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風の狼  作者: ginsui
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  風嵐(かざらし)大狼(たいろう)が都入りしたのは、大王祭まであと三日という時だった。

 予定よりも遅れたのは数日ごしで降り続いた雪のためである。冬至間近だとはいえ、いつにない大雪となり、道中を難儀させたのだ。

 都に着くそうそう、狼屋敷の留守番役へのねぎらいやら、朝廷への到着報告やらの雑事に追われた。

 狼の一門の惣領(そうりょう)たる父は、大狼が二十歳を過ぎた頃から徐々にその仕事を息子に任せるようになっていて、この大王祭にも同行はしているが手助けはしてくれない。

 屋敷に着いたのは朝早くだったが、休む間もなく動きまわり、ようやく一段落ついたのは夕刻だった。

 大狼はひとり屋敷の庭に出て、都の空気をゆっくりと味わった。

 都に来たのは前の大王祭以来、つまり、四年ぶりのことである。

 雪はやんだものの、外はだいぶ冷え込んでいた。

 邪魔なので綿入れは着ていない。膝下までくる茶色の上衣に白っぽい細袴、地模様が浮かんだ鬱金の飾り帯を締めている。

 長身でしなやかな身体つき。よく輝く黒い目と、いかにも陽気そうな大きな口の持ち主だ。なかでも印象に残るのが、彼の髪の毛だった。一房ごとにあっちこっちに飛び跳ねた、手入れのしようのないひどい癖毛なのである。

 大狼はその癖毛を冷気にさらしたまま、筒袖の中に両手を入れて庭を見まわした。

 庭には形の良い池があり、四季の木々が植え込まれている。もっとも、今は一面の雪。

 人が歩けるように雪掻きはされていたが、道以外のところはよけい雪が深くなり、庭木は枝まで埋まっている。

 こんな大雪を目にすると、昔からわけもなく胸がわくわくしてきたものだ。

 しかし、今回ばかりはそんな気持ちも遠ざかってしまう大狼だった。

 ここしばらく、大那(だいな)はいやというほどの悪天候に見舞われているのだ。

 夏は雨が降らず、それでいて春先のような低温が続いた。秋になっても太陽が雲間からのぞいた日は数えるほど。そして、都でさえ冬至前の大雪だ。

 こうなっては大狼も、眉をひそめずにはいられない。彼の住む風嵐島や海岸地方はまだいいが、内陸の山地の方では深刻な飢饉にみまわれているところもあるようだ。大那にとって、この冬は苛酷なものになっている。

 大狼が、彼にしてはめずらしいため息をつき、きびすをかえして部屋にもどりかけた時、

「大狼」

 誰かが呼びかけてきた。

 大狼は驚いて声の方に目を向けた。

 雪をかぶった庭木の向こうに、隣の屋敷との敷地を分ける土塀がある。

 大狼の背丈ほどの塀だったが、隅の方が一ヶ所だけ崩れていて、隣屋敷をのぞくことができた。

 都の官庁街に近いこの一角には、ずらりと同じような屋敷が並んでいる。大那各国の国守や、一門の惣領たちが都に上った時に使う屋敷街だ。これら留守屋敷に残らず主人がおさまるのは、四年に一度大王祭の時だけである。

 隣屋敷は遠海(とおみ)の国守、狐の一門の葉守(はもり)のものだった。大狼の父と彼とは少年時代からの親友なのだ。互いの屋敷を自由に行き来するために、その土塀の崩れはだいぶ活用されていたようだった。家人たちも気をきかせて修理しようとはせず、三十数年たった今でもそのままになっている。

