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両手にそれぞれ大型スーツケースを引き、背中にも大荷物を背負って、その人はやって来た。


「ごめんくださーい。いやはや三途の川は存外に遠い。この大荷物では重いのなんのって、腰が痛くなってしまったわい」


……これはまさか、営業さん?


正直困った。業務用の団子粉や砂糖、茶葉なんかは全て決まったところで纏めてお願いしている。


たとえ低価格を提示されたとしても、今更新しい取引先を増やすつもりはない。


何よりここ『ほほえみ茶屋』は、元々稼ぎは二の次三の次、なのだ。


「ええっと、とりあえずお茶を飲みませんか? 喉、乾いているんじゃないですか?」

「おお、それはありがたい!」


けれど額に汗をだらだらと垂らし、ヒーヒーと息を荒くしている営業さんが、なんだかちょっと不憫になった。


タイミングも、ちょうど前の船が出たところ。店内にお客様はいなかった。


入口寄りの席に腰掛けて、扇子でパタパタと仰ぎながら待つ営業さんにお茶を出す。


「すいません、ありがたく頂戴いたします」


私は厨房で食器洗いをしながらも、いつ商談を持ち掛けられるかと、落ち着かない思いだった。


しかし待てど暮らせど、私が呼び止められる事はなかった。


「ふぅー、おかげさまでひと心地つけましたわい。それじゃ、私はこれで失礼いたします」

「えっ!?」

「何かございましたか?」 


てっきり私への商談が目的かと思っていた。


だって最初に営業さんは、三途の川は遠いと、そう言っていた。


「あ、いえ。目的はここ、ではなかったんですか?」

「ええ、お訪ねするのは三途の川の先、人界との狭間に住まうタツ江様という女性です。私、天界で呉服問屋を営んでおりまして、こちらの管理者十夜様より、タツ江様に最上級の絹で望むだけ着物を誂えて欲しいと、なんとも太っ腹な注文をただいたのです」


……え?

目の前が、真っ暗に染まった。


「このご時世ですから、なかなかこのように気前のいい注文は、いただけるものではございません。ですのでついつい、気張ってしまいました。いやはや、それにしたってよほど懇意にしている女性なのでしょうなぁ。まったく十夜様も隅に置けませんな……っと! 私ときたらペラペラとお客様の事を、失礼いたしました。まま、ここはひとつ、ここだけの話という事でお願いいたします」


……十夜が、懇意にしている、女性?


バクバクと心臓が早鐘を打つ。


「おぉ、そうだそうだ。貴方にも一部、カタログを置いていきましょう! もし気に入った品があればいつでもご連絡お待ちしております。価格も精一杯勉強させていただきますので」


営業さん改め、呉服問屋さんは、スーツケースを一台開けると、ファスナーポケットからカタログを一部取り出して、私に差し出した。


「あ、どうも」


条件反射で受け取りながら、私の目はスーツケースの中身に釘付けになっていた。素人目にも一目で上質と分かる絹地がスーツケース一杯に整然と詰められていた。


「ではお嬢さん、失礼いたします」


呉服問屋さんは、パタンと畳んだ扇子を胸ポケットに差し入れると、また大荷物を手に店を出て行った。


一人店内に佇む私の胸には、どす黒い感情が渦巻いていた。


十夜が着物を贈る、女性?


考えれば、手足からスゥッと血の気が引いた。


……あ、これ、ヤバいかも。



カラカラカラ。



「幸子、やはり素人の修理ではうまくなかったらしい。船底から水漏れしていると、……幸子? 幸子っ!?」


椅子に上半身を預け、床に頽れる私に気付き、十夜が目を丸くして駆け寄った。


「どうした!?」


「触らないでっ!」


パシン!


乾いた音が、響く。


無意識の行動だった。


気付いた時には差し出された十夜の手を、振り払っていた。二人の間の空気が、一瞬凍り付いた。


十夜はもちろん、私自身、自分の取った行動に愕然とした。


「すまない、俺が触れない方がいいなら触れない。幸子、どこが痛い? どこが辛いんだ?」


……涙が、滲んだ。

先に持ち直したのは十夜で、しかも十夜はあんな態度を取った私に、優しかった。


だけど今は、そんな十夜の優しさにも心が軋みを上げる。


「……ごめんなさい、十夜。どこも痛くないし、辛くない」


私は精一杯の虚勢を掻き集めて、体裁を繕った。


「そうか、立ち上がれそうか?」


虚勢をはった私に、十夜は追及をしなかった。


私は頷いて、椅子の背凭れを支えにして自力で立ち上がった。十夜が差し出しかけて留め、宙に浮いたままの手を、もどかし気に握り締めるのを視界の端に見た。


「あの、十夜、さっきの……」

「いや、幸子、謝る必要はない。俺に何か至らないところがあったのは分かっている。けれど情けなくも俺にはそれがなんなのか、見当がつかない。悪いところは謝るし、不足は埋められるように努力する。だから幸子のタイミングで、俺に教えて欲しい。本当は少し距離を置いてやりたいところなのだが、すまないが何かあっては心配なんだ。迎えはいつも通りの時間に来る。先に帰らず、待っていてくれ」


