだよ」


 人を『財産』と呼ぶようなもの。物扱いかと意見もあるだろうが、少なくとも、何の価値もないとは決して言わない。それが嬉しいという者は、恐らく、少なくないと思う。


「まだ試験的とは言われてるが、それでも、ここを出てった奴らは、揃っていい顔してた。あたしはそれが嬉しかったし、やりがいでもある。だから、風紀なり何なりを乱す奴には容赦しねえってことだ。管理人を侮って小学生だ何だと言ってくる奴とかなあ?」

「い、イエスマム……」


 どうやってか、小さくてまだ全然柔らかそうな拳をボキボキと鳴らす彼女に、口から出たのは畏れの言葉であった。


「ま、ここならどこよりも安全ってことだ。遠慮せず、ゆっくり羽根を伸ばしとけ」

「樹卯さんが番人なら心強いです」

「いや別に寮の番人のつもりはねえって。こんなか弱い女に失礼だなあ」

「ははは」

「おい、何で笑った?」

「すみません、間違えました」


 冗談ではなかったのか。






「京ー、起きてるかー?」


 幼さを感じる声とノックで目を覚ます。何だか新鮮な目覚まし時計だった。テーブルに置いた腕時計を見れば、まだ六時過ぎである。とはいえ、寝起きはいい方なので、すぐに頭も冴えてくる。待たせるのも悪いし、童顔管理人の姿を思い浮かべながら、すぐに解錠して扉を開けた。

 すると。


「よっ」


 知らない男が立っていた。誰。


「京、おはようさん。起こしたか?」

「樹卯さん」


 幼女が扉の側面からにゅっと生えてくる。子供は早起きだなあ。


「いえ、ちょうど起きたところです」

「そっか。よく眠れたか?」

「はい、ぐっすりと」

「そりゃ良かった。何かあったら遠慮すんなよ? 設備の要求とかも結構通せるし、お前らが水準を上げてくれると、あたしの部屋も良くなる!」


 ぐっ! と親指を立てて、そんな横柄な言葉遣いにも段々と慣れてきた。樹卯さんは目線を上げて隣の男を見上げる。


「んで、こいつは空上(そらうえ)。隣の部屋の奴だ」

「おう、空上辰巳(たつみ)だ。世話係を任された。よろしくな!」


 にかっと気さくな笑顔で挨拶してきた彼は、茶髪にカジュアルな装い。見た目は悪くないが、かといって特筆することもない、年頃の男子学生といった雰囲気である。


「世話……ああ、樹卯さんの?」

「おい待てや京。何であたしの世話係だと思った、遠慮せず言ってみろ」

「戸棚の上の荷物を取る時に、こう」

「たかいたかーい、ってんな訳あるかボケが!」


 ドゴォッ! と腹部を蹴られる。この小学生の足技、昨夜も思ったが、恐るべし。


「ぶわはははっ! 京奈ちゃん昨日来たばかりの奴にもういじられてやんのー!」

「あぁん? おいこら空上てめえ、人様の顔見て笑ってられる余裕あんのか?」

「えっ? ちょっ、何で指バキバキ鳴らしてんの……?」

「おめーらこの前また女子フロア入っただろ割れてんだよなァ! あと誰が『京奈ちゃん』だハゲ散らかせオラァッ!」

「待って待ってすんません出来心でっ! ていうか十代の毛根を死滅させようとするのマジ待って!」


 そうして、早朝の廊下で幼女が一頻り暴れ、一人の男子学生に地面を舐めさせると、やがて、彼女の呆れたような大きな溜め息で区切りとなった。


「でな、人間、『衣・食・住』が大事だと思ってさ。住居はいいとして、当面の食事と衣服だ。いくらなんでも、部屋にそこまでの準備はしてないだろ?」


 えぇ……この人、男子学生の屍の上に立ったまま世話を焼いてくる。

 なお、食べ物については、全くなかった訳ではないが、それは非常時用の備え付けだった。服装は昨日と同じまま。替えの服はなかったので、洗濯して乾燥させるまでの間、シーツにくるまって暖を取っていた。文明の偉大さを実感した夜であった。


