天の神様は望んでる。
ちょっと戻って「精霊使いの少女が黒の精霊に手を伸ばす。」の直後のファウストです。
「で? 本当に良かったの? キミは全員連れ戻すことを望んでるの~?」
「望んでるって言ったとして、許すのか?」
"天"はにっこりと笑った。その笑みは天使のようだった。
「許すよ。だって、キミって本気なら許可なんてもらわなくても勝手に行動しちゃうじゃない。それどころか止められても無視して強引に走っていっちゃうでしょ~? それに、ボクはキミには幸せに生きてほしいって思ってるから」
「は?」
マタンは"天"の言葉を低い声で聞き返した。
「本気で言ってんのか」
「うん。伝わってない?」
「全く」
「そっか、残念。予想通りだけどさ~」
この件に関しては、マタンの反応が普通だろう。大事なものを奪おうとして、配下にならないならと灰色の世界に監禁し続け、心を許そうとしていた同居人は排除して。これで幸せを願っていると言われても、マタン視点ではお前が邪魔しているのだろうとしか思えない。
それでも、"天"はマタンの幸せを願っている。これは一応、事実である。
「前を向いてほしかったんだよね~。キミの大事なものは戻せないからさ」
「余計な世話だ」
「ん~、何にもないところに独りって、寂しいでしょ? 頭の中にしか自分以外のものが存在しない。自分の中だけで世界が完結する。なんて、無理無理。そんなのいつまでも抱えていられない。最初は平気だって思っててもね。だから吐き出したくなる」
マタンはその言葉が心に刺さったのを感じた。その通りだ。平気だと思っていた。でも駄目だった。リヴァと出会ってから、ここで暮らす仲間ができてから、元の生活には戻れなくなってしまった。ああ、認めよう。全員戻ってきてほしい。
「キミがキミの世界を吐き出すために必要なのは、ボクとベルだよ。他にファウストが生きていた頃の記憶を持っている者はいないし、適任だよね~」
そんなことはない。マタンは心の中で反論したが、そんなことは知らない"天"は続けた。
「ボクはキミにね、楽になってもらいたいんだ。体に澱んでるそれを吐き出して、そうして過去をちゃんと過去にしてね。そうしないと、耐えられなくて狂っちゃうよ。ボクやベルみたいにね」
「……自分が狂ってるっつってるけど、いいのか」
「キミはボクのこと、狂ってないって言ってくれるの~?」
マタンは沈黙した。これは狂っていることを肯定する行為だと互いに承知していた。
「だよね。それでも、ボクは神々から畏れられ、敬われる。その程度の狂気で収まってるわけ。表面上はね」
本当の自分はもっとどうしようもないと"天"は言う。
「周囲に誰かいたら取り繕えちゃうんだ。孤独は収まるどころか悪化して、それでも見ている人がいるから普通に振舞っちゃってさ。精神的な孤独ってなかなか気づかれないよね。誰にも私のことなんて理解できないと思いながら、誰かに少しでも私をわかってほしいとも思うんだ」
ああ、その通りだ。話したところで理解されることはない。そう思いつつも、今やマタンは皆に自分のことを話してみたいと考えていた。
「だから、少しでもキミが早く楽になれるよう、キミを物理的に独りにした。その方が早く限界が来る。そして、ボクが限界になったキミを迎える。きっとキミは色々言うよね。恨みでも何でも吐き出して、それから不満を言いつつボクの元で働く。そうしたら、そのうちファウストのことは過去にできる。そういう算段だったんだよ」
随分勝手な話だ。
それから、マタンは腑に落ちないと問い返した。
「元々は反逆した俺を殺す気だったんじゃねーのか」
「だってボクにとってラシアは友達で、お兄ちゃんみたいな存在だったんだよ。その生まれ変わりが死にたがってて、望み通り死なせるわけがないでしょ。考えを変えたいって思うよ。元々殺したくなかったんだし」
