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「……十夜、愛してます。今この瞬間、十夜を愛する心に、悟志さんは介在しません。十夜への愛が全てです!」

「幸子っ!!」


十夜が勢いで、私を掻き抱いたまま持ち上げる。ふわりと体が宙に浮き、視界がグンッと高さを増した。


「っ、……!?」


そうして高さを増した視界にまず飛び込んだのは、十夜でも川でもない!


私を真っ青にさせたのは、生温い笑みを浮かべた好々爺!


目にした瞬間、歓喜も激情も吹き飛んだ。


「と、ととっ、十夜っ! 十夜っ!!」


一拍の間を置いて、私はバッシバッシと十夜の腕を叩きながら叫んだ。


私の素っ頓狂な叫びが周囲に木霊する。


「ん? ……あぁ、神威様がいらっしゃったか」


けれど、老爺を一瞥した十夜は、焦るどころか不満そうに呟いた。


私は十夜をせっついて、その腕から飛び降りる。


「十夜、少しは取り繕ってみせんか。そうあからさまに年寄りを邪険にするものではない」

「コホン。さて、何の事か分かりませんが、お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。けれどそのように背後で待たれていませんと、声を掛けて下さればよかったでしょうに」


「……馬鹿を言うでない。儂の存在などほっぽり出して二人の世界に浸っておったくせに」


頬にボンッと朱が昇る。


それは単純に、二人の会話の応酬の中で語られた軽口に違いない。


けれど当事者の一人としては、それを言われてはぐうの音も出なかった。


とんでもない赤っ恥に、私は内心でもんどりうった。


「コホン。ところで神威様、俺はタツ江婆を頼むとお願いしたはずですが? タツ江婆が濡れ髪を貼り付けて妖怪の如く川面から上がってきた時は凍り付きました」


しかも漏れ聞こえる神威様という名は、天界の最高権力者の御名だ。


そうして私は、かつて神威様に会っている……。


羞恥に困惑までもが加われば、混乱が極まって、本気で火でも出てきそうだった。


「いやはや、あれには儂も驚いた。だが儂はタツ江の苦悩を知っていたからな、任せてくれと言われれば、とても手出しなど出来んかったよ」


とはいえ、神威様はすでに私と十夜の色事など気にもしていない様子で、今はタツ江さんについてどこか懐かしそうに語る。


天界の最高権力者である神威様は、タツ江さんに対して知るところも、思うところも多いようだった。


「タツ江……、そなた本当に男を見る目がない」


神威様は宙を見上げ、切ない瞳で呟いた。


その瞳から、その声から、ありありと滲むのはタツ江さんへの隠し切れない熱い思い。


そして神威様がタツ江さんに向ける思いは、天界の最高権力者としての気配りの範疇を逸脱した、もっと個人的な思いだ……。


「神威様……」


十夜も神威様の思いに触れたのははじめてのようで、掛ける言葉に窮していた。


場が水を打たように、シンと静まり返る。


けれど、そんな沈黙を破ったのは、神威様だった。


「ところで幸子さん、儂の事を覚えておるじゃろうか?」

「は、はい! 神威様は以前『ほほえみ茶屋』にいらっしゃっていただいていますよね? 満席で、テイクアウトをしていただきました」


神威様に水を向けられて、慌てて答える。


「おや、覚えていて下さったのですね。大変美味しいお団子で、あの味が忘れられません」

「なんと! 神威様が幸子の団子を買っていたとは初耳ですね。神威様がどこぞから幸子を見て女神と判断した事は聞かされていましたが、まさか団子の持ち帰りまでしていたとは知りませんでした。三途の川にいらっしゃったなら、俺にも一声掛けて下さればよかったものを。神威様もお人が悪い」


十夜は苦虫を噛み潰したような顔をして、不満そうに零した。


「ほっほっほっ。十夜は、儂が出向いていけば何用で来たのかと、邪険にするじゃろうに。そうそう幸子さん、仁王も同じ事を言っておったから、今度また仁王と訪ねさせていただきます」

