1 第一章プロローグ
何か体の周りを液体じみた気体が、覆いつくしている。何やら不快だ。この状態を何と言うのだったろうか。ええと。
「旦那さん。アツイね」
厚い、篤い、熱い、そうだ、「暑い」だ。また、坊っちゃんの奴に教えられたか。
その状態は、第三者的に見れば、「暑い」なんて言葉で済まされるものではなかった。この状態がもう少し長く続けば、生命の維持に危機が訪れるであろう。そんな状態である。
だが、その「状態」は、そう時間を経ずに破られた。
坊っちゃんが50メートルほど離れた岩塊に向けて、小型のレーザーブラスターを発射したのである。
周辺に伏せていた兵たちは驚愕した。
10歳になったかならないかの少年が、いきなりレーザーブラスターを取り出し、こちら側に向け、連射をはじめたのだ。
あんな子どもが、何故我々の存在に気づいた? 何故あんな子どもが高価なレーザーブラスターを持っている?
だが、坊っちゃんはそんな伏兵たちの当惑には、一切構うことなく、連射を続け、また、彼の高揚する精神に連動するかのように、レーザーの威力は増し続け、ついには遮蔽物たる岩塊を粉微塵に破壊するに至った。
「捨て置けぬな」
伏兵たちのリーダーは呟き、そして、指令した。
「捕らえよ。いや、最悪、殺してもかまわん」
10名からなる伏兵は散開し、徐々に接近を開始した。この周辺はいわゆる砂漠地帯だが、多くの砂漠がそうであるように、兵士1名を隠す岩には困らない。
だが、更に威力を増していた坊っちゃんのレーザーブラスターは瞬く間に、2名の兵士を撃ち抜いてしまった。
「!」
リーダーは更に当惑した。
しかし、彼も訓練された歴戦の兵士だった。
「突撃だ」
指令は変更だ。相手は相当の射撃の名手のようだが、10歳くらいの少年。一斉の突撃には慌てて的を外す可能性も大きい。こちらも何名かの犠牲を出すだろうが、捕獲または殺害できる見込みは十分ある。また今まで気づいていなかったが、近くに30がらまりの貧相な男がいるが、奴は何もできまい。
リーダーの読みに基づき、突撃は開始された。
このリーダーの読みは半分当たり、もう半分は外れに外れた。
30がらまりの貧相な男は、突撃の開始とともに、背中に手をやり、抜刀した。
だが、彼が手にしたのは、セイバーの柄だけだった。レーザーセイバーらしいが、刃の部分は1ルクスの光も発してなかったのである。
「ふう」
30がらまりの貧相な男こと旦那さんは小さくため息をついた。つまり、「何もできなかった」のである。
しかし、10歳くらいの少年こと坊っちゃんは少しも冷静さを失うことなく、連射を続け、一人また一人と兵士を撃ち抜いていった。
「撤退だっ」
兵士の数が自分を入れて3名まで減った時、リーダーは2回目の指令変更をした。
まともな相手ではない。これは本隊への情報伝達が優先だ。
その判断は残念ながら、遅きに失した。坊っちゃんはそれを許すことはなかったのである。
◇◇◇
全てが終わった。そう見えた時、旦那さんはもう一度背中に手を回し、セイバーの柄を握ってみた。
それは冷たく、また、1ルクスの光をも発していないだろうことはすぐ分かった。
坊っちゃんは一度はホルスターに収めたレーザーブラスターを抜き、真剣な表情で旦那さんの顔を見上げた。
「いいよ。坊っちゃん」
坊っちゃんは途端に笑顔になり、いそいそとレーザーブラスターをホルスターに収めた。
それを横目に見ながら、旦那さんは遠方に向け、語りだした。
「いや、こういうことしでかしといて、何なのはわかってるんだが、俺たちゃケンカは嫌いなんだ。出てきてくんないかな?」
しばしの時間を経て、付近で最も大きいであろう岩塊の陰から、長身、と言っても、170cmくらいだろうか、一人の女が姿を現した。
見たところ20歳くらいか、銀色の髪に日焼けした肌。両脇には護衛の男二人が緊張した面持ちで従っている。こいつらも20代半ばといったところだろう。
女はいかにもリーダー格らしく、護衛の男たちより緊張を見せないよう努めているようだが、緊張していることは隠しようがなかった。
(まあ、しょうがねえよな)
旦那さんは他人事のようにそう思った。
やがて、距離が10メートルくらいまで近づいた時、女は初めて口を開いた。
「お見事と言いたいところだけど、こちらとしてはえらいことやってくれたってところね」
「こいつら、あんたたちのお仲間だったのかい?」
「いいえ。もしそうなら、あたしたちは悲しみながらも、仲間を見捨てて逃げざるを得なかったでしょうね」
「……」
