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風の狼  作者: ginsui
8/19

 

 大那軍は敗走した。

 風嵐を手にした異人は、時をおかず津木の港を襲ったのだ。

 大那側の必死の抵抗にもかかわらず、異人はたちまちのうちに上陸を完了した。敵は歩兵ばかり、兵数も大那の方が勝っていた。それでも敗れたのは、力の差としか言いようがない。

 異人はもともと陸戦を得意とするらしく、上陸後の機動力には目を見張るものがある。

 それに、鉄玉。

 船から降ろした砲台もあったが、拳ほどの大きさの鉄玉は手に持って投げることもできるのだ。それは、ぶつかると驚くほどの音と光で爆発した。

 大那の馬は恐慌をきたし、乗り手を振り落とす勢いで逃げまわった。

 津木の館は燃え、香嶋の海岸部はほぼ異人の手に落ちた。

 大那軍は香嶋の国府、沼多(ぬた)に退却した。

 異人はひとまず津木の周辺に腰を落ち着けたようである。船の荷降をし、浜辺に兵舎を建てていると斥候から連絡が入った。

 大狼は、津木の生き残りたちとともに沼多にいた。沼多の住人たちはとっくに避難していて、こじんまりとした市外を歩きまわっているのは、むさくるしい武人ばかり。

 宿舎にあてられた家の前で、大狼は他の者たちと焚き火をかこんでいた。雪がちらつきはじめ、地面に薄く積もっている。

 この冬は、ことに寒さがきびしかった。宿舎に篭もっているより、外の大きな焚き火にあたって身体を動かしていた方が暖がとれた。

 燃えさかる炎に引き寄せられるようにして、焚き火に近づいて来た男があった。

 大狼はなにげなく彼を見、声を上げた。

 名前は忘れたが、大狼の知っている青年だ。稀於の館の家人である。

「よく会えたなぁ、嬉しいよ」

 大狼は、抱きしめんばかりにして彼の腕をとった。目の細い、気のよさそうな青年だった。やつれた顔といい、汚れた衣といい、だいぶくたびれた格好をしていたが、それは大狼も同じこと。

 彼だって、異人の襲来からこの一月あまりの間、さまざまな苦難を乗り越えてきたにちがいない。

「稀於どのは?」

 まっさきに大狼は尋ねた。

 戦にまぎれ、気にかけてはいたもののずっと稀於の安否を知ることができなかったのだ。彼なら知っているだろう。あるいは、稀於もこの沼多に来ているのかもしれない。

「ご無事です、風嵐の若殿」

 彼は、はじめて笑顔になった。

「蛇の一門の女子供を連れて、都へ避難されました。惣領のご命令です」

「そうか」

 大狼は、つぶやいた。

「よかった」

 戦えない者を守る大事な仕事だ。稀於もしぶしぶ従ったことだろう。〈蛇〉の片名に感謝した。生きてさえいれば、また稀於に会うことができる。


 香嶋の隣は、都のある天香だった。

 これ以上の敗北は許されなかった。大王の名代として内臣みずからが沼多に入り、全軍の指揮をすることになっている。

 香嶋周辺の国々から集まった兵は約五万。遠国からの援軍はまだ来ない。

 だが、時間はなかった。異人の兵は動き始めている。内臣は軍をひきつれ、沼多の外れを流れる|香《こう

》川の河原に陣を張った。

 川幅は狭かったが、川沿いに細長い平野が広がっていた。この年、ただでさえ実りの少なかった田畑は、灰色に汚れた雪の下で凍えていた。

 やがて、斥候が戻った。敵が近づいている。ほぼ三万の兵をもって。

 数でははるかに大那が有利だ。香嶋の隊に交じっていた大狼は考えた。問題は武器だろう。

 津木での戦いで、大狼は鉄玉がどんなものであるかを見てきていた。導火線に火をつけて爆発させるのだ。せめて雨でも降ってくれればあの鉄玉も使えないだろうが。

 しかし、空にはめずらしく太陽がのぞいていた。空気は乾き、雪のかけらさえ降る気配はない。

 薄曇りの空の下、からっ風が川面を渡った。馬上で、大狼は思わず身じろぎした。

 太陽は、中天にさしかかっていた。

 馬たちが、落ちつきなく首を動かしはじめた。大狼は耳をすました。

 遠くから、おびただしい人間の足音が聞こえてくる。そして、津木での戦でも耳にした深みのある角笛の音。それが互いに応えあうようにして、いくつも響き合わさり近づいて来る。