「仁王様まで『ほほえみ茶屋』に来ているのですか!?」


十夜は仁王さんも来ていると聞かされて、驚きの声を上げる。


「仁王様は物見遊山で足を運ぶ方じゃない……。幸子、赤銅色の濃い肌に、灰色の短髪の客に覚えはないか?」

「……十夜、言おうかどうか随分と迷ったんです。私は仁王さんに会っています」

「! もしや仁王様から、何か厳しい事を言われたのではないか?」


十夜は私の肩に手を置いて、心配そうに窺い見た。


「いいえ、むしろ仁王さんは十夜が閻魔帳を不当に呼び寄せた罪に目を瞑って、私に選択肢を示してくれました」


「閻魔帳の件が、バレていたのか……」


十夜が目を瞠り、気まずそうに小さく呟く。


忍び笑いを聞き付けて、十夜の斜め後ろに視線をやれば、神威様が肩を震わせて笑っていた。


けれど一瞬絡んだ神威様の目は、笑っていない。


その目から、神威様が私の状況を理解しているのだと知った。


「……十夜は、閻魔帳の正確性を知っていますか?」

「ほとんど100%に近い」


唐突な私の問いに、十夜は即答した。


「ふふふっ。そうですね、ほとんど100%。まさに、その通りです」

「幸子?」


私はひとつ息を吐いてから、ゆっくりと瞼を閉じた。


そうして再び瞼を開き、十夜の目をしっかりと見つめて告げる。


「閻魔帳の正確性は厳密には99.9%。1000人に1人は閻魔帳の寿命を違えるそうです」


十夜の目が、グッと大きく見開かれる。


「十夜、悟志さんはもう、亡くなっています」


口にした瞬間、十夜の表情が固まった。


まるで、時が止まったかのようだった。


十夜の唇が小さく戦慄いて、何事か話そうとしているようだった。けれど震える唇は、声を紡げない。


「……99.9%にあぶれちゃうって、なんだか逆に凄いですよね。仁王さんに聞かされた時は涙が止まらなかったけど、今は素直に受け止めているんです。だから十夜、私はもう何を理由にもしません。私の想う心に従えばいいって、分かっているんです」

「……幸子、俺は知識として1000人に1人が閻魔帳の寿命を違える事を知っていた」


十夜の声は掠れていた。


そうして、悲壮感の篭る声だった。


十夜は、震える拳をグッと握り締めた。


「けれどまさか、それに悟志が当て嵌まるなど思いもせず……。これは俺の、慢心だ。幸子――」

「謝らないで下さい」


十夜の続く言葉を、私は明確な意図をもって遮った。


「だってこれは、誰のせいでもない。もちろん、十夜のせいでもありません。待つ事を決めたのは、他ならない私です。そしてなにより、その時間こそが私と十夜の縁を結んでくれました」


見開かれた十夜の目。


「……幸子には、敵わない」


その目の奥の紫が、萌ゆるような鮮やかさで煌く。


「そんなふうに言われてしまっては、俺の心の葛藤も全てが意味をなさん。俺が安易に謝罪を重ねる事にもまた、なんの意味もない。ならば幸子、俺が約束できるのは、これから先の未来だ。俺は一生涯、幸子に愛を尽くす。幸子、俺の妻になって欲しい」


思い悩み、葛藤に苦しんだ二十年。


けれど二十年の時が、私と十夜の縁となって実を結んだ。


二十年という年月がキラキラと眩い記憶となって、悟志さんの優しい記憶の隣に、スッと居場所を作った。


「はい、十夜。私も十夜に一生涯をかけて、愛を伝えます」

「幸子!!」


十夜は躊躇わず、再び私を腕に抱き上げた。


神威様はそんな私達を、目を細めて見つめていた。






神威様と別れたあと、私と十夜は三途の川の自宅に戻った。


既に二十年、十夜と共に暮らし、慣れ親しんだ我が家。


けれど今、改めて我が家を目にすれば、熱い物が頬を伝った。


「幸子」

「すみません、なんだか安心して……」


玄関を潜ると、十夜は私をそっと、そおっと胸に抱き締めた。


そうして溢れる涙を、唇と舌先で掬い取る。そのまま幾度となく、顔中にキスの嵐が降り注ぐ。


くすぐったくて見上げれば……、十夜の笑顔とぶつかった。


「……あの、十夜? なんでちょっと、嬉しそうなんですか?」

「嬉しいに決まっている。これからは幸子の笑顔も泣き顔も、全部俺のものだ。笑わせるのも泣かせるのも、俺だ。そう思えば、内心はちょっとどころではなく、狂喜乱舞するほどに嬉しい」


