12 【幕間1】小石をぶつければ「キーン」と音をたてて、はね返す
その男はいた。
もとより「むさ苦しい」「貧相な」という定冠詞のついた男だったが、その時の異形さは「人間」と呼ぶより、「幽鬼」という呼び名の方がしっくりきた。
いまだ残り火が所々に残る廃墟にあって、その姿を認めた19歳の少女と10歳程度の少年は、揃って絶句した。
しばしの沈黙の後、先に口に開いたのは、果たして、10歳程度の少年こと坊っちゃんだった。
「今回はまた凄い激闘だったようだね」
「……」
19歳の少女ことラティーファは衝撃のためか、いまだ次の言葉が出てこなかった。
「うんっ」
坊っちゃんは自らを鼓舞するかのように、声を発し、その男の方へ駆け寄って行った。
「旦那さん」
坊っちゃんは笑顔で、その男の顔を見つめ、努めて優しい声を出した。
「だ……ん……さん?」
男はか細い声をようやく絞り出した。
「そうだよ」
坊っちゃんは笑顔で続ける。
「だん……さん? 俺が?」
「そう。貴方は旦那さんっていうんだよ」
「おれの…… 俺の名前は旦那さん?」
「そう。貴方の名前は旦那さん」
坊っちゃんは笑顔で根気よく続ける。
ラティーファはただ茫然として、見守っていた。
「き……みの、な、名前は?」
「僕の名前は坊っちゃん」
「ぼっちゃん?」
「そう。僕の名前は坊っちゃん。僕たちは二人でずっと一緒に旅を続けてきたんだよ」
「たび? 君と俺で?」
「そう」
ラティーファはふと我に返った。
坊っちゃんが旦那さんがチャージオンした以上、自分が行かなければと言った言葉の重さを嫌というほど痛感されられたからだ。
感情のままに、強引に旦那さんのところに案内させたが、これで良かったんだろうか?
あの二人の絆に他の者が入り込む余地なんかないんじゃないか?
そんな気持ちが襲ってきた。
坊っちゃんと旦那さんの会話はまだ続いていた。
坊っちゃんが問いかける。
「それで、旦那さん。ここで何をしようとしていたの?」
「わからない……」
蚊の鳴くような小さい声だった。
「わからない……。わからないんだ。でも……」
「でも?」
「どこかに行かなきゃならないって気持ちがずっと…… ずっとある」
「どこへ行きたいの? 強い相手のいるところ?」
ラティーファの心は痛んだ。
(また、強敵を求めて、どこかに行ってしまうのだろうか?坊っちゃんと二人で?あたしには止められない?)
「強いあいて…… それもある。でも、もうここにはもう、そんなに強い相手の気配がしないんだ。それよりも……」
「それよりも?」
「俺の、俺のむさ苦しいのを何とかしてやると言ってきた人がいたような気がする。そこに行かないといけない気がして……」
「!」(覚えていた!)
ラティーファは驚愕した。
自然に両眼から涙が流れ出ているのは、多分、ラティーファ本人も気付いていない。
坊っちゃんは笑顔のまま、ラティーファの方を振り向いた。
(何をしているの? 貴方の出番だよ)
その笑顔はそう物語っていた。
しかし、ラティーファは完全に硬直してしまっていた。小石をぶつければ、「キーン」と音をたてて、はじき返したに違いない。
(はぁ)
坊っちゃんは心の中で大きな溜息をついた。
だが、この展開は今に始まったことではない。
すぐに気持ちを立て直して、続けた。
「旦那さん。あのお姉ちゃんが、旦那さんに話したいことがあるみたいだよ。聞いてあげて」
「う、うん」
旦那さんは、ラティーファの方に向き直った。
(ききき、来た)
ラティーファの緊張はピークに達したが、気力を振り絞り、声を出した。
「あっあっあっ、あんたねぇっ」
「は、はい」
旦那さんも記憶は戻っていなくても、何か感ずるものがあったらしく、直立不動の姿勢になった。
「たっ、ただでさえ、むさいのに、こっ、こんなになって」
「はっははは、はいーっ」
ラティーファは次第に涙声になっていき、蚊の鳴くような小さい声だった旦那さんの声は次第にはっきりしたものに変わっていった。
「とっとっとっとにかくっ、一緒に帰るからねっ。ついて来なさいっ」
「すっ、すみません。帰るってどこにでしょう?」
記憶を失っている旦那さんはもっともな質問をしたが、ラティーファは号泣して、それを一蹴した。
「うるさいっ。うるさいっ。うるさぁいっ。とにかく帰ればいいのっ!」
凄まじい剣幕に旦那さんは声を潜めて、坊っちゃんに問うた。
「あの、この人について行っていいの?」
坊っちゃんは苦笑しながら返した。
「ま、いいんじゃないかな」
「坊っちゃんっ!」
ラティーファは今度は坊っちゃんに声をかけた。
「え?何?お姉ちゃん?」
「こいつの気の変わらないうちに、拠点に引っ張って行くっ。坊っちゃんは前を歩いて、ハサンの残党がいないか警戒してっ」
「了解っ!」
坊っちゃんは笑いを噛み殺して、前を向き、呼びかけた。
「出発進行ーっ。ついてきて」
「ほらっ、行くよっ」
ラティーファは右手で旦那さんの左腕を掴むと、歩き出した。
(全くシャイなんだか、大胆なんだか)
坊っちゃんは内心で呟いていた。