「荷物はこれから取りに行くにしても、ともかく、いつまでここにいるか分からん訳だし、部屋回りくらいはちゃんと整えといた方がいいよな」

「確かに、その方が助かります」

「で、こいつの出番。茜音に頼もうかとも思ったが、男同士の方が気兼ねないと思ってな。ついでに死刑執行(要件)もあったし」

「ああ、なるほど……?」

「この際だ、何でも頼ってくれ、かなっち!」


 『かなっち』。俺のことだろうか。まあ、呼び名なんて何でも構わないが。

 というか、彼は元気だなあ。ボコボコにされて地面に突っ伏してるのに、晴れやかな笑顔で親指を立てているのだから。


「んじゃ空上、あとは任せた」

「あれ、京奈ちゃん戻るんすか? 説明ざっくり過ぎない?」

「京奈ちゃん言うな。休日ってのはな空上、起きた瞬間から始まってるんだぞ。限られた時間をどれだけ有効に使えるかで、一日の達成度が全然違う」

「へえー。達成度ってなに、ランニングとかヨガみたいな?」

「いや、空ける本数」

「酒の話かよ!」


 そんな突っ込みも我関せず、樹卯さんは目を糸のように大層嬉しそうな顔をしながら、「じゃあ任せたー」と階下に消えていった。


「ま、マジで行っちまった……」

「……あの人、あの容姿で酒を飲むのか」

「そこか? いやまあ俺も気になるけど。なんかゴミ袋一杯のビールの缶とか出すらしいぜ。あの身体のどこに消えてんだろな」


 男二人、揃って酒好きの幼女に呆れた。


「なんか、悪かったな。面倒事に巻き込んで」

「ああ、いいっていいって。気にすんな。俺も去年転入してきた時には京奈ちゃんに助けてもらったし。まあ思いっ切り腹蹴られたけど。ありゃ男子の通過儀礼みたいなもんだ」


 同じ釜の飯を食う、もとい、同じ幼女の蹴りを食らうことで、男子生徒は妙な絆で結ばれるのだろうか。


「んじゃ、まずはメシか。聞いた限りだと、昨日の夜から食ってないんだろ?」

「ん、ああ、確かにそうなんだが」


 思わず空返事。彼は人がいいのだろう。折角だし、今のうちに確認しておこう。


「どうした?」

「その前に、こっちの事情は聞いてるのか?」

「あー、事情な。事情はまあ、京奈ちゃんから軽く聞かされた」


 部外者を寮に泊めるのだから、世話係となれば、多少は説明されているか。さて、どう話を合わせたものか。


「別に問い詰めた訳じゃないんだけどさ、知っといた方がいいって言われて……」

「ああいや、違う。こっちから話すべきかと確認したかっただけで、他意はなかったんだ」


 そう釈明すると、「そうか?」と呆けたような表情だ。


「強いて言うなら、変に気を遣われたくなかったくらいだから、全然気にしないでいい」

「そういうことな。ま、これでも口は固いからさ。樹卯ちゃんも、それが分かってるから俺に頼んだと思うぜ」


 『悪い奴はいない』か。きっと、その通りなのだろう。彼も、恐らくは、飛鳥馬も。


「意外に真面目なんだな」

「だろ。こういうギャップって女子受けいいらしいから、他人にゃ親切にするって決めてんだよ。かなっちも何でも頼ってくれ。な!」

「ああ、なるほど?」


 少しずれている気もするが、まあ、助けられる立場なので、弾むような彼の言葉に、適当に肯定しておいた。


「そういえば、部屋にキッチンはあったんだが、個人で用意してるのか?」

「おう。全寮制っつっても、決まった時間に全員で食事、みたいなのはないぞ。そもそも寮に食堂がない。大半は学食で済ましてるんじゃねえかな」

「学食か。まあそうだよな」

「校舎近くに第一と、ちょっと外れたとこに第二と第三学食ってのもある。基本は第一でいいと思うぜ。第二と第三はちょっと高いんだ」


 昨夜は見落としていたらしい。というか、そもそも学園の敷地が広いので、全容が分からないのである。地図が欲しいくらいだ。


「もう開いてるのか? まだ早い時間だと思うんだが」

「確か七時には開いてた筈だし、結構遅くでもやってるな。メニューも豊富だし、値段は安いし量もあって美味い。ぶっちゃけ自炊するより安くね? って話」


 どうやら、昨夜に聞いた千万学園の待遇の良さは、そんなところにも表れているようだ。


「あとは購買か。筆記用具とか食品だけじゃなくて生活用品も売ってるから、ちょっとした買い物なら外に出なくても済むぞ。ああ、学園の外って意味な」


 聞けば聞く程に、流石は久々原さんの庭、やりたい放題だ。


「かなっちって、メシは自炊派?」

「大体そうだったな。外に出るのが面倒で自分で作り始めた感じだ」

「あー料理出来そうな奴の発言だこれ。たまにいるけど、自分で作り始めるって感覚が分からんよ俺は」


 すると、そこで情けない音がこちらの腹から鳴る。ぐぅ~、と。


「ははっ。んじゃ朝メシにするか。俺も腹減ったし、学食なら付き合うぜ?」

「いいのか? 寝直さなくて」

「いいよ、頭毟られて目え覚めたし。ついでに外に買い物に行くなら、一番近い店も案内するか?」


 まるで、その提案が当然とばかりに、親切な彼である。樹卯さんの人選、あれでなかなか侮れないらしい。


「いや、気持ちだけ受け取っておく。ちょっとぶらついてみたい」

「あー探検したい感じな。分かる。ま、俺は今日は一日空いてるから、必要なときは気軽に言ってくれ。連絡先も交換しとこうぜ」

「ありがとう、助かるよ」


 気安い関係だが、その距離感に落ち着く。こんな風に誰かと話したのは、本当に久々だった。誘拐され、どんな人生だと信じもしない神に唾でも吐こうかと思ったが、案外、悪いばかりではないのかも知れない。