 声はそちらの方からした。崩れた塀の向こうから顔をのぞかせている者がいる。

 彼が誰であるかを知り、大狼は雪をかきわけて塀に近づいた。

一沙(かずさ)どのじやないか。しばらく!」

「先の大王祭以来だな、大狼」

 塀ごしに、にっと笑いかけているのは、葉守の弟の一沙だった。

 歳のころは三十二三。目つきの鋭い美丈夫だ。

 四年前、大狼と出会った時の一沙は髪を束ねない漂泊者の姿をしていた。本人は若気のいたりと笑っていたが、遠海を離れて旅芸人をしていたのだ。

 今は長い髪をきっちりと一つに束ね、黒っぽい上衣に袴、灰色の腰帯といった小ざっぱりとした身なりをしている。

「庭に出たら、その頭が見えたんでな。今日の到着か」

「ああ。あなたはいつ遠海に戻ったんだい? 一沙どの」

 一沙が葉守に、次の大王祭までには遠海に戻ると言っていたことは知っていた。彼は約束を守ったのだ。

「この夏だ。本当は、もう少し気楽な旅芸人でいたかったんだが」

 一沙は腕組みし、気むずかしい顔をした。

「どうも大那がおかしくなっている。で、予定よりも早く帰ったわけだ」

「遠海も、この気候じゃあだいぶ痛手を受けただろうな」

「ああ」

 一沙は顔をしかめた。

「米の収穫はほとんどなかった。それ以前の問題もある」

「それ以前?」

「馬だ。今年はいつもの年の五分の一も仔が産まれていないんだ」

「五分の一?」

 大狼は目を丸くした。

 遠海は大那でも指折りの豊かな国だが、その理由の多くは馬産によっている。

 それが五分の一とは。遠海は手酷い打撃を受けているにちがいない。

「そんなわけで、遠海はだいぶごたついていてな、殿はまだ都に来ていないんだ。祭りに間に合わなかった時のために、おれは一足早く来たわけさ」

「大那はいったいどうなってしまったんだろう」

 大狼は、眉をひそめて天を仰いだ。

 没しかけた太陽は厚い雲に覆われたまま、空は夕陽のかがやきもない。ただ暗い陰りを帯びていくばかり。

「地霊」

 大狼はぽつりとつぶやいた。

 地霊は、大那に生きるものすべての命の源だ。人も獣も植物も、みな地霊から生まれ、死んで後に地霊へと還っていく。

 その地霊の衰えは、以前から言われていたことだった。地霊がなければ穀物は実を結ばないし、人も獣も仔をなさないのだ。

「かもしれん。大那はひどい年寄りだからな。だがこんなに急激に変化は来るものだろうか」

「なにか理由があると?」

 大狼は一沙に視線を移した。

「そう考えずにはいられないさ。大那の地霊の衰えはそのまま受けとめるしかないが、その他に理由があるなら対処の仕方も考えられるというものだろうが。おれたちには、その方がありがたいぜ」

「なるほど、その通りだな」

 雪をかぶった土塀を挟んで、二人はしばらく黙り込んだ。

 やがて、一沙が気をとりなおすように、

「ひさびさに会ったんだ、景気のいい話も聞かせてもらおうか。噂は聞いていたぜ」

「噂?」

 大狼はきょとんとして一沙を見た。一沙は、からかうような顔で彼を見返す。

舞波(まいば)の蛇姫さまのことだ。風嵐の〈狼〉が〈蛇〉の姫君を追いかけまわしているというのは、もっぱらの評判だがね」

稀於(きお)どののことか」

 大狼は鼻先に皺を寄せ、心底困ったように頭を掻いた。

「まわりは面白がっているようだが、おれとしては真剣なんだ。だが、これがなかなかむずかしい」

 稀於は蛇の一門で、風嵐にも近い舞波の半島の館主だった。

 小柄で美しく、少年のような手足をした彼女。しかし、大狼が一番気にいっているのは彼女の気性なのである。おそろしく気が強いが、それと同じくらいの優しさがある。

 彼女といっしょならば、一生退屈しないで過ごせるだろうと考えはじめたのは去年ごろ。稀於も同じことを思っているにちがいないのだが。

「風嵐の狼でも手こずることがあるわけか」

「あるさ、そりゃあ」

 大狼は肩をすくめた。

「問題は、おれが〈狼〉で稀於どのが〈蛇〉だということだ。おれの嫁になれば、稀於どのは当然、狼の一門になる。それを〈蛇〉の惣領は許してくれないのさ。稀於どのの血統は、蛇の一門の中に残したいと言うんだ」

「舞波の姫さまの気持ちさえしっかりしていれば、〈蛇〉の惣領だって無理強いはできないんじゃないのか」

「そりゃあそうだろうが」

 大狼は首を振った。

「だいたい、稀於どのがうんと言ってくれない」

「おまえさんよりも、一門が大切というわけか」

「稀於どのの気持ちも、わからないわけではないんだ。なにしろ、普通の人とは違う。舞波の館主だからな」

「いっそ、腕づくで言うことを聞かせたらどうだ」

「冗談じゃない」

 大狼は飛び上がった。

「稀於どのは、あれでおれよりも腕がたつんだ」

「むずかしい相手に惚れたもんだ」

 一沙はなかばからかい、なかば励ますような口調で言った。

「まあ、そこを何とかするのが風嵐の狼だろうさ」

 大狼は、鼻の頭を掻いて苦笑した。

「とは思っているよ」

 だが。

 ふと大狼は考えた。

 一門の血統なんて、そんなのんびりとしたことを言っている場合などではないのかもしれない。今の大那にとっては。

 つづく天候の異変が大那の地霊に関係あることだとしたら、繁殖力の衰えは遠海の馬ばかりではないだろう。他の生きものも同様のはずだ。

 もちろん人間だって例外ではない。穀物は実を結ばず、人も獣も生まれるものがないとすれば、大那の滅びは逃れようもなくやってくる。

 大狼はぶるっと身ぶるいした。

 一沙と同じく、他に理由を求めずにはいられなかった。人の力でどうにかできるものならば。

 あたりを薄闇がつつんでいた。

 一沙と別れて屋敷の中に戻っても、大狼は寒々とした思いをぬぐいさることはできなかった。


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