後編
※11/7 一部日本語を修正しております。ご指摘ありがとうございます。
「ご当主さま、お手紙が届いております。」
それはアリス・エマールからオベール家当主への手紙だった。オベール家当主は、そんな物破いて捨て置け、と言おうとしたところで止まった。
(嫌な予感がするな……。)
オベール家当主は手紙をメイドから受け取って読んだ。手紙は非常に丁寧に綺麗な字で書かれていた。お伝えしたいことがあるので2人きりでお話ししたい、という内容だった。
オベール家当主は逡巡した。婚約者を奪われたアリス・エマールが我々を恨んでいるのは間違いないだろう。何か良からぬことを企んでいるのではなかろうか、と思った。
(私はウジェーヌの子を妊娠しています。このことを公開されたくなければ、慰謝料をお支払いください。)
きっとこんなところだろう。いつもの汚い女の手口だ、とオベール家当主は思った。
「いいぞ、汚い女の顔を拝んでやろう。」
オベール家当主は、オベール家の資本が入った街はずれの小ぎれいなレストランを指定してアリス・エマールと会った。オベール家当主はアリスの態度に拍子抜けした。アリスは恨みなどみじんも見せず、愛嬌があって美しく、快活で聡明な女性で、オベール家当主は感銘すら受けた。
「君の身に起きたことは残念だったな。若い者同士のことだ、どうか気を落とすんじゃないよ。」
「いえ、いいのです。起きたことですから。」
「それで、伝えたいという話はなんだね?」
「その……言いづらい話なのですが。」
アリスは言おうかどうしようか迷っているようだった。
「その、私のエマール家が財政的に厳しいのはご存じでしょうか?」
「ああ、そのことなら知っている。」
(来るぞ、「私はウジェーヌの子を妊娠しています。」だ。)
「実はアルノー家当主のシャルル・アルノー様をご紹介いただきたいのです。」
オベール家当主はまたも拍子抜けした。シャルル・アルノーは元々ベアトリスと婚約していたが、ウジェーヌからベアトリスへの婚姻申し込みに伴って婚約破棄された男だった。アルノー家は以前大変な名家だったが、前当主が亡くなった後を若くして引き継いだシャルル・アルノーが病にかかって寝たきり生活となってしまい、急速に没落してしまった。
(なるほど、没落貴族同士お似合いかもしれないな。シャルル・アルノーには内心申し訳ないと思っていたところだ。これは都合がいいかもしれん。)
「それで、君がシャルル・アルノーに嫁ぐ手伝いを私にして欲しいと?」
「いえ、私はシャルル様にお会いしたこともありませんので……。恥ずかしながら私の両親は高齢で働けず、もう生活するお金にも困ってしまっておりまして。私のこの境遇を笑われずに働ける場所を探しているのです。住み込みでメイドでもなんでもさせていただければ。」
メイド……?オベール家当主はまたも驚かされた。この女はどこまで欲がないのだろう。ここまで聡明な美しいメイドであれば我が家も欲しいと思ったが、さすがに事がややこしくなりそうなのでやめた。
「ふむ、そのくらいお安い御用だが……本当にそれだけのために私に会おうと思ったのかね?」
「はい……おかしいでしょうか?」
「いや……大丈夫だ。分かったよ任せなさい。」
(それだけのために?後悔しないといいけれど。)
アリスは復讐への第一歩を踏み出した。
***
「ゲホゲホ……君がアリスかい?とても素敵な方だって聞いて楽しみにしていたんだ。住み込みで働いてくれるなんて本当かい?あまりお金は出せないけれど……。」
アリスはオベール家当主の紹介でシャルル・アルノーの寝室に来ていた。シャルルの屋敷は綺麗に掃除されていたが、ところどころ傷んでいた。家に元々いた大勢の人々はアルノー家の没落に従って1人、また1人といなくなり、今や6人のメイドや執事がいて、農場や財産、その他ビジネスの管理に当たっているだけだった。彼らはビジネスの専門家からは程遠かった。
「はい、これから精一杯頑張りますので、何卒宜しくお願い致します。」
アリスはシャルルに会うのは初めてだったが、すぐに親近感を覚えた。難病により頬は瘦せこけ目に力は無かったが、きっと病気から回復すれば、この上なくハンサムなのだろうと感じる顔立ちをしていた。そしてこの人は間違いなく良い人である。問題があるとすれば、あまりにも良い人すぎるのだ。
アリスはアルノー家について調べ上げていた。この国随一の名家だったアルノー家は、先代が亡くなったことによって急速に没落した。原因は、このシャルルである。シャルルは病気で床に伏せっていたこともあるが、根が優しすぎるため小作人たちに言われるがままに与え、貧しい人々に施しをし、その他ビジネスに関しても労働者がほとんど全て売上利益を分配できるようにしてしまった。その結果家に入ってくるお金がなくなり、アルノー家は没落の一途を辿った。
