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二人の気配が三途の川を逆流して進むのを確認し、俺は二人の気配を追うのをやめた。


「タツ江婆、すまんが人界に下る二人がそちらに向かっている。最低限必要な身の回りの物を持たせ、送り出してやってくれないか?」


そうして神通力で人界との狭間に住まう、タツ江婆に繋ぎを取った。


タツ江婆というのは神格を剥奪された、あぶれ神だ。何度注意しても、死者の衣服やら貴重品やらの盗み癖が抜けずに、役目を追われた老婆だ。


「そりゃ構わんがね、なにくれる?」

「……一級品の絹の着物を好きなだけ誂えて構わん」

「おや、太っ腹だね。任せときな!」


少々業突く張りではあるが、タツ江婆に任せておけば間違いない。俺は白む空を見上げ、長い夜の終わりにひとつ、特大のため息を零した。




寝室に戻る途中、どうしても衝動を抑えられず、幸子の寝室の扉を薄く開いた。目にした幸子の寝顔に、ほっと安堵の息を吐いた。


誰にだろうが、幸子はやらん。


「……ん? 十夜?」


立ち去ろうと扉を閉めようとしたところで、幸子が寝ぼけ眼を擦りながら俺の名を呼んだ。幸子が呼ぶ俺の名はひどく甘美な響きで、否応なく胸が高鳴った。


「幸子?」


そっと呼び掛けてみれば、幸子の腕が俺に向かって伸ばされた。幸子の腕は、まるで俺を求めるみたいに宙を掻いた。


「幸子どうした?」


気付けば幸子に向かって踏み出していた。


「あ、十夜いた。良かったぁ」


薄く開いた双眸に俺を捉え、幸子が微笑む。


騒がしく胸が早鐘を刻む。高鳴る鼓動を抑え、ゆっくりと幸子に手を伸ばす。


サラリと幸子の頬を撫で、ほつれ髪を耳に掛けてやれば、幸子の手が俺の手に重なった。柔らかな感触と温もりが、ますます胸を熱くさせた。


幸子は気持ち良さそうに俺の手を頬に引き寄せ、へにゃりと笑う。常よりも幼い口調と甘えた仕草に、夢うつつの事と知りつつも胸が騒ぐ。


「十夜、いなくならないでね? 私とずっと、いてね?」


歓喜に胸が、震える。魂が、揺さぶられる。


「幸子、……」


歓喜のまま俺の想いを重ねようと口を開いて、けれど聞こえてきたすぅすぅという寝息に言葉を詰まらせた。


幸子は瞼をぴたりと閉じ、笑みの形を残したまま眠っていた。


「……ずっと、いるさ。幸子が望む限り、俺から去るなど、あり得ない」


俺は幸子の頭をもう一度、その感触と温もりを味わうように撫でた。



***



紛う事無く、運命の恋だった。


唯一の愛を誓った、運命の人だった。


なのに私の心の中、日増しに十夜への想いが膨らむ。



十夜への愛、それ自体は清らかで、とても温かな想い。


けれど悟志さんを愛しながら、十夜への愛に思い悩む私は、不実で浅ましい……。



悟志さんへの一途な愛を貫きたいのに、その思いとは裏腹に十夜への愛ばかりが大きくなって、悟志さんとの愛の記憶を霞ませる。



あと、十年――。


今ならば、出会った日に十夜が語った、三十年の重みが分かる。


あと十年、果たして私は心の均衡を保てるだろうか――?






