出来損ないの預言者が放り出される。
「……なんだ、ここ。全然安全って感じがしないけど」
辺り一面灰色で、生命の気配を感じない。植物の芽一つすら見当たらない。
が、ふと気づいた。俺がいる場所は何というか、きれいな空間だ。生き物はいなさそうであることに変わりはないが、立ち入るだけで気分が悪くなりそうな向こうよりずっとましだった。
境界線はなんとなくわかるので、この空間の内側へ歩いていこうと振り返る。すると、真後ろに立っていた青年と目が合った。
「あ」
「うわぁぁあああ!?」
「ちょっと、何?」
びっくりして思わず叫んだら、一人の美女が歩いてきた。何故か全身が水でも被った後のように濡れている。こちらへ来ながら青い髪をかき上げるしぐさは妖艶で、普通の男ならすぐ落とせるのではないだろうか。
「驚かせたみたいだ。悪い」
「あ、いや、こちらこそすまなかった。急に叫んでしまって」
「こいつが悪いわ。あなたは気にしないで。ところで、あなた、人間よね? どうしてこの世界にいるのかしら」
彼女の目線はかなり厳しかった。一方で、青年の方は興味なさげにこちらを見ていた。
というか、人間かどうか確認するってどういうことだ?
普通なら人間は入れない場所なのか? もしかして神の世界とかなのだろうか。
「……ただ迷い込んだだけじゃねーの」
口を開いたと思ったら、迷子扱い? いや、ここがどこかわからないから、あながち間違いでもないのか?
「迷い込む? ここに?」
「最近この世界がかなり不安定だから、十分あり得る。リヴァとかお前とか、立て続けに入ってきてるし」
「そう。で、どうなの? あなたは自分の居場所を把握してるの? どうやってここに来たの?」
不味い。早く説明しないと。でも、なんて言えばいいんだ。
「えっと……神の導き?」
「は?」
「はい、すみません。ちゃんと話します。俺の家の事情とかも必要になるから、長くなるけど……」
「時間はいくらでもあるから、聞かせろ」
何故か青年の方が聞きたがっていた。目が輝いているように見えるのは気のせい、か?
俺は代々預言者として神意を聴き、国を導く役目を担っている一家に長男として生まれた。
預言者の普段の仕事は、他では神官や巫女と呼ばれている者と似たようなものだ。だが俺の国では最高権力者として扱われ、非常時には国の指揮を執ることになる。例えば今のような、戦争中とか。
はっきり言って、俺は後を継ぎたくなかった。国のトップに立つのだからと、物心ついた時から勉強漬けの日々。俺の場合普通の勉強は苦ではなかったが、帝王学のような人の上に立つための教育を受けるのは苦手だった。人の上に立つより、一人部屋に籠って小説でも書いていたかった。
預言者というのはきつい役目だ。本来ならば実際に神と交信して助言を聞き、それを民衆に伝えて動かす。その際、正しい意味を読み取らないといけない。間違えた結果、大変なことになったら責められるのは神ではなく預言者。神は間違えないから、預言者が聞き取りや解釈を間違えたんだろう、となるのだ。
でもこれは数代前までの話。
「今は神と交信する力が失われてしまっている。だからお前も、自分の考えを神の言葉として発信しろ。これがばれたら一家が終わる。頼んだぞ」
二十歳の時点で何故か預言者に就任することになった俺は、父からこう言われて、死ぬほど驚いた。
おい、神の言葉に従ってればいいんじゃないのか!? 内政も外交も民衆の相談聞くのも自力なのか!? 今までは「神様の言葉を正確に聴き取ってその通りに行動すればいいんだ」とか言ってたくせに! ふざけるな! というか神の言葉騙るの? 詐欺じゃないか?
