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翌日からずっと、俺は幸子の番犬よろしく四六時中、幸子に張り付いて過ごしていた。


これまでは『ほほえみ茶屋』の営業中は幸子を一人残し、書類仕事を進めたり、三途の川の近辺の見回りをしたりして過ごしていた。


けれどどんな輩が幸子を狙ってくるかも知れぬこの状況で、幸子を一人にしておく事は避けたかった。


「十夜、そんなに四六時中べったりと張り付いてたんじゃ、幸子さんも息が詰まるんじゃないか?」


停船中の船から降りて来た懸人が、『ほほえみ茶屋』脇の木陰で書類を捲る俺を見つけて声を掛けてきた。


「うるさいぞ懸人。俺に構わずさっさと小便を済ませてこい」

「おー、怖い怖い」


懸人は大仰に肩を竦める真似をして、俺の前を通り過ぎて行った。


懸人の背中を見るともなしに見ながら、ふと、思い至った。


船頭とはその名の通り、船の定期運航をするのが仕事だが、何かを管理したり、そういった責は負っていない。


船頭はただ、船を漕ぐのみ。


不測の事態にあたっての判断全ては俺の役目だった。


元々、船頭という職務は神々のヒエラルキーには属さない。船頭という役職者は、神にあらず。歴代の船頭たちは使徒が担うケースがほとんどだった。


俺が赴任した時、懸人は既に船頭を務めていた。当たり前のように懸人も使徒であると受け入れていたが……。


今更に疑問が過ぎる。


懸人は果たして、使徒なのか?


もちろん、これまで直接懸人本人に問うた事は無い。


けれどすぐに、同胞の神であればそれと察する事も出来ると思い直す。


これまでに例外は、幸子だけだ。幸子が女神と言われれば納得もした。けれど言われねば、それと分からずにいた。


それというのも幸子の気は、とても不思議なのだ。


奥深くに直視するのが躊躇われるほどの煌きは確かにある。それは初対面でも、驚きをもって感じた。けれど幸子の表層に巡るのは、確かに人のそれ。


奥深くの煌きが神性による物なのか、幸子の人としての徳の高さによる物なのか、判断が難しかった。


神威様に女神だと言われれば、ストンと胸に落ちた。


何故、女神が人の世に紛れたかは知れないが、誤って輪廻に落ちてしまった可能性はゼロではない。事実、幸子は人の世にあったのだから。


しかし懸人という男にも、どこかそれに通じる物がないか……?


