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風の狼  作者: ginsui
3/19


 夕焼けは、おどろおどろしいまでに赤黒く、西の空を染めていた。

 〈杜〉は、日没にますます影を深くしていく。

 都の西はずれの円い丘が〈杜〉だった。太い柵にぐるりと取り巻かれたその中は、欝蒼と生い茂る木々の森。

 四年に一度だけ開かれる大きな木の扉──大神官の死への扉──を押して、神官たちは〈杜〉に入った。日暮れとともに、あれほどひしめきあっていた人々の姿も消えていった。

 今は風にのり、ふるえるような弦の響きが聞こるばかり。琵琶弾きたちが都のそこかしこで大神官のための霊鎮めの琵琶を弾いているのだ。

 大狼は、扉近くの柵の影に身をひそめていた。

 普段でも、このあたりは人通りの少ない場所である。まして祭りの後、〈杜〉に近づく者など誰もいない。大神官を静かに地霊に還すために。

 だが、その大神官が偽物だったとしたら?

 考えたくないことだったが、可能性は大なのだ。それを確かめるために、大狼はここにいる。

 夜の帳はすっぽりと降りた。

 流れの早い雲の間から、月がにじむような光を投げかけている。

 野犬の鳴き声が、遠くで哀しげに尾をひいていた。やがて真夜中と言ってもいい時刻。

 風の冷たさで耳がじんじんするようだった。大狼は柵にもたれたまま、手のひらに息を吹きかけた。

 両耳をごしごしと擦る。と、彼はぴたりと手を止めた。

 〈杜〉の扉の方で、人の気配がするだ。

 大狼はますます柵に身を押しつけ、そっと顔だけのぞかせた。扉が鈍い音をたてて開き、人影が次々と現われた。

 神官たちだ。

 大狼は薄い月明かりを頼りに、影のような彼らに目をこらした。

 数をかぞえる。全部で十人。

 十人?

 大狼は、はっと眉を上げた。

 大神官が地霊に還ったのなら、出てくるのは九人でなければならないはず。

 着ているものも、神官の浄衣ではなかった。色のついた俗人の衣だ。髪型と顔を隠すようにして、頭の上から大きな布を被っている。

 彼らはあたりに人影がないのを確かめるようにして、無言のまま足早に歩き出した。

 彼らの暗い色の衣と頭巾とは、すぐに闇の中にまぎれて消えた。

 ひどく息苦しくなってきて、大狼は大きく呼吸した。寒さにもかかわらず、両手がじっとりと汗ばんできている。

 間違いはない。

 神官は偽物だったのだ。

 

「で、おれは連中の後をつけてみた」

 声をひそめて大狼は言った。

「どうだったの?」

 と、稀於。

「連中が入ったのは、内臣(ないしん)の邸だったよ」

 大狼は、むっつりと腕組みし、

「あなたはこのことをどう思う? 稀於どの」

 稀於は親指の爪を噛みながら、美しい眉をきゅっとひそめた。

 都の中を流れる角折(つのおり)川の川縁を、二人は肩を並べて歩いていた。昨日までは大勢の人々がこの河原で野宿していたのだが、祭りの終わった今では対岸に数組の旅芸人たちが留まっている程度である。