 それとも、まあ、普段の行いの罰が当たった可能性の方がありそうだ。不幸中の幸いとは言うが、そもそも、不幸なんてない方がいいに決まってる。






 昨夜から続いた悲運の揺り戻しでも来たのか、日が高く昇った頃、俺は美人エージェントと、自室で二人きりとなっていた。


「すぐに荷造りするから、少しだけ待っていてくれ」

「どうぞ気にせず。ご自由に」


 さて、字面からでは伝わらないであろう、このギスギスとした刺されるような緊張感から逃れるように、話は二時間ほど前に遡る。

 空上と朝食を取り、その後、彼と別れた早々、久々原さんへ連絡を取った。立場上、忙しい身の上の人だが、それでも時間を取ってくれると見越してである。

 何度かの呼び出し音の後、スマートフォンの画面は通話状態へと切り替わる。


『はい、久々原』

「おはようございます、京です。今、時間取れますか?」

『うん、いいよ。というか、理事長室に来るかい? 僕、今そこにいるし』


 そういえば、今はこちらも学園にいるのだった。いつもなら自宅で彼の声を聞くので、妙な感覚だ。


「休日の朝から仕事ですか」

『家にいるより落ち着くからね。僕、図書館での勉強が好きだったんだ。それにここは空気がいい』


 まあ、これだけ広い敷地である。確かに環境音も静かだった。


『それで、どうする?』

「分かりました、伺います」


 通話時間、約二十秒。とにかく話が早い。今朝の二人にも助けられたが、それも、彼が手を回してくれていることに起因するのだから、あの人は、本当に何歩も先を見据えている。

 気付けば、恩だけが増えていくようだ。いつか返せる日が来るのだろうか。

 そう思いつつも、厚かましい俺は、図々しく一時帰宅の許可を取り付けた。しかし。


「敷地の外に出るなら、護衛って言うと少し大袈裟になるけれど、分室の職員を一人付き添わせよう。事件は未解決で、君は被害者。何もしない訳にはいかないからね」


 そんなこんなで、護衛に有毒系女子、飛鳥馬茜音分室職員を連れて、自宅に帰ってきたのである。“被検体”に貸し与えられた鳥籠。六区にあるマンションの殺風景な一室に。


「コーヒーか紅茶しかないんだが、飲み物でも淹れようか」

「結構です」


 取り付く島のない返事に、こちらは内心で溜め息を一つ。

 機械のように受け答えする彼女は、先程からずっと玄関の前に陣取り、じっ、と動かず背筋を伸ばしては、物々しい分室の制服をこれ見よがしに纏い、凛と佇んでいる。その様相は、護衛というより、監視の方がしっくりくる。トーテムポールでも置いたのかというくらい存在感が凄い少女だ。


「こちらはお気になさらず。問題があった際は仰ってください」

「そうだな、分かった。すぐ済ませる」


 まあ、男と二人っきりともなれば、警戒も当然か。あからさまに敵意を剥き出しにされて、それが好ましいとも思えないが、借りてきた猫、ないし、犬が警戒心から睨んでいるものと思えば、可愛いものである。

 彼女のことは、誰が見ても美人と評するだろう。また、顔立ちのみならず、手足は長く、運動をするからか、単に細いのではなく引き締まって筋肉質。背筋を伸ばした立ち姿は見目麗しくも、凛々しくもある。日本人離れしたようにも、大和撫子にも見える姿が、尋常ならざる存在感を放つのだ。

 だが、薔薇には棘。調べたところ、紫陽花の花言葉は『冷淡』。態度から、仕草から、雰囲気から、何者も触れさせまいとする、冷たい棘を覗かせる女。いや、見せびらかしているのだ。触れたら怪我をするぞ、とあからさまに。


「何か?」

「いや……悪い。何でもない」


 横目でちらちらと窺っていたのがバレてしまった。弁明しておくが、決して彼女に魅入っていたのではなく、彼女にも寛いでもらえるよう、打ち解ける機を計っていたのだ。この京修司、色恋沙汰で本分を見失うほど落ちぶれてはいない。

 と、言い訳も虚しさが目立ち始め、そそくさと身支度していく。


「そういえば、樹卯さんとは親しいのか?」

「それが何か?」

「いや、大したことじゃないんだが、昨日、名前で呼ばれていたなと」


 すると、彼女は短く冷たい溜め息を吐く。


「人の交友関係を詮索するのが趣味なんですか?」

「いや、世間話のつもりだったんだが……そうだな、悪かった。不躾だった」


 そうして、更なる緊張感が漂う中、黙々とボストンバッグへと荷物を詰めていく。元から物には頓着しない性格だ。服装も、お洒落ではなく身だしなみ。着替えを数着に電子機器を少々、冷蔵庫に残していた食材を詰めれば、荷造りは瞬く間に終わった。