アリスは仕事を開始してからというもの、屋敷の誰よりも真面目に働いた。シャルルの信任を得るまでにほとんど時間はかからなかった。
「アリス、君は働き過ぎていないかい?僕には君に報いるお金がないんだ。」
「いいんです。シャルル様。両親と私が生きていけるお金をいただけるだけで幸せです。」
アリスは、アルノー家の没落に関する原因の詳細についても調べ上げていた。最も大きな原因は、アルノー家が保有する広大な農場の経営の失敗であり、小作人が強い交渉力を持って好き放題していることであった。アリスは、ある日シャルルの代わりとして小作人の代表者に会いにいった。その年の収支に関する相談だった。
「ごめんねアリス、僕は動けないからアリスに行って来てほしいんだ。わざわざ僕のところに来てもらうのも申し訳ないから。」
小作人の代表、ドミニクは街のアルノー家の資本で運営しているレストランで飲んだくれていた。店に来ていた綺麗な女性たちに豪勢な食事や飲み物をおごっていた。
「あの……ドミニクさんですか?シャルル様の代理として参りました。」
ドミニクはチラリとアリスの方を見たが、すぐにまた店の女性たちへと向き直って話し込んでいた。
「あの……。」
「ああ……?うるせぇなぁ。」
店のドミニクの息がかかった女性たちがクスクスと笑った。
「ドミニクさん、小作人の方々からの上納品についてご相談があるのですが。」
「なんだってぇ?」
ドミニクは面倒臭そうに言った。
「またアルノー家への納品分の削減について求められていらっしゃるとか。」
「ああ、そりゃそうだろ。俺が全部小作人から回収してるんだ。俺がもらわなくてどうするんだよ。」
ドミニクは椅子にのけぞり足をテーブルの上に放り出しながら言った。また店の女性たちはクスクス笑っていた。
「安心してください。私は小作人の方々の味方です。」
「へぇ、じゃあとりあえず帰んな。楽しんでる時に邪魔なんだよなぁ。」
アリスは一礼すると、その日はそれで屋敷へと戻った。
しばらくして、屋敷で農場の小作人に関しての会議があった。アルノー家のメイドや執事たちが全員出席する会議である。
「アリス、僕は寝たきりの身。どうか僕の代わりに会議に出てくれないかい?」
「分かりました。シャルル様が仰せとあらば。」
会議では、執事たちが小作人に対して怒りを露にしていた。
「あのクズども!全員クビにしてやる!」
しかし、数多くの小作人たちが仕事を止めてしまったら、収入が一時的にでもゼロになってしまう。そうしたら本当にアルノー家はおしまいだった。皆興奮して小作人、特にドミニクに対する怒りだけを述べていた。
「あの、ドミニクさんの要求するものを全面的に飲んではいかがでしょうか……?」
一瞬その場はシーンと静まった。すぐ次の瞬間、アリスに反対する意見でその場が盛り上がった。
「これだから新しい人は!クソみたいな奴等のことが全然分かってない!」
アリスは会議が終わろうとする時、書記を務めていたメイドに囁いた。
「議事録はしっかりと取っておいていただけますか。私が小作人に肩入れしたことも。」
数日がたって、アリスはドミニクに以前会った時と同じ店へと呼び出された。
「お前さん、少しは骨があるみてぇだな。こないだは悪かったよ。」
「何かあったのですか?」
「まぁ、俺の情報網を甘く見るな、とだけ言っておこうか。」
「分かりました……。」
「あんたみたいな人を探していたんだよ。」
「あの、屋敷の人間はみなドミニクさんに反対しています。このままではよくないと思うんです。」
ドミニクは相手を見定めるように聞いた。
「じゃあどうすればいいんだ?」
「アルノー家は、今少しでも収入が途絶えれば耐えられません。来月の収穫の時、少し騒ぎを起こしてみてください。それで皆静かになるはずなんです。」
「騒ぎ……?」
「ちょっとした反抗ですよ。例えば、納める予定の物を、ほんの少し燃やしたりとか。そのくらいでいいんです。それですぐに屋敷はびっくりして折れるはずです。収入が無くなったら終わりですから。ほんの少し脅しをかければいいんです。」
「あんた、頭が切れるじゃねぇか。」
翌月、収穫が終わって納品の時期、アルノー家へ納品予定だった穀物の一部が突如燃え上がった。屋敷側に脅しをかけるのが目的だったから、本当はわずかな騒ぎでドミニクは終わるつもりだったが、周りの小作人仲間たちが盛り上がってしまった。彼らは暴れまわり、一部の調子に乗った小作人たちからは勢いに任せてアルノー家の倉庫から略奪をする者も出た。