「はい……」


絞り出すように、答えるのが精一杯だった。


十夜は頷いて、静かに『ほほえみ茶屋』を後にした。


謝ろうとした。けれど口先だけの謝罪は、十夜に退けられた。


私は十夜への愛を認め、十夜への恋心に逆上せていた。けれどこそに十夜の想いが介在しない事に、今更ながら思い至る。


俄かには信じる事が出来なかった。


しかし男性が女性に着物を贈る、それは古の時代から親密さを示す行為。


ならば十夜には、親密な女性がいる……。


十夜はどこまでも誠実で、どこまでも私を労わろうとする。けれどその優しさや労わりは、私だけに向けられたものではなかったのだ。


私は思いあがっていたのだろうか?


十夜にとって私とは、一体どんな立ち位置にあるのだろう?


私は十夜への愛を認めた。けれど、その愛が通い合わないのなら、私がこの地に縋ろうとした根幹が揺らぐ。


私という存在が、足元からガラガラと音を立て、崩れていくようだった。


もしかすれば私は一人、十夜への一方方向の愛に、驕っていたのかもしれない。





十夜は大人で、私も最低限大人の分別を持っていて……。


「幸子、また閉店の頃に迎えに来る」

「はい」


だから十夜との暮らしは、少なくとも表面上は取り繕って、常と変わらずに過ぎていた。


十夜と確執を持った、呉服問屋の来店から既に二日が経つ。


その間、心はずっと霧の中を彷徨っているかのようだった。


それでも『ほほえみ茶屋』の営業に手を抜く事は、私の矜持が許さない。


この日も私は重たい心と体を引き摺って、なんとか開店準備を進めていた。



カラカラカラ。



「ふぅ~。やぁーっと着いたわい。へぇ~え、草臥れた草臥れた」


お客様は開店前のフライング。けれど草臥れたと繰り返す、老齢のお客様を無下には出来ない。


「いらっしゃいませ。お茶をお出しするのに少しお時間をいただきますが、よろしかったら奥で掛けてお待ちください」

「そりゃありがたいね」


暖簾からひょっこりと顔を覗かせたお婆さんは、けれど中には入らずに、キョロキョロと店内を見渡していた。


「おんやぁ? 娘さん、十夜はここにおらんのかね?」


お婆さんは、十夜を訪ねて来たらしかった。そして真新しい綺麗な着物を着こんだお婆さんは、しきりに足元を気にしていた。


間違っても汚れないように、裾をちょっと持ち上げている念の入れようだ。


「あ、十夜は埠頭に出ています。船の修繕で業者さんを呼んでいるので、それに同行してます」

「……うぬぬぬぬ。埠頭などに行けば、おニューの着物が汚れてしまうわ、ぬぬぬぬぬ」


お婆さんは眉間に目一杯皺を寄せ、腕組みして唸っている。


「ええっと、よろしかったら私が十夜を呼んできましょうか?」


「おや、娘さん気が利くねぇ。それじゃ、頼んだよ。あぁあぁ、お茶は先に淹れてっとくれよ? 飲みながら待つんだからね?」

「あ、はい」


なんだか随分とちゃっかりしたお婆さんだ。


とりあえず私は残りの開店準備を手早く済ませ、お婆さんにお茶を淹れると、大急ぎで埠頭に向かった。


『ほほえみ茶屋』の開店前ならば、当然船も出向前だ。


埠頭には、十夜と懸人さん、修理業者さんの三人がひっくり返した船底を見て、あれやこれやと言葉を交わしていた。


話にひと段落ついたタイミングを見計らい、声を掛けた。


「おはようございます。お話し中にすいません、十夜に来客があって呼びに来たんですが、少し外せそうですか?」


十夜よりも先に、懸人さんが私に手を振って歩み寄った。


業者さんは遠巻きにこちらを見て会釈だけ寄越す。私も会釈して、返した。


「幸子さん! おはようございます! いやぁ、ちょっと傷が入ってしまっただけと軽く考えていたら、なかなかどうして尾を引いてしまって。全く参ってしまいますよ」


「懸人さん、おはようございます。大変ですね、今日は予備の船で出るんですか?」

「はい、どうやらそうなりそうです」


懸人さんはやれやれと肩をすくめてみせた。


「そうですか。慣れない船で大変かと思いますけど、頑張って下さいね」

「ありがとうございます」


話しが済むか済まないかの内に、十夜が私の前に立つ懸人さんを押しやった。


「懸人、後を任せた。出航の前には戻ってくる。幸子、行こう。それで、来客とは誰だ?」

「お婆さんです」


答えてから、自分の残念さに思い至った。


