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風の狼  作者: ginsui


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10


 陽もだいぶ暮れたころ、大狼のいる納屋を訪れた者があった。

 燭台を持った佐巣がはじめに戸口をくぐった。毛布をかぶって身を縮こめていた大狼は、はっと顔を上げた。

 佐巣の後にいたのはあの赤毛の男、副総督だ。燭台の炎が、彼の豊かな巻き毛をいっそう赤く燃え立たせていた。

 外の雪はだいぶ積もっているようだ。二人の茶色の長革靴は、そろって雪まみれになっていた。佐巣は踵を床に擦りつけて、靴底にこびりついた雪を払い落としている。

 大狼は、赤毛を改めて観察した。年のころは、まだ三十代の前半。

 この若さで副総督というのだから、彼の実力のほども何となく理解はできた。鏨でそいだような彫り深い顔立ちも、それにそぐった意志の強さを表していた。

 異人の中では、美形に属する方なのだろう。秀でた額、髪と同じ色の眉は鮮やかに太く、口元をいかにも頑固そうに引き締めている。鋭い目は、深い緑色だった。異人は青い目ばかりではないらしい。

 彼は赤い袖なし外套をしっかりと身体にまきつけ、大狼の前に立ちはだかった。佐巣が二人の間に燭台を置く。

「この方がハイラ。われわれの副総督です」

 佐巣は言った。ハイラは佐巣に向かって、早口で何かまくしたてた。

 怒ったような口調だった。じっさい、怒っていたのかもしれないが。

「昨日のことを話せと言っています。あなたが追いかけていたのは何者かと」

 佐巣がとりついだ。

「海の上に現れたことは聞いているそうです。でも、ハイラは幻覚だろうと疑っていました。自分の目で、あの美しいものを見るまでは」

 ハイラは大狼の前にどかりと座り込んだ。佐巣が言葉をつづける。

「あなたもあれを見ていた。自分たちだけの幻覚ではない。〈帝国〉には、薬を使って集団に幻を見せる術使いもいますが」

「あれは幻なんかじゃない」

 首を振る大狼にハイラがたたみかける。

「それでは何のめくらましだ? と尋ねています」

「めくらましでもない!」

 大狼は叫んだ。

「あいつは、実際に現われた。そしてあの大地震をおこしたんだ」

 佐巣は驚いたような顔をしたが、すぐにハイラに取り次いだ。ハイラは前にもました勢いでまくしたてる。

「ただの人間に、そんなことができるわけがない、と言っていますよ」

「あいつは、ただの人間じゃない。とてつもない力を持っているものだ」

 佐巣はハイラの言葉にためらったようだったが、やがて言った。

「不幸な天災が二度続いたからといって、とり乱してはならない。わたしの知りたいのは真実だ」

「真実さ、まちがいなく」

 大狼は声高に言った。

「あいつは、恐ろしく強大な呪力を持っているんだ。二度も戦場に現われて、あの津波と地震を起こした。ああいったことは、たぶんこれからも起こる。大那から出ていった方が、あんたがた異人の身のためだ」

 ハイラが怒鳴り、佐巣が伝えた。

「わたしが、そんな脅かしにのると思うか!」

 言い方がまずかったらしい。ハイラは帝国人の侵略を諦めさせるために大狼がでまかせを言っていると思っている。

「兵たちの中には、ここは呪われた大陸だと馬鹿げた噂を流す者もいる。思いもかけなかった損害だったからな。だが、あれは偶然が続いただけなのだ。蛮人の迷妄を真似ることはない」

