怪異譚 1
先生、この間はどこまでお話ししたんでしたかなあ。
記憶力は良かったんだけど、だんだんわからんようになって来てしまったわい。
………。
ああ、その話かい。
それじゃあ別の話にしようかね。
この先の山を越え、谷を越えた山の中腹に、大きな沼がある。
昔々はあそこに沼なんざ無かったそうだよ。
うん?
ああ、それなら聞いたことがあるよ。
弘法大師様が岩に独鈷杵を打ち立てたら、そこから清水が湧き出たって話だろう。
そりゃあ、別の場所さ。
あの沼は清水なんて綺麗なもんじゃあないのさあ。
・
・・
・・・
昔、あのあたりの山裾に、猪なんぞを狩る猟師が住んでいた。
たいそう腕の良い猟師だったが、里の者からは穢れ者と言われて嫌われていた。
もう良い歳で嫁をもらいたいと思っていたが、嫁ぎ手がなくて仕方なしに1人で暮らしておった。
とある秋のこと。
その年は、雨が少なく山の実りも乏しい年で。
山菜なんぞも少ない上に、獲物になる獣も少なく、猟師が食べていくのも精一杯だ。
ある日、猟師が山に登ると、大きな猪が山肌の穴に鼻先を突っ込んで何やらしている。
これは良い獲物だと思った猟師は、大猪の頭を後ろから鉄砲で撃った。
狙い違わず1発で獲物を仕留めた猟師は、意気揚々と猪の足を引っ張った。
毛皮でわかりにくかったが、見た目より随分と痩せた猪で、猟師はずいぶんと落胆した。
あまり肉が取れないことにがっかりしたが、猪が山肌の穴を掘っていたことを思い出した。
この穴はなんの穴か。
もしかしたらキノコや山菜なんぞがあるやもしれん。
そう思って穴を覗き込むと、そこには大きな蛇が一匹トグロを巻いておった。
猪の牙で傷ついたのか、少し血を流していたそうだ。
この猟師、蛇が苦手では無かったようでな。
里の人間に追い払われているのを見かけると、なんだか親近感が湧くことすらあった。
その蛇は猪が餌にしようとしていたのだろう。
なんだか気の毒に思った猟師は、猪の肉を何切か切り出すと蛇に放ってやった。
さて、仕留めた大猪を里まで運ぶと、それなりの金になった。
塩やら味噌やらを買い込んで、なんとか冬支度もできた。
ヒラヒラと雪が舞うようになってきて、冬が山まで届いてきた、そんなある夜のこと。
猟師が自宅の囲炉裏のまえで鉄砲の手入れをしていると、戸を叩く音がする。
ごめんください。もし。どなたか。おいでではないですか。
聞き覚えのない女の声に訝しんだが、戸を開けてやると大きな傘を被った女がひとり立っている。
中に招き入れて話を聞くと、旅の者で山を越えて来たそうだ。
山の麓までは来たものの、雪で道がわからなくってしまい途方に暮れていたところ、明かりを見つけて辿り着いたそうだ。
一夜の宿を求める女を気の毒に思った猟師は、飯を食わせてやり、寝床を世話してやった。
夜が明けて雪が止んだが、女は旅に出なかった。
長旅に疲れたので、少し厄介になりたいとそうこぼした。
独り身の猟師は、女を快く受け入れた。
十日経ち、二十日経ち……ひと月経っても女は出て行かない。
よくよく話を聞いてみれば、天涯孤独の身で旅の行くあてもないのだと言う。
ここにいたいと言うので、猟師と女は夫婦になった。
女はよく働き、猟師も狩りに行けばオケラの日がないなどと運も向いてきて、暮し向きも良くなった。
いつしかややこも生まれた。
親子3人で 幸せに暮らしておったそうだ。