「こいつらはハサンの分隊よ。やってくれたってのは、そういうこと」
「ハサン?」
女は一瞬驚きを隠せなかったが、すぐ冷静を装うよう努め、続けた。
「とぼけているのか、信じられないけど本当に知らないのか、こっちにはわからないけど、例によってハサンはうちの拠点も狙っている訳。これは格好の口実にされるってことね」
「…… するってぇと、俺たちゃ、あんたらにご迷惑をおかけしちまったって訳か。そいつぁ、悪かった」
「悪かったじゃないよっ」
女はとうとう冷静を装えなくなり、声を張り上げた。
「どうしてくれるんだよ。今まで私もおじいちゃんも、ハサンにも、奴の弟のハリムにも尻尾をつかまれないよう頑張ってきたのに。こんな拠点の近くで、こんなことやられちゃ、うちは関係ありませんって言ったって、通ると思う?」
「…… えーと。ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃないっ。今まで今まで頑張ってきたのに。それをあんたはっ」
しまいに涙声になった女を見かけねて、護衛の男の一人が声をかける。
「ラティーファ様。どうでしょう。こいつら二人を我々が真犯人を捕らえたと言って、ハサンに突き出すのは」
ラティーファと呼ばれた女は少し冷静さを取り戻し、それに答えた。
「恐らく無駄ね。ハサンの一個分隊を全滅させるやつらをあたしらが捕まえたって言ったって、信じられるもんじゃないでしょう。ましてや……」
「こんなむさ苦しいおっさんと子どもがやったなんて……」
ラティーファはまたも泣きそうになった。それを見かねて声をかけたのは、今度は坊っちゃんだった。
「ねえねえ。ハサンてそんなに強いの?」
「強いなんてもんじゃないよって、最初に撃ったのは坊やだったじゃない。何であんなことしたの?」
「坊やじゃなくて坊っちゃん。だって、あいつら結構強いと思ったから。そうでもなかったけど」
「じゃじゃあ。何であたしたちは撃たなかったの?」
「あんまり強そうじゃなかったから」
(こいつらは~)
何がケンカが嫌いだ。強い相手としかケンカしないなんて、根っからのケンカ好きじゃないか。だけど……
「ね、ねぇ。ハサンは強いよ。坊やじゃなくて、坊っちゃんだっけ。戦って倒してみない」
「ふ~ん。強いんだ」
坊っちゃんは笑顔になったが、すぐに旦那さんを一瞥した。
(やれやれ)
旦那さんは考え込んだ。(まあ。迷惑をかけちまったのは事実だしな~)
それから、そっと右手を背に回し、セイバーの柄に触れてみた。
すこし熱を帯びてきたような気もしたが、気のせいかもしれなかった。
(わからんが、きっかけくらいにはなるかもな。よし)
「メシ食わしてくれるんなら」
「ああ、それなら、だいじょう……」
大丈夫と言おうとして、ラティーファは思いとどまった。最悪の事態からの打開の光明が見えたことで口が滑りかけたが、こちらの切り札をそう簡単にさらすこともない。
「あ、あんたねぇ。しでかしたのはあんたたちなんだから、先に食料要求はないでしょ」
「まあ、そうなんだが、腹が減っては何とやらと言うしなぁ」
(はああ。まあ、こっちの手の内を察したようでもないからいいか)
ラティーファは思い直して、続けた。
「しょうがない。それで手を打つ。でもね、そんなに食料ないし、食べさせるからには、きりきり働いてもらうよ」
「へいへい」
◇◇◇
拠点は大きな岩塊だった。大きいと言っても山よりは小さい。山よりは小さいと言っても人がある程度の人数居住できる程度には広い。
砂と岩塊ばかりの岩石砂漠の中にあって、一際目立つのは鬱蒼と生えている樹木群のせいだろう。
「水は何とか飲ませてもらえそうだな」
旦那さんがそう呟くと、ラティーファも応える。
「お察しのとおり、水が無ければ、これだけの木は生えない。そもそも水があるから拠点になるんだけど」
「だけどさ」坊っちゃんが不安そうに問う。
「これぐらいの規模だと、相手が本格的に火力を使って、岩を崩してきたら、守り切れるかな?」
(さすがにブラスターで岩を砕く子は言うことが違うわ)
ラティーファは半ば呆れながら、大丈夫な理由を教えようとしたところに、
「こんなところだ。貴重な水源を破壊するようなことはしないだろ。な、そうだろ」
と旦那さんが先に答えを言ってしまった上に、ラティーファに同意を求めてくる。
「そ、そうだね」(人がせっかく坊っちゃんに教えようとしたのに)
「それに水以外のものもあるかもしれないし……」
「!」
ラティーファは絶句した。
(この男、こっちの切り札に気づいている?)