その日、『ほほえみ茶屋』はお客様で溢れ返っていた。


ただしこの盛況は、季節の変わり目とかそういうのじゃない。


「お姉さん、お団子まだ?」

「ちょっと、こっちが先だぞ?」


「おーい、お茶はまだかね?」

「すいません、ただいま!」


過去にも幾度か経験している。……団体のお客様は、何か大きな災害や事故の被害者だ。


「ごめんください……って、まぁ~、随分と混んでいるんですね?」

「申し訳ありません。順番にご案内していますので、少しお待ちください」


そこに通常のお客様までもが加わって、店内は大わらわだ。


とてもじゃないが、一人では手が回りきらなかった。


私は考えた末、この日に限ってはセルフスタイルを採用した。


お会計には籠を設置して、金銭授受は省略。


それぞれのテーブルに急須と茶葉、湯呑みを置き、団子は厨房のカウンターに大皿で積んだ。


けれどどう考えても団子が足りる気がしない。


しかもお客様は、まだまだ続々とやってくる。


そのため、仕方なく本数に制限を設けた。


「なんやアンタ!? 団子一本しかアカンねんの!?」


張り紙を見たらしいおばさんが、厨房を覗き込んで訊ねてきた。


おばさんはやたらと声が大きくて、語気も強くて正直怖い。


「申し訳ありません。在庫がもう、これだけなんです。ですので、お一人様一本でお願いします」


間違ってもキレられたら大変と、なるたけ丁重に伝えた。


「ほな、しゃーないな!」


けれどおばさんはヒョイと肩を竦め、しばらくあんこと迷ってから、きな粉の団子を掴み上げた。


「よっしゃ! これ、もろてくわ!」


ニカッと豪快な笑みを残し、おばさんはきな粉の団子を片手にテーブルに戻っていった。


チャキチャキの大阪弁のおばさんは、言葉は強いが全く怖い人ではなかった。




私は厨房の洗い場で、てんてこまいで端から使用済みの食器を洗っていく。


それでも食器は洗った側から使われて、また洗い場に戻って来る延々のループだった。


「アンタ、なに見てるん? へー! ロケットペンダントってまた、えっらい洒落たモン持ってるやないの!? ウチに見してみ!」


そんな時、唯一自由な耳が、厨房近くのテーブルで繰り広げられる会話を拾った。


「なんや写真の女、えらいおぼこいな? アンタ還暦にもなるんやない? 随分若い奥さんやないの~」


ロケットペンダント、かぁ。珍しい……。


生前の記録となるものを身に付けている人は稀にいる。それは生前のその人が、肌身離さず身に付けていたという事で、アクセサリーの類が圧倒的に多かった。


今回のロケットペンダントもアクセサリーの括りではあるけれど、これは、どちらかといえば中の写真の持つ意味が大きい。


「妻? いえ……」

「アンタも隅に置けへんなぁ~!」


おばさんの話し相手の声は、店内のざわめきに埋もれてしまい聞こえない。


けれど、大きな声でよく喋るおばさんの声だけで、二人が繰り広げる会話が手に取るように分かった。


写真を持っている人というのは、私が知る限りはじめてだ。そんな珍しさもあって、私は聞こえてくる会話に耳を傾けた。


「……って、なんやこれ? 写真と一緒に入ってんの、……白い石、……ちゃうな、骨!? これ骨やないの! もしかして遺骨か!? アンタ奥さんに先立たれてたんか!?」


一瞬、皿を洗う手が止まる。


遺骨というのは、かなり衝撃的だった。


「いえ。この女性は妻、ではないように思います。妻は別にいて……けれど、この女性がとても大切な女性だったのは確かだと思います」

「なんやてぇえ!? アンタ女房がありながら、コッソコッソ後生大事に違う女の遺骨やら写真やら肌身離さず持ってぇ! そら奥さん知ったら大怒りやわ!」


おばさんが語る生前の男性の状況に、ざわざわと胸が騒ぐ。


悟志さんはいまだ、妻子と共に現世に生きている。だから男性は、悟志さんではあり得ない。


それでも男性の境遇は、どうしたって悟志さんを思い出させた。


もしかすると男性は、早世した女性への想いを引き摺りながら、別の女性と家庭を持ったのだろうか……。


「いえ、こそこそではなく……私はきっと、自分からはこういった事には気が回らないと思うんです。なので、もしかするとこれを提案してくれたのが、妻だったのではないかと……」