と、いくら文句を言っても現実は変わらない。
一応祭壇で神に呼びかけてはみたが、何も起こらなかった。やはり自力で預言者をやるしかなかった。
それから俺は毎日必死に働き、いつの間にか二十年が過ぎて。
罪人になった。
回避しきれずに巻き込まれた戦争に何とか勝利したものの、街一つ犠牲になったことで責められた上に、何故か戦争の発起人としての罪まで押し付けられたのだ。
それから、俺は全部捨てて逃げた。家族も、故郷も、地位とかも全部。
でも追手が迫って、追い詰めらたある日のこと。
「俺だって……国のために、必死になってやってきたんだけどなぁ」
何とか追手と距離を取り、建物の陰に座り込んだ。それでもまだ安心はできない。
俺は戦争なんて望んでいなかった。むしろ止めようとしていたんだけどなぁ。
その過程で神の名を勝手に使っていたから罰が当たったのだろうか。それなら俺である必要はないはずなのだが。俺の前の世代の預言者たちの方が様々な政策を神の言葉だと偽って強行してきた。もしかして、その償いまで俺のところに来ているのかな。
そもそも神って本当にいるのだろうか。かつては実際に俺の一家も神と交信で来たと聞いてはいるけれど。
「神様……本当にいるなら、助けてくれよ」
「そう言ったら、何故か女の人の声が聞こえたんだ。『今そこに亀裂を作るから、飛び込んで! 異世界に繋がってるから、追われることはもう無くなるわ』って。聞こえた直後に、本当にすぐそばの空中に亀裂ができてね。同時に足音が近づいてきたから、もういいや、どうにでもなれ! という思いで飛び込んだ。そうしたら、ここに出たんだよ」
預言者になってから二十年、まったく信じていなかったけれど、あの声は神だったのかなと思っている。
まさかこんな灰色の空間に出るとは思わなかったが。
「……もしかして適当にその世界の外へ出しただけ、か?」
「そうね。たまたまこの世界に入っちゃったのかも。じゃあ、人間で間違いないわね。少し神に近いようだけど」
「そうなのかい? 神なんて本当に信じていなかったのに」
「でも、私は神よ? あなたの世界の神ではないけれど。この子は精霊だし」
……は? 神? 精霊?
「あら、固まっちゃった」
「……失礼。えーっと、自己紹介をしない? いいかな?」
「うん? いいわよ」
「……唐突だな」
すみません。キャパオーバーなんだ。
もう少しゆっくり、詳しく話を聞いて頭を整理したい。考えることが多いのだ。これからについても考えなきゃいけないのだから。とりあえず俺から自己紹介をした。
「俺はルクス。さっきも言ったけど、元の世界では預言者だった。神の存在なんて信じてなかった上に、立場を追われた出来損ないだけどね。実際は引きこもって小説でも書きたいと思っていたよ。あとは、そうだな。植物を操る魔法が得意かな。できたらここで厄介になってもいいかい?」
「私も居させてもらってるし、いいんじゃない? 最近来たばかりなんだけど、好きにしろって言ってもらったわよ」
「ああ? マジか。んー、好きにすればいいけど、この世界には死んだ木一本しかねーぞ。食べ物とか……魔法で作れなくもねーか」
「おお! ありがとう!」
自己紹介ついでに言ってみたら、あっさりここに居させてもらえることになった。正直、放り出されたら生きていけなかっただろう。助かった。
「二人の名前とかも教えてくれないかい?」
「そうね。私はアンディーン。元々は水を司る女神よ。マーメイドだから水の中にいることが多いと思うわ」
「マーメイド?」
「下半身が魚の種族だ。もしかして、いなかった?」
魚? どういう構造になるんだろう、それ。
「全く知らない。想像もできないなぁ。ごめん。でも、今は普通だよね?」
「……こっち来い」
「え?」
ついていくと、そこそこ大きな池があった。灰色の大樹がさっきより近い。
「つまり、見せろってことね。仕方ないわね」
「あっ」
アンディーンが水に飛び込んだ瞬間、足が魚の尾に変化した。彼女の髪よりも薄い青で、動くたびに鱗がキラキラと光っている。
「綺麗……」
「でしょう?」
当然と言いたげにこちらを見上げるアンディーンは、実際に美しい。
「こいつは歌みてーな詠唱で水を生み出し、操れる。この池も自分で作ったんだ」
「だって水がなかったんだもの。それより、あなたも自己紹介しなさいよ」
「わかったよ。名前な。俺はマタン。一応この世界の定義では精霊」
「……そういえば、なんて呼べばいいんだい?」
神や精霊なら、様とかつけた方がいいのだろうか。でも神の類だろうと敬う気がないからということで、タメ口で通しているし。
「なんて……普通に呼べば?」
「ああ、別に呼び捨ててくれていいわ」
「そうか。じゃあよろしくね。マタン、アンディーン」