 ハイラはあれを偶然の天災と、どうしても自分に言い聞かせたいのだ。

 どうやって彼に説明すればいいだろう。

 考え込んだ大狼に、佐巣が向き直った。

「五年大那で暮らしたわたしでさえ、大那の地霊や呪力のことはよくわからないんです。彼がそう簡単に、あなたの言っていることを納得できるとは思えませんよ」

「蛮人だからかね」

 大狼は皮肉を言ってやった。佐巣はちょっと肩をすくめた。

「おまえはどうなんだ、佐巣。おれが、でたらめを並べていると思うか?」

「いえ」

 佐巣は即座に首を振った。

「でも、帝国人は長い間、超自然の力を否定するのが文明の証だと思ってきました。今では、神の存在も否定しているくらいですからね」

「サズ!」

 ハイラが声を荒げて呼び掛けた。佐巣は、大那での名を使っているらしい。

 ハイラは自分を抜きにして大狼と話すなと言っているようだ。佐巣が、なにやら調子よく弁解している。

 超自然を否定しながらも、ハイラは大狼に少年のことを聞きたださずにはいられない。彼も気になっているのだ。

 大狼がいなかったら、目の錯覚と片づけたところなのかもしれない。

 だが、あいにくと彼は、大狼も少年を見ていることを気づいてしまった。それ以上自分を欺くことができなかったわけだ。大狼から納得いく種明かしが聞き出せれば、気がすんだのかもしれないが。

 ハイラは律儀な人間らしい。少年がしたことを信じさせ、〈帝国〉が大那を支配することは不可能だとはっきり悟らせなければ。

「ハイラに伝えろ」

 大狼は佐巣に言った。

「あんたがたは超自然だと言っているが、大那では霊も呪力も自然のことだ。おれたちは、地霊の循環の中で生を得ている。その地霊を生み出したのは〈大主〉だ。〈大主〉は、大那にあんたがた異人が来たことを怒っている」

「〈大主〉?」

 佐巣がけげんそうな顔をした。

 まがりなりにも、大那に五年いた人間だ。大狼が突然引き出した〈大主〉の名を不思議にしているのだろう。

 彼に気取られたらおしまいだ。大狼は、自分の声をはげました。

「おまえに言っているんじゃない。ハイラに話しているんだ」

「わかりましたよ」

 佐巣はハイラに向き直った。ハイラの反応はまるで変わらない。佐巣が話しおわらないうちに、いらいらと顎をこすって大狼をにらむ。

「海をへだてた違う大陸だ。おれも、自分たちの尺度であんたがたを見れないと思っている。あんたがたの尺度で大那を見れないのと同じように」

 ハイラは赤い眉毛を上げた。

「意地にならず、冷静に考えてみてくれ。だいたい、あんな偶然が二回もつづくものだろうか。三分の二ものあんたがたの死者を、そのまま偶然とかたずけてしまうつもりか? 何か意志あるものの力と考えた方が、よっぽど自然じゃないか」

 大狼は、必死で話した。佐巣が自分の言葉通りに伝えてくれるのを願いながら。

 しゃくにさわることではあったが、異人との橋渡しは今のところ佐巣しかいない。大那を裏切った人間を頼りにするしかないのだ。

 ハイラは腕組みし、考え込むようにしている。大狼の言うことに、耳をかしてくれているのかもしれない。

「あんたが見たのは、大那の〈大主〉なんだよ。〈大主〉は、また現われる。〈帝国〉が大那征服を諦めない限り。三度同じ目にあわなければわからないほど、あんたがたは愚かなのか?」

 ハイラは大狼にむかってなにか罵った。

「捕虜のくせに大きな口をたたくな、だそうです」

「信じてくれるまでは、どんな口でもたたくさ」

「あれが、おまえの言う大那の〈大主〉ならば」

 ハイラは、きっと大狼をにらんだ。

「なぜおまえたちも、われわれ同様の目に遭わなければならなかったのだ?」

 大狼は、一瞬言葉につまった。しかし、ここでひるんではいられない。

「〈大主〉は、大那を守護している。もとをただせば荒ぶる霊だ。大那そのものを守るためなら、人間の多少の犠牲などかまいはしないんだ。それだけ、恐ろしい存在なんだ。あんたがたばかりではなく、おれたちにとっても」

