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カラカラカラ。


「ごめんください」

「はーい、いらっしゃいませ」


引き戸が引かれ、今日も『ほほえみ茶屋』は新たなお客様を迎えている。


これはもう三十年、変わらない私の日常だ。


三十年の中で、いくつもの別れがあった。だけど別れだけじゃない。


……私は今、この地で新たな命との出会いを控えている。


数年前、十夜は空白になっていた権天神の位を戴いた。それは事実上、十夜が天界で神威様に継ぐ第二位の神格を認められたという事だ。


けれど十夜が天界の中央で辣腕を揮っているかといえばそうではなく、十夜はいまだ三途の川の管理者として過ごしていた。


「十夜は本来なら、ふかふかの肘付き椅子から部下に指示を出してふんぞり返っていられる立場です。やっぱり中央の要職の方がいいって、思ったりしませんか?」


今朝も、自ら船の修繕に出向いて汗を流した十夜に向かい、冗談めかして聞いてみる。


「はははっ! それも魅力的ではあるが、富名声などという面倒な物は俺には不要だ」


十夜は破願して、私の僅かばかりの憂いを、いとも容易く吹き飛ばしてくれた。


「けれどそれ以上に俺の欲は深い。幸子、お前を生涯離さない。離してやらない。穏やかに時の流れるここ、三途の川で、俺は幸子と生まれてくる子供らと共に暮らす。それこそが俺の望みだ」


十夜の熱い胸に抱き締められて、深い十夜の愛に包まれる。


内と外から、じんわりと温かな熱が全身に巡る。


「嬉しいです。ちなみに十夜、私だって十夜に負けず劣らず欲深いんですよ? だって同じ事を、私も望んでいるんですから」

十夜は蕩けるような優しい笑みで、涙の滲む目元に唇を寄せる。


「それと幸子、『ほほえみ茶屋』をライフワークとしているのは幸子だけではないぞ? 幸子が大切と思う全てが、俺にもまたかけがえなく大切だ」


熱い涙が珠になって頬を伝う。十夜が唇で拾うのでは、もう間に合いそうもなかった。


「十夜、愛してます。今までも、これからもずっと。十夜を愛しています」

「幸子、俺の方が幸子を愛してる」


流れる涙はそのままに、溢れる愛を伝え合うように、私達は唇を寄せ合った。



変わった事、変わらない事。出会った人、別れた人。


時間の流れがあってないような三途の川でも、日々を過ごすという事は、人の世に生きるのと同じに目まぐるしいのだと私は思う。


「お姉さん、団子ちょうだい」

「はい、ただいま」


軽快な返事とは対照的に、もうじき八ヵ月になる私の動きはちょっと重たい。あと数日で、産休に入る。もちろん産後に復帰はするが、『ほほえみ茶屋』としばしのお別れと思えば、少し寂しい思いもある。


随分と大きくなったお腹を擦りながら、ゆっくりとした足取りで厨房に向かう。


「幸子、俺がやる。幸子は座っていろ」

「十夜……」


十夜は私の肩を抱くと、厨房の隅に誂えた休憩用の椅子に座らせた。私の妊娠が分かってからの十夜は、甲斐甲斐しすぎるくらいに、甲斐甲斐しい。


「ありがとう、十夜」


とは言え、正直ずっと立っているのはしんどくて、十夜の気遣いに素直に甘えた。


「幸子は頑張りすぎだ。無理をするなよ」


トントンと私の背中を擦り、笑みを残して厨房を出て行く十夜が、一回り大きく頼もしくなっている気がした。


ちなみに、かつて十夜の事を皿の一枚も洗わない、なんて思っていたのは大間違いだった。十夜が本気を出したなら、家事スキルは超プロ級。お茶屋の切り盛りも、またしかりだ。


今も十夜は、続々と来店するお客様をテキパキと捌いていた。


「そうよ、さっちゃん。あとは、あたしがやれるわよ~」


そうしてもうひとつ、驚く事に『ほほえみ茶屋』は開業三十年目にして、まさかの人員補充を叶えていた。


管理者が本業の十夜を私の産休育休中、ずっとお茶屋の亭主にしておく訳にはいかないと悩みに悩み、思い切って求人の張り紙をした。そうしたらまさか、その日の内に、応募者があったのだ。