「よし。あとはガス栓を閉めたりするくらいだから、先に外に出ていてくれ」

「いえ、なるべく目を離さないよう言われましたので」


 それは、恐らく、意味合いが違う。久々原さん的には、保護の延長でそう言ったのだろうが、飛鳥馬的には、警戒せよの意味で取ったのだろう。日本語って難しい。


「あー……そんなに警戒せずとも何もないし、する気もない。普通にしてくれ」

「……少なくとも、得体の知れない相手に気を許すほど能天気ではありませんので」


 『得体の知れない』とは、なかなか辛辣ではなかろうか。


「別に、ナイフや何やらが置いてある訳でもないだろう?」

「犯罪者が犯罪の証拠を見える場所に置いておくとは思えませんが」

「それはどうしろと……まあいいんだが、見て面白いものもないぞ?」

「そうですね。ベッドに冷蔵庫、最低限の物しかない、面白みのない部屋です。家主に似て」


 薔薇どころか、有刺鉄線みたいにズタズタにされるのだが。なるほど、これが飛鳥馬茜音。樹卯さん曰く、生粋の高飛車。

 とはいえ、上面を取り繕った社交辞令をペラペラと語られるよりは、忌憚のない言動の方が、シンプルで好きだ。そういう意味では、久々原さんと話すよりは気楽に思う。


「無趣味なんだよ。欲も薄いし、寝食するだけの場所があれば十分だ」

「枯れているんですね」

「ものには言い方があるぞ?」


 本当に辛辣だった。


「よし、終わった。待たせたな」

「……手が足りないなら、私も持ちますが」


 いい加減に詰め込んだだけのボストンバッグは、肩に提げれば、半分に折れ曲がる程度のすかすか具合。あまりの少なさに気を遣わせてしまったらしい。


「期間も分からないから、とりあえずだな。必要以上に移しても戻すのが面倒だし。何か必要になったらまた付き合ってくれ」

「それが命令なら」


 なるほど、拒否しないあたり、真面目ではあるらしい。我が儘お嬢様というより、命令に忠実なエージェント気質。ただ、気遣いは出来るし、自分なりに発言もする。仕事中や対人関係では、素の性格を抑圧しているようなタイプだろう。大変だなあ。

 そんな飛鳥馬を先に出して、扉を施錠。次に鍵を開けるのは、いつになることやら。何の思い入れもない部屋だが、二年間安住してきた住処は、思いの外に名残り惜しかった。


「まだ昼には早いな。日曜の昼間から付き添いしてもらったし、飲み物でも」

「いえ結構です。仕事中なので」


 ……なぜだろう。ナンパをした訳ではないのに、振られたような雰囲気だった。


「ちなみに、飛鳥馬は休日、いつもどうしているんだ?」

「適宜過ごしています」

「……そうか。まあ、適宜はいいよな。何事も程々で」


 話が全く弾まない。暖簾に腕押しとはこのことである。いっそ面白くなってきた。


「昨日の件は手慣れているみたいだったが、分室はそれなりに長いのか? 柔道というか、逮捕術だったか。分室もそれを?」


 とはいえ、流石にしつこかったか、今度は「はぁ……」と分かり易く大きな溜め息が返ってくる。


「さっきから、いちいち答えなければなりませんか? 業務として同行はしていますが、話し相手になるつもりはありませんので」

「……分かった、それは悪いことをしたな。もう黙っとく」


 何となく、似ていると感じていた。自分と。

 こちらも、普段から口数の多い方ではない。雑談は、必要性を感じれば適度に行うが、孤独であることに何ら苦痛はない。処世術以上でも以下でもないのだ。波風立てず、平安無事な人生には、最低限の会話と、最小限のコミュニティが肝要。独りになりたいなら一人になろうとするな。哀しき真理である。

 しかし、その理屈によると、飛鳥馬はどうやら、賢い訳ではないらしい。弱肉強食の自然の社会ならまだしも、人間社会で棘なんて見せても、赤ん坊に銃を見せるようなもの。寧ろ、興味本位を刺激するだけである。構ってほしくてわざと悪態をついているのではない限り、口の悪さは何のメリットにもならない。要するに、生き方が下手クソなのだ。真面目が過ぎて、自身の棘に自ら縛られて、望む生き方が叶わない。そんなように思う。

 まあ、だからとお節介を焼こうが、どうせ、彼女を怒らせるだけだろうし、こちらの考え方が正しくないだけかも知れない。人の気持ちに正解はない。わざわざ考えを押し付ける趣味もないので、大人しく引き下がったつもりだ。

 果たして、飛鳥馬はどんな『絵』を描くか。

 人間社会はパレットである。とすると、他者を拒絶する彼女の『絵』には、彼女の色しか存在しない。ただ一色で出来上がった絵画を、誰が美しいと思うだろう。もしかすると、訳知り顔でそこに美を後付けしようとする者もいるだろうが、あれだけ端麗な容姿をしておいて、つまらないことをしているものである。きっと、一人でも理解者がいれば、彼女の人生はもっと鮮やかになるだろうに。

 というか、そんな人間が近くにいて、あの過保護代表が放っておくだろうか。人を見透かしたような物言いをして、自分の掌に描かれる人間模様が大好物で、悪意も善意も平らげて自身の養分とするような人である。飛鳥馬なんて、格好の的だろう。

 ……ああ、いや、()()()()()()か。

 まあ、どうでもいい。考えれば考えるほどドツボに嵌まりそうだし、心を見透かす彼の思惑を、逆に見抜いて点数稼ぎをしたところで、特に見返りもない。“被検体”とは、頼まれればやるが、頼まれなければ、その限りではないのだ。