しかし、旦那さんはそんなラティーファの様子に気づく訳でも、気づかない訳でもなく、会話を続けた。
「まあ、近距離での射撃戦か、白兵戦かってことだな。ま、ブラスターで岩を砕くなんてのは、坊っちゃん以外にそうはいないよ」
「へへっ。さっきの奴らより強いのかなぁ~」
だが最早、ラティーファには何も聞こえていなかった。
◇◇◇
「ラティーファ様!」
護衛の一人の強い呼びかけで、ラティーファはようやく我に返った。
「あ、何?」
「拠点に着きました。門番が出迎えてくれています」
「そ、そう。有難う」
もう一人の護衛は既に今までの経緯を門番に伝達しているようだ。そのためか門番はチラリチラリと旦那さんと坊っちゃんの二人連れを見ている。
「い、いい?」
ラティーファは、旦那さんと坊っちゃんの方に向き直り、呼びかけた。
「あんたたちのことを信用していない訳じゃないけど、中で暴れられても困るから、武器は出してもらうから」
「はい」
坊っちゃんは拍子抜けするほど、あっさりとブラスターを両手のひらに乗せて、差し出した。
「ぼ、坊っちゃん。そんなにさっと出しちゃっていいの?例えばあたしがこれを使って、貴方を撃つとか考えないの?」
「うん。だって、お姉さんが撃ってもレーザー出ないよ」
「え? そうなの? 撃ってみていい?」
「いいよ」
ラティーファは、銃口を中空に向け、引き鉄を引いた。レーザーどころか、スカッとした音さえも出なかった。
「本当だ。安全装置でもかかってるの?」
「安全装置って何?」
「そこから? 坊っちゃんじゃないと撃てないような仕掛けになってるの?」
「ううん。今は僕が撃ってもレーザー出ないと思う」
どうやら、この子のことをすぐに理解しようとしても駄目らしい。ラティーファは、この話題を打ち切ることにした。
「他にも武器がないかボディチェックさせてもらうね。あ、あんたたちは、そこのむさ苦しい男のボディチェックをして」
「はい」
二人の護衛はむさ苦しい男こと旦那さんのボディチェックを開始した。
「ブラスター以外、何も持ってないね。悪いけど、これは預からせてもらうね。敵が来たら返すから」
「うん」
坊っちゃんのボディチェックを終えたラティーファの前に護衛の一人が当惑した顔で現れた。
「ラティーファ様」
「ん? どうしたの? あの男。あんたたちに何かした?」
「いえ。武器は何も持っていなかったと言うか、実は……」
護衛がおずおずと差し出したのは、セイバーの「柄」だった。
「はああ」
(まったくこいつらは、何べんあたしを惑わせれば気が済むんだ)
ラティーファは「柄」を右手で持つと、つかつかと旦那さんに歩み寄った。
「えーっと。これは『柄』よね。刃はどうしたの?」
「あるはずなんだけど、ないんだ」
「哲学的な話している暇はないんだけど。あんたも坊っちゃんみたいに、あんたが握れば刃が出るとか言いたい訳?」
「いや、俺が握っても出てこない。坊っちゃんと違って、出てきたことはない」
「じゃあ何?あんたは刃の出てこない柄を大事に抱えてきた訳?」
「いや、あるはずなんだ。出てきたことはないけど」
「…… とにかくこれは坊っちゃんのブラスターと一緒に預からせてもらうよ。敵が来たら、返してあげる。役に立つかどうかわからないけどね」
「そうしてくれ」