「なんだよ十夜、人の顔をジッと見て気持ちの悪い奴だな? 綺麗な女の視線なら満更でもないが、男に見られても嬉しくもなんともないぞ?」

「……懸人、お前は何者だ?」


便所を済ませ、戻ってきた懸人に問う。


「いきなり何を言うかと思えば。私はこの通り、しがない船頭だろう?」


何を馬鹿な事を、とでも言いたげに懸人はヒョイと肩を竦めて見せた。


「お前、神ではないのか?」


俺の突拍子もない問いかけに、懸人は目を見開いて、次いで白い歯を見せて破顔した。


「ははははっ! 私が神なら日に四往復のこんな重労働、早々に辞退を申し出ているさ」


……ふむ。それを言われてしまえば、返す言葉もない。


好き好んで手に肉刺作り、日がな一日の重労働に明け暮れたい神は稀だろう。神とは基本、頭脳労働者なのだ。


「あ、十夜、どうやら私なんかにかまけている場合じゃないぞ? 幸子さん、老いぼれ爺さんに言い寄られて困っているみたいだぞ」


懸人が笑いながら茶屋を指差した。見ればなるほど、幸子が爺さんに言い寄られ、困惑の表情を浮かべていた。


「くそっ! 幸子を口説こうなど、いい度胸だ」


慌てて立ち上がり、幸子の元へと駆け出した。


「ははっ、マメな事だ」


懸人はそんな俺の様子に忍び笑いを漏らしながら、船に乗り込んでいった。





「……これは誤魔化された、のか?」


幸子に言い寄る老爺をあしらった後に、気付いた。結局、懸人の存在は有耶無耶のままだ。


「え?」

「いや、なんでもない」


俺の呟きに首を傾げる幸子に、慌てて取り繕う。


「十夜ありがとう、おかげで助かりました。それにしても生前のお爺さん、一体どれだけ軟派だったんだろう。あそこまでグイグイ迫ってくるって、なかなかないんですけどね」


「ああ。奴は女で身を滅ぼしたくらいだからな」

「え!?」


ポロリと老爺の死因を零せば、幸子が目を剥いていた。


目をパチクリとさせて俺を見上げる幸子があどけなく、可愛かった。さりげなさを装って、頭をポンポンと撫でた。


「困った客がいれば、遠慮なく呼んでくれ」


営業中の店内は、いまだ客も多かった。


営業の邪魔にならぬよう、俺は再び店外の定位置に戻っていった。店にほど近い木陰は、この五日間ですっかり俺の指定席になっていた。


木の幹に寄り掛かり、顔を上げれば、窓越しに忙しく動きまわる幸子が見えた。俺は飽きる事無く、幸子の姿を眺めていた。



***



開店からしばらく、店内は閑散としていた。


十夜は奥のテーブル席に掛けて、書類を捲っていた。


「十夜、申し訳ないけど店内がその、満席になってしまって」


ところが昼近くになってお客様がドッと押し寄せて、店内は一気に混雑した。


「ん? ああ、気付かないですまない」


十夜はチラリと入口に目線をやる。入店を待つ老婆の姿を確認すると、十夜は飲みかけのお茶を持って席を立った。


私は手早く十夜が空けた席に向かい、テーブルを布巾で拭き、入店を待っていたお客様を通した。


「お待たせしました。こちらのお席にどうぞ」


お客様の注文を確認し、厨房に向かいながらチラリと窓の外に目を向ければ、十夜は『ほほえみ茶屋』にほど近い木陰に腰をおろして書類の続きを捲っている。


十夜はお客様もまばらな時間は店内で過ごし、混み始めれば既に定位置になっているあの木陰に場所を移る。


十夜がこんなふうに四六時中私に張り付いている事は、これまでなかった。『ほほえみ茶屋』の閉店の時間に合わせて迎えには来るけれど、営業中は十夜もどこか別のところに行っていた。


ところが天界に呼び出しを受けた翌日から既に一週間、十夜はまるで過保護な親鳥みたいに片時も私の側を離れようとしない。


「お姉さん、団子はまだかのぉ?」

「あ! 申し訳ありません。ただいまお持ちします!」


余所事を考えていて、すっかり商品の提供が疎かになっていた。


私は慌てて先ほどのお客様に、注文品の団子と煎茶を運んだ。


「お待たせしました」


コトン。コトン。


湯呑みと団子ののった皿をテーブルに置く。


「きゃっ!?」


その手をグッと掴まれて、ビクンと肩が跳ねた。


「あ、あの? どうかしましたか?」


私の手首を掴む、皺がれた手の主を見る。手の主は高齢の女性だ。

三途の川の常で、朗らかな笑みを浮かべる老婆とやはり目線は合わなかった。


「あんれぇ? 何だったっけかねぇ?」


えっ?

老婆の素っ頓狂な言葉に、僅かに持った警戒心がふにゃりと緩む。


「ふふふっ。もう、おばあちゃんったら」

「あぁ、そうじゃったそうじゃった。ちょいと耳を貸しておくれよ」


老婆はニコニコと微笑んで、私を手招く。


「え?」


老婆からは欠片も敵愾心を感じない。私は皺がれた温かな手に引かれるまま、老婆に耳を寄せた。


「ええっとね……、思い出せと言っていたね。天界に生まれた記憶に、いつまで見て見ぬ振りをして過ごすつもりだ、……だったかね。うん、そうじゃったそうじゃった!」


老爺は伝えきれば、やり切ったとばかりに満足げにうんうんと一人顔を頷かせていた。


「おばあちゃん!? それは、誰からの伝言!? 誰に頼まれたの!?」


「さぁて? ようけ覚えとらんね、あたしゃ、これだけ伝えてくれと頼まれてねぇ。誰かいい男からの伝言かい? ふふふふっ、お前さんも隅に置けないねぇ。おっと、このあんこの団子は美味そうだねぇ」