十夜はわざと冗談めかして答えた。


だけどもたらされた言葉の温度は、冗談だなどと割り切れない。


「っっ、……十夜っ」


十夜の深い愛情を目の当たりにすれば、十夜の表情どころか、その輪郭までぐずぐずに溶けてしまった。


「……幸子、泣くなよ?」


十夜は「泣かせるのも俺」と言ったのに、実際にボロボロと涙を流す私を前にすれば、トントンと幼子をあやすみたいに優しく慰める。


「泣きますよ。そんなふうに言われたら、どう頑張ったって堪えられずに、泣いちゃいます」


十夜の胸から顔を上げて泣き笑いに告げた。


「そうか、俺が泣かせているのか」


そうすれば十夜が、一瞬目を瞠り、次いで蕩けるように笑う。


その笑みのあまりの優しさに、愛おしさが弾ける。


「十夜っ!」


形振りなんて構わなかった。愛しい想いに突き動かされるままに、伸びあがって口付けた。


柔らかに唇を触れ合わせただけの口付けは、すぐに十夜が、嵐みたいな激しさで奪っていった。



「幸子」

「十夜……」


衣服を脱ぐ僅かな時間すら、もどかしく感じた。急く心のまま生まれた姿になって、十夜と二人縺れ合うように寝台に沈む。


心も体も高まっていた。


けれどそれは私だけではないようで、十夜もまた性急に手を這わす。性急なのに触れる手は丁寧で優しくて、大きな手のひらから伝わるのは惜しみない十夜の愛。


「十夜、本当はもうずっと十夜を愛していたんです。本当は気付いてたのに、三十年という年月を免罪符にして、臆病なまま現状に甘えてしまったんです」


間近に見る十夜の瞳。

情欲に濡れ、奥に煌く紫が常よりも艶めかしい。


「幸子、そもそも三十年という年月を提示したのは俺だ。だから今更、それをどうとも思わない。俺はただ、幸子と想いの重なった今が、苦しいくらい嬉しい」


十夜の誠実で真摯な愛が胸を打つ。


私は一体、何を恐れていたんだろう。


愛する事に、不安も打算もいらない。愛しいと思うその心に、従えばいい。


愛しい思いのまま、突き動かされるように十夜の唇を奪った。


十夜は僅かに目を見開いて、けれど微笑んで私に応える。重ね合わせ、何度も角度を変えながら感触と温度を余すところなく味わい尽くす。


口付けが深まって、腕を回して隙間なく抱き合えば、全身を十夜に包まれている心地がした。


少し速い私の鼓動に、同じように早鐘を打つ十夜の鼓動が重なる。火照る肌に、もっと熱い十夜の肌が重なれば、全身が燃え立つようだった。


口付けを解かぬまま、十夜の手が肩から腕、背中へと抱き合う肌を撫で下ろす。


私も十夜の逞しい背中に手を這わせる。私とは違う筋肉質な感触に、隠しようなく劣情が募る。十夜を求めて体の奥が切なく疼いた。


「十夜……」

「幸子っ!」


そのまま私達は熱く深く、互いを求め合った。もどかしい焦燥が、十夜の愛で満たされる。


迸る快感に酔いしれて、同じ高みへと駆け上る。


その瞬間、私は本気で、綺麗な十夜の瞳に吸い込まれてしまうかと思った。


「っ、……十夜っ!」


十夜の愛が、隙間なく私を満たす。


だけど私の愛もまた、十夜を満たしているのだろう。


「幸子、もっとだ」

「十夜……」


絶え間なく打ち寄せる快感の波は、空が白んでも引く事がない。どころか、抱き合うごとに愉悦は深く重く、私を一層に熱くする。


二人の溢れる愛に、いまだ終わりはみえそうになかった――。



こうして私は十夜と、三途の川で夫婦になった。






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