1.ある日のついおく
シェリー・マクダイド子爵令嬢。
それが今の私の名前だ。御年23歳。
日本ではようやく社会人になろう年頃だが、この国ではとっくに成人済み。
その上貴族としてはがっちりきっちり結婚適齢期だ。
しかし若干嫁ぎ遅れにも足を突っ込んでいる。
とはいえ、マクダイド家長女とはいえ私は養子という立場だから、そこまで結婚を強要されてはいない。
なのである程度は気楽に構えている。
なにせ家を継いで婿を得るのは妹のメイディアだから、私は支えればいいだけ。
そう口にすると両親もメイディアも、自分の幸せを考えろとありがたいことに烈火のごとく叱ってくるけど。
拾われた当初は、あまりにも優しい夢だと思っていた。
それでも料理は美味しいし転べば痛いし、抱きしめられると暖かい。
メイディアの手は柔らかく、夫妻の手は慈愛に満ちていた。
今までの現実なんて忘れて、夢でも何でもいいからとこの優しさにしがみつきたかった私は、マクダイド家でメイドでもなんでもいいから働きたいと願った。
料理はまだ覚束ない所はあっても、掃除なら親戚の家でずっとやってたし。
そしたら何故か娘になって、メイディアの姉になってた。
意味が分からない。
両親はめちゃくちゃ甘やかしてくるし、ちゃんと叱ってくれる。
ちゃんと名前を呼んで笑ってくれる優しい2人だ。
妹は私の服をにぎりしめて、よだれでべちゃべちゃな顔で笑ってくれる可愛い子。
一から始める勉強は難しくて大変だったけど、家族になってくれた人たちのためになるならと精一杯頑張った。
びっくりすることに学校にも行かせて、教育も受けさせてもらえた。
そんな私には、なんと幼馴染という存在すらもできた。
私よりひとつ下の男の子で、近所に住む伯爵家の子。
爵位は子爵であるマクダイドより上だが古くから親交があるらしく、よくお互いの家に行き来していた。
私が彼と初めて会ったのは12歳の時。
彼と彼の兄弟は年齢が離れており、あまり構ってもらえず、内向的で友達も少ないため、ぜひ私に仲良くしてもらいたいとの紹介だった。
「はじめまして、わたくしはシェリーです」
「……ぼくは、ウィンダリオン・ステイラー、です」
恥ずかしそうに視線を逸らす彼は、人見知りの傾向が強い様子だった。
これは積極的に行くと逃げてしまいそうだ。
彼の好きなことを一緒にするか何かすれば仲良くなれるのではないだろうか。
どうやら彼は読書、特に魔法について書かれた本を読むことが好きらしい。
そう、この世界は科学はなく、魔法があるのだ。
便利な道具も機械ではなく単純なカラクリだったり、魔法で動く魔道具である。
彼は魔法の適正があり、将来は城で仕える魔術師団に入ることを目標にしているという。
はにかみながら夢を語る姿は、ぱたぱたとしっぽを振る幻覚が見えるほどに可愛かった。
「すごい……わたし、魔法使うことできないよ」
「そうなの……?」
「うん。適性あんまりないって言われた」
マクダイドの娘になったとき、両親が念のためと調べてくれている。
しかし私には魔法適性がほとんどなかった。
ちょっとしたことなら習得できるが、彼が語るような魔法使いになったり、大きな魔法を使うことはできないそうだ。
ちなみに両親や妹は魔法適性に関してはそこそこらしい。
私の残念そうな顔を見た彼は、私のために色々な魔法の本を見せてくれたり、できなくても一緒に練習しようと言ってくれた。
彼の心遣いが嬉しくて、私は彼と一緒になってたくさんの本を読んだ。
使うことができなくても、知らないことが書かれている本は面白い。
知識があって困ることはほとんどないだろう。
貴重な本をたくさん見せてくれたお礼になにができるだろうか。
色々と考えた私は、彼に私だけが知る話を聞かせてみようと思った。
日本から来たことを内緒に、架空の物語だという建前で、日本や世界の昔話だったり、現代にあった機械や道具などを話してみた。
すごいすごいと目を輝かせて聴いてくれる彼に、調子にのったことは否めない。
だからこそ。
「ニートになって異世界トリップしたい」
そう言い出す残念な男性になってしまったことに、猛烈に反省した。
ウィンダリオン・ステイラー。
御年22歳、伯爵家次男であり魔術師団に所属する魔法使い。
若くしていくつかの班を束ねる立場に就任するなど、正直エリートコース。