 どんより曇った空の下、黒い染みのような焚火の跡が、なにか無残とも言える様子で散らばっている。

「内臣ね」

 稀於は大狼の言葉を繰り返した。

「内臣と大王はひとつだわ。内臣の考えは大王の考えでもあるということ」

「だろうな」

 大狼はうなずいた。

 稀於の言う通り、大王と内臣は二人で一人と言ってもいい。四年前の政変も、この二人が起こしたことだ。以来内臣はぴったりと影のように大王に寄り添い、彼を補佐している。

 大狼は、宮廷で見た大王の、いつにも増して青白い顔を思い浮かべた。偽神官の件には、彼もかかわっているにちがいない。

「でも、本当の神官はいったいどこへ行ったの?」

 稀於は大狼を見上げた。

 大狼は軽く首を振り、いくらか充血した目を手のひらで擦った。昨夜は一睡もしていないのだ。

「おれは、その足で夜彦山の神官屋敷にも行ってみたんだよ、稀於どの」

「神官は?」

「いなかった」

「いない?」

「ああ、おれは今朝まで夜彦山にいた。その間、一人の神官とも出会わなかった。それどころか、屋敷にはしばらく人が住んだ跡もなかった」

 大狼は一息に言った。肩をすくめ、足元の小石を川に向かって蹴り上げる。

 稀於は唖然とした表情で大狼を見つめていた。

 まったく不思議なことだった。

 大王祭の時には、手白香のほとんどの神官が天香に来ているはずなのだ。それ以外の時でも、数人の留守居役が常住している。誰一人いないことなど、考えられない。

 にもかかわらず、屋敷の中には蜘蛛の巣がはり、塵がつもり、庭は荒れ放題。少なくとも半年は空き家になっていただろう。

「どういうことなのかしら」

 稀於はようやく言った。

「大王祭なのに、大神官たちは都に来なかったってこと?」

「そうとしか考えられない。それどころか、留守役まで消えてしまった」

「だとすれば、大王のしたことは賢明だったんでしょうね」

 稀於は持ち前の勝ち気さで、とり乱すまいとしているようだった。声が鋭くなっている。

 稀於に話してよかったと大狼は思った。一人であれこれと思い悩むより、ずっとまとまった考えが生み出せる。

 まして、彼女は舞波の館主なのだ。惣領見習いの自分よりは人の上に立つ経験が長い。それだけ為政者の考え方ができる。

「こんな年の大王祭に、大神官が現われないなんてことになれば……」

「ああ」

 大狼はうなずいた。それを想像し、身ぶるいさえ覚える。

「混乱、なんてもんじゃないだろうな。大王祭の年だったからこそ、民人の心も持ちこたえていた。なのに、すがりつく大神官がいないんだ」

 おそらくこの秘密は、大王と内臣と彼らのまわりの限られた人間しか知らないことなのだろうと大狼は思った。

 また、知られてはならないことだ。人々をこれ以上不安に陥れるわけにはいかない。

「神官たちに、何が起こったと言うのかしら」

 稀於はしゃくにさわったようにつぶやいた。

 彼女の薄紅色の肩掛けが風にひるがえる。雪溶け水でかさの増した川面は、白いしぶきを上げていた。

「まさか、大那を見捨てたわけではないでしょうね」

「まさか」

 大狼は首を振り、ふと先日の一沙との会話を思い出した。

 この地霊の衰えが原因だとしたら?

 神官の絶対的な務めは、大那を守護することだ。それはつまり、大那の地霊を守っていくことに他ならない。

 神官は呪力者の集団だ。常に何人かの神官が大那中を巡り歩き、呪力のある子供を見つけては彼らの手白香島へ連れ帰る。

 神官になれば、一生不犯。それが、呪力者の種を断つためであることを大狼は知っていた。呪力は、必要以上に地霊を消費するものだから。

 だが地霊は、彼らの努力もむなしく衰えていた。そして、この凶荒として、ついにかたちに現われた。

 とすれば、神官は大那を守るための手段を捜そうとしているのではないだろうか。大王祭さえ捨て置いて。

「おれは、手白香に行ってみるつもりだよ、稀於どの」

 稀於は、ひるがえる肩掛けを掴んだまま大狼を見上げた。

「そうね」

 考え深げに、ひとつうなずく。

「大王の使いだって手白香に行っているには違いないけど、その結果を公表するとは思えないし……」

「殿上の連中には、いろいろと駆け引きがあるんだろうさ。おれは、自分の目で本当のところを知りたいんだ」

「身軽なら、いっしょに行くところよ」

 稀於は言い、くすりと笑った。だが、その目はまんざら冗談でもないようだ。

「ところが、そうじゃないからなあ」

 大狼は鼻先に皺をよせ、大げさにため息をついてみせた。

「あなたには舞波と〈蛇〉がある」

「ええ」

「〈蛇〉の惣領は、何か言っていたかい?」

片名(かたな)さまは、大狼さまのこともよくご存じだから」

 稀於は真顔になって言った。

「大狼さまが、あきらめるまで様子を見ようと言ってらしたわ」

 大狼は歯をむきだした。

「おれは、あきらめる気はない」

「たぶんそうだろうから」

 稀於は大狼から目をそらした。

「あとはわたしの決心しだいですって」

「だったら!」

「そんな簡単には決められないわよ」

 稀於は悲しげに肩をすくめた。

「わたしは、舞波の館の後継ぎとして育てられてきたのよ。一生〈蛇〉の稀於のままでいるつもりだったわ。急に考えを変えろと言われても無理な話」

 大狼は、しぶしぶとうなずいた。

 大狼も稀於の気持ちがわからないではない。稀於が風嵐島に来るとすれば、彼女はその名を失ってしまう。〈蛇〉の稀於は死んだとみなされ、新しい狼の一門の名を与えられるのだ。〈狼〉に生まれ変わった者として。