 そう思いながら、ふと隣を見ると、飛鳥馬がいなかった。


「……あれ」


 嘘だろう? 逃げた? あんな大口を叩いて? 混乱である。

 まあ、そんなまさか、とは思いながら首を振って辺りを見渡すと、意外にも、彼女はすぐ近くに佇んでいた。

 何かをじっと見詰めながら。


「飛鳥馬? 知り合いでもいたのか」


 声を掛けると、ハッとしたようにこちらを向き、しかし、すぐにそっぽを向く。


「……関係ありません。というか、黙ると言いましたよね?」

「それは緊急事態でも黙ってろってことか? 悪いが、必要があれば話しかけるし、その必要性を作ったのはどこの誰だ」


 嗜めると、「くっ……」と、まるで仇でも睨むかのような目付きをされる。そんな謂れはない。

 さて、素知らぬ顔をして目を逸らし、そんな彼女が見ていたものを探してみた。


「和菓子店……甘味処?」


 少し先に、『団子』とだけ書かれた、白のシンプルな幟旗があった。店先には赤い和傘と長椅子のシンプルな休憩所。木造の外観は、整然とした街並みに浮いているものの、その古き良き佇まいは目を引くものであった。

 ここ六区は、言わば、居住区だ。広い区画のほとんどが住居であり、よって、観光客が近付くことは滅多にない。また、通勤や通学時間帯を除けば、一区と同様に人通りは少ない。

 しかし、家があれば、家庭がある。この島に住んでいるのは、サラリーマンだけではないのだ。従って、主婦や子連れ層を狙った飲食店や小売店が、この六区には多い傾向にある。

 現に、件の店内には親子連れが見られる。のんびりとした光景は、平和な休日の昼間そのものだ。


「知っている店なのか?」

「さあ。私は初めて見ましたが」

「とすると、和菓子が好きとか」

「はあ? 何でそう短絡的な思考をするんでしょうね。妄想も甚だしい、馬鹿ですか?」

「なんか悪化したなあ……」


 とはいえ、こちらは馬鹿ではない。頭の中にぽっと湧いた久々原さんの『君はバカだよ?』という小言は置いておいて、だ。

 例えば、飛鳥馬がここで、「そうなんです! 折角なので行きませんか?」なんて好意的な返答をするだろうか。いや、する訳がない。これまでのやり取りを鑑みれば、どう言ったって否定されるのは目に見えている。だから、そんな疑惑の目で彼女を見ていれば、心がどこにあるかなんて分かりきっていて、こちらとしては、感想を一つ。

 こいつ、面倒くさい。


「本当は行きたいんじゃないのか?」

「だから、何でそうなるんですか」

「じゃああれだけ、さも命令に忠実です、みたいな空気を醸しておきながら、興味もないものに気を取られて、護衛相手から目を逸らしていたってことか」

「この、下衆ッ……!」


 だから、昨夜の誘拐犯にだって、そんな目は向けてなかっただろうに。


「あれ、修司君?」


 そんな中、不意に掛けられた声は、救いの女神のものか、それとも。


「姫路さん?」

「やっぱり修司君だ。おはよー。こんな場所で奇遇だね」


 エプロンを着けていない彼女がいた。とはいえ、遠くへ出掛けるような格好でもなく、いつも見ているような、ラフな雰囲気。

 そうか、無事だったか。


「これからお店ですか?」

「うん、そだよ。で、そちらは、えっと……」


 隣にいるのは、分室の制服を着た飛鳥馬。彼女が学園の制服だったら、まだ説明が楽だったかも知れないが、よりにもよって、今の格好は治安維持を担う者としての格好で、しかも、こちらを蔑むように見ているのだから。


「……あ、あのっ! 修司君は悪さをする人じゃありませんっ! いやすっごい朴念仁なんですけど!」

「姫路さん、一言余計です」


 さて、どう説明すべきか。ああ、心の整理が追い付かない。






「お友達かあ。ちょっと変な雰囲気に見えたんだけど、気のせいだったみたいだね。ごめんね」

「いえ、余計な心配をお掛けしました」


 『友人』。そう説明をして、俺達は甘味処へ寄った。姫路さんの希望である。

 そして、テーブルの下でこちらの足をぐりぐりと強く踏んでいるのが、飛鳥馬茜音分室職員。丸いテーブルを三人で均等に囲っている形だ。分室支給のブーツは厚底なのか、スニーカー越しでも痛いぐらい硬い。何でこんな厚底にしたのだ、久々原さん。


「それより、本当に時間は大丈夫なんですか? 昼前ですから、仕込みとかあるのでは」

「ううん、大丈夫。仕込みは前日に終わらせるし、ざっと店内を掃除して、あとはいつも、お客さんを待ちながらゆっくりしてるだけなの。一人でテレビ見ながら、温泉行きたいなー、とかぼーっとね」


 にこにこと湯飲みに息を吹き掛けている姫路さんと、同じくにこにこと微笑む分室の女王様だが、彼女の笑顔はこちらの足を踏みつけることで維持されているらしい。最初は見間違いではないかと二度見したが、女王様も笑うことは出来るようだ。


「というか、私こそ一緒で大丈夫だった? あの時、喧嘩中かと思っちゃって、おろおろして勢いでお茶に誘っちゃったんだけど、ひょっとして飛鳥馬さん、お仕事中だったり……」