私は応募者を一目見て、愕然とした。


年の頃は二十歳前後、ふわふわ、くるくるとした毛髪に、これまたふわふわとした尻尾を生やした女性は何を隠そう、コマちゃんその人だった。


「コマちゃん、本当に大助かりです。だけどご主人の仁王さんに付いていなくていいんですか?」


そうして動揺冷めやらぬまま始まった面談で、コマちゃんの差し出した履歴書を見て、私は卒倒しそうになった。


コマちゃんは仁王さんのペットなんかじゃない。仁王さんの、奥様だったのだ。


「いいのよ。あたし専業主婦ってタイプじゃないの。それに仁王からのお小遣いじゃ、使うのも遠慮しちゃってダメなの。だから自分でパートして、お給金でトリマーに行ってトリミングやネイルして遊ぶのよ~」


色々とツッコミどころの多い台詞だ。


どこから突っ込めばいいのか悩むが、そもそも狛犬って人型を取れたのかと、その上で行くのは美容院やネイルサロンでなくトリマーなのかと、主だってはそれに尽きる。


「ふふふ、それにあたし、さっちゃん大好き」

「コマちゃん、私もコマちゃんが大好きです」


ふわふわとした見た目からはそれと知れないが、コマちゃんはかつて天界中に名を轟かせる荒ぶる神であったらしい。


それのお目付け役として仁王さんが付けられて、紆余曲折を経て夫婦になったらしい。


「あたし結婚したらすーっかりまぁるくなっちゃった。昔は結構尖っていたんだけどね~」


たぶんコマちゃんの語る「尖っていた」は笑い話では済まないレベル。ここは華麗なスルースキルを発動するのが賢明だ。


「十夜さんも、あとはあたしが、やっておきますよ? さっちゃんを送ってお屋敷に、帰ってもらって大丈夫ですよ~」

「え? コマちゃん、私大丈夫ですよ!?」

「ふふふ、妊婦さんが無理しちゃダメよ。しかもさっちゃんは、双子ちゃんを宿してるんだから、二倍に休まなくちゃダメですよ?」


大きなお腹を、そっと擦る。


「コマちゃん……」


そう、私のお腹の中には二つの命が宿っている。性別は敢えて教えてもらっていない。だけど私は直観的に、男女の双子だと確信している。


けれど双子の性別は、私にとって何ら意味ある事じゃない。ただ、同じだけの愛をもって育むだけ。


「幸子、ありがたくコマに甘えさせてもらおう。コマ、すまないな」

「いいえ~」

「コマちゃん、ありがとうございます。後をお願いします」


コマちゃんの厚意に甘え、私と十夜は並び立って『ほほえみ茶屋』を後にした。


十夜に腰を抱かれ、ゆっくりとした歩みで屋敷への道を進む。


横に走る三途の川は陽光を受けて、水面がキラキラと煌く。空は、抜けるように青い。


今日の三途の川は、眩しいくらいに清々しかった。


「なぁ幸子、気付いているか?」


何を、と十夜は言わない。


「はい、気付いてますよ。でも、それだけです」


ちょうど今日が、私が三途の川に来て三十年目。三十年目の今日、婚約者だった悟志さんと対面を果たすために、私は三途の川に残る事を決めた。


かつての私にとって、今日という日が節目だった。


けれど蓋を開ければ、悟志さんはとうに亡くなっていて、それと知らぬ内に私は悟志さんを見送っていた。


今はもう、それを悲しいとは思わない。凪いだ心で見上げたお天道様に、優しい過去に変わった悟志さんの新たな生を祈った。


「そうか」

「はい」


後ろにぴったりと寄り添う十夜に、トンと頭を預ける。十夜が優しい手つきで私の頭を撫でる。


触れる温もりに、伝わる慈しみ。


十夜と共にある今が、そしてこれから先にある未来が何ものにも代え難く愛しかった――。









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