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風の狼  作者: ginsui
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「驚いた」

 風嵐の館に戻った大狼は、父の顔を見るなり言った。

「まったくだ」

 火葦は疲労で充血した目をしばたたいた。

 手足の長い大柄なところは、息子の大狼とよく似ている。いくらか癖のある髪の毛は、だいぶ白髪が交じっていて灰色に見えた。

 衣の上から狼の毛皮の袖なし羽織を着込み、彼は自室の火桶の前で気むずかく腕組をしていた。

 風嵐の館の者は、みな昨夜から一睡もしていない。今朝はやく、一艚目の舟が風嵐に辿り着いたと言う。それから二艘、三艘と。伊槻から逃げて来た人々、もっぱら女子供と老人の舟だった。

 火葦の命令で、彼らは風嵐の三つの村に手早く保護された。異人のことを、恐れわななきながら彼らは話した。

 海人と同じ容貌をしながら異なる言葉を使い、奇妙ななりをした者たち。武器は剣に弓、そしてもうひとつ、投げると凄まじい音と光を放つ鉄の玉。

 その鉄玉を何発か受けて、伊槻の館や村の家々は炎上した。島主の息子と家人たちはみな討ち死にし、多数の村人も命を落としたという。

 耳にすることすべてが悪い話ばかりだ。大狼も父親と同じ格好で、眉をひきしめずにはいられない。

「海人の様子は?」

 気がかりなことを口にした。海人が一番多く住んでいるのは香嶋(かしま)の国だが、風嵐にも三十人ばかりの海人がいる。

「興奮はしているようだが、騒ぎをおこしそうにはない」

「おれは、海人が異人に同じるとは思えないよ、親父どの。連中はもう大那の人間になりきっている」

「むろん、わしもそう思いたい」

 火葦は深いため息をついた。

「だが一応、一つ所にまとめて家人をつけてある。怯えた浜の者が海人を襲いだすともかぎらないからな」

「ああ、そうだな」

 父の部屋は館の奥にあったが、庭先にある鍛冶場の方からは槌の音が休みなく聞こえていた。これから大量の武具が必要になるかもしれないのだ。

 異人はまだ伊槻を動く気配はないと斥候は伝えている。だが一旦動きだせば、この風嵐が最前線になることは間違いがない。

 大那に本当に戦がおこるのかどうか、大狼はまだ信じられないでいた。

 大那では、戦は長く行なわれていない。

 〈語り〉によれば、最後の戦いは龍の一門が死に絶えてからの大空位時代。〈龍〉の後を継ぐべく、力ある一門がしのぎを削った時代も、四百年前に獅子の一門が大王家になったことで決着がついた。

 いま生きている人間で、大戦を体験した人間は一人もいない。異人との戦は、とてつもなく不利のような気がしてくる。

 都へ行った急使が帰って来るまで、あと数日は必要だった。報せを聞いた大王はいったいどうするだろう。

 大狼は、大王の青ざめた神経質そうな顔を思い浮かべた。神官たちは大那から姿を消し、続いて異人の襲来。大那の命運は尽きてしまったと、自棄をおこさないでくれればいいが。

 ともあれ、大王が命を下さなければこちらとしてはどうしようもない。異人が動き出さない限り、ここで睨みあっているしかないわけだ。

 大狼は父のもとを辞し、集められた海人たちのところへ行ってみることにした。

 あいかわらずの曇天だ。島の中腹にある館を出ると、津木の湾が真向いに見える。弓なりの湾から、入り組んだ海岸線が左右にひろがっている。

 左側のはずれに突き出ているのが舞波の半島だった。かすむ岬の先端に、さっきまでいた稀於の館がある。

 大狼は、しばらく思いをこめて舞波を見つめた。これからどうなるかわからないにしても、大那のために稀於も大狼も最善を尽くすしかないだろう。

 浜への曲がりくねった坂道を下っていく。細長い風嵐には島の両端と裏側にひとつづつ、三つの小さい集落があった。海人たちは館に一番近い久鳴(くなり)の村に住んでいる。

 砂浜に近い松林の中に、村の家々は散らばっていた。人々はみな重苦しい不安を抱いたまま、家の中で息をひそめているようだった。

 松林が砂浜に変わるあたりには、長屋のような小屋が二棟。独り身の海人は、ここで男女にわかれて共同生活を送っている。まがりなりにも家が持てるのは、島主に許された夫婦だけだった。