「い、いえ……分室は、ある程度自分の判断での休憩が認められているので」


 つまり、本当に意地を張っていただけか。まったく。

 というか、姫路さんも凄いな。見て見ぬ振りでなく、仲を取り持とうとしたとは。そのコミュニケーション能力を分けてやってほしい。


「そっか、良かった。あ、でもね修司君……お邪魔だったら言ってね。そういうの、はっきり言ってくれた方が私は、うっ、嬉しいから……」

「違います。本当にただの友人です。というか、姫路さんこそ辛そうですが」

「うっ、ううん大丈夫! えへ、心配してくれてありがと」


 内緒話をするように小声で喋る姫路さんに、こちらも小声で答える一方で、取り繕ったような笑顔を張り付けている飛鳥馬に、俺は冷や汗を流していた。


「そうだ、飛鳥馬さん、あの分室の方なんですね! 多分、私より若いのに凄いよね。立派だあ」

「……そんなことは。まだ振り回されてばかりで」

「立派だよお……私なんて歳を食ってるだけで全然しっかりしてないし、昨日なんてお客さんに出すメニュー忘れちゃってたし、これもう若年性なんとかってやつ……あれ? 若年性って若いって意味? な訳ないよねえ。学生さんとかが罹るってあまり聞かないし、若くても罹る年齢の病気ってことだよね。じゃあ私の内面ボロボロってことじゃん。精神年齢は子供みたいっていわれるし、体内年齢は高齢化とか、ははっ」


 どうしろと。姫路さんが呪詛を紡ぐ傍ら、ぐりぐりと、笑顔の動力源とばかりにこちらの足が踏まれる。美人の飛鳥馬と、これまた美人の姫路さんに挟まれ、両手に花かと思いきや、片方は、有刺鉄線を蔓にしたかのような毒花で、もう片方は、じわじわと根を這わせてきて養分を吸い取ろうとする妖花のようである。花は、愛でる分にはいいものだが、世話をするにはとても面倒なのだ。

 姫路さんには、俺は素性を明かしていない。職業もだが、年齢や、その他の個人情報も。こちらから明かしたのは名前くらい。あくまでも、喫茶店のオーナーと常連客の関係性だった。そして、それは今後も続けていきたいと考えている。

 なので、ここで飛鳥馬との関係を、仮に、仕事仲間とする訳にはいかなかった。分室の仕事仲間なら、では、どんな仕事をしている? と話題に上るからである。嘘とは、劇薬だ。何度も使えばボロが出る。嘘はコストパフォーマンスが大事なのだ。そこで、飛鳥馬との間柄を友人にし、たまたま会った体裁で話を進めることにした。

 当然、勝手に友人扱いされた飛鳥馬は、それを強く否定しようとしたのだが。


『甘いものが好きなのは黙っているから、話を合わせてくれ』


 ……と駄目元で脅迫、もとい、協力を打診したところ、この怖い笑顔で了承してくれた、という訳だ。


「ねえねえ、修司君とはいつからのお友達なんですか? 学生時代?」

「え、ええ、そんなところですね……」

「へえ、修司君の学生時代かあ。ふふっ、想像つかないなあ」


 ああ、どんどん誤解が広がる。恐らく、飛鳥馬を学生ではなく、分室に勤めている社会人と勘違いしている。見た目は美人だし、大人びているから。分室に学生の職員がいるとも思わないだろうし、せめて、分室に入ったばかりの新卒くらいに思っているのだろう。

 これ以上の誤解が生まれる前に、こちらから話を逸らす。


「そういえば、姫路さんもこの辺にお住まいだったんですね」

「うん、ちょっと行った先のマンションだよ。修司君もこの辺なの? 今まで会わなかったけど」

「姫路さんはお店で夜遅いですし、活動時間がずれていたのかと」

「そっか。私、夜も朝も遅いから、通勤ラッシュとかも経験したことないかも。昨日も帰りは普通に電車座れたしなあ」


 プライベートで彼女と会うのは、実は初めてだ。いつも、決まって必ず喫茶店で言葉を交わすだけ。それが一つの線引きのようだった。


「……昨日と言えば、何もありませんでしたか?」

「え? あれからってこと?」

「はい、あれから。変な客が……一人客に、黙って見張られたとか」


 店を出て、誘拐されたのが夜六時過ぎ。救出されたのが八時過ぎで、つまり、誘拐犯を取り逃したのも、その時間。それから元締めに報告が行ったとすれば、店の閉店時間には間に合う。帰宅途中の彼女を襲う機会もあっただろう。