彼らが我が物顔ではしゃぎまわっていると、突如国の治安維持部隊に包囲された。
「お前たちを逮捕する。」
ドミニクをはじめ、農場の小作人側代表として穀物を回収し上前をはねていた者たちはほとんど全員が逮捕された。ドミニクはなぜ治安維持部隊がこんなにすぐにやってきたのか疑問だったが、ふとある考えに思い当たった。
「あのクソアマ!俺たちをハメやがった!!」
ドミニクのような上前をはねる悪質な小作人たちがいなくなったことで、アルノー家の農業収入は翌月から50%も増えた。
***
次にアリスが手を付けたのは金融ビジネスだった。アルノー家資本のアルノー銀行は元々巨大銀行だったが、今や大赤字で資金繰りに窮しており、潰れる寸前だった。シャルルが顧客の借金の返済を無期限で延期したからである。返済期限がないのをいいことに顧客の多くが金利の支払いさえ延滞していた。真っ当な担保すらない貸し出しも多かった。
「このままではアルノー銀行は倒産です。今年の冬を越せるかどうか……。」
屋敷のメイドが言った。アリスは言った。
「いっそ潰してしまってはいかがでしょうか?」
「えっ?」
「段取りについては、私にお任せいただけますか?」
「あ、はい……。」
メイドは自分の担当からアルノー銀行が消えたことで胸をなでおろした。
それからしばらくしたある日、アリスはバラチエ金融の代表に会いに来ていた。バラチエ金融と言えば、ほとんど闇金融と呼んで差し支えないような、暴利を貪る悪徳金融業者であり、その取り立ては相手の弱みを全て調べ上げた上で情け容赦なく行うことで知られていた。代表は葉巻をふかしながら白のスーツを着て革張りの椅子にふんぞり返っていた。
「没落貴族のアルノー家様が一体俺らになんの用だ?」
「我々アルノー銀行が大量の不良債権を抱えていることはご存じでしょうか……?現在その額1,000億ルークにもなります。」
「ああーあんたらみたいな馬鹿みたいな貸し方してたらそりゃあそうなるわなぁ。イッヒッヒ。」
「実はその不良債権を買い取っていただきたいのです。」
バラチエ金融の代表者は大声で怒鳴った。
「ああ?馬鹿言ってんじゃねぇぞ?誰がそんな面倒なことするかってんだ。」
「そうですか、お手間を取らせて大変失礼しました。」
アリスは手帳を閉じて、席を立った。
「シャルル様からは全ての債権を額面の1%の金額でお譲りしたいとの話だったのですが……。」
ガタッと音を立て、バラチエ金融の代表は慌てた様子で立ち上がった。
「おい、ちょっと待て、額面の1%ってのは本当かッ?」
「ええ。本当ですわ。」
「その話乗った!!」
「それでは、こちらにサインをお願いいたします。来年1月1日時点での全債権を額面の1%の金額でお譲りいたしますわ。」
<アルノー銀行倒産のお知らせ:
アルノー銀行倒産に伴い、来年1月1日時点でアルノー銀行が保有する債権は、全てバラチエ金融に移管いたします。金利及び返済期限は全て移管先の基準に従うこととします。>
そのアルノー銀行の告知に国中は大騒ぎになった。バラチエ金融に借金が移管されたら、どんな手を使って弱みを握られてゆすられ、暴利を貪られるか分からない。アルノー銀行から借り入れをしていた人々や業者は戦々恐々とした。
「年内になんとか返済しないとやばいぞ!」
アルノー銀行には借金の返済が殺到した。その年の末までに、95%の焦げ付いていた債権が長年積もりに積もった利子付きで回収された。アルノー銀行は翌年1月1日に残りの不良債権をバラチエ金融に移管し、倒産の告知を撤回した。アルノー銀行はこの債権の回収によって莫大な利益を上げ、金融業は再び成功の軌道に乗った。
アリスがアルノー家の使用人となってからというもの、アルノー家は目覚ましく復興した。元々アルノー家が資本を持っていたビジネスの再建はもちろん、さらにビジネスの手を広げ、アリスが中心となって次々と買収していった。没落に際していなくなった人々も次々と屋敷に帰ってきていた。アリスはその商才でビジネス全般を取り仕切った。
アルノー家はわずか数年でオベール家、バシュラール家に次いでこの国で第三位の資産を持つ名家にまで返り咲いていた。今や飛ぶ鳥を落とす勢いであり、実際に動かせる資金量はこの国最大との噂もあった。天才がアルノー家のビジネスを取り仕切っているとの噂が流れていたが、それがアリスだと知る者はアルノー家内部の人間以外にはいなかった。
「アリス、君はとても商才があるみたいだね。でも無理しなくていいんだよ。余ったお金は貧しい人々に与えたいんだ。」