 風嵐にいるほとんどの海人は島主に隷属し、塩焼きを生業としている。久鳴の浜には、彼らが交替で海水を汲み上げ、火をおこしている大きな塩煮釜が二つある。

 もっとも、いま浜に出ている海人は一人もいない。うねる高波が、白いしぶきをあげながら無人の浜に寄せるばかりだ。

 小屋の前に焚火がたかれていた。若い家人が二人、その傍に所在なげに座り、話をしていた。大狼に気づいて頭を下げる。

「海人は、みんなこの中にいるわけかい」

「そうです、若殿」

 大狼は声をひそめ、

「どんな様子だ?」

「ただただ、不安がっているようです」

「だろうな」

 大狼はため息をつき、男たちがいる小屋を覗き込んだ。女たちの小屋は子供も加わっているのでまだ気がまぎれるだろうが、男たちはそうもいかない。二三人、金色の頭を寄せあってぼそぼそ話し会っているものもいれば、小屋の壁にもたれてじっと考え込んでいる者もいる。

「佐巣がいないな」

 彼らを眺めて、大狼は思わず口にした。

 佐巣は薬師として館の一室を与えられていた。館では見つからなかったので、当然ここにいると思っていたのだ。

「佐巣なら、館を出たようです、若殿」

 家人の一人が言った。

 大狼は驚いて彼を見た。

「いつだ?」

「大王祭から帰ってまもなくです。誰にも告げずに消えました」

 家人は憤然としている。

「恩知らずにもほどがあると、みなで話していたものです。よりにもよってこんな時、薬師がいなくなるとは」

 大狼は都で別れた時の、奇妙に気にかかる佐巣の態度を思い出した。あの時、彼はもう館を出ることを決意していたのだろうか。

 考えてみれば、佐巣はもともと風嵐の海人ではなかった。五年ほど前に、館の薬師だった向戸(むこ)老人が連れて来たのだ。

 ひどい嵐の翌日に、裏風嵐の浜に打ち上げられていたということだった。記憶がなく、言葉も話せない状態で。

 向戸は、根気よく佐巣の面倒を見た。記憶は戻らなかったが、やがて徐々に彼は言葉をとりもどし、なかなか物覚えのいい人間であることもわかった。

 薬師としての知識をすべて佐巣に教え込んで、向戸が死んだのは去年のことだ。

 彼の遺言もあって、佐巣はそのまま薬師として風嵐の館に落ち着いた。

 なにかのはずみで無くしていた記憶が戻ったのだろうか。

 自分の故郷を思い出したのかもしれない。にしても……。

 大狼は、物悲しい思いにかられた。

 黙って去ることはないだろうに。信頼していた人間に裏切られたような気分になる。

 女たちの小屋から、小さな子供の泣き声が聞こえていた。大人たちのただならぬ様子を敏感に察しているにちがいない。

 暗い空は、また雪でも降りそうな気配だった。

 大狼は焚火に手をかざしたが、少しも暖まった気がしなかった。


 荒れた海に舟を漕ぎ出して、斥候は毎日のように伊槻の様子を報せてきた。

 伊槻は、風嵐の倍はある広い島である。異人の船は沿岸に重なり合うようにして停泊している。その数はざっと千。異人の数は十万を下るまい。

 火葦は、主だった家人を連れて裏風嵐に移っていた。沖に面したこの村は、伊槻島に一番近い位置にある。

 不気味な沈黙を守っていた伊槻から、一隻の船が風嵐に向かっているとの報せが入ったのは、伊槻が落ちてから八日目のことだ。

 館の留守を命じられていた大狼は、急いで裏風嵐のに向かった。

 村に馬を乗りつけると、火葦はもう浜に出ていた。表の久鳴などとは違い、ここは切り立った崖の多い磯浜だ。集められた数十隻の船が、岸から離れた場所に帆をたたんで停泊している。

 大狼は父たちに加わり、崖の高みに立って海を眺めた。下の岩に砕け散る波のしぶきが、風に舞い上がって顔を濡らした。

 陽はやや西に傾いていた。重くわだかまる雲の間から薄い陽の光が射し、鉛色の海をそこだけ白っぽくきらめかせていた。

 異人の船はやがて水平線上に現われた。こちらを威圧するようにゆっくりと近づいて来る。

 たしかに大きい。大狼は、身じろぎもせずに船を見つめた。

 大きいばかりではなく、とてつもなく丈夫そうだ。三本の帆柱がそそり立ち、白い帆が誇らかに風をはらんでいる。船体は美しい曲線を描いて細長く、両舷に幾本もの櫓が突き出ていた。