 とはいえ、無事なのは見れば分かる。それでも、聞かずにはいられなかったのだ。


「あれから……ううん、いつも通りだったと思う。お客さんも常連さんばかりだったし、お店閉めたあとも、いつも通りかな」

「そうですか、それならいいんです」

「あ、もしかして『神隠し』のこと? 修司君、心配してくれてたの?」

「まあ、そうですね。念の為」

「そっか。えへへ、修司君そういうとこ抜け目ないよね。朴念仁だけど」


 声を弾ませて嬉しそうにされると、ややばつが悪くなる。隠し事は隠し事だ。引け目はあった。ただ、それは顔には出さない。


「そうそう、私、喫茶店やってるんです。飛鳥馬さんも来てください」

「は、はあ。あの、私の方が年下ですし、敬語でなくても」

「……じゃあ、そうさせてもらおうかな。ごめんね? お店のお客さんには敬語だから、癖になってて。あ、じゃあ飛鳥馬さんも敬語じゃなくていいよ?」

「いえ、私もその、慣れているので」

「そう? それなら無理強いしちゃうか。全然気にしないで。飛鳥馬さんの話し易い方でいーよー」


 優しく、柔らかく、押し過ぎず。姫路さんのトーク力は、あの飛鳥馬の棘をも無力化して、和やかな雰囲気を作り出す。勢いで初対面の相手を誘えるのも、長年培ってきたコミュニケーション能力の賜物か。

 これが、喫茶店オーナーの話術。


「それでさ、分室のお仕事ってどう? 大変? 私、よく知らなくて」

「えっと、それは……」

「あっ、言えない系!? ホンっトごめんなさい! 大丈夫! うちの常連さんでもいるから、そういう人! お仕事もだけど、飛鳥馬さんのこと、知りたいなって思ったんだ」

「あ、いえ、そうではなく……」


 飛鳥馬が踏みつけも忘れ、何か助けを求めるような目で見てくる。何だろう。分室の業務内容は、特に秘密ではなかった筈だ。といっても、全部を全部明かしている訳でもないが、一応は公的機関の委託組織なので、外向けの広報はちゃんとある。その辺りを答えれば十分だろう。


「きっ、昨日は誘拐」

「愉快なっ! 愉快な場所で、意外と社交的な団体なんですよ、明るい職場というか!」

「ゆ、愉快? へ、へえー……アットホームな雰囲気です、みたいな感じ?」


 こいつ、ただの口下手だった! アドリブ下っ手くそか!


「俺もあまり知らないんですが! ほら、聞いて困らせるのも悪いですし、こちらから聞くべきじゃないかと」

「あー、そうだね。やっぱり言いにくいことありそうだし、大変そうなお仕事だよね」

「は、はい、まあ……」


 跳ね上がった心拍数を宥めながら、席に着く。思わず立ち上がっていたようだ。


「おい、一般人に事件の情報を話すのはまずいだろう……!」

「そ、そうでした。では何を……はっ、誘拐犯が逃走しているので注意喚起はした方が」

「頼むから落ち着け。いいからさっきみたいに嘘臭く笑って相槌だけ打っててくれ」


 気の所為か、こいつからポンコツの気配がした。まさかな。


「そういえばね、私も調査室に知り合いがいるんだー」

「そう、なんですか……?」

「うん。もしかしたら、飛鳥馬さんともどこかで会ってるかも。なんて考えると、世間って狭いよねー」


 いや、本当に狭い。まあ、この島は本土に比べれば狭いのだから、必然なのだろうが。

 しかし、幸いなことに、高飛車様からの踏みつけが止まった。流石にこの状況下で継続されたら、神経を疑っていたところだ。


「お待たせしましたー。こちら、みたらしとつぶ餡です」

「わあ、ありがとうございます! 私、つきたてお団子って初めてなんです!」


 運ばれてきた団子に、きらきらと目を輝かせる姫路さん。釣られて微笑んでいる店員が持つ皿には、やや小さめの団子が串に三つ刺さっていて、それが二種類並んでいた。

 どうやら、入店のタイミングが良かったようで、少し待てばつきたての団子が食べられる頃合いだった。そこで、彼女達は並べられた出来合いではなく、そちらを待っていたのだ。

 ちなみに、俺が頼んだのはカステラ。こちらはショーケースに並んでいたもので、既にテーブルの上にある。


「ここのお店、いつか来ようと思ってたんだー。いつも近くを通ると、美味しそうなお団子が見えてたの。やっぱりなかなか時間合わなくて、お店の前に一人で寄るのもちょっと寂しくて」


 確かに、店の外から団子をころころと手際良く作っている様子が見えると、思わず足を止めてしまうもの。飛鳥馬がそうだったように。


「修司君、待っててくれてありがとね。食べよ?」

「はい。では、いただきます」

「ふふっ。いただきまーす」


 それぞれが口に運ぶ。


「んーっ! 温かいお団子美味しい! みたらしとろとろだあー」


 幸せそうに頬張る姫路さん。その姿を見られただけでも眼福ものである。


「上品な甘さー。何使ってるのかな、きび砂糖? 結構とろみあるけど優しい舌触り。出来立てだとふわふわしてて触感最高だね」

「流石の料理人の感想ですね」

「ええっ、恥ずかしいよ。修司君のはどう? カステラおいしい?」

「美味しいです。意外に緑茶と合いますね」

「そうなんだ。というかお茶おいしいよね。どの銘柄なんだろ。あとで聞いてみようかな」


 先程までとは打って変わり、平穏な空気。食は偉大なり。

 というか、飛鳥馬すら静かだ。まあ、元から寡黙で静かな性格ではあったが、それにしたって、何も反応がなければ不思議に感じる。

 そう思い、彼女を見る。そして、思わずフォークを落としそうになった。


「んーーっ、おいしい……! ふふっ……」


 目尻を下げ、頬を緩ませ、串を頬張る、油断しきった顔が。絵画の薔薇が、小学生が書いたチューリップになったみたいな。


「飛鳥馬さんもお団子好きなの?」

「……そうらしいですね」


 キャラが。さっきまでの人を殺しそうな目はなんだったんだ? これも何かの策略?