 ハイラは、しばらくの間、唇をかみしめるようにしてじっと黙り込んでいた。彼の心の内の葛藤は、傍目にも見てとれた。

「頭が混乱しそうですよ、わたしは」

 佐巣がすばやく大狼にささやいた。

「とんでもないことを言い出しましたね」

「本当のことだ」

 大狼は、佐巣から目をそらした。

「〈大主〉の力はまだまだ序の口だ。あんたがたが諦めないかぎり、これから何が起こるかわからないぞ。おれたち大那人まで、とばっちりを受けることになるんだ」

 ハイラはすっと立ち上がった。そのまま大狼に背を向ける。

「帰る」

 納屋を出ていきながらハイラは言った。

「考えることが山ほどできたからな」

 ハイラの最後の言葉を伝えて、佐巣も納屋を去った。残された大狼は、なすすべもなくごろりと冷たい土の上に横になった。

 神も信じないという帝国人が、どこまで自分のでまかせを信じるだろう。

 今は、ハイラの出方を待つしかなかった。


 翌日は、朝から外が騒がしかった。

 どうしたことだろう?

 窓にとりすがって外を覗こうにも、鎖の長さがほんの少しだけ足りないのだ。狭い高窓から見えるのは、あいかわらずの雪空ばかり。

 夜よりもいくらか寒さはゆるんで、大狼は壁にもたれて座ったまま少しうとうとした。戸ががたがたと開いた時には、寝込んでしまう直前だった。

 戸が開くのと同時に、積もった雪が納屋に傾れ込んできた。雪といっしょに入ってきたのは、食事の盆を持った佐巣だった。

「ひどい降りになりましてね」

 佐巣は戸を苦労して閉め直しながら言った。

「雪の重みで押しつぶされた天幕もあって、大騒ぎでしたよ。〈帝国〉ではよっぽど北に行かないかぎり雪は降りません。雪の恐さを今更ながら思い知ったところです」

 大狼は、むっつりしたまま答えなかった。

 佐巣は盆を差し出した。昨日と同じ、実の少ない豆汁だ。

「お気の毒とは思いますが、食糧は節約しろというのが上からの命令なんですよ。大那が飢饉だなんて誰も想像していませんでした。どのくらいここにいるかはわかりませんが、とりあえずこの冬はしのがなければなりませんからね」

 あいかわらず口数の多いやつだ。大狼は黙って盆を受け取った。

 手酷い裏切りをしておきながら、まるで涼しい顔で自分に会いに来る彼を見ていると、腹を立てるだけ無駄だという気がしてくる。

「そんなにひょこひょこ捕虜のところに顔を出していいのか」

「大那語を話せる者は三人しかいませんからね。今のところわたしは特権階級なんですよ。たいていのことは大目にみてもらえます」

「おまえには、罪悪感ってものがないようだな」

 ため息つきながら大狼は言った。

 網の上に腰を下ろした佐巣は、ちょっと首をかしげて大狼を見つめた。

「それなりにありましたよ。あなたに謝ったはずでしょう」

「あれが、謝ったうちか?」

「じゃあ、あなたはわたしが裏切り者らしく、卑屈に縮こまっているのがお望みなんですか」

 佐巣はからかうように大狼を見つめていた。

「そうだとしたら、あなたはますますわたしを軽蔑したでしょうに」

「かもしれんが」

 返す言葉もなく、大狼は口ごもった。確かに、卑屈な佐巣を前にしたとしたら、こちらはますますやりきれない気持ちになっていただろう。

「〈帝国〉での将来のためには、この勤めが必要だったんです。後悔はしていませんよ」

 佐巣はさらりと言ってのけた。

「そりゃあ、あなたがたを騙したのは悪かったと思っています。わたしの立場上、しょうがなかったこととはいえね。だから、今のわたしにできる範囲内であなたのお役に立ちたいんです」