 近づくにつれ、船体に原色の彩色がほどこされているのがわかった。船首には黒と赤と黄で、恐ろしげな目が描かれている。

 大那人たちが息を呑んで見守るうち、船は海のただ中に威風堂々と姿をさらしたまま帆をたたんだ。

 まもなく艀が下ろされ、こちらの岸に向かって漕いで来る。

 漕ぎ手を含めて三人の異人が乗っていた。彼らの長い金髪が、雲間からもれる陽をうけて鈍く輝いた。身にぴったりと張りついたような上衣と袴が、いっそう彼らの長身を際立たせていた。腰には太い革帯をしめ、履いているのも長い革靴。

 一人だけ、肩に赤い袖なしの外套のようなものをはおっていた。悠然と腕を組んで傍らの異人に話しかけているところを見ると、どうやらそれが高い身分を表しているらしい。

「武器は持っていないようだな」

大狼はつぶやいた。

「あれは、使者だろう」

 火葦の言葉を裏付けるように、艀は岸からずっと離れた場所でとどまった。外套を羽織っていない方の男が、こちらに向かって手招きをする。

「こいって言ってる」

 大狼は思わず父の顔を見た。

「行くさ」

「親父どの。おれが!」

「いや、わしが行く」

 火葦は灰色の眉をきつく寄せ、艀に目をこらしたまま首を振った。こんな時の父の決心は、変えようのないことを大狼は知っている。

 火葦は傍にいた家人に命じてすぐに舟を用意させた。乗っていく者も彼らに合わせて三人。武器は持たない。

 大狼は、崖の上に立ったまま艀に近づく父の舟を見守った。

 いつでも漕ぎ出せるように、他の舟も準備している。父に何かあれば、すぐさま飛んで行くつもりだった。

 二艘の舟はぴったりと寄り添った。何やら話が交わされている。

 大狼は眉を上げた。異人は大那の言葉を知っているのだろうか。

 火葦が使者と話したのは、ごく短時間だった。使者は外套をひるがえして火葦に背を向け、艀を戻すように命令したようだ。

 異人の艀は本船にむかって漕ぎ出した。火葦の舟も岸に戻る。

 大狼は思わず肩の力を抜いた。父の務めは無事にすんだのだ。

 いつのまにか額ににじんでいた汗を拭い、大狼は急いで下の舟着き場に駆け出した。

 火葦の表情は変わらなかったが、いっしょに行った家人たちの顔は、はっきりとわかるほどに青ざめていた。

 村の方に歩き出しながら火葦は行った。

「これからすぐ館に戻ってくれ、大狼。もう一度急使を送らなければならん」

 大狼は、大股で父の後を追いかけた。

「異人は何と?」

「帝国に帰順せよ」

「帝国?」

「異人の国だ。十日だけ猶予をやる。その間に従わなければ攻撃する、と」

 大狼は、絶句して父を見つめた。

 たがいに覚悟していたことではある。だが、心のどこかではずっと戦を拒んできたのだ。

「はっきりと、そう……」

 大狼は、ようやく言った。

「異人はそう言ったのかい? 親父どの。この大那の言葉で?」

「そうだ」

 火葦は険しい顔でうなずいた。

「ひとり、われわれの言葉の解る者がいた。それが、赤外套が言った言葉をわしに伝えた」

「……」

「異人はこの大那に来るために、われわれの知らないところで着実に準備をしていたわけだ」

「大那を征服するために」

「そうだ。戦はもはや避けられまい」

 どんな戦になるというのか。

 大狼は、ぞくりと寒気をおぼえた。思わず海を振り返る。

 異人の船はいまは帆をたたんだまま、沖に漕ぎだして行くところだった。

 大那の船よりは、はるかに精巧な造りの軍船。そして、話に聞いている炸裂する鉄玉の武器。離れた大勢の敵をたちどころに殺傷できるというしろものだ。

 異人には勝算がある。だからこそ、あんなに悠然と構えていられるのだ。大那の混乱ぶりをじっくりと眺めるようにして。

(みすみすやられてたまるもんですか)

 舞波の稀於の声が聞こえてくるようだった。大狼も、それには同感だ。

 大那を脅かすものがなんであれ、狼は牙を向けなければならないだろう。


 大王は、諸国の国守と惣領に軍を整えるよう勅命を下していた。風嵐はもちろん、近辺の真志摩(ましま)や香嶋の沿岸には、すでに船がぞくぞくと集められていた。

 とはいえ、本来が戦いのための船ではない。運搬用の帆船や、小さな漁舟が大半だ。話に聞く異人の軍船とくらべれば、悲しいほど頼りないものだった。

 女子供と戦えない者たちが風嵐から脱出することになった。狭い風嵐と島のまわりは、船と兵とで徐々にあふれかえった。

 十日目の朝、沖の斥候が報せをもたらした。

 約束を違えず、伊槻から異人の船団が風嵐めざしやって来ると。


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