「おいしそうに食べてて可愛いー。うさぎみたい。面白い子だねえ」

「ええ、まあ……ああ、面白さで言えば姫路さんも負けていませんよ」

「別にそんなことで張り合ってないよ!? あとさりげに酷いね!」


 昨日のごたごたから想像もつかないくらい、平和な休日。まあ、たまにはこんな日もあっていいだろう。






「おいしかったね、あそこのお団子」


 店を出て、姫路さんは満足そうに笑う。


「はい、いい店でした」

「ね。よしっ、甘いもの補給も出来たし、これからお店、頑張るぞっ!」


 まだ日も昇りきっていない昼前だ。彼女はこれから喫茶店の仕事がある。反面、こちらは特に予定もなく、学園寮に戻って荷解きをするくらい。何だか申し訳なく思う。


「また顔を出します。頑張ってください」

「うん、待ってるね。コーヒーもちゃんと用意しとく」


 姫路さんは、いつでも気さくだ。常連客も増える訳である。


「飛鳥馬さんも、付き合ってくれてありがと。すごく楽しかった」

「いえ、私は寧ろ、私の方が……」


 飛鳥馬は以前の調子に戻り、顔から油断は消えていた。やはり、感情を表に出そうとしていなかっただけで、好物を前にすれば、普通に年頃の学生らしい。

 恐るべしは、姫路菜乃花の会話スキルであろう。この人なら、どんな相手の心をも溶かしそうである。詐欺師とかには絶対にならないでほしい。


「飛鳥馬さんって、お団子好きなんだね。洋より和菓子派?」

「和菓子派というか……お団子は、口に入れるのが幸せで」

「ああっ分かるっ! 食感とか舌触りとか、あの幸せ感なんだよね!」


 姫路さんは飛鳥馬の手を取って、詰め寄る勢いで顔を近付ける。たじろぐ飛鳥馬は「連絡先交換しよ、また行こ!」と押し切られ、頭に疑問符を出しながらもスマートフォンを取り出していた。


「じゃあねー! 今度お店来てねー!」


 大きく手を振って去る彼女に、俺は苦笑いを返した。


「……連絡先を交換してしまいました」

「嫌だったのか?」

「嫌というか、気付いたら交換していたので、頭が受け入れられてないというか」


 あの人、本当に凄いな。


「何ですか、その目。何か言いたいことでも?」

「一々喧嘩腰にならないでくれ。違う、話を合わせてくれてありがとう。助かった」

「弱味を握られた気がします」

「だから、俺のことをどんな奴だと思っているんだ」


 まあ、一つネタを手に入れた、とは思ってしまったが。


「言った通り、誰にも話したりはしない。というか、そんなに気にすることか?」

「気にします」

「……そうか」


 それについても、意見を押し付ける気はなかったので、こちらがじっと黙っていると、飛鳥馬の方から観念したように口を開いた。


「すっ、好き嫌いを知られると、その、自分が心を許した気になったみたいで……困るというか」


 つまり、仲良くなりたいのに、なる訳にはいかない。そう言っている気がして、俺は疑問を解消出来ず、また返事をしなかった。


「あと……私も、配慮が足りませんでした」

「配慮?」

「いえ……昨夜、誘拐されたばかりの人なら、疲れていたりもするのかと」


 なるほど。それで休憩する気になってくれたのか。だったら、素直にそう言えばいいのに。

 彼女はやはり、口下手らしい。


「昨日はよく眠れたし、疲れは残ってないから大丈夫だ。気を遣ってくれてありがとう」

「ですから、お礼を言われるようなことは……はぁ。調子が狂います」


 飛鳥馬は軽く頭を振って、話を変える。


「それより、あの人に関係性を話さなかったことは、何か理由が?」


 言われて、少し考える。

 飛鳥馬は、きっといい人間だ。いい人間は、他の人より苦労をする。代わりに得をしているのは、彼女達ではない。人間社会とは、真っ当な人間ほど損をするように出来ていて、俺はそれが気に食わない。

 だから、余計に気を遣ってしまう。

 久々原さんのように、少しは小賢しくなってくれればいいのだが。


「少し、恩があるんだ。だから巻き込みたくない。それだけだよ」

「……そうですか」


 何を思ったのか、彼女はそれから、言葉を続けなかった。






中編アフター

「ところで、飛鳥馬って友達いなさそうだよな」

「急になんですか。それを言うなら、あなたこそでは? その偉そうな態度、やめた方がいいですよ」

「飛鳥馬よりはいるさ。ここに来ても一人増えたし」

「私だって、ちょうど今連絡先が増えたばかりですけど」

「……」

「……」

「悪い、この話はやめよう」

「……賛成です」


 直感的に、同類だと察した二人である。

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