老婆は伝え終わればもう、私に一切の興味を失ったようで、私の手を離すと意気揚々とあんこの団子に噛り付いた。


「おぉ、こりゃ美味い」


ほくほく顔で、老婆は団子を平らげていた。


「お姉ちゃんご馳走さん! 会計を頼むよ?」

「はーい、ただいま! ……おばあちゃん、おかわりもできるので、何かあれば声を掛けて下さい」


「あい、ありがとさんです」


たぶん老婆の言う事は真実で、老婆はあれ以上の情報を持たない。老婆はただ、何者かから伝言を頼まれただけなのだ。


私は老婆からこれ以上の情報を得る事を諦めて、会計を待つお客様のところに向かった。


「お姉ちゃん、美味い団子を食わしてもらってありがとうよ」


私が駆け寄ると、会計を待っていたおじさんが告げた。


おじさんは、満足気な笑みをたたえていた。


「お口に合ったようで良かったです」


団子を美味しいと言って貰えれば、素直に嬉しい。


「なんでだったかは、ようよう覚えちゃいねぇが、食いてぇのに食えなかった気がするんだよなぁ。食いてぇ気ぃばっかりで、体が受け付けてくんなくてなぁ。茶も喉鳴らして飲むなんて出来なかったっけなぁ?」


おじさんの記憶は霞がかって、おぼろな物になっている。それでも深層心理には、記憶として残っている。


おじさんの言葉が、胸の奥につかえるように苦しかった。


……食べたい、飲みたい、なのに口に出来ないもどかしい思い。それは生前、病床の私も涙ながらに感じていた。


「……よく、分かります。私も食べたいのに食べられなくて、飲みたいのに飲めなくて。小さな氷を、口に含んでいました」


「お? おお! 俺も冷てぇ氷をちいっとずつ溶かしてたっけかなぁ?」


「おじさん、お団子だけじゃありませんよ。これからはまた、食べたい物、飲みたい物、口にできるようにになりますよ」


「はははっ、そりゃ嬉しいねぇ。でもなんでかねぇ、この団子を二度と食えねぇ事が少し、残念に感じんなぁ」


おじさんは船に乗れば、ここで食べた団子の味を忘れてしまう。


「ありがとうございます。お気を付けて、良い旅を」


いいや、おじさんだけじゃない。ここに立ち寄った誰も彼もが、団子の味を忘れてしまう。


「ほんじゃぁな、姉ちゃんも達者でな」


おじさんは微笑みをたたえたまま、ヒラヒラと手を振って店を出て行った。


「お姉さん、おかわりを貰えるかのぉ?」

「姉ちゃんこっちも追加をくれ」


「はいはい、ただいま!」


その後も息つく間がなかった。今日も『ほほえみ茶屋』は大盛況で、お客様は絶える事がない。


「ご馳走さん」

「よい、船旅を」


てんやわんやで最後のお客様を送り出し、最終便の出発を見送った。


私はテーブルに置かれたままの、空のお皿を片付け始めた。誰も彼もが綺麗に完食し、残す人はいない。


店を出ていく時には、美味しかった、ありがとう、と感謝の言葉を残してくれる人も多い。


けれど、ひとたび船に乗れば全てが無になる。


ここで食べた団子の味が誰の記憶にも残らない事は、僅かばかり寂しい気持ちもある。


けれど、それでいい。


忘却はきっと、人の身に与えられた神からの祝福。


善良な人も、かつて悪人であった人も、皆全てをまっさらにして、新しいスタートラインに立てる。


……では、私は? 新しいスタートを望まずに、三途の川で足踏みをする私は一体、何なのだろう?

数多の人を見送る行為は、人の身には過ぎた行為ではないのか?


先ほどの、老婆の台詞が頭に中に反響していた。


嘘か真実か、果たして意味ある台詞なのかどうかすら怪しい老婆の伝言。そもそも、伝言ですらない可能性もある。


……天界に、生まれた記憶??





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