「恩をきせるな」

「恩ではありませんよ。借りを返すだけです」

 大狼は、佐巣を見返した。明るい海色の瞳がそこにある。

 こうもあっけらかんとされていると、怒る気持ちも失せてくる。

 どこまで本心かはわからないが、貸しただけの借りは返してもらおう。大狼はしぶしぶと考えた。

 こちらがどんなに意気がったとしても、異人への窓口は、今のところ佐巣だけなのだ。

「それに、わたしだって大那のことは気になりますよ。昨夜、あなたが言ったことを信じるとすれば」

「おまえに信じてもらわなくったって、本当のことなんだからしかたがない」

 大狼はぞんざいに言った。

「ハイラはどんな様子だった?」

「あれから、一言も口を開かずに自分の天幕に戻りました。これからどうすべきか、彼なりに考えているようです。なにしろ兵を失いすぎた。弱気になっているところに、あなたの話ですからね」

「さっさと〈帝国〉に戻ればいい」

「そうもいかない。帝国軍は、これまで向かうところ敵なしだったんですよ。遠征失敗と、おめおめ戻れるわけがないでしょう。これだけの犠牲を出しているんです。〈帝国〉に帰るには、なにかそれだけの収穫がなければ」

「その前に全滅まちがいなしだ」

 佐巣は肩をそびやかした。

「そんなのは御免だな。ただ、ハイラひとりの考えでは、どうにもならないことは確かですよ。なにしろ、総督というものがいますから」

「総督というのは、どんな人間だ」

「ハイラとは、雲泥の差がありますね。欲だらけの爺さんです。金銭欲、名誉欲、支配欲、その他もろもろ。わたしが〈帝国〉にいた時から悪名は高かった」

 大狼は、あきれて言った。

「そんな人間が、よく総督なんかになっているな」

「皇帝は、人間性より武功を重んじたわけです。ガルガは、征服者としてはもってこいの働きをしていました。目的のためならば、どんな酷いことも平気でするし、手段は選ばない。〈帝国〉は大那に眼を向ける前、砂漠の部族を統合しましたが、十一部族のうちの六つが彼のために皆殺しにされています」

 彼のことを言う時、佐巣ですら眉をひそめている。つまり、とんでもないやつだということだ。

 大狼はいっそう寒々とした気分になった。

「御大は、今朝方ようやく風嵐から渡って来ましたよ。ずっと高見の見物をしていたくせに、ハイラの不首尾をあげつらうつもりなんでしょう」

 それでは、あの騒がしさは雪のためだけではなかったのだ。

「ハイラは、総督にみな話すつもりだろうか」

「話すだけは話すでしょう。爺さんが信じるとは思えませんが。わたしが恐いのは、その後です」

 佐巣は大狼に顔を近づけた。

「あの爺さんなら言いかねませんよ。そんな妄言を言う捕虜はさっさと始末しろ、ってね」

 大狼は、思わず身をのけぞらせた。きっと佐巣をにらみつける。

「おれを脅かす気か?」

「とんでもない」

 佐巣は軽く笑い流した。

「心配しているんです。あなたを死なせたら、こんなわたしでも一生寝覚めの悪い思いをしなければならなくなる」

 どこまで本当だか。

 大狼は、いまいましくなった。佐巣は、大狼が今おかれている状態を面白がっているようにしか見えなかった。

 それにしても、まだ死ぬわけにはいかない。

「食べた方がいいですよ」

 佐巣は立ち上がった。

「また来ます」

「からかいにか?」

「一人でこんなところに閉じこめられていても退屈でしょうからね」

 佐巣はへらず口をたたくと、さっさと納屋から出て行った。

 大狼は怒りにまかせて豆汁を一息にすすり、おもいきり咽せこんだ。

 大狼が異人の兵に納屋から引き出されたのは翌日だった。

 雪の積もった浜には、他の捕虜たちもいて、彼らは次々と艀で沖の船に運ばれていた。

 大狼は佐巣の姿を捜したが、皮肉なことに用のある時には見つからない。

 わけもわからないまま大狼も船に詰め込まれた。

 船はじきに目的地に着く。

 そこは、風嵐島だった。


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