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天界に着くと、俺は祈りの間に駆けた。


「神威様、失礼いたします!」


逸る心のまま、挨拶とほとんど同時に重厚な両開きの扉を開け放つ。


「十夜、ようやっと来よったか」


神威様は俺の来訪を、待ち構えていたようだった。


「これを見よ」


俺を振り返り、神威様が手招く。


疑問に思いながらも神威様の身許に寄り、示されるままにその手元を覗き込む。


神威様の手のひらに置かれていたのは、歴代の大天神が脈々と繋いできた宝珠だった。


「神威様!!」


その宝珠に映し出される光景を目にした瞬間、俺は衝動的に宝珠を握った。


「っ!?」


しかし握り込んだ瞬間、映像が霧散する。


「これこれ十夜、握り込むでない。折角映る映像が消えてしまう」


慌てて握り込んだ手を離す。


「す、すみません!」


息を呑んで何も映さなくなった宝珠を見つめていれば、しばらくしてまた、宝珠は映像を映し出す。


宝珠にはまさに今、俺が知りたくてたまらない幸子の現状が映し出されていた!!


幸子は両手を拘束された状態で揺れる船底に倒れていた。


「幸子っ!」


こちらから見る限り、幸子に大きな怪我は見受けられない。


俺が胸を撫で下ろしたのもつかの間、幸子に程近い客用の長椅子の下から、ズルリと何かが這い出て来た。


なんだ!?


神威様と二人、思わず宝珠に食い入るように顔を寄せた。


襤褸のムシロに包まれたそれは、……人? ……いや、あれは!


「タツ江婆!?」


懸人と幸子の乗る船には何故か、タツ江婆がいた。


ムシロを下げ、こちらに向かってニンマリと皺を深くして笑って見せるのは、タツ江婆その人だった。


タツ江婆が顔をクシャリと歪めて目を瞑る。


な、なんだ?


映像に、音声はなかった。


けれど歪めた顔を真顔に引き締めたタツ江婆の、「任せておけ」という声が、聞こえたような気がした。


映像がタツ江婆で埋め尽くされる。そうして映像は、完全に途切れてしまった。


「映像はここまでのようだな」


……宝珠の持つ、神通力の限界か。


けれど映像のお陰で知れた。船は今まさに三途の川の対岸に接岸しようとしている!


「神威様、幸子の元に向かいます!」


対岸に先回りで向かおうと駆け出した。すると神威様に腕を掴まれた。


「十夜待て、儂も同行しよう」


それは、天界の最高権力者が口にするには、あまりにも予想外の言葉だった。しかし俺に否やなどあろうはずもなく、俺は神威様と共に対岸に向けて発った。


「神威様、懸人とは何者なのでしょう? あれとタツ江婆は、どういった関係にあるのですか?」


対岸に駆けながら、神威様に映像だけでは読み解けぬ燻る疑問を投げかけた。何故、あの場にタツ江婆があったのか? 


「神にあらず、人にあらず、そういう意味では使徒にも当て嵌まろう」


神威様の答えはまるで言葉遊びだ。


「のう十夜、タツ江は何者だ?」

「神格を剥奪された、あぶれ神ではないのですか? 何度注意しても盗み癖が抜けずに、役目を追われたと聞き及んでおりますが?」


「では十夜、何故タツ江は尊い女神の身でありながら、死に人の持ち物などを盗み続けた?」


……言われてみれば、おかしな話だった。確かに死に人の持ち物など、天界の物に比べれば取るに足らないガラクタにも等しい。


タツ江婆は何故、そんなつまらぬ物を盗み続けた……?


「まさか、罪を受ける事こそが、望み!?」


あり得ない、けれどそうとしか考えられなかった。


神威様は鷹揚に頷いた。


「神の身を落とされたら、どうなる?」

「神性を奪われます。二度と神には戻れませんので、人として人界に下る事になります」


太一様が、まさにこれに相当する。


「では、人界に下る事を拒んだらどうなる?」

「天界の中央には残れませんが、……けれど例えば、三途の川のような現世との境界の地に暮らす事は可能です。まさに、タツ江婆がそれです」


ここでふと、思い至った。


「まさか、懸人も!? あれも、かつて神だったのですか?」


神威様は静かに俺を見つめていた。それこそが答えに他ならない。


「それもあれは、ただの神ではない。そういえば十夜、其方も遠く始祖の血を汲んでおったな。あれも同じじゃ」


告げられた衝撃の事実に目を見開く。


ならば懸人は、間違っても使途などではあり得ない! それも始祖の血脈なら、上級神!