「へー! そりゃまた、なんちゅー出来た奥さんや! 傷心のアンタ、慰めてくれたんがきっと、今の奥さんなんやろなぁ。やっぱアンタ、いい女捕まえよったわ!」


一体どんな男性なのだろうかと、チラリと視線を向けてみたけれど、お相手の男性はこちらからは後姿しか見えない。


それでも、白いものが多く混じる頭髪はきちんと整えられていて、シックな色合いの背広姿は清潔感があって好感が持てた。


「えぇ、きっとこの写真の女性も、妻だった女性も、どちらもとても素敵な女性だったのだと思います。二つの愛を天秤にかける事はできないし、かける必要もないのですが、どちらもかけがえのない愛です。二つの出会い、二つの愛を知って、私はきっと二倍に豊かな人生を送ったのでしょう」


「そりゃそやな~、どっちの愛にも優劣なんてつける必要あらへんわ。それにしたって、二つの愛を知って二倍に豊かな人生を送ったとは、よく言ったもんや!」


手にしていた湯呑みを、取り落しそうになった。


おばさんの言葉が、いや、男性が口にしたであろう言葉が、私の心に一筋の明光となって差す。


差し込んだ柔らかな光は、私の心を内側から温かに塗り替える。


「……って、待ってや。もう一度その写真、見してみ?」


今まさに二つの愛に思い悩む当事者だからこそ、共感以上に重く深く、測り知れない説得力と影響力でもって心に響く。


……愛は、その丈を競わせるものじゃない。


どちらの愛も、真実でいい。


二つの愛を知ったなら、その愛で心を二倍、豊かにすればいい……!


「この写真の女、ウチどっかで見てる気ぃするな? いや、見てる! それもつい最近や!」

「どこで見たんですか?」

「……どこでやろ?? アカンわ、思い出されへん」


見も知らぬ誰かの言葉。けれど、身につまされる言葉……!


私の心は、ふわふわと高揚していた。


「ねぇお姉さん、あんこのお団子がないんだけど?」


けれど、お客様の声が私を現実に引き戻す。


「あ、申し訳ありません! 今日はもう、出ている物が最後なんです!」

「え~、そうなの。んじゃま、きな粉でいいや」

「すいません」

「あ、それからこれ一杯になってたから」


差し出されたお盆一杯の使用済みの湯呑みを、慌てて受け取る。


「すいません! ありがとうございます!」


現実に舞い戻れば状況は待ったなしで、この後は物思いに悩む間もなかった。


うず高さを増した使用済みの食器に悪戦苦闘していれば、おばさん達の会話ももう、気にする余裕は寸分もなかった。


「ほな、団子をおおきに。さいなら!!」

「あ、ありがとうございました! どうぞよい船旅を!」


我武者羅に食器を洗う私に厨房の向うから声が掛かった。声は、おばさんだった。


私は慌てて視線を上げて、気のいいおばさんに別れと祝福を告げた。


すると私を目にしたおばさんが、何故か腰を抜かした。


「ア、ア、アアア、アンタやーーっっ!!」

「お、おばさん!? 大丈夫ですか!?」


私はひそかに焦った。魂だけのお客様が体調不良を訴えた事はこれまでに一度もない。お客様が卒倒するのもまたしかり。


私は慌てて厨房から店内に回り、床に尻もちをついたおばさんに駆け寄った。


「アンタ! アンタさっきの旦那の、写真の女や!!」


え??

すぐには、おばさんの言葉の意味を理解する事が出来なかった。


「ウチがさっき話してた旦那、アンタの写真を後生大事に持っとった!!」

「! おばさん! その人はっ!?」


見渡す店内に、男性の姿はなかった。


「一足先に船に行きよったわ!!」


聞いた瞬間に、私は駆け出していた。





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