 平野の上の、小高い丘の斜面に異人軍は姿を見せた。幾十本もの槍が、冬枯れの景色の中で鈍く光っていた。

 馬上の者も何人かいる。兜からはみ出た薄色の髪が、豊かに波打ち輝いていた。鎧の上からはおった長外套が、風に鮮やかな色の裏地を見せてひるがえった。

 船で運んで来た異国の馬らしかったが、掠奪した大那の馬もいる。異国の馬は大那のものよりだいぶ大きかった。小ぶりな大那の馬は、彼らにはいささか乗りにくそうに見えた。

 そうしている間にも、歩兵はぞくぞくと平野に下って来る。

 大那の太鼓も高らかに打ち鳴らされた。

 大那軍は一斉に川を渡った。

 異人の先鋒隊が、鉄玉を放った。

 光が炸裂し、人馬が次々と吹き飛ばされた。

 えぐれた地面と死体とを乗り越えるようにして、大那軍は前進した。鉄玉の導火線に火をつけるには、いくらか手間がかかる。前進できるのは、そのわずかな時間だけだ。

 しかし、ついに両軍は交わり、白兵戦となった。

 敵味方入り乱れれば、そうたやすく鉄玉は使えない。

 大狼は騎馬のまま夢中で太刀をふるい、執拗な異人の歩兵をけちらした。

 大狼のすぐ側で、爆発がおこった。激しい土煙とともにその場にいた数人投げ飛ばされる。異人の金色頭もその中に入っていた。

 仲間を巻き添えにすることも考えず、異人の誰かが鉄玉を使ったらしい。

 異人でも恐慌をきたすことはあるのだ。やはり、戦はおそろしいのだろうか。

 そんなことを考えたのも一瞬だった。爆音に怯えた大狼の馬が高くいななき、前脚で空を蹴って彼を振り落とした。

 馬のひずめにあやうく頭を踏み砕かれそうになった。大狼はかろうじて身をかわした。

 味方の死体をひとつ越えて立ち上がりかけた時、目の端にあの姿をとらえた。

 血で汚れた川のほとりに人影が立っていた。戦には、まるで無関心な様子のまま。

 手白香の少年だった。大津波を引き起こした恐るべき呪力者。

「やめろ!」

 大狼は、思わず叫んでいた。

 少年は見向きもしない。

 と、彼のまわりの空気が、硬く張りつめたように思われた。

 大狼は、本能的に身を伏せた。

 地面が身ぶるいした。続いて、突き上げてくる激しい地鳴り。

 戦場のあらゆる馬が恐怖のいななきを上げた。大狼の目の前で、大地が波打つように盛り上がった。

 天空から、巨大な槌が降り降ろされたかのような轟音がとどろいた。

 地には、幾本もの亀裂が走った。

 川は流れを変え、奔流となって地面の裂目に押し寄せた。地面にしがみついていた人々が、悲鳴とともに巻き込まれ、裂目に呑まれた。

 大狼はその場に倒れ込んだまま、我が身をささえているのがやっとだった。

 やがて、大地が鎮まった。

 恐ろしく長い時間がすぎたように感じながら、大狼はそろそろと身を起こした。

 戦場は一変していた。

 川水は陥没した大地に流れ込み、広い沼のようなぬかるみをつくっている。泥色の水面には、夥しい数の死体が浮き沈みしていた。異人も、大那人もいっしょになって。

 わずかに生き残った者たちは、何がおきたのかも理解できぬまま、放心したようにうずくまっていた。

 大狼は地面に両手の爪を食い込ませ、言葉にならない叫びを上げた。

 喉がつぶれそうになるほどの大きな叫び。そうでもしなければ、正気を保っていることなどできなかった。

 大狼は、修羅と化した大地を見まわした。

 向こうの丘の斜面の下に、少年は立っていた。漆黒の髪が風になびいている。その黒さは死そのもののようだった。

 大狼は、もう一度一声叫び、猛然と少年のところに駆け出した。

 大狼が追いつ間もなく、その姿は現われた時と同様、忽然と掻き消えた。

 大狼は、息をあえがせてその場につっぷした。

 いったい、あの少年はなんなのか。

 現われては死をもたらしていく。まるで、荒らぶる霊のように。

 足音が聞こえ、大狼は我にかえって頭を上げた。

 泥に汚れた長革靴、身体にまきつけた深紅の外套。赤みを帯びた金髪の主が、無言の厳しさで大狼を見下ろしていた。

 大狼はぎょっとして立ち上がった。

 ひと声うめく。自分のまわりにいるのが、みな異人であることに気がついたのだ。


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