友達、とマタンは呟いた。
「そう、友達。言ったことなかったっけ? そんなことないよね」
「ああ、そうだけど。今初めて、お前に少しだけ親近感を感じた」
「えっ?」
「なぁ、"天"。俺、あいつらに戻ってきてほしい」
「えっ」
「話を、したい。ファウストの話を。皆、聞いてくれると言っていたんだ」
"天"は驚いた。"天"は話を聞いてほしいと言われたことはたくさんある。神は皆そうであり、"天"はそんな神から話を聞いてほしいと言われる立場だった。だが、話を聞きたいという者はほとんどいない。"天"にはそんな存在、記憶にない。
ラシアはそうだったかもしれないが、覚えていなかった。実は数多の世界を見守り続ける"天"の記憶には私的なものを残しておく余地がなく、ラシアのことで覚えているのは世界の興亡に関する部分ばかりだ。
マタンの話を聞くと言ったのか。ラシアの欠片であるマタンのことを、"天"は自分と対等に近い存在と認識していた。だからマタンが話す側に回るのは自分相手ぐらいだと思い込んでいた。
「別に吐き出す相手はお前じゃなくてもいいだろ?」
「……ああ、もう。しょうがないな~。そういうことなら、一回全員戻ってきてもいいよ。それで好きなだけ話しな。キミ、それでちゃんとファウストを過去にできそうだもんね~」
「本当か!?」
"天"としては予想外だったのだ。マタンが彼らを受け入れ、戻ってきてほしいという程心を開いていたなんて。精々リヴァぐらいだと思っていた。だからリヴァが失敗した後に"天"が彼女のその魂を大切に保護し、マタンが自分の元へ来やすくしようと思っていたのに。
まさかあの寄せ集めで滅んだ世界に暮らすことを楽しんでいたとは。これまでの話はマタンを"天"の元へ誘うための言葉だったのだが、逆の気持ちを自覚させたらしい。
永住する気がなくてもまた会えると聞いたマタンは明らかに柔らかい空気を纏っている。これを見たら、もう彼らの排除など無理だった。リヴァを"天"の手で保護することも諦めよう。彼女にはぜひともマタンが望むように自由に生きてもらいたい。まぁ今の精神状態では不可能だろうが。
「ああ、でも話し終わったら帰るか永住するか決めてもらうよ。帰った子は二度とファウストの出入りを禁ずる。それから、キミはファウストから出ないようにね」
「わかってる」
あんまり頻繁に出入りされると困るのだ。悪用されないよう、隠さなければならない世界だから。世界の壁を越える度に魔法が揺らぐ。それは危険だ。
それに契約は有効のままだ。緩くもしない。"天"は十分譲歩してるしいいよね、と思った。マタンも変更してほしいとは言いださなかった。これはマタンが反逆したことに対する罰だから、話が違うのだ。
「さて、リヴァちゃんに話したら~? マタンが戻ってきてほしいと思ってることと、とりあえず全員ファウストに招待すること。これ伝えたら気楽に……」
「いや、このままやらせる」
「えっ、いいの?」
リヴァは苦しんでいるのではないのか。
そう思った"天"だが、マタンは自分にも他人にも厳しいのだった。
「その方が本音、出るだろ。今伝えちまったら、うやむやになる」
「わ~」
マタンってリヴァちゃんのこと好きなんじゃないのだろうか。いや、好きだからこそ本音を言ってほしいのか? とりあえずマタンがひねくれていることは間違いない。
「そうだ、"天"って夢渡りが得意だったよな」
「うん? そうだけど、どうしたの」
「教えてくれないか」
「ああ、なるほど。しょうがないな~」
マタンは既にリヴァの本音を予想しているわけだ。その上で、全部実現する気でいる。
本当に、愛する存在の望みを叶えるためなら手段を選ばない。他は何もかも、自分さえも気にしない。変わらない気質だ。懐かしいので、ぜひそのままでいてほしい。
「……いいな~、キミたちは」