ぐんぐん伸びた背と、ローブに隠れているが男らしい体つきをしている。
そして美形なご両親の良いところをしっかり受け継いだイケメン。
将来有望、好条件で引く手あまたの物件というやつだ。
そう、イケメンに『残念な』がつかなければ。
書類仕事の手は止まらず、こぼれる言葉だけがあまりにもおかしい。
小声なので周囲から見れば、バリバリ仕事をこなしている姿に見えるだろう。
書類のことを傍にいる私に確認しているように思うだろう。
しかし私の耳には仕事なんてそっちのけで「異世界転移どうたら」「異世界召喚こうたら」しか聞こえてこない。
こんな残念な成長をするとは思わなかったと、私は供述するべきか。
「ステイラー副長」
「シェリー、ちょっと『ここどこなんですか、こんな世界知らないわ』って言ってくれ」
「この世界のことは知ってます。職場で名前はやめて下さい」
そんなの拾われた時に言ってる。
名前呼ぶのやめろって何回も言ってる。
拗ねたような顔をするウィンダリオンの頭を撫でたくなる。
いや、本当にこういう甘やかしたくなるのはいけないと分かっているんだ。
分かってるけど私の幼馴染が可愛い。悔しい。
撫でたい手をぐっと握りしめて、すました表情を装う。
「……マクダイド補佐官」
「何でしょう」
「そろそろ昼の休憩をとらないか」
「お言葉ですが、提出書類の」
ちらりと私を見下ろし、腕に抱えた書類を軽く叩く。
「できている」
この通り仕事はできる男だ。
できないよりはマシだが。
「では提出して、そのまま休憩を取りましょう。このペースで何事もなければ残業はないでしょう」
「さすが私の補佐官」
にっこりと浮かべる笑顔に、周囲の女性から小さな黄色い声があがる。
人あたりがよい彼だが、満面の笑みだったり、気の抜けた表情は身内や家ぐるみの付き合いである私の家族、あとは近しい友人ぐらいにしか見せない。
なので一番女性として近い立場にいる私は、妬みや羨む視線が痛いほど刺さる。
そもそも彼に請われて、私は魔術師団所属の補佐官となったのだ。
事務作業が多くて困っているから手伝ってほしいと。
城仕えの魔術師団所属という立場なら、魔法使いでなくとも両親も安心する職業だと二つ返事で承諾した。
昔から一緒に勉強してたおかげで、魔力適性は『ほとんどない』から『ちょっとある』ぐらいになっていたから特に問題もない。
まあ、幼馴染が一番に頼ってくれたことが嬉しいという気持ちもあったが。
だからこそぽっと出てきた私の存在は、彼の将来性に目をつけていた女性にとって目障りである。
何しろ彼の残念な部分はオープンではないので。
私は見慣れているので可愛いとしか思わない笑顔とて、早く異世界どうちゃらの話がしたいという気持ちによるものだとほとんどの人たちは知らないのだ。
ささっと書類を提出し、中庭の木陰へと移動する。
城の中庭は整えられた花壇などがあるため広くなっている。
小さな東屋やベンチも用意されていて、隅の方は人通り少なく静かな場所だ。
さすがに個々の執務室を与えられるほどの地位ではないため、よく昼休憩はここのベンチでとっている。
「昼は……あー、その」
「私は、持ってきて、いません」
「おう……」
ちょっと遠い目をして唸るウィンダリオン。
「シェリー、これじゃなきゃだめか?」
「ウィン、私ここしばらく、執務、すごく頑張った」
「おう……知ってる……」
ウィンダリオンが大事な月末処理でヘマをした。
提出書類の締切をすっかり忘れて、何も記入のない真っ白な紙が残されていた。
残業もして、自宅の執務室に篭ってまで必死にフォローして何とか間に合わせた。
寝起きの背伸びで足がつるほど頑張った。
「わーい! ケリア母様のハニージャムサンドー!」
「肉がない……」
溜息ながらに開けられたバスケット。
ぎっしり詰まった色とりどりのジャムサンドが輝いて見える。
私の大好物のひとつ、ウィンダリオンの母様が作るジャムサンド。
頑張った私へのご褒美というか、ヘマしたお詫びの形としてウィンダリオンが用意した。
自分が好まない甘いものを息子が頼むのは、私が食すからだ。
ケリア母様もそう気づいたから、久々に腕を振るってくれたのだろう。
このあと異世界妄言を聴くのだから、私は肉がなくてもお腹いっぱいだ。