「始祖の血筋の純血の神、当時は次代の天界を担う神と目されておった。本来、儂なんぞは足元にも及ばんよ。懸人は生まれた時から、タツ江を許嫁と宛がわれ、皆の期待と羨望を一心に受けておったさ。幼いながらに懸人自身、上昇志向で野心家だった。過ちさえ犯さねばさて、今頃はどうなていたかのう?」

「それだけ将来を目されておきながら、何故懸人は道を違えてしまったのですか?」


「あれが十歳を数える頃、妹神が生まれたのだ」


神の夫婦が男兄弟を儲けるケースはままあれど、下に女児が生まれる例などとんと聞いた事がない。


「古の時代はまだ、女神の出生はそう珍しい事ではなかった。それでも始祖の血筋に女神が誕生した事は慶事だった。天界中が湧き、誰もが女神の誕生を誉めそやし、将来の明るい展望を語り明かした。けれど妹神の誕生により、懸人は家督の継承がなくなってしまった」


なるほど、天界きっての名家に稀有な女神が誕生したとなれば、家督は女神に婿を取って継がせる事になるだろう。


「だが、懸人にとって絶望はこれだけではなかった。懸人と共に将来を有望視され、期待を二分していた男神が、妹神の婿に選ばれてしまった。この婚約により事実上、天界の長の座は妹婿が最有力に躍り出る事になった」


「懸人は、妹神を殺めたのですね?」


「あれは妹神に嫉妬の炎を燃やし、禁忌に手を染めた。両親の目を盗み、妹神を人の輪廻の渦に投げ落とした。同胞の神を、それも血の繋がった妹神を弑した」


輪廻の渦、だと!?


「幸子、か! 懸人の妹神とは、幸子なのですね!? それで幸子は女神でありながら、人として生を受けているのですね!?」


「そうだ、懸人の妹神は幸子さんに間違いない。幸子さんは神の御霊を持ったまま輪廻の渦に落とされた。だから人として餞別され、人の世に生まれいずるまでに、かように長い時間が掛かった。同胞を、それも稀有な女神を弑した罪は重い。けれど懸人は幼年であった事と両親初め、多くの嘆願により神格の剥奪のみで許された。けれど今回、再びの凶行。今度こそ、あれは阿修羅の道に落ちるぞ」


阿修羅の道……。神であれば、それを行く痛みと重みを知らぬ者はいない。


決して懸人に同情は出来ない。


けれど幼い胸の内を激情で滾らせる懸人を想像すれば、苦い思いも湧き上がる。


「……神威様、ひとつ分からないのです。懸人は弑した幸子の魂を待ち、長い時を船頭として過ごしました。それは憎しみでなく、幸子への情からだったと思うのです。それが何故、懸人は再び巡り逢えた幸子を狙うに至ったのでしょう?」


「分らんのか? お前じゃよ、十夜? 若輩と侮る周囲の目を隠れ蓑に、力を付け、着実に神としての格を上げていく、お前さんじゃ。そんなお前と幸子さんが、想い合ってしまったからだ」


俺と幸子が想い合い、それと懸人の凶行がどうして繋がるのか、俺にはまるで分らなかった。


「懸人は神性を無くしても、本能で其方の能力を読み取っておる。あれは妹神の誕生によって栄光に破れた。二度と己が手には出来ないと知りながら、それでも妄執を捨てきれなかったのだ。幸子さんがお前と番い、天界に君臨する。そんな未来は懸人にとって、とても許容できん悪夢だったのだろう」


「……神威様、俺には正直分りかねます。太一様も、そうだ。何故、皆意味もない妄執に憑りつかれ、身を滅ぼしてしまうのでしょう?」


神の身で、男女に関わらず兄弟という存在を持てたなら、それはどれほどに得難くどれほどに尊い事か。


もし俺に弟妹があったなら、嫉妬などつまらぬ感情など持つ余地もない。俺の持てる全てで、慈しむに違いない。


「意味もない、そう言い切れぬから皆、憑りつかれてしまうんじゃよ。十夜、権力や名声に固執せぬお前こそが、きっと一番強い。権力や名声、そんな虚像に固執すれば、それは弱さだ」


……権力も名声も、そんな物はどれも取るに足らない。俺が唯一固執するとすれば、それは幸子、ただ一人だ。


「十夜、お前は意外と分かりやすいな。のう十夜、以前儂が、幸子さんを中央で預からせて欲しいと言ったのは、取り消すぞ」


神威様は俺に、柔らかな眼差しを向けた。


「そもそも其方が幸子さんに他の男神を宛がうなど、許すはずもなかったのだ。しかし元はと言えば、お前が煮え切らん態度だったのがいかんのだぞ。さっさとお前達が夫婦となっていれば、こうも天界を騒がせる事も無かった」


「それに関しては、返す言葉もございません。けれど神威様、今度こそ俺は幸子と夫婦になります。幸子は誰にも、渡しません」


「幸子さんの了承も取らぬ内からまた、随分と大きく出たものじゃな。……いや、了承はもう間もなく得られるのか。さて、まずは其方の嫁子を無事に助け出さんとな」


神威様は柔らかな表情から一転、引き締まった表情で眼下を見下ろした。俺と神威様は対岸の上空に差し掛かっていた。


懸人の渡し船を、遠く視界に捉えた。


なんだ!?


異変は、すぐに知れた。


船体が不自然に大きく揺らぎ、川面からは水しぶきが上がる。


急く心のまま距離を縮めていけば、水しぶきの正体が知れた。川面からタツ江婆が顔を出し、必死で船に追い縋ろうとしていた。


船内の幸子の状況に、胸が騒いだ。


「神威様、タツ江婆をお願いいたします!」


俺はタツ江婆を神威様に任せ、船内の幸子の元に駆けた。




船内の光景は、悪夢だった。


懸人に首を絞められる幸子の姿を目にすれば、全身の血が沸騰した。


「幸子ーー!!」


身が焼かれるほどの、激情の嵐が駆け巡った。








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