そこに仕事はありますか?
~ あらすじ ~
この物語はごく普通の20代社会人女性、神田優子の「今日を持ちましてアナウンサーを辞めさせていただきます。」という辞表の提出から始まる。神田は都内のテレビ局で6年間アナウンサーとして働いていたが仕事をこなしていく内にある事に気づき始める。それはアナウンサーの夢が自身の夢ではなく母の昔から抱いていた夢である事を指した。幼少期の頃から母の夢は自身の夢と思い生きてきた彼女にとって本当の夢とは何かを模索する。しかし彼女の夢は自身の直ぐ側に存在していた。そして彼女の人生にずっと寄り添ってくれていたものであった。
第二話 そこに仕事はありますか?
空港には重く頑丈なキャリーケースを片手に辺りを見回す姿があった。私は一昨日をもって、6年間働いたテレビ局を辞めた。そして今、未開の地にいる。人生は予想だにしない事が起こるとは良く言うもののこれは"起き過ぎだ"。文句のように永遠と出る独り言を胸に秘めているとスーツ姿の男性が近き「あの~。東京から来られた神田さん、神田優子さんでしょうか?」と恐る恐る聞かれると状況を未だ理解出来ていない私は実のない返事を返してしまった。どうやら声を掛けられたスーツ姿の男性はこれからお世話になる町の役場の方らしい。市長さんから13時50分頃に私が空港へ到着すると言われ送迎に来て下さったと聞く。到着早々、有難い程の好待遇を受けたが先行きの分からない不安に押し潰されそうになり、役場の方が何か説明してくれているが全く耳に入ってこない。
何も分からない状態のまま役場の方の送迎者に揺られること約50分。町の市役所に到着した。ここに来るまで私の心理状態を心配しての配慮か職員さんのご家族のお話しやこの町に住んでいらっしゃる住民の方々の名前やその方の人柄などの情報を親切に教えてくれた。あまりの情報の多さに私はメモを取ろうとするが、舗装されていない道路の揺れで思わず車酔いを起こしてしまった。メモを取るという動作にはどこか懐かしい心当たりがある。東京で新人アナウンサーとして働いていた頃、メモとボールペンは片時も離さないでいたからだ。そして東京には何でも話せる同僚がいた。東京、東京には・・・。開いたままのメモ帳には溢れんばかりの涙が零れ落ちる。涙なんか実に久しぶりに流した。がむしゃらでひたむきに目の前のものをこなしていった6年というアナウンサー人生にすがることなく、この瞬間ピリオドを打たなければならないのだと確信した。
わざわざ片道50分という長い道のりを送迎して下さった役場の方に感謝を伝えると、この町の市長さんがいる部屋へと案内された。木造の年季の入った扉を2回程軽くノックすると渋く、深みのある声が返ってきた。扉を開けると70代くらいであろう白髪のダンディーな男性が椅子に深く座っている。「失礼致します!本日からこちら渚町でお世話になります神田優子と申します!宜しくお願い致します!」挨拶の方は先程の"車内の失態"を取り戻すべく好発進である。下げた頭を上げると市長さんも満面の笑みを浮かべており少々希望が見えた。しかし市長さんから本題である"飲食店を開く件"について触れられると、数分前まで笑みを浮かべていた表情が一気に曇り始めてきたのが分かった。それに恐れる事なくお店の概要などのアピールを続けた。すると意欲に押されてか表情が柔らかくなり暫く閉ざしていた口を開いた。「やりたい事をやりなさい。後悔しないように」。偶然だろうか。市長さんは母が私に口癖の様に言っていた言葉を口にした。要するに私のもう一つの夢である飲食業に賛成し協力して下さるという事であった。はきはきと頭を下げ、その場を後にしようとすると覚悟の確認であろうか"最後の釘打ち"をされた。「この町でお店を開くというのは暗く、孤独であるぞ?それでも神田さんと言ったか。やるというのか?」。その問いかけに負けず、満面の笑みを浮かばせ部屋を飛び出していった。
まず、お店を開くためにはそれに賛同して下さる協力者が必要であった。市長さんからの紹介で何件か飲食業に関連するお仕事をされている方々の名刺をもらっており、その一件一件に電話を掛けていく。しかしどれも決まって電話口から帰ってくる答えは「NO」という辛い言葉であった。その中でも「どこから来た人かも分からない人にうちの食材は提供出来ない。」と辛辣な言葉が飛んできた事もあった。確かにそうである。いきなり知らない人がお宅の食材を提供してもらえないでしょうかと来られたら怖い。そして怪しい。何件も断られ続けているとあの時と同じ様に役場の方が駆け寄って来てくれた。しかも今回は他に二人も私の夢に協力してくれるという。これ程にまで嬉しい事はない。その光景に後押しされるかの様に気を引き締め直しまた一件電話を掛けた。今でも私はあの頃の光景を忘れた事はない。
To be Continued・・・