「シャルル様、もう少しでアルノー家が元の姿を取り戻しますわ。施しはその時に必ず。」
(全てが終わったら、必ず。)
こんな純粋な心を持った人がいるのだろうか?アリスは、この病気の青年と話をする度に感銘を受け、次第に想いを寄せるようになっていった。八方手を尽くして国中の名医を探し、有効だと思われる薬は全て試した。仕事の合間、できるだけ時間を作ってこの青年との会話を楽しんだ。
***
ある晴れた日、オベール家、バシュラール家の当主が揃って引退することが発表された。両家は一つのオベール=バシュラール家となり、後を継いだウジェーヌ・バシュラールが当主となった。ウジェーヌは次期宰相の筆頭候補だった。
この国の宰相となるためには、貴族からの票集めに多額の費用がかかる。選挙戦はウジェーヌと現宰相との壮絶な一騎打ちとなった。国を二分するかつてない札束の殴り合いが始まった。国中のありとあらゆるバーやレストラン、街角で茶封筒を渡す光景が日常茶飯事となった。アリスはアルノー銀行にこんな指示を出していた。
「いくらでもオベール=バシュラール家の借金を引き受けてくださいませ。どんどん貸し付けてくださいね。際限なく。」
しかし、アルノー家は同時に密かに裏で現宰相に多額の資金援助をしていた。
この選挙戦は想像を絶する消耗戦となった。現宰相と、オベール=バシュラール家を除く貴族たちは皆、受け取った賄賂で大儲けした。2人の候補者は両者とも、宰相となれなければ借金で破滅の恐れすら噂された。オベール=バシュラール家の資金力に対抗できる現宰相の資金の出所は謎のままだった。
接戦の末、ついにウジェーヌ・バシュラールがこの国の最年少宰相となった。
「父上、ついにやりました……!」
「ああ、お前は自慢の息子だよウジェーヌ!!」
ウジェーヌは有頂天になった。選挙戦で想像を超える借金を背負うこととなってしまったが、宰相となればあらゆる権益を左右する力がある。きっと数年もあれば回収できるだろう。
「ベアトリス!!」
「あなた……!!」
ベアトリスはウジェーヌに抱きついた。
「本当に君と結婚してよかったよベアトリス!!あんなクソ没落令嬢と結婚せずに本当によかった!!!!」
ウジェーヌは、今自分は人生の絶頂にいる、と思った。
***
アリスはウジェーヌが宰相に就任する新聞の記事を、微笑ましく読んでいた。合わせてアルノー銀行の帳簿を確認した。そこにはオベール=バシュラール家が選挙戦の借金のために差し入れた担保がずらりと並んでいた。終盤戦の資金繰りが余程苦しかったのか、ウジェーヌの爵位までもが担保として差し入れられていた。
「いよいよこの時が来たわね。」
アリスはアルノー銀行に出向くと、オベール=バシュラール家への24時間以内の貸出金即時返済命令と、返済がおこなわれなかった場合の担保即時差し押さえを指示した。
翌日、新聞の見出しにはこう書かれていた。
<ウジェーヌ・バシュラール氏、爵位剥奪のため当選無効に。宰相史上最短の辞任。>
オベール=バシュラール家はその後、担保を全て差し押さえられた影響で史上最速で没落し、ウジェーヌやベアトリスを含むほとんどの関係者はアルノー家農場の小作人となった。ウジェーヌとベアトリスは激しい喧嘩を経てすぐに離婚した。
***
ある晴れた春の日、こぢんまりとしたチャペルで結婚式が静かに執り行われていた。シャルル・アルノーとアリス・エマールの結婚式である。アリスの献身的な介護により、シャルル・アルノーはすっかり病気が治り、体調も良くなっていた。結婚式用の純白のスーツを身に着けたシャルルがアッシュグレーの髪の毛をかき上げると、そのまばゆい彫刻のようなハンサムな顔立ちが露になった。病気から回復したシャルルは、絶世の美男子の姿を取り戻していた。
「これから先、幸せな時も悩める時も、お互いを愛し助け合いながら幸せな家庭を築くことを誓いますか?」
アリスの心はとても温かい気持ちでいっぱいだった。
「はい。誓います。」
2人は頬を赤らめながら、見つめ合った。
「それでは、誓いのキスを。」
2つの唇は静かに重なりあった。
その後、シャルルとアリスは、ほとんどのアルノー家の資産を貧しい人々へと寄付し、2人は慎ましくも末永く幸せに暮らしたという。そして、オベール=バシュラール家が没落した真の原因を知る者は、永遠に現れることはなかったという。
<おわり>
数ある小説の中ご覧いただき、また最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました!
設定や内容に大幅に変更を加えた長編版の連載をスタートいたしましたので、よろしければそちらもご覧いただけると幸いです。