「「……」」


十夜も当然、思っているはず。沈黙が、何よりも物語る。


三途の川には基本、お爺さんお婆さんばっかりだ。


「すいません! 名前を聞き忘れました。……あの、とっても綺麗な着物を着たお婆さんでした」


私、とんだ阿呆だ。


こんな半端な取次って、あり得ない。


素直に謝罪して、せめて、記憶の中のお婆さんの特徴を伝えた。


「ふむ、まぁ会えば分かる」

「ほんと、すいません」


私、残念過ぎる。


身を縮め、十夜の後に続いた。



そうして半歩先行く十夜が、『ほほえみ茶屋』の入口の引き戸を引く。


「おぉ、十夜やっと来たか」


待ちかねた、とばかりにお婆さんは席から立ち上がり、十夜を出迎えた。


「なんだ、タツ江婆か。先だっては世話になったな。それで?」

「なんだとは、なんじゃ。人がわざわざこうして出向いて来たというのに素気の無い奴じゃ」


十夜とお婆さんは親し気な様子で軽口をたたき合う。私は二人の邪魔にならないように、早々に厨房に下がった。


「それは足労だったな。それで、わざわざどうした?」


あれ?

タツ江、さん? ふと、気付いた。それは最近、どこかで聞いた名前だった。


どこで、だっけ?


「どうしたもこうしたも、あるかい。そんなのは、ほれ?」


お婆さんは意味ありげに微笑んで、袖をちょいと持ち上げ、くるりと回ってみせた。


「はぁ?」


厨房にまで聞こえてくる、どこか噛み合わない二人のやり取りに、自然と笑みが浮かんだ。


「鈍い男じゃな! 一応お前さんの懐銭で誂えた着物じゃて、こうしてわざわざ見せに来てやったというに。ちなみに遠慮なく、これの他に十枚誂えさせてもらったわい」


聞こえてきたお婆さんの台詞で、一気に血の気が引いた。


「……よくぞ貴方が十一枚で済ませてくれましたよ」

「ちょいと遠慮してしもうたわ」


タツ江さんに、十夜が誂えた着物!


点が、線になって結ばれた。


その後も十夜とタツ江さんはしばらく話していたけれど、それ以降の会話は一切耳に入ってこなかった。


「幸子、年寄りを一人で帰すのも心配だ。タツ江婆を送って来る」


十夜が厨房を覗き込んで告げた。


「はんっ、よくもまぁアタシを捕まえて年寄りだなどと言いおってからに」

「どこからどう見ても、年寄りでしょうに。……幸子? どうかしたのか?」


「い、いえ! 何でもありません。気を付けていってらっしゃい」


私の様子を訝しげに見つめる十夜に、慌てて取り繕った。


「ほれ十夜、その風呂敷包みを持っとくれよ。アタシゃ、年寄りだからね」


動こうとしない十夜の腕を、タツ江さんが引いた。そうしてタツ江さんは、十夜の手に風呂敷包みを握らせると、ズンズンと戸口へ十夜を引っ張る。


「……ん? 随分とパンパンだな? 一体何が……」


十夜が店を出る直前で、立ち止まった。


「こ! これっ、十夜! 覗くでない!!」

「団子じゃないか!! タツ江婆! この団子は一体どうしたんですか!? まさか幸子の居ぬ間にくすねたんじゃないでしょうね!?」


……なるほど、厨房の団子の数が減っている。そして記憶を辿れば、タツ江さんは来た時、確かに手ぶらだった。


「十夜、私がタツ江さんにお土産にお渡ししたんです」

「……幸子」

「そ、そうじゃそうじゃ! ほれ十夜、いつまでもぐずぐず言っておらんと、行くぞ?」


私の出した助け舟に、タツ江さんがアイコンタクトで礼をよこした。顔をギュッと歪めて見せるあれは、おそらくウインクに違いない。


……なんだか、不思議と憎めない人だ。


「幸子、今日の営業に支障ないか?」

「はい、大丈夫です。気を付けていってらっしゃい」


「……そうか。すまないな、いってくる」


今度こそ、連れ立って店を出る十夜とタツ江さんを見送った。





二人が店を後にした瞬間、全身に震えが走った。


私がした、あまりにもお粗末な早とちり……!


不甲斐ない自分自身への嫌悪と、十夜への申し訳なさに、押し潰されそうだった。


固く拳を握り締めて、唇を噛みしめて堪えた。


私はなんとか最終の船までを、送り出してみせた。


意地でも『ほほえみ茶屋』の営業をやりきってみせたのは、これ以上、十夜に醜態を晒す訳にはいかないと分かっていたからだ。








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