 もし自分が稀於だったとしても、割り切れないものを感じるにちがいない。

「わかったよ」

 大狼は、髪の毛をくしゃりとかきあげて言った。

「おれは待ってる。あなたがいいと言うまで」

「いつまでも、答えは出ないかもしれないわよ」

「それでもいいさ。断られるよりましだからな」

 稀於は苦笑し、小さくため息をついた。

「手白香には、いつ行くおつもり?」

「明日のうちには」

「見送りにはけないと思うけど……手白香で何が起きているのか教えてくださいね」

「もちろんだ」

 大狼は請け合った。

 稀於は川面に背を向けて、河原の土手の方に歩き出した。大狼も後につづく。

 と、稀於はぴたりと立ち止まって振り返った。

「いやな感じね」

 大狼を見つめているのは、いつもの彼女らしくない暗い瞳だった。

「大那にとてつもなく悪いことが起きている気がするわ、大狼さま」

「うん」

「自分たちのことなんて、考えていられなくなるかもしれないわね」

「弱気になるなよ、稀於どの」

 大狼は力づけるように彼女の肩をたたいた。

「誰が弱気になんて!」

 稀於は頬をふくらませてぴしゃりと言い返した。

 大狼は声を出して笑い、稀於と河原を後にした。

 しかし、一方では稀於の言葉もかみしめていた。

 正体はわからない。

 しかし、これまでに遭遇しなかったような何かが、確かに起ころうとしている気配を感じていた。


 翌朝早く、旅支度を整えた大狼は厩に向かった。

 彼の持ち馬が、主人の姿を認めて嬉しげに鼻を鳴らす。

 額に白い星形の模様がある、丈夫そうな栗毛の馬だ。大狼は愛情こめてその逞しい首筋を撫でてやった。

 昨日、屋敷に戻るなり、大狼は手白香に行くことを父の火葦(ひあし)に告げたのだ。火葦は重々しくひとつうなずいて、大狼の願いを聞き入れた。

 本当ならば、父みずからが手白香に行って事の真相を確かめたいくらいだろうと大狼は思う。もう少し若く、〈狼〉の惣領と風嵐の島主という責任さえなかったら。

 ありがたいことに大狼にはまだ稀於や父のような責任はなく、好奇心の命ずるまま自由に動きまわることができる。

 今回の手白香行きは、好奇心よりも大那の大事にかかわる、もっと切実なものに違いなかったが。

 父にはもう挨拶をすませてあった。何も知らない家人たちは、また若殿が気まぐれな旅心を起こしたと思うばかりだろう。

 鞍に荷物を固定すると、大狼は馬をひいて前庭を横切ろうとした。

 その時、厩に近い家人の詰め所の方から、ぶらりと出てきた人影があった。

 大狼は、そっちに首をめぐらした。

「やあ、佐巣(さず)

 にっと笑って見せる。

 枯れがれとした庭には雪が残り、空は灰色だ。そんな中で、佐巣の豊かに波うつ金色の髪はいっそう鮮やかに見える。

 瞳は深い海の色。彼は海人(あま)族、大狼の館の薬師である。

 海人族は大昔に大那に漂着してきた人々の子孫だと言われている。彼らの中には故国から伝わる独自の製薬技術を持つ者もあり、大那の支配者層に保護されていた。

 もっとも佐巣は大狼と年が近せいもあって、主従と言うより年下の友達のようなつきあいだった。

 海人族らしくもない、ふっくらとした童顔の女顔。やや上を向いた鼻のまわりには、雀斑が愛敬たっぷりにちらばっている。

 実際、陽気な人間だった。大狼も彼を気に入っている。如才なさすぎて、時々鼻につくこともあったけれど。

 大王祭はまだ見たことがないということで、今回は志願してついて来ている。

「こんな早くから、どちらへ? 若殿」

 佐巣はきょとんとして言った。

「いやなに……」

 大狼は曖昧に頭を掻いた。

 佐巣は察したように、にっと笑い、

「また例の病気ですか」

「そういうことだ」

 佐巣はふっと笑みを消し、何か言いかけた。が、声にすることなく大狼に近づいて来る。

 長身の海人族の中では、佐巣はずっと小柄な方だ。しぜん大狼が彼の金髪を見下ろす形になる。

 佐巣は顔を上げて大狼を見つめ、唐突に言った。

「いつごろお帰りです?」

 いつになく真剣な口調だった。佐巣の真顔など、大狼はこれまで見たことがない。

「どうかしたのか?」

「いや」

 佐巣は、あわてたように首を振った。すぐに笑ってはぐらかす。

「なんでもありませんよ。気をつけていってらっしゃい」

 いつもの大狼ならば、彼をもっと問い詰めていたかもしれない。

 が、心は手白香ばかりを向いていた。

 見送る佐巣に片手を振って、大狼は馬を奔らせた。

 また雪がちらつきはじめていた。

 佐巣とそのまま別れたことを大狼が後悔するのは、もう少し後になってからである。

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